episode 3
風景の中に飛び込んだ俺の目に映ったのは、中央に置かれた粗末な机、その上にあるオイルランプ、そして部屋の隅で泣きじゃくっているナツキの姿だった。どうやら無事入り込むことができ、今のところ誰にも見つかっていないようだ。
俺はゆっくりとナツキに近づき、膝をついて呼びかけた。突然の声に驚いたナツキは大声で叫ぼうとしていたため、その口を手で覆った。
「安心しろ、俺はヤマト。お前を助けに来ただけだ」
落ちついて聞いてくれ、と言うとナツキはコクリと頷いたので覆っていた手を離した。
「でも、どうやって中に入ったの? 扉は開けられないはずなのに……」
今の状況を理解しているのなら当然の質問だ。だからこそ俺はここまで来た経緯を簡潔に説明した。ただ、『物語』であることと、ナツキを助けなければ俺が死ぬということだけは説明せず伏せておくことにした。
「信じられない……」
「俺も最初は信じられなかったけど、真実なんだ。とにかく、俺たちには時間がない。ナツキ、この国の造りや様子を知っている限り教えてほしい」
「……わかったわ。本当に助けてれくれるのなら、私が知っていることは全部教える」
ナツキが言うには、この国は城壁に覆われていないが深い森の中に造られているらしい。国と外を繋ぐ道は国の中心からまっすぐ伸びている道だけで、そこには兵士たちが二十四時間見張っているため、通行証がなければ自由に通ることができない。また、森の中は同じような風景が続いているため、国と外を繋ぐ道以外から森へ入ると、二度と戻ってはこられなくなってしまうようだ。
「朝になれば少しは視界が良くなって抜けられるかもしれない……」
「……よし、一か八かだが森の中に入って朝まで隠れよう。そして明るくなった頃森を抜けて国外へ逃げる、それでいいか?」
「でも、その前にどうやってここから出るの? 扉には鍵が掛っていて開かないのよ?」
「開くのは月が真上に昇った時か……」
それまでは絶対扉は開かない。他に無理やり開かせる方法はないかと部屋の中を見回していると、机の上にあるオイルランプが目に入った。
目的が達成されるまで開くことのない扉。しかし目的が『達成できない』状況を作ってしまえば、もしかしたら……
「ナツキ、かなり危ない方法だけど、一つだけ無理やり開かせる方法を思いついた」
「え?」
立ち上がり、オイルランプを手に取り、床に置いた。
「この小屋は木でできている。んで、このランプは油を使う。ここまで言えばわかるだろ?」
「も、燃やすの…この小屋を?」
「ああ。それが短時間で開かせる方法だ。間違えば自分たちもやばくなるけど……」
どちらにせよ、逃げることに失敗すれば俺もナツキも死ぬ。だったら危ない方法でも僅かな可能性にかけてみるしかない。
ナツキは俺の提案に反対していたが、何もしないまま時間がきて、捧げられてしまうのは嫌だと思い、了承した。
「そのかわり…絶対私を一人にしないで」
「分かった。なら……始めるぞ」
そう言い、いつでも逃げられるようにナツキを扉の近くにいさせ、俺は部屋の真ん中でランプのオイルを少し垂らし、蓋をしめないまま、オイルの中へランプを叩きつけた。
ランプは割れ、オイルに火が点火すると、たちまち燃え上がり、小屋の中は火の明かりで眩しくなった。外では、小屋の中で火がついたことに気がついた国民が大声を上げている。
その声を聞きつけ、俺はナツキの腕を掴んだ。
「痛いかもしれないが、絶対に離れるなよ?」
「わかってる」
バタンッ、勢いよく扉が開き、国民が一人中へ入ってきた。それを見計らって、俺とナツキは国民を押しのけて外へ飛び出した。
「だ、脱走だ! 生贄が脱走したぞ!」
捕まえろ! 逃がすな! 叫び声がいくつも飛び交う。俺はナツキの腕を引き、走り出した。向かう先は国を囲んでいる森の中。しかし、生贄を奪われた国民たちは、どれだけ走っても俺たちを追いかけてくる。
そのなかには凶器を握り締めている奴もいた。どうやら、俺を殺してでもナツキを取り戻そうとしているようだ。
全力で走っても、じりじりと国民たちは近づいてくる。
このままでは逃げきれない……もし捕まってしまったら、全てが終わってしまう。
「ヤマト、このままじゃ捕まっちゃう!」
(くそっ……せめてどこか一時的に隠れれば……)
ナツキの腕を掴んだまま、走り、曲がり、また走り、そんなことを繰り返しながら、隠れる場所を探した。けれど、走りながら見えるような場所へ逃げ込んでも意味がない。そう、裏路地のような場所があれば……。
「そうだよ、裏路地! ナツキ、裏路地はどこだ?」
「そ、それならあそこに」
ナツキが指差す場所を確認し、追ってくる国民を攪乱するために、裏路地とは関係のない道を何度か曲がりながら、裏路地へ入り込んだ。上手くいったようで、裏路地へ入りこむ前に俺たちを見失ったのか、追ってくる様子はなかった。
「な、なんとか上手くいった……」
全力疾走をしたからか、安心したと同時に力が抜け、その場に座り込んでしまった。隣を見るとナツキも同様らしい。
これからのことを考えると、少しでも体力を回復する必要がある。足音が近付いてくる様子もなかったので、俺たちは限られた時間の中、休憩をすることにした。
「にしても、なんでそこまでお前に執着するんだ? 子供なら誰でもいいだろ」
「他の皆は隠れているから……」
「そういえば、助ければ自分が身代わりにされるんだったな」
「だから、誰も助けてはくれないの」
「そっか……」
小さくため息をつく。ナツキと同じ身寄りのない者たちを責めるつもりはないが、できれば協力してほしいと思うのが本音だ。きっと、ナツキも知らない裏路地からの逃げ道を知っているかもしれないから。
裏路地という場所はとにかく入り組んでいる。俺の住む都市にもあり、夜になると暗く、道の先がどこに続いているのか分からないところだ。俺たちが逃げ込んだ裏路地も同じだ。少し違うのは、月が真上に昇りかけているため、若干明るいことだ。
(少しは落ちついたかな?)
もう一度走るだけの体力が回復し、次の行動に出ようと考え、俺はそっと道の様子を覗き確認した。
俺たちを探す国民の数は、案の定増えていた。そして、俺がナツキを連れて脱出した時には凶器を持っている国民が僅かにいたが、今は、全員凶器を所持している。
「まずいな、今ここを出たら確実に殺される……。ナツキ、裏路地から森へ抜ける道はないのか?」
「前はあったけど、今は……」
ナツキの言葉が詰まった。おそらく、逃げだせないよう住民たちが頑丈に塞いでしまい、誰も再び道を開こうとしなかった……いや、できなかったのだろう。
(どうする……このまま裏路地を歩いて探してみるか……)
もしかしたら別の道があるかもしれない、僅かな希望に賭けてみようか……賭けるならば、俺一人の判断では決められない。
「もしかしたら、誰も知らない道があるかもしれない。このまま裏路地を進んでみよう」
「……見つかる自信があるの?」
「ない……だけど、このままここに立ち止まって殺されるよりましだ」
「……」
返事はなかった。そのかわり、違う言葉が返ってきた。
「ねえ、どうしてヤマトは私を助けようとするの?」
「は?」
「だって、私はヤマトと今日初めて会ったんだよ? ヤマトが夢魔って人に呼ばれて、自分の意思でここへ来たのは分かるけど、それと私を助けるのにどういう関係があるの?」
「それは……」
「教えて、どうして私を助けるの? ちゃんとした理由を教えてよ!」
普通ならここで「後で言う」でも済まされるだろう。だが、今のナツキには通用しない。
『助けてやる』その言葉を信じ、ナツキは俺と一緒にここまできた。しかし、ここから先逃げ切れるかどうか分からなくなり、ナツキは不安になったのだろう……自分は、本当に助かるのか。そして、俺を信じていいのか、ということに。
「気に食わなかった……この国の政治が、そして国民たちのやり方が」
「どういうこと?」
「俺も、お前と同じ孤児なんだ。物心ついた時にはもう身寄りがなかった。それに、数日前、幼馴染が死んだんだ……それも理不尽な理由で。だから、『身寄りがない』なんて理不尽な理由で殺されるのを黙って見てられない。幼馴染を助けられなかった分、お前だけは助けようって。それが……理由だよ」
嘘ではない。しかし、半分は嘘だ。自分が助かるために、『物語』を攻略する。だが、理不尽な理由で殺されるナツキを助けたいと思ったことは本当だ。
「納得してもらえるか?」
「わからない。だけど……信じてもいいんだよね?」
「ああ、信じてほしい」
「……わかった。私、ヤマトを信じる」
だから二人で脱出しよう、ナツキは笑顔こそならなかったが、不安そうだった表情が少し和らいだように見えた。それから、ナツキが落ちついたのを確認し、俺はナツキの手を引いて裏路地を歩き始めた。
裏路地の風景は歩いてもほぼ同じだった。
今は月明かりがあるからこそ若干明るいが、これで明かりがなければ相当薄暗く、奥の方がどうなっているのか肉眼では確認するのは難しい。時折現れる曲がり角を曲がると、ナツキが言っていたとおり、コンクリートのようなもので道が完全に塞がれている状態だった。しかも、道の壁はよじ登れないようへこみというへこみは全てなくなっている。
「必至だな……」
「私たちも、まさかこんなことまでするなんて思っていなかったの。だって、道のない森へ入ることが危ないことなんて、私たちが一番よく知っているもの」
「一番よく知ってる?」
「森の中にはね、食べ物があるの。身寄りのない私たちはお腹がすいてもお金がないから、よく食べ物を取りに行ったりするの」
「でも、森に入ると二度と出て来られないんじゃなかったのか?」
「入口付近で、昼間なら大丈夫なの。夜になんて入らないわ」
「そのことをアイツらは知っているのか?」
「知らないから、こうやって道を塞いだと思う」
安全な生活をしているからか、とナツキに聞こえない程度の声で呟いた。それから別の道を進むが、やはりどこも塞がれており、とうとう森へ繋がる道を見つけることは出来なかった。
しかし、最後の最後で思わぬ収穫があった。今進んでいるルートは表の通りに出てしまうが、兵士たちが見張っている道を使わなくとも、森へ行くことができる。
これでようやく国から脱出できると思った瞬間、表の道からゴーンっとまるで鐘を鳴らしたかのような音が響いてきた。音は何度も何度も聞こえ、十三回目で止まった。
「ナツキ、今の音は……」
時間を告げる音か? と尋ねようとナツキを見ると、表情が少し前に不安になっていた時と同じ表情に……いや、それ以上だ。それに、少し震えているようにも見える。
「どうしたんだ? 顔が真っ青だぞ」
「ヤマト……じ、時間……」
「時間? ……まさか!」
俺はすぐさま空を見上げた。気付かないうちに、月は完全に真上へ昇り、ナツキが王族に捧げられる時間となっていた。だから、ナツキはこんな状態にもなっていたのだ。
「ナツキ、すぐにでも森へ……」
手を掴み表の道へ出ようとした時、国民たちの声が聞こえた。しかし、それは俺たちを発見したからではなく、他の誰かと話している声だった。
「どうしたの? 早く森へ行かないと」
「まて、何か様子がおかしい」
ナツキを向う側から見えない所にひっこめ、俺はそっと様子を確認する。国民は俺たちの方を見ていない。見ている方向にいるのは、剣や斧を持ち、鎧を身にまとっている兵士たちだった。国民は隊長と思われる兵士に何か必死に話している。
『お願いします! もう少し時間をください!』
『すでに王はお待ちだ、時間どおりに連れてこられないのなら早く代わりを用意しろ』
『他の人間は隠れてしまい見つけられません。どうか、どうか命だけは……』
何度も命乞いをする国民たち。隊長兵は先頭に立っていた国民を無言で刺した。
ビクンッ、ビクンッと痙攣し、そして動かなくなった。目の前で仲間が殺され、国民たちは恐怖で悲鳴をあげたり、その場から逃げだしたりした。
『もういい、こうなれば我々で子供を選別し連れてゆくぞ。王の機嫌を損ねぬよう、一人ではなく二人連れていくぞ』
そのまま兵士たちは近くの民家へ入り、子供を二人捕まえればそのまま城へ連れて行った。訳も分からず兵士に連れて行かれる子供は親に向けて泣き叫び、両親はその子供を取り戻そうと凶器を兵士に向けて振り下ろすが、逆に刺し殺されてしまった。
時間どおり生贄が捧げられなかったことにより、兵士により選別された子供が生贄として捧げられ、もうナツキが生贄になることはなくなった。
不気味な静けさが広がり、国民たちはただ呆然と立ち尽くしている。
「なにが起こったの?」
「時間どおりにお前を渡さなかったから、代わりに二人連れて行かれたうえに、抵抗した国民の何人かが殺された」
「わ、私の代わりに……」
「同情するなよ、今まで国民はお前たちを代わりにして生きてきたんだから」
「分かってる……でも……」
捧げられた子供に罪はない、そう思っているのだろう。俺とて、何も思っていないわけではい。しかし、ナツキが生き残るためにも、国民が呆然とし、俺たちへの注意が薄れているだろうこの機を逃すわけにはいかない。
「国民たちが追いかけてこない今がチャンスだ、一気に森へ行くぞ」
「う、うん」
俺は再びナツキの手を強く握り、勢いよく裏路地を飛び出した。俺たちの姿は国民たちの視界に入ったが、誰一人として追いかけて来る者はいない。
その代わり……手に持っていた凶器が投げつけられ、俺の腕を斬りつけた。
「ヤマト!」
「大丈夫、少しかすっただけだ……」
斬りつけられたところは、服が破けただけで出血はしていない。
「お前のせいだ…」
「そいつを逃がしたから、犠牲者が出たんだ!」
ナツキを逃がしたから、別の子供が生贄にされた!
大人しく生贄になればこんな状況にはならなかった!
生贄になったのなら潔く死ね!
国民たちは俺たちに罵倒と石を投げつけてくる。更に、王の機嫌を損ねてしまったため、また悪政が始まるとも叫んでいた。
ナツキに石がぶつけられないよう、手を離し、護るように抱きしめた。国民たちから投げられる石は止まることなく俺の背中にぶつかり、時折尖った石が投げられ、かなり痛い。
国民たちの怒りは止まることなく、罵倒は徐々に増えていく。その言葉は理不尽で自己中心的なものばかり。自分たちの命しか考えていない国民たちに対し、俺の中ではふつふつと怒りがうかんでくる。
「死ね! 犠牲になった奴らのために死ね!」
「責任をとって殺されろ!」
そして、最後の言葉を耳にした時、俺の怒りは限界となった。投げられ近くに落ちた石を二つ握りしめ、一つ投げつけた。その石は一人の国民にあたり、額から血を流していた。
「生贄を要求した王族がそもそもの元凶ともいえる。だが、その生贄を『身寄りのない』というだけで選んできたお前らがこういう事態を引き起こしたんだろうが!」
「ガキのくせに何がわかる! 誰かが犠牲にならなければ死ぬ、なら誰も悲しまない奴が生贄になるのは当然だろ!」
狂っている。この国も、この国民も……。
「身寄りがなくたって、俺たちは人間だ! 家族がいなくたって、仲間同士で生き、悲しむ奴だっているんだよ! 俺はコイツを絶対死なせない……。こんな国、滅んでしまえ!」
手に残っている石を力任せに投げ、俺は抱きしめているナツキを抱きしめたまま持ちあげ、森の中へ飛び込んだ。森の入口までは石を投げたり、追いかけたりする国民もいたが、森の深いところまで来た時には、もう石も人間も誰も追っては来なかった。