三.凍える焔
取り調べにおいて、全面的に罪を認めた行 岳栄は、三日にわたって身体中を切り刻まれる酷刑の末、命を落とした。刑場に詰めかけた民は、皇帝の信頼を裏切った逆賊に、容赦ない罵声を浴びせかけたという。
父帝はかつての忠臣の一族にも、一切の情けを掛けなかった。
行の名に連なる成人男性は、全て死刑。
子どもと女性は全員、宮刑を受けた上で奴婢とされ、最果ての地への流罪が言い渡された。
彼らは生涯にわたって、皇都とその近郊都市に近づくことは許されず、見つかれば即、首を刎ねるとも告げられた。
更に、礼王朝の続く限り、未来永劫、一切の恩赦の対象から外れることも。どのみち、子を成す術を強制的に奪われた彼らに、次代はない。
国の情報を売るという罪は、重い。
父帝の怒りは、それ程までに深く激しかった。
熙衡は、何としてでも雪麗を悲運から救い出そうと、我武者羅にあがいた。
だが、成人もしていないいち皇子に、父帝の裁定をひっくり返す力などない。彼が無意味に声を張り上げているうちに、雪麗への刑は処置が終わっていた。
深雪で閉ざされた道が通行可能になるまで、七日ほど、奴婢となった行一族は、外廷の牢獄に一纏めに押し込められていた。
満足な食事も摂れず、身を横たえることも困難な不衛生な牢獄で、出立を待たずして凍死したり、病死したりする者が後を立たなかったそうだ。男女それぞれの象徴を無理矢理潰され、痛みにのたうち回った末、息絶えた者も多かったという。
雪解けが確認され、いよいよ出立が明日となった日の真夜中。
眠れずにいた熙衡は、秘密裏に内廷、央廷央廷と抜け、雪麗がいるはずの外廷の牢獄へ向かっていた。
雪麗を守るために何も出来なかった彼に、憎しみをぶつけられてもしょうがない。
それでも、一目だけでも、雪麗に会いたかった。
足音を忍ばせていた熙衡は、しかし、松明を持って声を張り上げている兵の一団を見かけ、咄嗟に建物の陰に隠れた。耳をそばだて、彼らの会話の内容を何とか聞き取ろうとする。
「――奴婢が逃げただと!? どこからだ!」
「死体の振りをしていたと……! 外に出て、目を盗んで逃げたようです!」
「急いで探せ! 運び出した死骸はもう一度確認しろ! ……逃げたのは誰だ!?」
「行氏の末娘であった女です!」
(――雪麗!)
目を見開いた彼は、兵に見つからないように慎重に建物の陰を回り込んだ。物音を立てないように細心の注意を払い、内廷へ戻ろうとする。
もしかして彼女は、自分に一目会おうと無謀を働いたのではないか。
そうであれば、彼らが日常的に顔を合わせていた、内廷へ向かったはずだ。
(雪麗……雪麗……! どこに……!)
内心で彼女の名を叫び、身を隠しながら、外廷の端の木立を駆け抜ける。
不意に、顔から何かにぶつかり、熙衡は派手に尻餅をついた。
強かに打ち付けた鼻を押さえながら、熙衡は慌てて身体を起こす。衝撃で、懐から零れ落ちた輝きを認め、咄嗟に空いた手で拾い上げた。
視線を上げ、自分がぶつかったものを認めた熙衡は、初め、視界に入ったものを理解できなかった。
「雪麗……?」
少し離れた先には、どこかから持ち込まれたのか、臭いのきつい桶が複数転がっている。囚人の獄で使われている排泄用のものだろうと、遅れて気付いた。
その上で、太い枝に薄汚れた帯を結びつけ、首を縊った女性の身体が揺れていた。揺れているのは、先程彼がぶつかったから。
月明かりに照らされた顔は、雪麗のものに似ている気がした。どす黒い肌、だらりと垂れ下がっているのは舌だろうか。髪はざんばらに切り刻まれ、半分が真っ白になっている。
麗しい面影は、一切残っていない。しかし、その顔は、熙衡が飽きず眺めた、雪麗のものに間違いなかった。
「せつ……れい……。せつれい……!」
壊れたように繰り返す熙衡は、震える手を伸ばして、彼女の足元に縋った。重みに耐え兼ねたのか、帯が千切れ、彼女の身体が地に堕ちる。
痛いはずなのに、雪麗はピクリとも動かない。一言も発さない。
「どうしたんだい、せつれい……。こんなところでねていたら、かぜをひくよ……」
どれだけ揺さぶっても、彼女の柔らかな唇が、かつてのように彼の名を呼ぶことはない。
滂沱の涙が、熙衡の頬を伝い落ちる。
彼の頭は、雪麗の魂がここにないことを、既に理解していた。
ただ、心がそれを受け入れられない。
「せつれい……。せつれい……」
譫言のように繰り返す熙衡の手から、何かが再び零れた。
月光を弾いて輝くのは、珊瑚で蓮を、真珠で雪を象った簪だ。婚約の証に雪麗に渡そうと、熙衡が意匠を考えたもので、今晩が永遠の別れとなるのなら彼女に託そうと、ひっそり持ち出してきたものだった。
二人の姿に気付いた兵が、驚いたように駆け寄ってくる。死の穢れから皇子を引き剥がそうとする彼らに、熙衡は遮二無二暴れた。
「雪麗……雪麗! やめろ、離せ! 頼むから……一緒にいかせてくれ……!」
言い募る彼の首筋に、咄嗟に近付いた兵の一人が鋭い突きを入れる。驚く周囲をよそに、くずおれた熙衡の身体を担ぎ上げて、その兵は告げた。
「自害でもされては困る。──誰か、内廷に急ぎ連絡を。女の遺体は、他の奴婢のところに纏めておけ」
力無く閉じた皇子の眦から、涙が流れ続けていた。
行氏の一件を耳にして以降の寝不足と、精神的な衝撃で、熙衡は三日三晩眠り続けた。ようやく目を開けた彼の霞む視界に、母の顔が大写しになる。母は声もなく大粒の涙を零し、息子の身体の上に身を投げ出した。
ぼんやりとした熙衡は、不意に手元の違和感に気付く。手探りでそれに触れると、馴染みとなった真珠の丸い形を指がなぞった。
熙衡の脳裏に、あの日彼が最後に見た、雪麗の無惨な亡骸が過ぎった。
業火のような怒りが沸き起こるが、熙衡はそれを押し込める。諦めたのではない。憎悪を隠して生き、いつか彼女の死に責を追うべき人物に、全力でぶつけるのだ。
(赦さない……)
内心の怒りを押し隠し、熙衡は母に微笑んでみせる。
「ご心配をおかけしました、母妃。もう大丈夫です」
「ほんとうに……? 驚いたのよ、急に貴方の姿が見えなくなったと思ったら、外で倒れていたと連れてこられて……!」
「ええ、大丈夫です」
穏やかに告げる息子に安堵したように、母はひたすらに声を震わせる。彼が倒れたことだけではなく、行氏の事件以降、度々取り乱していた息子に対する懸念もあったのだろう。
熙衡は完璧な皇子の仮面を被り直し、「大丈夫です」と繰り返した。
(絶対に……赦すものか……!)
熙衡は、雪麗があんな惨めな最期を迎える原因を作った存在を赦さない。
行氏はとっくに鬼籍に入り、手の出しようがない。父帝は万民を統べる皇帝として、このような形で明白になった罪を穏健に裁くことは出来なかった。雪麗が何を思ってあのような最期を遂げたのかも、彼には分からない。
それでも、今回の件に、責を負うべきなのは誰か。
(行氏の罪を暴いたという、官僚。宮中の事件捜査を担う総統院や、裁きを行う糾正院の所属でもないのに、出しゃばった男……)
それは、典部に所属する忠良。錚雲からの駐在士の血を引く、温という姓の男だ。告発主である彼の存在は公にならなかったが、情報は密かに宮中に流れていた。
彼が余計なことをしなければ、少なくともこのように、誰も救われない結末にはならなかっただろう。
(――いつか必ず力をつけて、雪麗の仇を取る)
心からの憎悪は、一見冷たく思われる青い炎に似ているのだと、熙衡はこの時、初めて知ったのだった。




