さよなら、ありがとう
「なぁ……なんでそんなに怒ってんの?」
「そんなの、考えなくても分かると思いますけど」
殿下の手を取りやって来た後夜祭。国王陛下の挨拶も終わり、ロマンティックな音楽が流れ出す中、わたしは未だに殿下の手から逃れられていない。
「早く手を放してください」
生徒会長であり、この国の第二王子である殿下がファーストダンスを踊ることは間違いない。このままでは自動的に、わたしが殿下のお相手になってしまう。既に周りの注目はこちらに集まって来ていて、心臓が嫌な音を立てて鳴り響いていた。
「俺が拒否するって分かってて、そういうこと言う?」
殿下は拗ねたような照れたような表情を浮かべ、わたしのことを真っ直ぐに見つめている。暗闇の中でも分かる真っ赤な頬が、こちらまでうつってしまいそうだった。
「……わたし、令嬢方からめっちゃ袋叩きにあっちゃいますよ」
殿下のパートナーに選ばれなかった令嬢がわたしを嫉むことは避けられない。殿下の良心に届けばいいと思ったけれど、殿下はクスクス笑いながら首を横に振った。
「今のお前を嫉める人間なんてそういないよ。ザラはここにいる誰よりも綺麗だし、誰よりも強いし。何より、自分たちを守ってくれた功労者なんだから」
「――――それ、御令嬢方が知るのは今日じゃないでしょうに」
ここに辿り着くまでの様子から察するに、騒ぎを知っているのは魔術科の生徒たちと生徒会に近しい極一部の人間だけだ。
「第一、わたしがしたことと言えば、首謀者たちを捕えたことであって、爆発を喰いとめたわけじゃないですもの」
殿下の唇が額に触れる。心臓がドキドキとして堪らなかった。
「ザラがいなかったら俺は爆弾に気づけなかった。爆発だけを食い止めたとしても、あいつらは魔法で騒ぎを起こしていただろう。今日の功労者は間違いなくザラだよ」
ゆっくり、ゆっくりと殿下はわたしを抱いて動き始める。繋がれた手のひらが、寄り添う身体が熱くて堪らない。
「……ダンスなんて踊ったことないのに」
「良いんだよ、それで。そっちの方が一生の思い出になるだろ?」
殿下の背後に見える星空が、キラキラと輝いて美しい。
「そうですね」
わたしはきっと、この光景を一生忘れることは無い。
ほんの少しの間交わっただけの、わたしと殿下の人生。けれど、そんな日々がずっと続くわけじゃない。
わたし――――ザラの生まれたこの国は、前世とは違う。
配偶者は一人しか認められないし、明確な身分の差が存在する。寵愛を受けたから成りあがれるなんて慣例はない。
その代わり、貴族達は余所に愛人を作るっていうのが一般的らしいけど、誠実な殿下がそんなことを望むとも思えない。
だからこその一生の思い出。
わたしたちが結ばれることはあり得ない。
「楽しかったです――――」
殿下に出会えたこと。共に時間を過ごせたこと。
星が瞬くほどの一瞬の間だったけれど。わたしはその間、確かに幸せだった。
***
月日は流れ、わたしたちは学園を卒業した。
あの日以来、自分らしく生きるようになったわたしは、魔術科を首席で卒業し、目標としていた魔法省で働くことが決まった。
前世でわたしを翻弄した官僚になるなんて皮肉なことだけど、自分が何をしたいか考えたときに、国や誰かのために苦しんでいる人がいたら、そっと手を差し伸べられる人間になりたいなぁって。そう思っていたから、指名を受けたときは本当に嬉しかった。
殿下とはあれっきり……ってことはなく、生徒会の任期が終わるまでの間、変わらず親しくしていた。
皆の前での殿下は、相変わらずキラキラした完璧な王子様で。
けれど、わたしたちの前でだけ見せてくれる本当の彼に心をときめかせたのは、学生時代の良い思い出だ。
『じゃあな、ザラ』
つい先日、卒業式の日に顔を合わせた殿下は、そんな風にわたしに声を掛けてくれた。
殿下はこれから、わたしとは全く別の道を進む。第二王子として国のために働く彼は、一官僚のわたしにはとても手が届かない人間になってしまう。
『殿下も、お元気で』
最後まで特別な関係に進展することは無かったけれど、わたしが殿下を想う気持ちは本物だった。
(ホント、幸せだったなぁ)
殿下との日々を思い返すだけで涙が滲んでくる。
けれど、わたしにはまだまだ無限の未来が広がっている。それが人から見て平凡なのか、特別なのかは分からない。だけど、とびきり幸せなものにしたいなぁって心から思った。
(さてと)
今日からわたしは社会人になる。
両親と離れ、新居も構えた。
新しい場所、新しい生活。自分らしく生きていきながら、幸せを模索していくんだ。
(頑張らないと、ね)
気持ちを新たに、わたしは職場の扉を開け放った。
「――――ようやく来たか」
その瞬間、わたしは思わず目を見開く。
初めて赴いた生徒会室で、殿下がわたしに放ったセリフと全く同じだ。
「……デジャヴ?」
目の前には、あの頃よりも少しだけ大人びた殿下がいて、とても楽し気に笑っている。
心臓がドキドキと高鳴り、頬が熱くて堪らなかった。
「……殿下、ここは生徒会室じゃないですよ?」
殿下が自分を見せるのは、わたしやレオン達の前でだけ。こんな、誰が見てるとも限らない、庁舎の中で見せて良い顔じゃない。
「大丈夫だよ。俺、もう殿下じゃないもん。今日から俺もここで働くんだ」
「はぁ⁉」
思わぬ言葉に、わたしは思わず叫び声を上げる。
(殿下が、殿下じゃない⁉)
答えを求めて殿下を見上げると、殿下は困ったように笑った。
「王室きっての問題児だからな、俺。離脱しまーーすって言って抜けてきた」
「なっ……な、なんで、そんなこと……!」
先程よりも勢いよく、心臓がざわざわと騒ぎ始める。一体なにが、この男にそんな行動を取らせたのか。考えれば考えるほど、頭の中が沸騰しそうだ。
「――――幸せになりたかったから」
殿下はそう言ってわたしの手を握った。
「偽りじゃなく、自分らしく生きたいって俺も思った。言いたいこと言って、やりたいことやって、行きたいとこ行って生きてみたいなって」
それはいつだったか、殿下がわたしに打ち明けてくれた願い事だった。叶うことは無いって諦めたみたいな笑顔が印象的で、悲しく思ったことを今でもしっかり覚えている。
「殿下……」
「あと、もう一つ理由があるんだけど」
殿下はそう言って大きく深呼吸する。繋いだ手のひらから、殿下の緊張が伝わってくる。わたしの心臓もバクバクと盛大に鳴り響いた。
「自分らしく生きて、それで好きな女を幸せにできたら――――最高に幸せだろ?」
王子様らしさの欠片もない物言いと笑顔。わたしの瞳に涙が溜まる。
「殿下は……エルヴィス様は馬鹿です。大莫迦です」
「うん、俺もそう思う」
言いながら、エルヴィス様はわたしのことをキツく抱き締めた。
わざわざ王籍を捨てて、臣下として生きていくなんて、そんなこと普通は考えない。けれど、彼らしいなぁって思ってしまうあたり、わたしは相当毒されている。
「ザラ――――おまえが望む平凡とは違うかもしれないけど」
エルヴィス様はそう言ってわたしの涙をそっと拭う。ぶっきら棒で完ぺきとは言い難い手つきだけど、わたしはこの手が好きだ。エルヴィス様が大好きだ。
止め処なく流れ落ちる涙をそのままに、わたしはエルヴィス様を見つめた。エルヴィス様は頬をほんのりと紅く染め、はにかむ様に笑っている。
本当に平凡とは程遠い、綺麗で温かな優しい笑顔。心臓がドキドキとときめいて、とても普通になんてしてられない。
(だけど、それで良い)
求めていたのは平凡じゃなかった。
わたしはエルヴィス様を見上げながら、大きくゆっくりと頷いて見せる。エルヴィス様はもう一度大きく息を吸い込むと、わたしの瞳を覗き込んだ。
「とんでもなく幸せにしてやるから、俺と結婚してくれる?」
エルヴィス様の言葉に、わたしたちは顔を見合わせて笑う。
きっと、エルヴィス様の言う様に、これから先のわたし達を待ち受けるのは、彼と出会った頃に想像していた幸せとは違う――――けれど、とびきり幸せな毎日なんだと思う。
「はい、喜んで!」
勢いよく答えながら、わたしはエルヴィス様の胸に飛び込んだのだった。
本作はこれにて完結しました。
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改めまして、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。