episode 4
無我夢中で走り続けていたからか、どうやってここまで来たのかは覚えていない。だが、もう追いかけられることも、殺されることもないだろう。緊張の糸が切れたように、俺はその場に座り込んだ。
「ナツキ、大丈夫だったか?」
見る限りどこも怪我をしていないように見えるが、念のため確認する。
「腕が痛い……」
「腕?何処か怪我でもしたのか?」
「違う、ヤマトの腕が痛い……」
「わ、悪い」
気付かないうちに力を入れてしまったようで、慌てて腕を離した。
「ここ、どこだろうね……」
「無我夢中で走ったからな……正直、走り出してからの記憶も曖昧だ」
森の中は暗く、月明かりが僅かに届く程度だった。せめてもの救いが、動物の声が聞こえないことだろう。
「国……どうなっちゃうのかな」
「王族次第だろうな。今回のことで王族の怒りを買っただろうし」
「他の皆は大丈夫かな……」
「分からない。けど、俺が他の奴らの立場なら国を出る。」
これから先、生贄の扱いはますます厳しいものになるだろう。仮に、厳しくならなくとも、王族の怒りを買ってしまった国民たちは、今後、酷い政治の犠牲になる。それならば、国を捨て、他の場所で暮らした方がまだよいだろう。
「きっと大丈夫だ。それよりも今日はもう休んで、明日に備えよう」
日が出たら、最終目的である『森を抜け出す』をしなくてはならない。俺たち、特にナツキはいろいろなことがありすぎて、精神的にかなり疲労しているはずだ。右も左も分からない状態でこれ以上歩き続けたらきっと倒れてしまう。
「うん、そうする……」
隣に座り込み、そのまま俺によりかかった。やはり疲れていた、最初のうちは黙って地面へ視線を落としていたらが、その内うとうとし始め、そのまま眠ってしまった。
俺はと言うと、疲労感はあったが全く眠気はなかった。夢魔に召喚されたことと関係があるのかは分からないが、眠気以外にも空腹感や喉が渇いたといったものも感じられなかった。空腹感が感じられないのは助かるが、生きるための要素を二つも失っているため、まるで死んで幽霊にでもなっているように思えてしまう。
(それよりも……召喚されてから何時間くらい経ったんだろう)
月の動きから時間が読めればよかったのだが、俺にそんな知識はない。それでも、『物語』に入ってから二時間は確実に経っているだろう。その証拠に、森の中が入った時よりも暗くなってきているのがよくわかる。
(とりあえず、森を抜けさえすれば全てが終わるだろう)
ナツキは無事生き延びることができ、俺は生きて元の世界へ戻れる。俺が『接触者』としての目的は達成し、残りは終わりを迎えるだけとなったのだ。
とはいえ、油断は禁物。最後まで何が起こるかわからないため、俺も眠らないとはいえ、目を瞑り考えることを止め、日の出まで休憩をすることにしよう。
日が出始めた頃、俺は再び目を開いた。明るくなった森は薄い霧がかかっていたが、夜より視界が良くなり、遠くの方まで見える。
そろそろナツキを起こさないと、そう思い隣りを見た。寄りかかって寝ていたはずが、いつの間にか倒れ、俺の膝を枕にしてすやすやと眠っていた。
「ナツキ、そろそろ移動するぞ」
肩を軽く揺すると、うっすらと目を開けた。まだ半分寝ているのか、目をこすりながら俺をじっと見ては「あ、ヤマト……」と小声で呟いた。
「……ここ、どこ?」
「寝ぼけてるのか? ここは森の中で、俺たちは今からこの森から出て、国から完全に逃げ出すんだぞ」
完全に起きて思いだしたようで、ナツキは慌てて立ち上がり、服についた土を払い落した。俺もそれにつられ立ち上がり、周囲を見まわした。
「とりあえず……まっすぐ歩いてみよう」
「うん、わかった」
逃げるたびに手を繋いでいたため、俺は無意識的にナツキの手を握っていた。ナツキももう慣れてしまったのか、そのまま俺の手を握りしめてきた。少し違うのは、俺がナツキを引っ張って走るのではなく、ナツキが俺の隣で、同じペースで歩いている。
森の中は確かに同じような風景が遠くの方まで続いていた。薄くかかっていた霧も、今ではすっかり消えてなくなり、視界が良好になっても、まだ森の外へ出ることができない。
(話には聞いていたけど……このままだと錯覚が見えてきそうだ)
「見つからないね、ヤマト…ひゃっ!」
声に気付き、後ろを振り向くと、石に躓いたのか顔面から転んでいた。
「ハデに転んだな…大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
顔面から転んで大丈夫なわけないとは思うが、どうやら怪我はしていないようだ。顔についた土をはらい、手を差し出し、ナツキを立たせると、ナツキの陰にある茂みが妙に不自然だった。
「どうしたの?」
ナツキをその場に残し、不自然な茂みをよく見ると、その下に道のようなものを発見した。もしやと思い、その茂みをかき分けると、その奥にどこかへ続いている道が横切っていた。どうやら、長いこと人間にも動物にも手を入れられなかったため、草木に道が塞がれてしまったようだ。
なるほど、遠くの方ばかりを見て足元を見ていなければ、見つけるのは非常に難しいだろう。
「ナツキ、外へ続いているかは分からないが道があった」
「本当!」
かき分けて作った道を通り、その道が続く先を見てみると、真っすぐではなかったが、外へ続いているだろう道だった。
俺たちはその道を見失わないよう、ナツキが足元を、俺が前を見ながら進んで行く。そして、道がなくなったところで歩く足を止める。前を見ると、そこに森はなく、代わりにしっかりと整備された道、その途中には小さな村があった。
「抜けた…」
「夢じゃないよね…私、生きているよね?」
「ああ、生きて国を出たんだよ……もう、お前は自由なんだ」
そう言って、俺はナツキの手を離し、頭を撫でた。
ナツキは本当の意味で自由を手に入れた。そのことを実感したのか、その場で大粒の涙を流した。
「ありがとう、ありがとう……本当に……ありがとう」
「ああ」
「私……ヤマトと出会えてよかった」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を袖で拭き、満開の笑顔で俺を見た。その笑顔を見て、俺は本当の意味でハッピーエンドを迎え、『接触者』としての役目を終えた。
「あとは、一人でも行けるよな」
「……一緒には来てくれないの?」
「俺は、お前をあの国から逃がすために来たからな。ここから先どうするかはナツキ、お前自身で決めることだ」
「……寂しいな、ずっと一緒にいられると思ってたのに」
「悪いな、でも……俺にも帰る場所があるから」
もう一度頭を撫で、「頑張れよ」と小さな声で告げた後、俺の視界は徐々に色を失っていき、周りの音までも聞こえなくなった。ナツキが何か言っていたが、もう何も聞こえない。
『――さようなら』
声が届いたのか分からない。けれど、視界を奪われる前に、俺はナツキに別れを告げる。
そして、視界は真っ黒くなると同時に俺は意識を失った。