Ⅶ 占領地のような感覚
不安だ。時間にして約十分。コベル中尉が入っていったビルからは銃声がするし、一般人の人だかりは大きくなる一方だ。
ありがたいことに、警備だか巡回だかの兵士が一般人を宥めてくれていた。
向かいのビルの3階が激しく光り、窓ガラスに血が飛んだ。
聞こえた銃声は二発。群衆からは悲鳴が上がった。
モーゼル中将の表情が硬くなった。
「…被弾してないといいのだが」
「してませんよ。きっと」
本当はそう思っていない。中将に合わせただけだ。当たる時は当たる。軍事教練で教官が言っていた言葉を思い出した。
が、予想は外れた。
十秒もしないうちに無傷のコベル中尉が一階から出てきた。
モーゼル中将が駆け寄る。
「ルーシー!無事で良かった」
コベル中尉は無視し、最初に撃ち抜いた死体を見た。頭に巻いてあったボロ布を剥ぎ、襟から何かを引っ剥がした。
「こいつらヤーハブルクのスパイだ。これ見てみろ」
差し出されたのは階級章。うちのものではなかった。
「確かにヤーハブルクのものだが…」
口ごもる中将にコベル中尉が鋭い目線を飛ばす。
「これは二等兵、こっちも一等兵。潜入という高度な役割に対して階級が高くない」
「偽装?」
「そうかもしれないが、する意味がわからない。どちらにせよ、これは秘密警察とか捜査本部行きだな」
中将はそう言って群衆の方へ指さした。
群衆を警察やら兵士やらが押さえ、現場に立ち入らせまいとしている。
「彼らに死体とこれを渡して、我々は撤退しよう。幸い車がもうすぐ来る」
「車に殺されかけたのにまた乗るのか…」
コベル中尉がぼやいた。
幸い、車は何の問題も無かった。もとい、コベル中尉が運転席から人を引っ張り出し、
「先の件より、信用できん。僕が運転する、後ろに乗ってろ」
と命令した。
俺は免許云々の問題を頭がよぎったが、そもそもアクセルにすら足が届かなかった。
これにより、中将に運転させるわけにもいかず、結局俺が運転することになった。
中尉の不満は爆発し、後部座席からは延々と愚痴が流れてきた。それをモーゼル中将と名も知らぬ運転手だった兵士が必死に宥めていた。
可哀想と思うより、自分じゃなくて良かったという感情が強かった。
中尉の身長は思ったより小さい。そしてそれを気にされているようだ。彼女の前で身長の話をするのはやめておこう。
ヒュテルの中央都市、ホルスにて車を停めた。
自分の拙い運転でどうなるかと思ったが、特に何か言われることもなく済んだ。
「近くにホテルを取ってある。今日はそこで休んでくれ」
「…わかった」
モーゼル中将に最低限の返事を返す中尉。
「君もだ、上等兵」
「はい、感謝します」
久しぶりにふかふかのベッドで寝られそうだ。が、その前に。
「モーゼル中将、建物までお送りいたします」
「ありがとう」
高官を一人で帰すわけにもいかないので、付いて行くことにする。
モーゼル中将は政府の宿舎であろう場所に歩き出す。急いで歩調を合わせつつ、側面に付く。
ふと、疑問に思ったことを聞いてみる。
「不敬を承知して聞きます。今日の件ですが、なぜ国内でそういった抵抗活動が起きたのでしょう?普通抵抗活動は占領地で行われるものだと存じておりますが」
モーゼル中将は立ち止まって言った。
「楽にしてくれ、最近の軍は厳しすぎる」
一呼吸おいて話は続いた。
「ヒュテルの大部分は元々ヤーハブルクのものだった。一次大戦後、国際社会から弾圧を受け、不当な領土の要求を泣く泣く承諾したヤーハブルクにとって、その象徴はヒュテルだ。
おそらく、ヤーハブルク人からすれば、ここは占領地のような感覚なのかもな」
モーゼル中将は遠い目をしていた。
気まずい沈黙の中、俺は中将を送り届けた。
「ありがとう」と一言残し、中将は宿舎に入っていった。
十数分後、俺もホテルに着く。
受付で名前を言うと、何も言われず最上階の最高級の部屋へ案内された。
夜景が綺麗だとモーゼル中将から言われた気がするが、見る気にもならなかった。
睡魔に身を任せ、ベッドに倒れ込んだ。