episode 2
モゾッと寝がえりを打とうと動くと、頬に冷たいものが触れ、その冷たさに驚いて俺は目を覚ました。
「床……?」
意識を失う前、俺はたしかに自室の布団に入った。だが、目に映っているのは黒い床。よくみると俺は自室ではなく、全く見覚えのない場所にいた。四方八方が黒一色で壁もなければ天井もない。
しかし声は反響せずエコーがおこらない。よく見ると俺自身の服装も、寝間着から普段着へ変わっている。
夢かと思い、俺は自分の頬を強くつねった。夢ならば痛みなどないはず……だが、とても痛かった。
「…………まさか……ここって」
『空間に召喚される』としか噂では語られていないが、目を覚ましたら服装も変わり、こんな奇怪な空間にいて、さらに頬をつねったら痛い。この事実だけで今俺が居る場所がどこなのかを推測するのは十分容易だ。
ここは……
―― 夢魔が作り出している『物語』の中 ――
突然襲いかかってきた現実からか、俺はその場に膝をついてしまった。
夢魔に目をつけられたきっかけはなんだ。
幼馴染の死か、それならもっと早く召喚されていたはずだ。
噂を耳にしたことか、いや……そんな単純な理由なら『夢魔の物語』の噂は噂で済まされなくなっているはずだ……
とにかく立たなければ、と何度も深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻したところで立ちあがる。ふと、小さな音が遠くから聞こえくる。無音の空間にカツン、カツンと規則正しい音。それはが明らかに俺の方へ近づいてきている。
(人間?)
足音がすぐそばまで来た時、俺は音の主の姿を捕えた。妙な服装をし、顔を隠しているため性別の判断はつかないが、見た目は人間。大きさからして子供だろう。子供は俺の前で止まり、無邪気な表情で俺を見ていた。
(違う、人間なんかじゃない。こいつは……)
「やあ、よく来たね」
子供は楽しそうに笑いながらくるくると回っている。
「!」
子供の一言で俺は確信した。
目の前にいるこの子供こそ、都市伝説で噂され、親友の命を奪い、この空間に俺を呼び出した張本人『夢魔』だ。
夢魔は少し距離をおいて俺の正面で止まり、静かに始まりを告げた。
「では、本日はとある国の物語のお話をしよう」
『夢魔の物語』を攻略さえすれば俺はもとの世界へ戻れる。だが、最大の問題は『もとの世界へ戻って来ても三日後に突然死』ということだ。三日後に突然死するということは身をもって理解した。しかし、肝心なその『原因』が分からない。どうして召喚された人間は死んでいくのか……考えても思いつかない。
そうこうしている内に、夢魔はパチンと指を鳴らし、物語を語り始める。
すると、何もなく黒一色だった空間に突然色が現れ、見たこともない風景へと変化していった。
「これは……とある国の物語。その国に政府はなく、王族と呼ばれる者たちが国の権利を全て握る独裁国家でした。王族は国民を虐げるような身勝手な法律を次々と作り、ある時は増税、ある時は徴兵、ある時は処罰、そんな法律に、国民は怯えながら暮らしていました。」
夢魔の語りに合わせて風景は次々と変化していき、王族に虐げられる国民の姿が映し出される。それは本当に現実に起こったような生々しいもので、直視し難いものまであった。
「国民たちは意を決し、王に言いました。『お願いです、このままでは我々は死んでしまう』王様は少し悩んだ末、『なら、毎月生贄を私たちに捧げろ』と言いました。王様は、誰か一人を自分たちの娯楽のために捧げるのなら、法律を改訂することを国民に約束をしました。」
つまり、王は国民に死にたくなければ誰かを犠牲にしろと言っている。国民たちはあっさりとその言葉を了承し、早速一人の生贄を王族に差し出した。生贄がどうなるのかまでは映し出されていないが、おそらく殺されてしまうのだろう。
「国民は自分たちを守るため、毎月生贄を一人捧げていきました。選び方は特に決まったものはなく、自主的に生贄になる者が現れる時もあれば、投票によって選ばれることもありました。生贄として差し出された者は二度と戻ってはきません。結局、虐げられるのが国民全員から一人に変わっただけです。生贄になった者のおかげで法律が改訂され、生活は以前より少し豊かになりました。けれど、いつか自分が生贄に選ばれてしまうのでは、そんな恐怖を抱きながら、国民たちは日々を過ごしていました……」
夢魔が語りを止める。すると、風景は夢魔に合わせて、再び黒一色の空間へと戻ってしまった。これで終わりなのかと思った瞬間、夢魔は俺の方へ振り向きニヤリと口端を釣りあげて笑った。
「恐怖心から出る言葉は、時として強大な力を得る。さあ、ここからが物語の中枢、本編の始まりだよ」
不気味な笑い声が反響するはずのないこの空間全体に響く。夢魔が再びパチンと指を鳴らすと空間は再び変化し、先ほどの国の姿になった。
しかし、先ほどまで色のあった風景とは一変し、殆どが灰と黒の風景。空も、建物も、地面も、まるで白黒写真をそのまま拡大したかのような風景だ。
「生贄を捧げなければ自分たちが殺される、だけど大切な人を捧げたくない、国民たちの恐怖と悲しみは時間が経てば経つほど募るばかり。そんなある日、一人の国民が『そうだ、身寄りのない奴を捧げよう! そうすれば誰も悲しまなくてすむ!』と言いだしました。国民たちは良いアイディアだと、その言葉に賛同していったのです。」
なんということだ……
身寄りのない人間……つまり、俺と同じで家族がいなく、血縁の中で悲しんでくれる者がいない子供や大人を捧げようというのだ。それも、本人達の意思に関係なく。
生贄に選ばれた子供や大人は、泣き叫びながら無理やり連れていかれる。当然だ、まともな選抜をされずにただ『身寄りのない』というだけで生贄として殺されてしまうのだから。
「こうして、身寄りのない人間だけが悲しみ、『死』の恐怖と大切な人を失う悲しみから解放された国民たちは歓喜の声を上げるのでした。」
その結果がこれか。生贄に選ばれた人間は、逃げようとすれば国民たちによって徹底的に痛みつける。その人間を誰かが助けようとすれば、助けようとした人間を生贄にすると脅し、誰にも助けなられないよう仕組んだ。
こうして、それまで国民であったはずの、身寄りのない人間達は、いつのまにか全ての権利を剥奪され、『生贄のために生きる人間』というレッテルを貼られてしまった。
今の国民たちがやっていることは、王族が国民に対してやっていたこととまるで同じだ。
「狂っていやがる……こいつら、全員……」
「言ったでしょ、『恐怖心から出る言葉は、時として強大な力を得る』って」
そうだ、今の状況は俺達で言う『集団心理』というものだ。賛同する声が大きければ大きいほど強大な力を持つ。特に窮地に立たされている今みたいな時は余計に。
「月が変わり、新たな生贄を王族に捧げる時期がやってきました。今月は王族からの要望で子供を差し出すことになり、そこで選ばれたのが『ナツキ』という少女」
「ナツキ…?」
見た目は全然違うが、俺の幼馴染と同じ名前の……小柄だが八歳ぐらいだろう少女。生贄に選ばれた少女は国民たちに身なりを綺麗にされ、王族の住まう城門の近くにある『監禁小屋』へと入れられた。閉じ込められ、不安と恐怖からナツキ涙を流し、泣き声を上げていた。
『死にたくない……死にたくないよ……』
誰も助けてくれない、そのことは俺も、このナツキという少女も嫌というほど理解している。
しかし、国民も、ナツキと同じ身寄りのない人間達も、そして俺も、誰もこの状況を変え、ナツキを助け出すことはできない。
「ナツキは今日の夜、月が真上に昇った時、王族に引き渡されます。それまでは、けして監禁小屋から出される事も、誰かと話すことも許されない。もはやこの少女はただ死を待つだけの存在。それでも、ナツキは言いました。『助けて……まだ、生きていたい』と。…………さあ、ここで私はお前に問おう。あなたは『接触者』となり、この少女を助ける? それとも『傍観者』となり、このまま結末を見続ける?」
夢魔はそう俺に尋ねる。おそらく、これが『夢魔の物語』における物語の攻略なのだろう。俺達召喚された人間に物語を聞かせ、『接触者』になるか『傍観者』になるかを選択させ、選択肢によって結末が変化していく……はずだ。
しかし、この物語には大きな問題がある。
たとえ『接触者』を選んだとしても、この少女を助けることなんて、ただの人間でしかない俺にはできない。
「俺は……このナツキを助けることなんて……」
「なら、『傍観者』でいいんだね?」
(仕方ねえだろ……俺にはなにもしてやれない……)
力がない、ただそれだけの理由。だからこそ、俺は言い返すことができなかった。
「隙間から洩れる光がだんだん小さくなっていく。ナツキは、もうすぐ殺されてしまうことに、ナツキは、ただ泣くしかありません。空に浮かぶ月はゆっくりと昇り始め、少女の終わりを告げようとしています」
そして、俺はもとの世界へ帰る。攻略に失敗しても……次でクリアすればいい。そう思い、夢魔の語りを静かに聞いていた。その時、ふと夏輝が最後に残した言葉を思い出した。
『――こんなことなら……はじめから助ければよかった』
あの時の俺はこの言葉の意味がわからず、疑問に持つこともなかったが、今の俺には実に違和感のある言葉だ。
もし、夏輝が一度目は『傍観者』を選択し、二度目に『接触者』を選んだと仮定しよう。ナツキは『接触者』となり、その物語をクリアしたから元の世界へ戻ってきた。しかし、ナツキは死んだ……。クリアしたはずなのに死んだのだ。
俺が思いついた答えは二つ。
①夏輝は『接触者』を選ばなかった。
②『接触者』を選んでも、もう手遅れ。
①の可能性は……正直低い。いくらなんでも一度『傍観者』を選び、再び召喚などされたら『接触者』を選ばざるを得ない。
となれば……答えは一つ。
「夢魔! 俺は『接触者』を選ぶ!」
夢魔が結末を語ろうとする前に俺は叫んだ。夢魔は語りを止め、首を傾げている。
「今更何を言っているの? 君はもう『傍観者』を選んだだろ?」
「俺はまだ『傍観者』になるとは言っていない!」
屁理屈なのは分かっている。だが俺はまだ口には出していない。だから……
「俺はあの少女を……ナツキを助ける!」
「……途中変更なんて君が初めてだ。いいよ、だけど……時は戻さない。残された時間の中で、『接触者』として動いてみるといい」
そう言うと、夢魔は風景を指差した。あの中に入れば物語の世界へ入り込むことができる。ただし、中で死んだら俺は二度と元の世界へ戻ることはできないと告げる。
それでも、俺はもう答えを変えない。この物語から、『夢魔の物語』を攻略し、元の世界へ帰るため俺は……この少女を助けるしかないのだ。
風景の中へ手を伸ばす。感触はないが通り抜けていることは分かる。抜けた先は少女が閉じ込められている『監禁小屋』。そこから俺は残された時間を使い、ナツキを国民の手の届かない場所……国外へ連れだし、物語をハッピーエンドに迎えなければならない。
(もう、後戻りはできない。生き残るため、やるしかないんだ!)
俺は覚悟を決め、風景の中に飛び込んだ。