四、新しい時間
四、新しい時間
美根我と逗子は、閑散とした参道の石段を上り切り、境内へ、辿り着いた。
「お義父ちゃん、ほとんど、人が居ないね」と、逗子が、口にした。
「そうだね。まあ、戦争が終わったばかりだし、今年は、初詣どころじゃないんだろうね…」と、美根我も、表情を曇らせた。まだまだ、戦前の生活水準へ戻すのに、一生懸命だと考えられるからだ。
「そうだね。あの惨劇に遭って、お正月だなんて、浮かれている私らが、おかしいんだろうね…」と、逗子が、俯いた。
美根我は、肩を抱くなり、「逗子が、気にする事は無いんだよ。他人が、どう思っても良いじゃないか…。私達は、正気で、ここへ来ているんだからね。堂々とお参りをしようじゃないか!」と、力強く言った。疚しい事など、何一つ無いからだ。
逗子は、顔を上げるなり、「そうだね!」と、吹っ切れた表情となった。
そこへ、顔の左半分を黒髪で隠した巫女が、歩み寄って来た。そして、「美根我様ですね?」と、尋ねられた。
「そ、そうですけど…。どちら様でしたかねえ?」と、美根我は、眉根を寄せた。些か、思い出せないからだ。
「何年か前に、当神社で、神前結婚式をなされた時に、御世話をさせて頂いた巫女です」と、巫女が、告げた。
「そ、そうですか…」と、美根我は、眉間に皺を寄せた。思い出せないからだ。
「お義父ちゃんは、色々と有り過ぎたから、忘れて居るんだよね」と、逗子が、口を挟んだ。
「そ、そうだね…」と、美根我は、相槌を打った。
「美根我様。ひょっとして、先の空襲で、奥様を…」と、巫女が、顔を強張らせた。その直後、顔の左側から、キラリと光る物が、転がり落ちた。そして、「義眼が、落ちちゃいましたわ…」と、苦笑しながら、胸元で、受け止めた。
「巫女さんも…」と、美根我は、言葉を詰まらせた。半分隠している意味を理解したからだ。
「ええ。一瞬の事でした…」と、巫女が、語り始めた。
巫女の名は、福来代。
靄島空襲の日、神前結婚式の出迎えの為、宮司と共に黄鳥居へ向かって居た。そして、鳥居の数歩手前で、黄色い光に包まれた後、意識を失ったそうだ。次に、気が付いた時は、境内で横たわっており、右側しか視界に入らないという事だけだった。傍に、人の気配を感じたので、咄嗟に、「あのう。いったい、何が起こったのでしょうか?」と、尋ねた。
「わ、わしにも判らん。ただ、雷が落ちたとしか…」と、何かに怯える男性の声が、返って来た。
「あなたは…?」と、福来代は、問い返した。聞き覚えの無い声だからだ。
「わしは、猿吉と申します。ここへ、避難した時に、参道の脇で、あなた様が倒れてましたので、境内まで運ばさせて頂きました…」と、猿吉が、弱々しく語った。
「そうでしたか…。じゃあ、宮司様と一緒に、私を…」と、福来代は、口にした。状況からして、二人で、運んでくれたものだと考えられるからだ。
「いんや。山部という兵隊さんとだ。宮司様は、見当たらなかったよ」と、猿吉が、回答した。
「そ、そんな筈は!」と、福来代は、驚きの声を発した。左側を並んで歩いて居たのだから、居ないのは、おかしいからだ。
「ひょっとして、あれが…」と、猿吉が、口ごもった。
「猿吉様、仰って下さい!」と、福来代は、要請した。一応、聞いておきたいからだ。
「う~ん。鳥居を潜ってすぐの所で、上半身が、骸骨で、下半身は、ボロ切れを纏って直立した死体を見たんだよ…」と、猿吉が、口にした。
「恐らく、宮司様でしょう…」と、福来代は、聞き入れた。猿吉の見た位置からして、宮司だと断定出来るからだ。その直後、意識を失った。
しばらくして、「あの日から、数日間、生死をさ迷って居たらしく、目を覚ました時には、終戦が成立して居ましたわ…」と、福来代が、語った。
「そうでしたか…。それは、大変でしたね…」と、美根我は、気の毒がった。そして、「御独りですと、何かしらと大変でしょう?」と、気遣った。独りで切り盛りするのは、きついと思ったからだ。
「いいえ。あの日に、助けて頂いた方達に、手伝って頂いてますわ」と、福来代が、にこやかに言った。そして、「美根我様こそ、奥様を亡くされまして、大変でしょうに…」と、逆に気遣った。
「いいえ。私にも、妻に匹敵するくらい頼もしい養子が居ます!」と、美根我は、力強く言った。逗子は、もう家族も同然だからだ。
「そうですね」と、福来代が、目を細めた。
そこへ、「巫女様ぁ~。ちょっと、来て下せぇ」と、左脇の社務所より、若い男性の訛り声がして来た。
「申し訳ございませんが、これで、失礼させて頂きます」と、福来代が、一礼をするなり、背を向けて、社務所へ歩き始めた。
美根我も、逗子を見やり、「私達も、お参りをしましょう」と、告げた。参拝が、主だからだ。
「うん!」と、逗子が、すかさず頷いた。
二人は、拝殿へ向かって、新しい時間の為に、歩を進めるのだった。