二、ゴー・ホーム事件
二、ゴー・ホーム事件
美根我は、霰島へ、“懲罰召集”の原因となった事件について、どや顔で、語り始めた。自分としては、恥じる事など無いからだ。
物産館で、事件は起こった。
「わ、わしは、やっとらんよ! 兵隊さん!」と、年老いた男性が、怒鳴った。
美根我は、咄嗟に、右側の窓際の席を見やった。次の瞬間、白髪頭の上司と色黒の憲兵と黒縁眼鏡の憲兵が、高齢の男性へ、詰め寄って居た。
「灰吉さん、わしは、ほんまに知らんのじゃよ!」と、高齢の男性が、訴えた。
「江来さん、あなたしか、事務所の金庫を扱えないんですよ」と、灰吉が、淡々と口にした。そして、「正直に、言って下さい。やりましたってね」と、言葉を続けた。
「江来さん、ここで、白状した方が、身の為ですよ。ここに預けてあるお金は、お国のお金なんですからねぇ」と、色黒の憲兵が、へらへらしながら、拷問を示唆した。
「白状したところで、“管理不行き届き”の責任は、免れられませんよ。霰島の“曙部隊”での強制労働ですよ」と、黒縁眼鏡の兵隊も、補足した。
「そんなご無体な〜」と、江来が、嘆息した。
「さあ、後は詰所で、じっくりと聞いてやるから、早く立て!」と、色黒の憲兵が、怒鳴った。
「お金が、出て来ない以上、あなたの嫌疑が晴れないので、駄々を捏ねないで下さい」と、黒縁眼鏡の憲兵も、冷ややかに、告げた。
美根我は、席を立つなり、「ちょっと、待って下さい!」と、声を発した。そして、「決め付けるのは、些か、乱暴なんではないのでしょうか?」と、意見した。途中からだが、江来の言い分を聞いて居ない気がしたからだ。
「何だと? 俺達の言って居る事が、間違って居ると言うのか?」と、色黒の憲兵が、凄んだ。
「いいえ。私は、江来さんの“罪”にしようとしているようにしか見えないもので…」と、美根我は、口にした。このままでは、犯人に仕立て上げられる気がするからだ。
「模罹田上等兵、ここは、出直しましょう」と、黒縁眼鏡の憲兵が、提言した。
「度囲一等兵、そんな弱気で、どうする!」と、模罹田が、叱責した。そして、「何なら、口出ししたお前も、連行しようか?」と、凄んだ。
「じゃあ、江来さんの無実を証明すれば、良いんですよね?」と、美根我は、問い合わせた。自分と江来が、連行されない為には、解決するしかないからだ。
「貴様、まさか、この老いぼれとグルなんじゃないだろうな?」と、模罹田が、頭ごなしに、疑って掛かった。
「いえ。私は、職場の同僚の無実を信じて、真偽の程をはっきりさせたいだけですよ」と、美根我は、毅然とした態度で、考えを述べた。否定する者を放って置けないからだ。
「ほう? じゃあ、今すぐ、嫌疑を晴らして貰おうかな?」と、模罹田が、自信満々で、促した。
「美根我さん。お止しなさい。江来さんを庇うのは、反逆罪になりますよ!」と、灰吉が、口にした。
「灰吉さん。私は、これが間違いだったら、江来さんを見殺したと後悔する事になるかも知れないので、ちゃんとしておきたいのですよ!」と、美根我は、異を唱えた。自分も、はっきりさせたいと思ったからだ。そして、「江来さん、最後に、金庫を開けたのは、いつですか?」と、質問した。
「う〜ん。確か、一昨日の帰る前じゃったかな?」と、江来が、眉間に皺を寄せながら、回答した。
「じゃあ、一昨日、持ち出した事になるな!」と、模罹田が、口許を綻ばせた。
「ちょっと、待って下さい。結論を出すのは、早いです!」と、美根我は、つっけんどんに言った。そして、「江来さん、金庫には、幾ら入って居たんですか?」と、尋ねた。金額も、把握しておきたいからだ。
「え〜と。確か、壱萬圓程でしたかな。千圓札と百圓札を束ねてましたので…」と、江来が、回答した。
「で、灰吉さん。幾ら、金庫から無くなって居たのですか?」と、美根我は、問うた。自分の預り知らぬ事だからだ。
「江来さんの仰る通り、金庫の中には、千圓札と百圓札の束を約壱萬圓分は、置いてますね」と、灰吉も、肯定した。
「つまり、昨日は、金庫を開けてないのですね?」と、美根我は、尋ねた。一昨日から、嫌疑を掛けられる時まで、開けられてない事になるからだ。
「鍵は、わしが預かって居るので、開けるのは、無理じゃのう」と、江来が、淡々と言った。
「確かに、江来さんが、犯人にされても、おかしくないですね」と、美根我は、口にした。状況からすれば、江来が、最有力だからだ。
「だろう?」と、模罹田が、したり顔をした。
「ですね」と、度囲も、相槌を打った。
「江来さん、惚けるのは止めましょう。大人しく、連行されて下さい」と、灰吉が、やんわりと促した。
「あのう、幾ら足らないのですか?」と、美根我は、尋ねた。元の金額が判らない事には、話にならないからだ。
「確か、僕が、数えた時には、八円程、不足してましたね」と、灰吉が、回答した。そして、「美根我君、疑わしいと思うのなら、数えて貰っても、結構だよ」と、灰吉が、自信満々で、言った。
「どのお札の束ですか?」と、美根我は、問うた。現物を数えた方が、確実だからだ。
灰吉が、金庫から百圓札の束を八つ取り出すなり、江来の机の上へ、これ見よがしに、並べた。
「江来さん、灰吉さんの仰られるように、一円でも不足してましたら、すみませんが…」と、美根我は、口ごもった。論より証拠だからだ。
「うむ。わしは、大人しく、連行されてやるよ」と、江来も、頷いた。そして、「数えてくれ」と、険しい表情で、促した。
「では!」と、美根我は、右から順番に、札束を数え始めた。しばらくして、灰吉の提示した札束を数え終えた。そして、「灰吉さん、一円も不足しておりませんが…。数え間違いでは?」と、指摘した。流石に、この状況で、犯人に仕立て上げるには、無理が有るからだ。
「ぼ、僕が、数えた時には、確かに、八円不足していたんだよ!」と、灰吉が、狼狽えた。
「ちっ! 帰るぞ!」と、模罹田が、憤慨した。
「ですね〜」と、度囲も、相槌を打った。
程無くして、二人が、立ち去った。
「き、君達、今後は、き、気を付けるように…」と、灰吉が、誤魔化すように、場を取り繕った。
「は? 灰吉さん、江来さんに、言う事が有るんじゃないのですか?」と、美根我は、つっけんどんに、示唆した。まるで、責任転嫁しているような物言いだからだ。
「美根我君、上司に楯突く気かね?」と、灰吉が、居直った。
「上司でも、間違っているのですから、謝るのが、筋でしょう!」と、美根我は、睨みを利かせた。無実の江来を、盗人に仕立て上げた訳だからだ。
「間違いは、誰にでも有る! 以上!」と、灰吉も、言い放った。
「だったら、あんたは、上司では、ありません! 帰れ!」と、美根我は、怒鳴った。部下は、上司の失敗を被る為に居るのではないからだ。
「美根我君、敵性語まで吐くという暴言! どうなるか、覚えておきたまえ!」と、灰吉も、憤怒の表情で、退室した。
扉が閉まった直後、「美根我さん、わしの所為で、こんな事に…」と、江来が、言葉を詰まらせた。
「いいえ。私は、後悔はしていませんよ。ただ、灰吉さん達の態度が、頂けなかったので、首を突っ込んだだけですよ」と、美根我は、やんわりと口にした。自分の正義感で、やらかした事だからだ。
「あの様子ですと、灰吉さんは、何かしらの処分を下すでしょうね〜」と、江来が、眉根を寄せた。
「でしょうね」と、美根我は、溜め息を吐いた。ただでは済まないのは必至だからだ。
「赤紙を渡されるかも…」と、江来が、心配した。
「私は、構いませんけど…。妻と娘が…」と、美根我は、口ごもった。処分が下れば、二人に不便を掛けるからだ。
「美根我さん。そうなった時、あんたの留守は、わしが守る。頼りないかも知れんがな」と、江来が、申し出た。
「いいえ、心強いです」と、美根我は、目を細めた。気休めにはなるからだ。そして、「あ、仕事に戻らないと…」と、踵返した。
「と、まあ、後日、上司に、敵性語で口答えしたという理由で、黄紙を貰っちゃいましたけどね」と、美根我は、淡々と述べた。
「ええ! お義父ちゃんは、何にも悪くないのに!」と、逗子が、語気を荒らげた。
「正しい事でも、戦時中は、上司や兵隊さんには歯向かっちゃいかんという事なんだよ」と、美根我は、溜め息を吐いた。戦時中、上司と軍人の理不尽な横暴で、濡れ衣をでっち上げられた話を霰島の同僚から聞かされたからだ。
「確かに、兵隊さん、威張って居たね。だから、戦争に負けちゃったんだ…」と、逗子が、ぼやいた。
「まあ、この街を焼き尽くすような兵器を造る国へ、先に仕掛けたんですからね。冨歌梨や富士枝が、惨たらしい死に方をしなくても済んだのに…」と、美根我は、言葉を詰まらせた。変わり果てた二人の姿が、鮮明に思い返されたからだ。
「お義父ちゃんは、良いよ。あたいなんか、家すら、跡形も無くなっていたんだからさ…」と、逗子が、ぼやいた。
「すまないねぇ。また、気落ちさせてしまって…」と、美根我は、詫びた。家族の事で寂しいのは、自分だけじゃないからだ。
「ううん。あたい、話を聞いて、富士枝ちゃんや冨歌梨さんは、お義父ちゃんの家族で良かったと思っているんじゃないのかな?」と、逗子が、口にした。そして、「あたいも、養子でも、娘になれて、誇らしいと言うか、何と言うか…」と、言葉を続けた。
「そうかい? 私も、まだまだ、元気で居なければなりませんね」と、美根我も、目を細めた。逗子が、成人するまでは、生き抜かなければならないと思ったからだ。そして、「まだ、神社までは、距離が在りますね。逗子も、何か話してくれませんか?」と、促した。少しでも、知りたいからだ。
「分かったよ」と、逗子が、承知した。