2話 バンド部
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例えば、昼下がりの屋上を思い浮かべてみる。
空色の空には、疎らに白い雲が浮かんでいて、何だか涼しげな空模様。
屋上のフェンスの端に置かれていた植木鉢を見る。何も入ってない植木鉢は酷く乾燥していた。俺は右手を植木鉢に重ねるように翳して、握力を右手にすこしずつ加えて、持つイメージを思い浮かべる。
ゴトッ、と乾いた音が聞こえる。すこしずつ上昇していく植木鉢、植木鉢の動きに合わせるように右手をすこしずつ上に挙げていく。見えない重荷を指先で感じながら、すこしずつ、すこしずつ上げていき、最後には握力を最大にする。
ぐっ、と右手を握り締めて、そのまま右手を後ろに引っ張った。すると、植木鉢は引っ張った方角に、速い速度で飛んでいった。植木鉢が視線の横を通り過ぎて、後ろのフェンスに激突、そのまま失速した植木鉢は屋上のアスファルトの地面に落下して割れる。
これが、魔術とは関係ないESP――俗に言う超能力だ。アポーテイションとも呼ばれている物を引き寄せる力で、一般的な呼び名はアポートで、多分アポートの方が親しみがあるだろう。これは、魔術とは全くの無関係だ。この力がある性か、俺は魔術師としては三流らしい。魔術師がそんなチャチな能力を得た性で、誇りだとか信念や規律が乱れるから、が魔術師の世界での一般論。
別に好きで得た力じゃねぇっての。ついでに、俺の属している魔術の世界では、ランクが四つに別れている。
下級・中級・上級・最上級の内、俺は下級に属されてるみたいだ。面汚し、という理由なので、公式データではない。ランクが中級以上になると、魔術師は己の魔術をより高めようと考えるようになってくる。
方法としては二つある。
一つ、神話上の生き物か悪魔と天使と代価を支払って契約する。
一つ、人間の魂と生き血を100人分食らう事。妥協は一切してはならない。
最後の一つは、現代社会の法律に違反しまくりである。
青空を見上げていると、屋上のドアが開いた。
キイィィィ、とドアの取付金具が擦れる音、開かれたドアの向こうには、黒いタイトスカートにスーツの上から白衣を羽織った大人の女性の姿があった。ライトブラウンのショートなボブカットに包まれているおおらかな美貌。保健体育教諭の浅葱鏡花<あさぎきょうか>である。
鏡花教諭の視線が、悠里を捉える。
「あら〜こんな暑い日に〜日なたごっこ〜?」
遅い、と言いたくなるようなゆっくりとした喋り。こんな真夏のような空の下で、誰がそんな自殺行為な遊びをするか。
とりあえず、否定はしておこう。
「小学生でもそんな遊びしないですよ。ただ単に授業をサボってただけっす」
「サボりですか〜いいですね〜わたしも〜がくせいじだいによく〜やりました〜」
ゆっくりと喋りながら、鏡花教諭は白衣のポケットの中に片手を突っ込んで、キンキンに冷えたレモンティーの缶をなぜか二缶取り出した。そして、ゆっくりとフェンスに向かって歩きながら、レモンティーの一缶を俺に放り渡してきた。
「さきほど〜ばいてんの〜おばさんから〜もらいました〜」
と言いながら俺の方に顔だけ振り向いた。柔らかな笑顔であった。
これでも飲んだら、という解釈で良いのだろうか?鏡花教諭はレモンティーの缶のプルタブを押し上げた。プシューと空気の抜ける音。俺も彼女と同じ動作で缶を開けて、そのままレモンティーの甘ったるい液体を喉に流し込む。想像以上に冷たかった。
よく見ると、鏡花教諭は童顔だ。
鏡花教諭は空を見上げる。
疎らに広がった白い雲がやや南西に流れている。太陽は一部の分厚い雲に隠れている感じだ。空はギリギリ、直視出来るくらいの明るさだ。
「くも〜ほんとうに〜じゆう〜ですね〜」
唐突に、鏡花教諭がそんな事を言い出し始めた。
「さいきん〜バンド部〜がんばって〜ますよ〜。あさみ〜くんも〜にゅうぶ〜しませんか〜?たのしい〜ですよ〜」
突然勧誘か?そもそも、バンド部なんて部活動があったのか?
俺はすこし瞼を閉じて思案した。全く意味のない思案だ。
答えは最初から決まっている。ただ、即答するのが忍びないと思っただけだ。
「俺は部活には向いてないですよ。それに、楽器は演奏出来ないし」
「またまた〜じょうだんを〜あおぞら〜さんが〜いってましたよ〜?あさみ〜くんは〜ざつように〜向いている〜と〜」
あいつ、朝の仕返しのつもりか?それにしても、雑用に向いているって真顔で言うこの人もなんだろうな。優しそうに見えて、意外と性格は意地悪なのか?とても苛立ってくる……間接的に仕返しする方法を考えなければ。
「あ〜そういえば〜こんしゅうの〜もくようびの〜ほうかごに〜もぎれんしゅうがあるんですよ〜」
「それで?」
「きゃくに〜なってもらいたいのです〜」
「客?見物人って事?」
この人の言葉はどうも、平仮名が多くて聴き取り難い。今週の木曜日って事は……三日後か。というか、あいつはバンド部の部員だったのか。だが、あいつは何を担当しているんだ?ベースか?ドラムか?それともボーカルか?……どちらにしても意外だな。
鏡花教諭はレモンティーをすこし喉に流し込んで、一息ついた。
「そうです〜かならず〜みにきてくださいね〜じゃないと〜りゅうねんしょぶんですから〜」
俺はちょっと呆けた。この人は今何と言った?見に来なければ留年処分と言ったのか?それって、すこし教師の権利を行使し過ぎじゃないのか。というか、俺の都合は最初から無視だったのか!?
頭痛をすこし覚えてしまった。断ったら留年確定……答えが酷く断定されるな。
言葉に詰まる俺は、ため息をついた。
「……見物に行きます……留年はしたくないので」
と答えると、鏡花教諭はまた柔らかな笑顔を表情に浮かべる。
「ありがとう〜ございます〜。でも〜なんで〜みんな〜わたしをみたら〜にげていくのでしょう〜?」
「気付かないのか?」
「まったく〜しつれい〜します〜」
俺はまたさらに頭痛を覚えた。この人は全く自覚していないなのだ。そんな脅迫染みた宣伝を聞かされたら、誰だって逃げたくなるよ。いや、逃げる以前に近寄らないか。終始笑顔の鏡花教諭に対して、俺は随分と疲れた表情をしていた。
――――俺、この人苦手だ……――――。