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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

催眠アプリの使い方

作者: 二見健
掲載日:2023/05/17

 テーブルに置かれた一個のアイスクリーム。


 一個三百円ほどのお高いやつだ。それを妹が買ってきた。


「マジかよ」


 身体が震えた。


 嘘だろ。有り得ない。あまりにも非現実的だ。


 だが、事実として妹はアイスを買ってきた。


「は? なに見てんの? 気持ち悪いんですけど?」


 妹はソファで寛ぎながらタブレットで韓流ドラマを見ている。


 俺に対する目は嫌悪感に染まっている。親愛の情など微塵も感じられない態度だ。


 反抗期真っ盛りの妹はさながら狂犬のごとく。母子家庭のせいか妹は俺にまで牙を突き立ててくる。


「いや別に」


 とりあえずアイスを食う。


「ところでお前って、好きなやついるの?」


「はぁ? なんでアンタなんかに教えないといけないの?」


「いいから答えろよ」


 俺はスマホのカメラを妹に向けてから命令した。


 反抗的な目をしていた妹から、ストンと表情が抜け落ちる。


「宮本先輩のことが、気になってる、かも」


「ふーん。学校の先輩?」


「うん」


「どこが好きなんだ?」


「サッカー部でカッコいいから。悪い?」


「いいんじゃない? まぁ頑張れ」


 俺はスマホの画面をポチっと操作する。


 無表情だった妹の表情が、途端に嫌悪に染まっていった。


「なに見てるのよ? 妹に欲情しているの? キモ」


「はいはい部屋に引きこもってればいいんだろ」


 妹がふんすと鼻を鳴らす。


 俺は自室に入るとベッドに寝転んだ。


 スマホの画面を見上げながら考える。


『催眠アプリ』


 知らないうちに勝手にインストールされていた謎のアプリである。こわい。


 ウイルスにしか思えなかったのでアンインストールを試みたり、アンチウイルスソフトをインストールしてみたが、どうしてもアプリを消すことができなかった。


 最悪スマホをプリインストールするか買い替えるしかないかと覚悟しつつ、俺はそのアプリを起動してみた。実害がなければ放置するのも手だった。高校生の財布にはスマホ代はあまりにも大きい。


 しかしそのアプリは俺のスマホをクラッシュさせるわけでもなく、怪しげな黒背景に赤文字で『催眠をかけたい相手にカメラを向けてからボタンをタップして下さい』という文字が表示された。


 ジョークアプリかと首を捻りながらも俺はリビングにいた妹にスマホを向けてみたら、まさかのアイスをパシらせることに成功。おまけに好きな人まで聞き出すことに成功したわけだ。


 ドッキリではない。こんな大掛かりなことをしてまで俺ごときパンピーを罠にかけるメリットは存在しない。謎のアプリを用意する手間をかけたり、妹まで使って俺をハメる理由などない。そもそも絶賛反抗期の妹が素直に従うとも思えない。


「……やっぱ本物か」


 俺は目を閉じた。


 どうやら本当にこのアプリには相手を心神喪失状態にして、与えられた指示に従わせる効果があるらしい。


 催眠。いや、洗脳と言ってもいいだろう。


 俺はここまでの結論を出してから、このアプリの活用法を考え始めた。


 当然だろう。未知の道具があれば使いたくなる。新兵器があれば試したくなる。謎があれば解き明かしたくなる。これは人間の本能に起因する好奇心。人類をここまで発展させてきた要因の一つだ。


「ククッ」


 このアプリがあればあらゆる事が思い通りになる。


 チートだ。金を手に入れることも、女を抱くことも思いのままだ。


 女。そう、女だ。


 男なら極上の美女を手に入れるべきだろう。


 人として最低なことはわかっている。善悪で言えば問答無用で悪だ。他者の尊厳を踏みにじる犯罪行為である。だがそれでも俺は女が欲しかった。下半身の欲望を満たしたかった。童貞を捨てたかったのだ。


 俺は頭の中でターゲットの姿を思い浮かべた。


 候補は三人いた。いずれも甲乙付けがたい最上級の美少女である。


 その中から俺は比較的難易度が低そうな女をピックアップした。


 手始めに……葵。まずはお前を俺の物にしてやるぜ。











 ◇











 そして俺は初手で挫折した。


 心が折れた。


 所詮、俺は凡人だった。


 エロゲとかエロ漫画に出て来るクズって本物のクズだったんだな。俺には彼らと同じことは出来そうにもない。


「えっと。もういいよ」


「え?」


「あー、これだと伝わらないのか。服着ていいってこと」


「……わかった」


 近藤葵が床に落ちた服を拾い上げている。


 彼女は今、俺の部屋で下着姿になっていた。おっぱいの大きさは平均的だったが、スタイルはかなりいい。学年で一二を争う美少女なだけあって、その絵面は最高にエロい……と言いたいところだが。


 残念ながら俺の下半身は意気消沈していた。


 なんでだよ。おかしいだろ。エロエロさせてくれよ。


「なぁ。それって誰にやられてるの?」


 近藤葵の身体はボロボロだった。


 肩や背中には紫色に変色した痣があり、服で隠せる場所には小さな生傷が至るところに刻まれている。


 見ているだけで吐き気がしてきた。ほんともう勘弁してくれよ。


 俺は最初、親にでも虐待されているのかと思ったが。


「裕司君」


 無表情の葵が淡々と答える。


 おいおいおい。俺はそれを聞いて頭を抱えたくなった。


「まさかの彼氏かよ。お前らラブラブだったじゃねぇか。どうなってんの?」


 近藤葵は同じクラスの高山裕司と付き合っている。


 絶世の美少女、近藤葵の恋人なだけあって高山裕司もイケメンである。さらに二人は幼馴染カップルとして有名だった。幼稚園の頃からずっと一緒だったとか。付き合い始めたのは最近らしいが、それ以前からクラス公認のカップル扱いされてきた。


 まぁ俺は二人とは別のクラスなので詳しい事情はよく知らないが、それでも二人が付き合い始めたと伝え聞く程度には有名なカップルだった。葵を連れ出す時も彼氏のマークがきつかったからな。その彼氏は催眠アプリで追い払ってやったが。


「裕司君も最初は優しかったんだよ。でも段々と乱暴になってきたの。みんなの前では普通にしてるけど、二人きりになると暴力を振るってくるようになってきて」


 クズ男の典型である。その手の輩ってなぜか外面だけはいいんだよなぁ。


「私がクラスの男子と話をしたら浮気していると疑われて殴られるし、先輩に声をかけられたら色目を使ったと言いがかりを付けられて蹴られるし、メッセージの返信が遅れたら犬には躾が必要とか言って、お風呂で水をかけられて何時間も放置される」


「うわぁ」


 いや、どう考えてもアウトだろ。


 やりすぎ。ライン超えちゃってる。人として終わってる。


 ヤンデレかよ。男のヤンデレって誰得だよ。嫉妬で彼女をボコるなんて本末転倒すぎるだろ。ウェーイ、彼氏君、頭大丈夫?


「葵はそれでいいのかよ?」


「よくないことはわかってる。でも怖いの。裕司君に逆らったら何をされるかわからない。殺されるかもしれない。もう、こんなのは嫌なの。やだ。もうやだよ。死にたい」


 葵は無表情のまま音もなく泣き始めた。


 あかん。


 俺は自分のことをクズだと思っていたが、裕司君にはとても勝てそうにない。


 美少女を部屋に連れ込んでエロいことをしまくりたいと思っていた二十分前の俺を返してくれ。ここからどうやってもエッチに持ち込める未来が見えないぞ。最初のターゲットが核地雷ってどうなってんの。


「あー、もう!」


 俺は頭をガシガシと掻き毟った。


 終わりだ終わり。もうエロいことはできない。そういう空気ではない。


 それに、ほっとけないよな。











 ある日の放課後。


 高山裕司は不機嫌だった。


 普段は人畜無害そうな風貌をしている裕司だが、周りの目がなくなると豹変する。目付きは鋭く、舌打ちを繰り返し、言葉遣いは威圧的になる。


 裕司は今日も葵を家に連れ込んでいた。葵は肩をドンッと乱暴に押されて壁に押し付けられる。背中を打ち付けた衝撃に葵は息を荒げたが、裕司に恋人を労わる様子は一切見られない。


 いわゆる壁ドン。しかしそこには少女漫画のような甘い雰囲気は微塵も存在しなかった。


 裕司の両親は何時も仕事で遅く、その間、裕司はやりたい放題である。


「おい葵。お前、太田と目を合わせただろ」


「あ、合ってないよ」


「俺に嘘を吐くのか。いい根性してるな。葵のくせに」


「本当だよ。私を信じてよ」


 執念深い目が葵を睨み付ける。


 昔はこうではなかった。


 笑顔が似合う優しい少年だった。葵のことを慈しみ、将来の夢を語り合い、生涯を共にしようと誓い合った仲だった。なのに、どうしてこうなったのだろう。葵にはその原因がまったくわからなかった。


「まったく。お前って男を誑かすことだけは得意だよな。四六時中、発情してんじゃねぇよ。色目ばっか使いやがって。男なら誰でもいいんだろ。なぁ!」


「いたっ! そ、そんなことない! 色目なんて使ってない!」


「口答えをするな!」


 葵は脇腹をギリギリとつねられる。裕司は男子の中では華奢な体格をしているが、それでも男子である。一切の手加減もなく力を入れられて、葵の脳裏に皮膚が引き千切られるイメージが浮かぶほどだった。


 痛みで涙がボロボロと流れ出した。


「はっ。またそれかよ。すぐに泣くよな、お前。泣けば許されると思ってんだろ。女ってずるいんだよ。クソが」


「うぐっ!」


 ドンッとお腹を殴られる。


 立っていられなくなった葵が蹲ると、裕司は彼女の髪を掴んで持ち上げた。


「まだ躾は終わってねぇんだよ。立てよ」


「……は、はい。ごめんなさい」


 葵は従うしかない。彼女は恐怖によって完全に支配されていた。


 もう、駄目なのかな。


 昔みたいには、戻れないのかな。


「うっ、うぅぅ」


「うわ、きったねぇ顔」


 涙が止まらない。このままでは裕司をさらに怒らせるだけなのに、しゃくりあげるような泣き方になって止まらなくなった。葵の頭の中にいる冷静な部分がこれ以上はいけないと警告してくるが、それでも止まらなかった。


「ああもう! うぜぇなぁ!」


 裕司がさらに一発入れとくかと拳を振り上げた時。


「……何を、しているんだ」


 その声は震えていた。


 裕司の身体が硬直した。葵と裕司、二人にとっても馴染みのある声だった。


「裕司。お前は、お前というやつは、なんということを……」


 裕司の父親が蒼白になった顔を息子に向けていた。


 その横では母親が腰を抜かしていた。


「葵っ! 大丈夫か!」


 さらに部屋に駆け込んでくる男性が一人。そこに女性が続いてくる。


 男性は裕司を突き飛ばし、女性が飛び込むようにして葵に抱き着いてきた。


「……お母さん? どうして」


「ごめんね。ごめんね。気付いてあげられなくて」


 葵の身体から力が抜ける。


 そっか。終わったのか。


 こんなに簡単だったんだ。誰かに助けを求めるだけでよかったんだ。そんなことにも気付けなかったなんて、本当にどうかしている。いや、違う。逆らう気力がなくなるまで痛めつけられてきたから、助けを求めることができなかった。


 葵は何もしていない。


 ただ、助けられただけだ。よくわからない少年に。











 ◇











 催眠アプリの力があればDV男の一人や二人、余裕で抹殺できるわけだ。


 と言うわけで次に行こう。まさか初手で地雷を踏み抜くとは思わなかったが、まだターゲットは二人残っている。俺のお眼鏡に適うレアリティURの美少女たちである。どうせなら最高の相手で童貞を卒業したいと思うのは男の性だろう。


 次のターゲットは真田絵美里。


 高三の先輩。茶髪サイドテールのギャルである。笑顔の似合うパリピ系。ビッチと噂されていて、男をとっかえひっかえしているという話もある。まぁ非処女だろうが、見た目は最高にシコいのでオッケーです。エロけりゃ何でもいいんだよ。


 と言うわけで絵美里が学校で一人になったところを狙ってスマホのカメラを向け、放課後俺んちに来いと命令しておいた。ホテル代? 足らんな。


 これでようやく童貞とおさらばである。何だか感慨深くなってきた。ありがとな、童貞。お前のことは三日ぐらいは忘れないぞ。


「……って、またこのパターンかよ」


 そして俺は撃沈した。


 目の前には虚ろな目をした真田絵美里がいる。たわわに実った巨乳の持ち主だ。数分前までは、そのけしからんおっぱいをどうしてやろうかと妄想していた俺だが、しかし俺の下半身はまったく反応しなかった。


 絵美里が左腕にしていたリストバンド。


 まさかと思い、それを外させた瞬間、俺は心が折れてしまった。


「何なの? 俺に恨みでもあるの? どうして素直に童貞捨てさせてくれないの?」


「えっと、ごめんなさい?」


「謝るなよもう! いいから服着ろよもう! エッチする空気じゃねぇだろもう!」


「う、うん」


 絵美里は無表情のまま、どことなく気まずそうに服を拾い集めていた。


「で、何なのそれ?」


 俺は絵美里の左腕を指さした。


 そこには生々しいリストカットの痕跡が刻まれている。それは一本だけではなく、目立つ物だけで五本。小さい傷は無数にあった。


 絵美里は俺に見られるのが嫌なのか右手で左腕の傷痕を隠していた。催眠状態でも恥ずべきものと認識しているようだ。


「言葉にするのは難しいんだけど、死ねば奇麗になれるのかなと思って。毎日あんなやつらの相手をさせられるなんて、もう嫌なの。死んでしまいたい。でも、死ねなかった。次はもっと深く切らないと」


「うっわ」


 聞きたくない。聞いたら絶対に後悔する。


 前もそうだっただろ。俺、学習しろよ。聞いたら後戻りできなくなるんだから。


 でも、ほっとけないんだよなぁ。


「何となく察したけど、マワされてるってこと?」


 絵美里がゆっくりと頷いた。最悪だった。


「アタシ、クラスで虐められてるんだ。私ってモテるからさ。女子の反感を買うなんて日常茶飯事だったんだけど、今回は相手が悪かったみたい。そいつが兄とその友達を引き連れてきて、無理矢理ホテルに連れ込まれて……」


 ヤンキー漫画みたいだ。現実にあるんだな。笑えない。


「私、初めてだったんだよ。でもあいつら、こんな見た目で処女かよって爆笑してた。それからほとんど毎日、あいつらの相手をさせられてる。このままじゃ妊娠しちゃう」


 ナマかよ。マジでクズだな。まぁ俺も人のことは言えないけど。


 催眠アプリで女をゲットしようとしていた俺も大概アレである。


 自己嫌悪で吐きそうだ。やはり俺には無理なのかもしれない。こんなストレスを抱えるぐらいならもう童貞でいいかもと思うほどだ。まさか悪人になるのに才能が必要だなんて思いもしなかった。


「死にたいのに、怖いんだよ。手首を切る時に手の震えが止まらないの。死にたいのに死ねないの。ダサいよね。でもアタシはどうすればいいの?」


 絵美里は壊れる寸前のように思えた。


 放っておけば、次の次ぐらいには自殺に成功してしまいそうだ。


 所詮は他人。放っておけばいい。


 頭の中にいる打算まみれの俺がそう嘯く。偽善者と嘲笑ってくる。


 だがそれでも見捨てることはできなかった。


「あーもう! やればいいんだろ! やれば!」


 頭をガシガシと掻いてから、俺は絵美里から相手の情報を抜き取った。










 意味がわからなかった。


 絵美里に好き勝手をしていた大学生は五人。


 その五人が刃物を持って銀行に飛び込み、金を出せと暴れ回ったらしい。あまりにも頭が悪すぎる行動のため、警察は大学生たちが何者かに脅されている可能性も考えた。実際に『知らないガキに命令されてやった』などと意味不明な供述をしていたが、その大学生たちの素行があまりにも悪かったこと。余罪がボロボロ出てきたこともあり、捜査はほとんど行われなかった。


 余罪の一つである絵美里のところに警察が事情聴取に来ることもなく。


 絵美里を陥れたクラスメートの女子は芋蔓式に引っ張られ、実刑こそ逃れたが退学は免れなかった。


「どうして」


 すべてが終わった後。


 絵美里は戻ってきた平穏な日常にただ唖然としていた。


 汚された身体は元には戻らない。過去は消すことはできない。


 手首を切らなければならない理由は今も残っているのに、あれから絵美里は一度も手首を切っていなかった。


 リストカットはストレスの発散。現実からの逃避でしかなかった。


 死んで奇麗になりたいと言うのは、自分を誤魔化すための嘘でしかなかったわけだ。


 これでよかったとは絶対に言えない。一件落着というわけでもなく、ハッピーエンドとは言えない有り様だったが、ともあれ絵美里は憑き物が落ちるような感覚と一緒に現実へと叩き戻されてしまった。


「遅いって。もっと早く助けに来てよ」


 絵美里はスマホを片手に校内を歩き回っている少年を眺めていた。


 おそらく彼が何かをしてくれたのだろう。


 絵美里自身もなぜあのような行動を取ったのか未だに理解できていないが、あの日を境にすべてが変わった。ならばあの少年と現状を関連付けるのは当然だろう。オカルトじみた仮説もあるが、今となってはどうでもいいと思えた。


「アタシをこの世に残した責任、取って貰うからね」











 ◇











 三人中二人が地雷。


 さらに俺は自分の才能の無さを自覚してしまった。


 俺は悪人になれない。催眠アプリをもってしても無抵抗の女を屈服させることすらできないヘタレである。


 おそらく運が悪かったのだ。最初の一人が近藤葵でなければ。さらに真田絵美里を引いていなければ、俺は今頃最低のクズと化していただろう。すべては仮定の話だがヤバいと思っても性欲は抑え切れないのだ。


 だが、果たしてそれでいいのだろうか。


 このままヘタレの烙印を甘んじて受け入れていいのだろうか。


 いいや、駄目だ。


 俺は、童貞を、捨てたい!


 と言うわけで最後の一人である。ここまで来ればもうヤケだ。


 白井詩織。


 一年の後輩女子。黒髪ロングの大和撫子。背は小さく胸は平坦。お人形のような愛らしい少女である。箱入りに育てられたお嬢様らしく世間に疎いところもあるが、それもまた彼女の魅力の一つになっていた。


「クククッ。いいから脱げよ」


「……はい」


 例のごとく俺の部屋で下着姿になる詩織。


「……ま、そうなるよなぁ」


 知ってた。


 こうなるだろうなと思っていた。そして現実は俺の予想を裏切ってくれることもなく。


 運命を超えて宿命になっていた。


「これは? DV彼氏に虐待でもされてんの?」


「ひぅっ……くすぐったいです……」


 俺は詩織の身体中にある縫合痕を指で撫でる。


 まぁ虐待ではないだろう。手術の痕だ。詩織の腹部から胸元、左の太股などにケロイドになった傷痕が残っている。見た目こそエグいが今までと違ってそこまで悲惨な臭いはしないので、ここからエロにもって行けなくもないが、やはり俺の下半身は沈黙したままだった。どうやら俺は可哀想なものでは抜けないらしい。


「死にかけただろ。よく生きてるな」


「交通事故でした。全治二年、ずっと寝たきりでした」


「うへぇ」


 これが和風ロリ美少女の現実である。泣いていい?


「もういいよ。服着ても」


「はい」


 詩織が落ちた服を拾い集める。


「ところでその交通事故って何時のことなんだ?」


 聞かなければいいのに、俺は好奇心を抑えきれず尋ねてしまう。


 詩織はスカートを履きながら答えた。


「小学三年生の頃です。家族で旅行に行く途中でした。父が車を運転していて、対向車のトラックが車線をはみ出してきたんです」


「トラックか。転生できそうじゃん」


「はい? 転生って何ですか?」


 どうやら詩織はネット文化には疎いらしい。見た目通りのお嬢様である。


「と言うか両親は大丈夫だったのかよ」


 詩織が死にかけているのだ。その両親も無事ではないと予想できたのに、俺はうっかり口を滑らせていた。葵や絵美里の件で充分に学習しただろう。聞かなければ心が痛むこともないのに。


 案の定、詩織は黙り込んでしまう。


 洗脳状態でも言いたくないことを聞き出すのは難しいらしい。


 まぁ絶対に言えない秘密でもないようで、詩織はしばらくすると話し始めた。


「父は……即死でした。母は、植物状態です」


 そう。聞かなければよかったんだ。


 知らなければ、こんな気持ちになっていなかった。


 安い同情なんて詩織は望まない。つい先ほどまで己を毒牙にかけようとしていた男である。俺がかけるべき言葉など何一つとして存在しない。


「そっか。植物か。脳死とは違うんだな」


 俺は詩織からさらに一つだけ情報を聞き出してから、催眠を解いて彼女を部屋から追い払った。


 一人になり、部屋のベッドにごろりと寝転んでから考え込む。


 俺の父は脳死だった。心筋梗塞で心臓が止まり、処置が遅れて脳が死んだ。


 脳死の延命は数週間が限界である。脳が死んでいるのだ。身体は長持ちしない。


 だが植物状態は違う。脳の一部が死んでいるだけだ。まだ生きている部分もある。


「まさか、な」


 俺はスマホを眺めた。


 まぁ駄目で元々。上手くいけばラッキーということで。


 俺の身勝手で詩織を傷付けかけた。その詫びになればいいかなと思いながら俺はベッドから起き上がった。











 ◇











 授業中のことだった。


「白井さん! すぐに職員室に来てください!」


 教師の一人が教室に飛び込んできた。


 詩織はクラスの注目の的になりながらも教室を後にする。


 職員室で詩織の担任が言う。


「君の母親が目を覚ました」


「――っ!?」


 奇跡だった。


 意識を取り戻す可能性は限りなく低いはずだった。


 全治二年の瀕死の詩織のもとに一人の医師がやってきて、詩織に延命処置の是非を問うた。異常な状況だったが、詩織が資産家の令嬢であったことがイレギュラーを許容した。父の死によって詩織と母には大量の遺産が転がり込んでいた。それを使えば母の延命処置ができるという理屈だった。


 詩織は一縷の望みを捨てきれず延命処置を行うことにした。延命処置は一度始めれば止められない。人工呼吸器を外せば殺人になるからだ。


 引き返した方がいい。そう諭してくる親戚は何人もいた。諦めよう。お母さんを楽にしてあげよう。君も前を向いて生きていくべきだ。君のお母さんもそれを望んでいるはず。


 正論だった。だが詩織はそんな言葉など聞きたくなかった。


 父を失い、もう母しかいないのだ。母まで失えば詩織は一人になる。そんな世界に何の意味があるのか。


 詩織はタクシーの後部座席で両手を握り締める。


 神さま、お願いします。


 詩織は懸命に祈り続ける。そんな彼女が乗るタクシーが病院の近くまで来た時、詩織は一人の少年を目撃した。


 詩織と同じ学校の少年が歩道をゆったりと歩いている。


 平日で授業中のはずなのに何をしているのだろう。そういえば、どうして昨日、詩織はあの少年の家に行ってしまったのだろう。自分でもよくわからないが、初対面の人間の前で服まで脱いで、おまけに家庭の事情まで話してしまった。


 いや、後にしよう。今は彼のことを考える時ではない。


 病院の入口にタクシーを止めさせ、財布から万札を抜いて運転手に押し付ける。お釣りを受け取らずに車を降りて、走って病院に飛び込んだ。


「C病棟、白井茜の娘です! 母と面会できますか!?」


「詩織ちゃん、落ち着いて」


 受付にいたのは顔見知りの看護婦だった。


 看護婦に連れられて病室に向かう。


 歩きながら残酷なことを告げられる。今は確かに意識があるが、明日はどうなるかわからない。それに、会話はできないだろう。絶対に安静にするため面会時間は十五分だけ。そう言ったことを事前に言い含められた。


 病室に入る。


 ガリガリに痩せた身体。口にも血管にも管が通され、機械によって生かされている状態の母親が、そこにいた。


 その目が、開いていた。


「おかあ、さん」


 詩織の目からボロボロと涙が溢れ出した。


 母の目が、たしかに詩織を捉えていた。母の目からも一滴の雫がこぼれていた。


「お母さんっ!」


 看護婦が詩織の肩に手を置いた。


 母に抱き着くなどして刺激してはいけないと警戒されていた。ただ、その看護婦たちもすすり泣いていた。


「私、詩織だよ。お母さんが眠っちゃってから、もう七年も経ってるんだよ。私が詩織だって、わかったかな。わかるよね。お母さんなんだから」


 母は何も答えない。筋肉が衰えすぎていて指先を動かすこともできなくなっている。


 それでも、会話すらできない状態の母は、わかっていると言うように詩織に頷いてくれたような気がした。


「うぅっ、お母さん。私、頑張って、お母さんが、起きてくれるのを、ずっと、ずっと、待ってたんだから……うっ、うわあぁぁぁっ! お母さんっ!」


 最後はもう言葉にならなかった。












 ◇











 まさか成功してしまうとは。


 植物状態なら脳みその一部が生きてるわけだから、催眠アプリが効くんじゃないかという仮説は立証されてしまった。


 まぁ素直に喜べないけどな。失敗したら最悪死んでたかもしれないし。でも俺はそれでもいいと思っていた。俺は親父がゆっくりと死んでいくのを一週間眺め続けさせられた。地獄を終わらせる。それもまた慈悲だと思っていた。だから最悪の選択肢も頭に入れていた。


 蘇生させられたのだから俺の心配は杞憂だったわけだが。


 さて、ここで白状しよう。


 俺はこれまでの催眠アプリで、ことごとく失敗していた。


 その一例を紹介する。


「ねぇ兄貴」


「ん?」


「何でアタシ、アンタなんかに好きな人のことを教えちゃったんだろ?」


「……あ」


 妹は釈然としない顔で俺を見ていた。


 俺は催眠アプリの力を過信しすぎていた。


『忘れろ』


 これを言い忘れてた。


 俺の顔から血の気が引いていく。そう言えば、近藤葵、真田絵美里、白井詩織の三人とも記憶を消していない。他にも葵やDV彼氏の両親、クズ大学生が五人、病院関係者などの記憶も消していなかった。


 いや、大丈夫だ。この催眠アプリの力さえあれば記憶などいくらでも改竄できる。


 まだ取り返しが付く。俺は自分に言い聞かせる。


 冷静さを取り戻してから、俺はまず目の前の妹を処理することにした。


「何でだろうな。たぶんアレだ。お前は本心ではお兄ちゃんに構って貰いたかったんだ。ツンデレだな、ツンデレ。あとブラコン」


 俺はスマホを妹に向ける。


 記憶を消す前に少し遊んでおくかと思い、妹にツンデレ属性を付け足してみた。さらにブラコンも上乗せだ。女をゲットするのはことごとく失敗したのだ。この程度の遊び心ぐらい許して欲しい。


「はぁ? ツンデレなわけないでしょ! 何言ってんのよ。もう」


「いいじゃんそれ。何時もの罵声が心なしかマイルドになってるぞ」


「うるさいわね! アタシがお兄ちゃんのことを本気で罵ってると思ってたの? 仮にも兄を名乗るなら妹の気持ちぐらい察しなさいよ!」


「ははっ! マジでウケる。そっかそっか。お兄ちゃんに構って欲しかったんだよな?」


「そそそ、そんなわけないじゃない! 勘違いしないでよね!」


 マジで笑える。笑いが止まらない。


 普段の妹ならここで蹴りの一つも飛んでくるが、今の妹は照れているだけだ。


「さて、そろそろ記憶を消しておくか」


 俺はスマホを取り出し、画面を見てからフリーズした。


『体験版の使用回数の限度に到達しました。製品版のリリースをお待ち下さい』


 え、待って。


 聞いてない。こんなの聞いてないよ。


 俺が唖然としている間に、妹が俺の腕に抱き着いてくる。


「お兄ちゃん。アタシ、サッカー部の宮本先輩のことが好きって言ったよね。でもそれはテレビのアイドルを見るようなノリだからね。本気で好きなわけじゃないから。それに宮本先輩には彼女がいるし」


「妹よ。なぜそれを俺に言う」


「別にいいでしょ。先輩のことでからかわれたら面倒って思っただけだから」


「あと距離が近いんだけど」


「兄妹ならこれぐらい普通のスキンシップでしょ。それとも何? まさか妹に欲情してるの? キモいんですけど」


「うわ、きっつ」


「あ、ごめ……キモいと言ったのは言葉の綾だから、本気にしないで? アタシ、本当はお兄ちゃんのこと……な、何でもない!」


 これから妹はこのキャラを続けていくつもりらしい。笑いのピークが過ぎ去ってしまうと、マジでキツいだけだった。


 クーリングオフは効かないの? ……そっか。吐きそう。


 催眠アプリの製品版は何時リリースされるのだろう。お願いだから早くしてくれ。











 そして俺は追い詰められていた。


 自業自得。因果応報。天網恢恢。身から出た錆である。


「おはようございます」


 家のドアを開けた瞬間、笑顔が待ち構えていた。


 出待ちである。


 俺はサッとその横を通り抜けようとしたが、逃がさぬとばかりに手を掴まれた。


「逃げたよね?」


「勘違いっす」


「後ろめたいことがあるから逃げたんだよね?」


 絶世の美少女、近藤葵が満面の笑みを俺に向けてくる。こわい。


 この家で全裸にされた葵は当然この場所を知っている。俺を出待ちしていても不思議ではないが、よりにもよって催眠アプリ(体験版)が使えなくなってから来るなんてタイミングが悪すぎるだろう。なぜ翌日に来てくれなかった。


「あの、俺、人見知りなんで。手、離して貰えると嬉しいと言うか……」


「人見知りなのに初対面の私の服をいきなり脱がせたの?」


「記憶にございませんです」


 言った瞬間、俺の頬がビンタされる。


 葵は半泣きで俺を睨み付けていた。そのまま俺の腕をぐっと引き寄せて抱き着いてくる。


「お礼ぐらい言わせてよ。馬鹿」


 葵の身体は震えていた。俺はその意味がわからなかった。


「死にたくなるぐらい怖くて、誰かに助けを求めることもできなくて、ジッと耐えるだけの地獄の日々を終わらせてくれたのはあなたなんでしょ。なのに知らんぷりで放置なんて無責任すぎるよ」


「だって責任取りたくなかったし」


「責任取ってよ! もう馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」


 胸をポカポカと殴られる。


 道行くサラリーマンや学生たちが立ち止まり、こちらに好奇の目を向けてきた。恥ずかしすぎて逃げたくなる。


 と言うか、こいつ、まさか、惚れてやがるのか。


 あの程度で? いや、それを言うのはこいつに失礼すぎるけど、それでも惚れるのはおかしいだろう。


「落ち着こう。たぶんそれは吊り橋効果だ。しばらく冷却した方がいいと思う」


「責任取ってよ……私の、あんな惨めな身体、あなた以外に見せたくない」


「……うむ」


 返す言葉が出てこない。


 葵の身体の傷はいずれ消える。一部は痣として残るかもしれないが、絵美里のリストカットとは違う。


 だが、心の傷はどうだろう。


 俺以外にその傷をさらけ出せないと言われたら、俺には何も反論できない。


「……わかった。俺も男だ」


 俺は覚悟を決めた。


 元より葵は学校でもトップクラスの美少女である。そんな美少女が棚ぼたで落ちてきたのだ。俺はヘタレではないと言い張るなら葵を受け入れるべきだろう。


 だが、そんな俺の覚悟に待ったが入る。


「ちょっと待って。まったく、油断も隙もないんだから」


 現れたのは茶髪サイドテールの巨乳ギャルである。


 逃げよう。


 一瞬の判断だが、俺はそれが正解だと確信していた。


 だが、駄目。


 ガシッと腕をホールドされてしまう。あ、おっぱいが、柔らかい。


「逃げるなんて酷いじゃん。アタシは君に聞きたいことがいっぱいあるんだけど」


「俺のスリーサイズですか?」


「これからお姉さんとじっくりお話ししない? アタシの身体、好きにしていいからさ?」


 真田絵美里は俺の渾身のギャグをスルーして、巨乳を俺の腕にぐにっと押し付けながら妖艶に微笑んだ。


 あまりにもエッチすぎて、俺は意識を飛ばしかける。童貞には刺激が強すぎるのである。


「も、もっと、自分を大事にした方がいいと思います!」


「ふふっ。アタシのことを気遣ってくれるんだ。優しいね、キミ。好きになっちゃいそう」


「ひうぅっ! お、落とされちゃう。らめぇ……」


 怒涛のエロ攻勢だった。俺の身体がふらふらと絵美里に吸い寄せられていく。


「だ、駄目です! いくら真田先輩でも、こればかりは譲れません!」


「ふーん。あなた、近藤葵だよね。彼氏がいるのに何やってるの?」


「高山裕司とはもう別れました」


「わお。流石にそれはびっくり。君たち学校で一番有名なカップルだったじゃん」


「ですので! 私が彼と付き合っても、誰も文句は言えませんから!」


「お待ち下さい」


 そこで、鈴を鳴らすような声が横から割り込んでくる。


 現状でも充分カオスすぎるのに、さらに色が混ぜ込まれるわけだ。誰か助けてくれ。


「先輩は私の物です。そうですよね?」


「違うからね」


「先輩は私の人生に差し込んだ一つの光なんです。他の誰にも渡すつもりはありません」


「聞いて?」


 和風ロリ美少女、白井詩織が上品な笑みを浮かべながら、美少女二人に両腕が拘束された俺の胸元に飛び込んでくる。


 両腕がギリギリと締め上げられた。痛い痛い痛い。


「先輩ならお母さんも文句はないと思うんです」


 君のお母さん、まだ喋れないからね。そりゃ文句は言えないよね。


 と言うか、一つだけ言わせてくれ。


「君らチョロくない?」

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― 新着の感想 ―
よきかな…
久しぶりに読んでほっこりした。 デトックス効果有り。
[一言] うわぁ!
2023/10/21 22:43 退会済み
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