失格と再挑戦
※
「おめえには、まだこの庭はまかせられねえ」
おう、テオ坊、この話ぁ、なかったことにしてくれや。言い放つ師匠の言葉を、ボクは夢のなかにいるみたいな気持ちで聞いた。
「なぜ? ……なぜですか?」
珍しいことにすこしだけ語気を荒くして訊いてくれたのは、なんとクライアントであるテオ本人だった。
じっと押し黙り、ボクのプレゼンテーションに耳を傾けていた師匠は、その結末に、こんなことを言ったんだ。
「おめえの創意や思惑ってえのは、よおくわかった。大筋でオレも、いいんじゃねえか、と思うぜ」
庭に対してはとことん厳しい師匠から、こんな言葉を引っ張り出せたなら、それはもうほとんど満点と言っていい。
この日のためにこつこつ、ボクは新しい庭の模型を作っていた。
二段式の見晴らしの良さと利便性を合わせ持ち、社交界の会場であることを前提としながら、単なる箱としてだけじゃなく四季折々の趣にも重点を置いたその立体模型。
水を引き入れ、憩いの場所を造り出す。地面は限りなくフラットに。柔らかい芝生だけを選んで使う。
その最後の仕掛けが、あのマロビモたちだ。
大型のマロビモに趣ある盆栽を寄せ植えにして、ちいさな移動庭園を造る。
もちろん、盆栽とはいっても、そこはテアトラ王国の特色を生かす。
アルカディアの環境コントロールに使ってる懐石=温度を操作する導体を使って、その並び替えと景の維持を可能にする。
もっとも初歩的な異能である暖房・冷房の力を長く蓄え発揮し続ける性質を持つ石:懐石の名は、寒い時期、厳しい修業に明け暮れる僧侶たちが空腹を紛らわすため焼いた石を袋に入れ、懐中に入れてしのいだという故事に由来する。
そのプランをボクは、模型を使いながら具体的に師匠に示した。
「うん」
師匠が短く唸る。これはいい意味でだ。長年一緒にいるから、すぐにわかる。感心してくれてるんだ。
でも、だからこそ、最後の最後、たったひとつの問いかけに、ボクは呆然とした。
「それで、おめえ、あの石のこと、わかったのか」
え? というのがボクの正直な感想だ。あんな石に、意味なんかないよ、ただの石だ。ちっとも特別じゃない。だってなんども調べたし、テオもジョッシュさんも、意味がわからないって……言ってた。言ってたもん。
「……なんども、調べたし、考えたけど、あれは……いらない」
ボクは、試されているんだと思った。
師匠は、ボクがグリムグラム伯の作った庭に、畏敬を抱くあまり、そこから出て行くこと、新たな庭を作ることに躊躇や遠慮を感じているんじゃないかって、そういう古いやり方、考え方に捕らわれているんじゃないかって、訊いているんだと思ったんだ。
でも、ボクは最初っから、そんなの気にしてない。
だれかの様式に寄って立つ気はないんだ。ボクのオリジナリティで、創意で、ボクはボクの庭を、創る。
「そうでしょ、師匠?」
そう言い切った時、師匠のボクを見る瞳から光が消えた。
失望したぜ――そう言われた気がした。そして、師匠は、ジョバンニは、そのとおりのことをする。
「一週間もお邪魔して、その程度か。こりゃ、とんだオレの見込み違いだ。おう、テオ坊すまなかったな」
「ちょっとまってください。クライアントであるわたしは、ソラさんのプランに賛成です。非の打ち所がない素晴らしさです」
「素晴らしい、っつったか、テオ? なるほどなあ、じゃあ、おめえさんも、わかってねえんだな。この庭の意味が」
ふー、と師匠が深くため息をついた。
「まあ、いいだろ。そういう庭が欲しいなら、いまのプランをどこへなりと持っていけ。ただ、ウチは、アルカディア造園旅団は、やらん」
「どうしてです。ジョバンニさん、その煙に巻くような言い方、やり方はひどくはないですか。計画に、いけないところがあるなら、はっきり指摘すべきです。そこを改善すればいいだけじゃないですか」
「計画に瑕瑾はねえ。計画だけ、ならな。だから、指摘のしようがねえ」
びくりっ、とボクは震えた。瑕瑾はない、って師匠は言った。言ってくれた。瑕瑾って言葉は、玉のように美しいものに続けてだけ用いられる。つまり計画には、欠点がないって、合格だって言ってくれた。
じゃ、なんで、なんで、ダメなの?
わからなくて、恐さと、不条理な仕打ちへの怒りで、ボクは震える。
なにがいけないの?
「じゃあ、なにが?」
食い下がるテオを、師匠が睨め付けた。
「こんだけ言ってもわからねえ――てめえらの性根がだッ!!」
びりびりびりッ、とその一喝で窓ガラスが割れるんじゃないかってくらい音を立てた。
怒っていた。
本気で怒っていた。
ボクを叱るとき、師匠はこういう怒り方をしない。言葉は汚いけれど、ちゃんと理由を説明してくれる。どうして叱るのか、なぜ、いけないのか、どうすればよかったのか。
でも、だからわかるんだ。
これは怒りだ。
師匠が、ジョバンニが――吼える。
「庭ってえのは、一種の道楽だ。趣味だ。余剰だ。おまけだ。だがな、若造ども――いいか、よく聞け。それに命を賭けた連中がいて、そいつらが作った庭は、だから命がけで作られた場所、命を代価にここに降ろされた“理想郷の景色”なんだ。自分の趣味で作り直したきゃ作り直せ。ただ、覚悟しろよ。失われた創意は、もう、二度とおまえらの眼前には還ってこねえぞ? そこに込められてたもんは、一度飛散したら、もう、二度とは還ってこねえもんだぞ」
思わずテオが、青ざめ、たじろくような気迫だった。
「そのうえで、ここは、おまえさんとこの庭だ。それをどうするかってえのに、オレがいちいち口出しすることじゃねえ。だから、よそに頼みな。あの提示額なら、喜んで請け負ってくれるとこが、いくつもあんだろよ。だが、ウチは受けねえよ、ってだけのことだ」
おう、じゃましたな。それだけ言うと、師匠は席を蹴って帰ろうとした。
「まって!」
ボクはテーブルを回り込んで、師匠の元へ走った。
それから、地面に滑り込む。正座する。
「師匠、お願い、お願いです。この仕事をボクに最後までやらせてください。悪いところがあるなら、言ってください。直します。どんなことでもします。だから、だから――お願いします」
懇願した。本心だった。だから、人前だなんてこと関係なかった。
そんなボクに振り向きもせず、でも、立ち止まって師匠は言った。
「言ったぜ? 計画に直すべき点はねえ。だからオレが言うことはねえ。おまえが作りたい庭が出来上がるだろうよ」
「でも、アルカディア造園旅団では、受けないって」
「なにも、ウチにこだわるこたあねえ。おめえ、そのプランを持って、どこかに雇われで入ってもいいんだぜ? テアトラに就職したっていいやな。グリムの残した造園旅団の支部作れや」
なんでだよ、なんでそんなこと言うんだよ。なんで……なんで……そんなに優しく言うんだよ。
「ボクは……アルカディアのみんなとやりたいんだよ、師匠とやりたいんだよ、この仕事を」
「わかんねえやつだな。ウチはやらねえ、つったろ」
計画の問題じゃない、って師匠は言った。
師匠の怒りを買ったのは、計画の完成度じゃなく、ボクや、テオ自身だ。
失われた創意は、もう二度と還ってこないって、師匠は言った。
「ボクだね? ボクたちなんだね、問題は」
ボクの問いかけに師匠は答えない。
「見落としてるって、気がついてないって、そう師匠は言うんだね……」
気がついたらボクは、師匠に土下座していた。額を床にこすりつけて。
「お願いです。時間を、あと三日、時間をください。かならず、かならず答えを見つけます」
背を向けていた師匠が、すっ、と踵を返した。
「頭あげろ。立てや」
ボクは、師匠の言葉に従う。殴られるかもしれない、ってそう思った。歯を食いしばる。
師匠は粗雑だけど、ボクに暴力を振るうようなヒトじゃない。一度も殴られたことなんて、ない。
でも、いまボクの身体が受け止める、師匠から吹きつけてくる叩きつけられるような重圧は、そういう種類の恐怖だった。
「簡単に土下座なんかするもんじゃねえぞ。ウチの看板、安く扱うんじゃねえ。てめえはまだ、ウチの職人だろが」
誇りを安売りするな、って叱られた。暴力なんてない。やっぱり師匠は、ボクの師匠だ。
「はいっ、親方」
ボクは正しい職人言葉に直す。敬意から。
「一週間頭捻っても、わからなかった奴らが、三日で感得できるたあ思えねえが」
「やります」
「おう、軽くねえぞ、やります、請け負いますってぇ言葉はよ」
「はい」
ふうん、と師匠は唸った。ボクは泣きそうになるのを必死で堪えて、師匠の顔を正面から見つめた。
長い睨み合い。
はー、と師匠は、またため息をついた。バリバリと頭を掻く。
「しょうがねえ、三日やる。だが、それでダメなら、スッパリあきらめるんだ。いいな」
いいな、テオ、と師匠は念押しして、その場を立ち去った。
オレも甘えこったぜ、ヤキが回ったか……そうつぶやきながら。
ボクはその場にへたり込む。膝が、笑って、もう立てない。
「ソラさん」
テオが駆け寄ってくれる。
「どうして、ジョバンニさんは、あんな……わたしには、意味が、意味がわからない」
「師匠……怒ってました。気難しいヒトだけど、あんなに声を荒げることなんて滅多にない。あんな怒り方したの、むかし、ボクが内緒で、モンスター退治に出かけて死にかけたときだけだ……本気だった。本気で怒ってた」
ボクは、駆け寄ってくれたテオに、なぜか反論している。
「あれは、とても大事なモノを、ボクが、ボクらが粗末に扱ったり、扱おうとした時だけ見せる――ジョバンニの本当の怒りだった」
「ソラ……さん?」
「ボクらが、キチンと受け取れてないって、そう師匠は怒ったんだ」
離宮で、宮殿で、パーティーだ、ドレスだ、ハーブ湯だ、美味しいお料理だ、って舞い上がってたボクは、恥ずかしい。
「テオ……テント貸してください。ボク、今日から期日まで、お庭で生活します」
そういうわけで、ボクのテント生活がはじまった。
ボクは、二十四時間、ずっとお庭に張り付くことを決めたんだ。
見落としがあるなら、受け取れてないなにかがあるなら、必ず見つける。見出す。感じ取る。
そういう気概だった。
それに、ボク、キャンプ生活は得意なんだよ?
造園旅団のお仕事してないときは、よくアルバイト的にモンスターを狩猟してるの。
こう見えても、ボクは異能も剣も使えちゃうエクス・セイバーってクラスなんだから!
そうでなくちゃ、こんな美少女がドラゴ・ロワナなんかと戦えないよ。
そして、ハンターの当然のたしなみとして野外生活にも馴れてる。
三日ぐらい、テントがあれば楽勝だよ。
それにここは荒野、原野じゃない。
野営地を確保するために木を伐採したり、石ころどけたり、穴掘ったり、水場確保したりする必要はない。
おトイレだって、ひっそりと完備してるし!
ほんと、ピクニックみたいなもんだ。
でも……一晩たっても、ボクにはジョバンニの言ってたことがわからなかった。
「大丈夫ですか? 目が、真っ赤だ!」
次の日の夜明け、ジョッシュさんとともにテントを訪ったテオが仰天して言った。
「ええ、大丈夫です。一晩、寝なかっただけだから」
「一睡も、ですか?!」
「大丈夫です、テオ。初歩の異能の多くは、こういう持続的な困難に耐えるための身体機能調整を司るものがほとんどです。だから、眠くないし、寒くもありません。ちゃんと、地面側にぶ厚く毛布は敷いているし、野外活動の心得は、キチンとありますから」
ボクは、テントのなかに居座ったまま朝陽に照らされる、あの石を睨みつけている。
「では、なぜ目が?」
赤いのですか、という意味でテオは言った。聡いヒト。
「くやしくて、泣いちゃいました」
ボクは包み隠さず話す。別に、とかそういう言葉で隠し事をするのは、特にこういうヒトにはよくない。余計な心配をかけたくないなら、キチンと自分のなかで起きていることを、伝えなくちゃいけないんだ。
ボクの正直な言葉がちゃんと届いたのだろう、テオが笑顔になった。
「お食事、お持ちしましたよ」
「保存食の備蓄を分けていただきましたから」
大丈夫です、とボクは断る。
アルカディアにおける各国離宮は大使館的機能も兼ねていて、いざというときは災害に見舞われた自国民(多くの場合は、自国民だけじゃない)を受け入れる施設に変貌する。さいわいにもアルカディアでは、これまでそういう事態に陥ったことは一度もないけれど、かつて大虚空戦争の時代には、そういう救助支援の最前線拠点として機能した離宮や大使館がいくつもあった。そういうときの教訓から、保存食料はかなりの備蓄があるんだ。
その備蓄を少し、ボクはわけてもらっていた。
「ジョバンニさんは、庭を知れ、と仰っただけで、苦しめ、とは言わなかったんじゃないでしょうか?」
「テオ?」
「苦しんだって、庭のことはわからない気がします。料理長特製のサンドイッチとジョッシュの点てる紅茶の組み合わせは、それは素晴らしいものなんですよ……お庭は楽しまなくちゃ」
ボクは言葉を失ってテオを見る。そんなボクにテオは言う。テントに入ってきてボクの隣に座って。
「昨日……ジョバンニさんの怒りは……ソラさんにだけ向けられていたものじゃないんじゃないかって、そう思えました。グリムグラム造園伯の残したこの庭に対する離宮関係者全員に対する……いいえ、あれは、ボクに対する……怒りだった気がするんです」
ボクにも、一緒に考えさせてもらえませんか?
庭を、そして、あの石を見つめて言うテオの顔を、ボクは見つめたまま動けなくなった。
出会った頃抱いたあの舞い上がるようなドキドキじゃなくて、胸の奥がジンと痺れるような熱さ――恋で感じる胸の高鳴りではなく、志を同じくした相手に出会ったときのような、そんな昂ぶりをボクは感じていた。
だから、ゆっくりと返事はせず、黙って、庭を見つめる。
そっと、控えめに差し出されたティーカップから、なんとも言えない優しい薫りが立ち昇って、ボクは視界が曇ってしまうのを止められなくなってしまった。
「造園伯のこと……昔からご存知だったんですか?」
「伯は、なにしろ父の盟友のひとりであり、我がテアトラの誇る英雄ですからね……でも、ソラさんの聞きたいのは、そういうことじゃないみたいですね」
「歴史や造園に関する著作に現れる伯の人柄ではなくて……テオにとっての、グリムグラムってヒトのこと……そういえば、おうかがいしてなかったな、って」
「そういえば、お話してなかったですね……わたしたちが“どうしたいのか”に夢中になるばかりで」
いまごろこんなことこ話してるから、師匠に怒られるんだ、とボクらは互いにベロを出して苦笑いする。
「わたしにとっては、兄たち同様かそれ以上、父のような存在でした。よく野外に連れだしてくれたなあ。母も一緒だった。普通に考えると、なんらしかの陰謀を疑われそうなんですが――王家の子供と妻をぐるりと連れて、山野に出かけるなど。でも、伯の、グリムおじさんの人柄がそんな疑いを抱かせもしなかったんだなあ」
グリムおじさん、ってテオが言った。ああ、親しかったんだ。わかる。
「執政に忙しい父になりかわり、よく高原にピクニックに連れ出してくれました。大抵は両方の兄が狩りをねだるんですよ。伯父上、いこうって。べつに血の繋がりなんかないんですけど、伯父上って呼ぶんです。それで、伯はいつも困り果てた顔で父を見るんです。演技なんですけどね。そうすると、父は決まって苦笑いで言ったものです。そなたらから、伯父上を取り上げるのは難しそうだな、って」
グリム造園伯と自分が血の繋がりがないことを、当然だけどテオのお父さまはご存知だったわけで、なんというか、微笑ましいやりとりだなあ。
「他国から、特殊な理由で嫁いできた母も連れていってやってくれ、というのは父からのリクエストでした。母は最初、いつも断るんですが、父には肩身の狭い思いをしていたであろう母と――売国奴と囁く心無い連中も、いたわけです――わたしをともに連れだしてやってくれ、というそんな思惑もあったのでしょう。自分の側で外交問題に対処していると、いやでもそういう情報に触れることになる。父の精いっぱいの気遣いだったんだな、といまでは思います」
人間同士の戦争、その復興期にテアトラは大虚空戦争に突入する。その前夜、束の間の平穏での話しだ。
「いま思うと、兄たちがわたしに仲良くしてくれたのも、グリムおじさんのおかげなのかもしれない。見えない場所で、フォローしてくれていたんだと思います」
テオは追憶し、微笑んで言った。
大虚空戦争時代、貴族階級でありながら、兵站部門といういわば影働きをずっと続けてこられた伯の人柄を考えれば、その推測はおそらく当たっているだろうな、とボクは思った。
「線病質な少年だったわたしが馬に乗り、兄たちとともに狩りをし、いつしかモンスターとも渡りあえることができるようになったのは、グリムおじさんのおかげです」
「テオ、クラス持ちなんですか?」
「キャバリアーなんですよ、一応は?」
ふふふっ、とテオが笑う。
柔和な表情と物腰からは想像できないけれど、キャバリアーというのはナイト系上級職で、ナイトの鉄壁の防御能力に加え、ランス系の突撃技をいくつも持ってる強力なクラスだ。特にドラゴンのような大型モンスターとの戦闘に特化したクラスで、そのランスによる一撃はまさに爆発的な破壊力を誇る。
「すごいっ、なんで黙ってたんですか?」
それなら、冒険のお話をもっとしたかった。ボクは思う。
「離宮、それもアルカディア駐在の王子がそんなこと自慢気に話しても、意味がありませんよ……ある意味で、ここはいま世界でいちばん平和な場所かもしれないんですから」
ほんと、テオって奥ゆかしいなあ。
「じゃあ、こんどこっそり一緒に狩りに行きましょうか?」
「ソラさんと、ワイルドハント? それは……面白そうだ!」




