Starlight Beat
追っかけの日々
林田真緒、23歳。彼女の人生は、アイドルグループ「スターライト・ビート」に捧げられていた。スターライト・ビート、通称スタビは、5人組の男性アイドルグループで、そのキラキラしたパフォーマンスと心を掴む楽曲で若者を中心に爆発的な人気を誇っていた。真緒は特に、リーダーの翔太に心酔していた。彼の歌声、笑顔、ステージ上での圧倒的な存在感――すべてが真緒の心を捉えて離さなかった。
真緒は、ぶ厚い眼鏡と地味な服装で、いつもスタビのライブやイベントに足を運んだ。
(推しに使う金はあるが自分に使う金はない)
彼女のトレードマークは、度の強い眼鏡と、推しの名前がプリントされた自作のTシャツ。友達からは「マオ、ちょっとオタクすぎるよ」と笑われていたが、彼女にとってスタビは生きがいだった。握手会では、翔太に「いつもありがとう」と声をかけられ、その一言で一週間以上は手を洗わず幸せに浸れる。真緒の顔立ちは中性的で、眼鏡とボーイッシュな服装がそれを一層強調していた。
ある秋の日、スタビの新曲リリースイベントが都内の大型ホールで開催された。真緒はいつものように列に並びタオルを振りながら叫んだ。「翔太あああ! 最高!!」周囲のドルオタたちも負けじと声を張り上げる。会場の熱気は最高潮に達していた。
しかし、その瞬間、隣の熱狂的なファンに肩をぶつけられ、真緒の眼鏡が床に落ちた。「あっ!」慌てて拾おうとしたが、群衆に押されて眼鏡はどこかへ消えた。視界がぼやける中、真緒は必死にステージを見つめた。すると、ステージ脇にいたスーツ姿の男性が彼女をじっと見つめていることに気づいた。後で気づいた事だが、その人はスタビの所属事務所「シャインエンターテインメント」の社長、佐藤光一だった。
突然のスカウト
イベント終了後、真緒は眼鏡を失ったショックで放心状態だった。予備の眼鏡は家にあり、帰るまでどうしようかと途方に暮れていたその時、背後から声がした。
「君、ちょっと話があるんだけどいいかな?」
振り返ると、そこには佐藤社長が立っていた。真緒は動揺しながらも、ぼやけた視界で彼を認識した。「え、わ、私ですか?」
「そう、君だ。名前は?」
「林田…真緒、です。」
佐藤社長は真緒の顔をまじまじと見つめ、にやりと笑った。「君、なかなかいい顔してるね。うちの事務所でアイドルやってみない?」
「ええっ!?」真緒は目を丸くした。アイドル? 自分が? 一瞬キャッチかナンパ、それか新手の詐欺かと思ったが、佐藤社長の目は本気だった。
「スターライト・ビートに新メンバーを入れる計画があるんだ。君のその…なんというか、独特の魅力、ステージで映えると思うよ。」
真緒は混乱した。自分はただのドルオタ、しかも女だ。アイドルになんかなれるはずがない。だが、佐藤社長は彼女の性別を男性だと決めつけているようだった。真緒の中性的な顔立ち、短い髪、そして眼鏡を外した素顔が、社長の目に「イケメン枠」として映ったらしい。
「で、でも、私…その…」真緒は言い淀んだ。女性だと告げるべきか迷ったが、スタビのメンバーと一緒にステージに立つという夢のような話に、心が揺れた。「…考えさせてください。」
「明日までに返事をくれ。君には可能性があるよ。」佐藤社長は名刺を渡し、去っていった。
決意と偽装
その夜、真緒は一人で考え込んだ。女性であることを隠してアイドルになるなんて、無茶だ。でも、スタビと一緒にいられるなら…。翔太の隣で歌い、踊る自分を想像すると、胸が高鳴った。結局、彼女は決意した。「後悔したくない。こんなチャンス逃したくない。」
翌日、佐藤社長に連絡し、オーディションを受けることを伝えた。オーディションでは、眼鏡を外し、男装を徹底。声は少し低めに調整し、自身は無いがダンスと歌で自分の実力をアピールした。結果、驚くほどスムーズに合格。真緒は「マオ」として、スターライト・ビートの新メンバーとしてデビューすることが決まった。
しかし、問題は山積みだった。女性であることを隠すため、真緒は常に男装を貫き、メンバーやスタッフと距離を置く生活を始めた。寮では一人部屋を希望し、シャワーや着替えのタイミングを慎重に管理。彼女の中性的な顔立ちは、男装を自然に見せる助けになったが、秘密を知るのは彼女自身だけだった。
アイドルとしての日々
スタビのメンバーとの初対面は、緊張の連続だった。翔太は真緒に笑顔で握手を求め、「マオ、よろしくな! 一緒に盛り上げようぜ!」と言った。真緒は心臓が飛び出そうだった。他のメンバー――クールなビジュアル担当の悠斗、元気印の陽太、頭脳派の涼、ムードメーカーの健太――も温かく迎えてくれた。
練習は過酷だった。ダンス、歌、ファン対応、すべてが初めての真緒にとって、アイドルとしての生活は試練の連続だった。だが、翔太の励ましやメンバーの支えで、彼女は少しずつ自信をつけていった。特に、翔太との距離が近づくたびに、真緒の心は複雑に揺れた。推しだった彼が、今は仲間。そして、彼女の秘密を知らない。
ある日、スタビの新曲「星屑のキス」の振り付けで、衝撃的な演出が発表された。ピアノの演奏中に、翔太とマオがキスをするシーンを入れるというのだ。ファンの心を掴むための大胆な演出だったが、真緒はパニックに陥った。
「キ、キス!? 無理です、無理!」と叫びそうになったが、なんとか平静を装った。翔太は笑いながら、「大丈夫、マオ。演技だから。プロとしてやろうぜ」と言った。真緒は頷きながら、内心では「どうしよう、女性だってバレたら…」と焦っていた。
ライブ当日、会場は満員のファンで埋め尽くされていた。スタビの新曲「星屑のキス」は、しっとりとしたバラードで、ピアノの旋律が会場を包み込む。真緒はステージ上のピアノに向かい、緊張で指が震えた。翔太が隣に立ち、優しく微笑んだ。「マオ、信じてるよ。一緒に最高のステージにしよう。」
曲が進み、キスのシーンが近づく。真緒の心臓は爆発しそうだった。翔太がゆっくりと顔を近づけ、観客が息を呑む。真緒は目を閉じ、覚悟を決めた。唇が触れる直前、翔太は彼女の額に軽くキスをした。会場が一瞬静まり、すぐに大歓声に包まれた。演出は大成功だった。
楽屋に戻った真緒は、膝から崩れ落ちた。額に残る翔太の温もりと、ファンの歓声が頭を駆け巡る。だが、彼女の秘密はまだ無事だった。中性的な顔立ちが、彼女を「マオ」として完璧にカモフラージュしていた。
この時までは。
秘密の危機
スタビの人気はさらに加速し、マオとして活動する真緒はファンからも愛される存在になっていった。しかし、秘密を抱えた生活は、彼女を精神的に追い詰めた。ある日、健太が冗談半分で「マオって、なんか女の子みたいに繊細なとこあるね」と言ったとき、真緒は凍りついた。なんとか笑ってごまかしたが、疑いの目は増えていく。
さらに、ファンの間で「マオの顔、ちょっと女性ぽくない?」「なんか秘密隠してそう」と囁かれるようになった。SNSでは、真緒の眼鏡を落としたイベントの写真が拡散され、憶測が飛び交った。真緒は事務所の指示で「ただの噂」と否定したが、内心は恐怖でいっぱいだった。
ある夜、翔太が真緒を呼び出し、真剣な顔で言った。「マオ、お前、なんか隠してるだろ? 俺、気になってるんだ。」真緒の心臓が止まりそうになった。彼女は慌てて笑顔を作り、「え、な、何? 隠してるって、推しのグッズの数とか?」と誤魔化した。翔太は笑ったが、その目はどこか探るようだった。
スタビの全国ツアー最終日、真緒はソロ曲「隠した星」を披露する機会を得た。彼女が作詞作曲したこの曲は、秘密を抱えながらも輝きたいという思いを込めたものだった。会場は静まり返り、ピアノの音色と真緒の歌声が響き渡る。
♪ 隠した星 胸にしまって
光を求め 夜を駆ける
いつか本当の私を
君に見せられる日まで ♪
観客は涙を流し、メンバーも舞台袖で感動していた。翔太は真緒の手を握り、「マオ、お前すごいよ。心に響いた」と言った。真緒は涙を堪え、微笑んだ。だが、彼女の心は揺れていた。このまま秘密を抱え続けるのか、それとも――。
ライブの最後、スタビ全員で歌う「星屑のキス」が始まった。真緒はピアノを弾き、翔太が隣でハーモニーを重ねる。会場は光の海に包まれ、ファンの声援が響く。真緒は目を閉じ、音楽に身を委ねた。彼女の秘密はまだ隠されたままだったが、ステージの上で輝く自分に、初めて誇りを感じた。
ツアー後、スターライト・ビートは新たなプロジェクトを発表した。海外進出、そしてさらなる飛躍。真緒は「マオ」として、秘密を抱えたまま次のステージに挑むことを決意した。翔太の視線、ファンの期待、事務所のプレッシャー――すべてが彼女を試す。だが、真緒は思う。「私は、私の星を輝かせる。」
ある夜、寮の屋上で、真緒は一人星空を見上げた。ポケットには、かつての推し活時代に買った翔太のキーホルダー。彼女はそれを握りしめ、呟いた。「いつか、全部話せる日が来るかな。」
遠くで新たなスポットライトが灯る。真緒の物語は、まだ始まったばかりだった。