幸せの定義
「ザラは? まだ見つからないのか?」
「はい。何分この人出ですし、魔力を追うのも難しいようで」
腹心であるレオンの言葉に、エルヴィスは顔を顰める。
普段ならば、エルヴィスはどんなに人が多くともザラの魔力を追うことができる。それなのに、今日はどういうことか、彼女の魔力を追えなかった。
学園の中にいない、と考えられなくもないが、真面目なザラのこと。職務を途中で放棄するとは考えづらい。
気になることはそれだけではなかった。
数千に及ぶ人や魔力に紛れて香る、火薬の臭い。もしもザラが行方不明になっていなかったら、巧妙に隠されたそれらの存在に気づくことは無かっただろう。
「爆弾探しと解体作業の方は? 間に合いそうか?」
「はい。殿下の指示通り、魔術科の生徒と教師を総動員して当たっています。未だ行方の分からない数名が首謀者でしょう」
側近の一人が手渡したメモに目を通し、エルヴィスは顔を顰める。そこにはザラの幼馴染の名前も記されていた。
(無事だろうか)
ザラが今回の事件に関わっていることはほぼ間違いない。
あんなにも自分を平凡から遠ざけるものを嫌っていたザラだ。自ら首を突っ込んだのか、それともたまたま巻き込まれたのかは定かではないが、苦しんでいることは間違いない。
エルヴィスは完璧な仮面の下に、沸々と湧き上がる激情を隠していた。
***
「まさかオースティンが、こんなことを考えているなんてね」
結局、わたしは身柄を拘束されてしまった。オースティンは邪悪な笑みを浮かべ、地面に座るわたしを見下ろしている。
「……ザラは俺のことを平凡な男だと思っていたみたいだけど、それは違う。
俺は力のある魔法使いだ。自分をこんな境遇に置いておくなんて耐えられない。君がどうして普通であろうとするのか、俺にはちっとも理解ができなかったよ」
まるで、わたしの考えを見透かすかのような言葉。オースティンといれば平凡な人生が送れるかもしれないなんて、そんなことを考えていたのが馬鹿みたいだ。
(実際、わたしは馬鹿だ)
だって、オースティンがそういう人だって、ちっとも見抜けなかった。見る目が無いからこうして危険な目に合っている。上辺ばかりを見て、物事の本質を見極めようとしなかった。
だから、こうして痛いしっぺ返しを喰らっているのだ。
(結局、わたしは幸せになんてなれないのかな)
そもそも、『幸せ』って何だっけ?
そんなことを考えてみる。
思い返してみれば、わたしにとって、『幸せ』とは『生きる』ことだった。
『もっと生きていたかった』とか、『どうしてこうしなかったんだろう』みたいな後悔を抱えることなく、普通にご飯を食べて、普通にお買い物をして、普通に結婚をして、普通に子どもを産んで、『楽しかった』、『やり切った』って思いながら死んでいく。
『平凡』っていうのは、そのための十分条件であって、必要な条件ではなかったのに。
「一度きりの人生だ。デッカいことをやらないで何になる? どうせなら歴史に名を刻むぐらいの気概を持って生きた方が幸せだろう?」
すると、オースティンは悦に入った表情で、そんなことを口にした。
(そうね……オースティンの言う通り、平凡じゃなくても幸せになることはできる)
ただ、人によって幸せの定義が違うだけ。
わたしは悪女として名を馳せることは望まない。歴史に名を刻むのなんてまっぴらごめんだし、社会を大きく覆そうとか、そういう大それたことを考えようとも思わない。
(だけど)
「もうすぐだ……もうすぐ地上で無数の爆発が起こり、王族が滅びる。貴族たちが殲滅される。俺たち魔法使いの時代が始まるんだ」
他人を不幸に陥れようとしている人間をそのままにしておくことは、わたしの幸せの定義からズレている。
「そんなこと、わたしがさせない」
「……なに?」
わたしは目を瞑り、遠い昔に唱えた呪文を反転した。
少しずつ、少しずつ、身のうちに秘めた魔力が湧き上がってくる。身体が熱く、燃えるような感覚が襲い掛かる。
「なっ……なんだ?」
ゴゴゴゴ、と音を立てて地面が揺れ、オースティン達が声を上げる。
次の瞬間、わたし達がいた異空間は無惨に壊れ、校庭の隅に瓦礫と共に押し出されていた。
(痛っ……)
自分で放った魔法だというのに、思いのほか勢いが強かった。身体がズキズキ痛むし、服も砂埃に塗れている。
(まぁ、魔力を開放するのは久しぶりだし)
こんなものか、と思いつつ、わたしはゆっくりと身を起こす。傍らでオースティンが呆然とこちらを見上げていて、わたしは大きく鼻を鳴らした。
「ザラ……おまえっ…………!」
「わたし、前世の業が深かったせいなのかな……実は魔力がめちゃくちゃ強くてね」
激痛に喘ぐ魔法使いたちを捕縛し、わたしは笑う。
オースティンが驚いているのはそれだけじゃない。
わたしは今、ずっと隠していた本当の自分に戻っていた。国を傾けると謳われた美貌(と自分で言うのはむず痒いけど)は、『敗北』を自覚させるに十分な力を持っているようで。
オースティンは真っ青な顔をしてブルブルと震えている。
「……だけどっ! 今からじゃ爆弾の解体は間に合わないぞ! いくらおまえの魔力が強くても、今から一人で全部の爆弾を見つけ出すことなんてできっこ――――」
「そんなの、とっくの昔に終わってるっつーーの!」
背後から聞こえた声に、わたしの胸は高鳴った。
振り向かなくても分かる不敵な笑み。わたしを抱き締める力強い腕に目頭が熱くなる。
「殿下……!」
「ザラ、よくやったな!」
土埃でめちゃくちゃになったわたしの頭を、殿下がわしゃわしゃと撫でる。張り詰めてた気持ちが緩んで、心がほんのりと温かくなった。
「……信じてました、殿下のこと」
殿下ならきっと、わたしがいなくなったことに気づいてくれる。隠された爆弾に気づいてくれると、そう確信していた。
「当たり前だろ。一人でよく、頑張ったな」
殿下はそう言って、もう一度わたしのことを力強く抱き締める。
(殿下、それは違います)
あの暗い異空間の中、わたしは決して一人ではなかった。殿下の言葉があったから、わたしは強くなれた。こうして魔力を解放すること、本当の自分に戻ることを決意できたのは、殿下がいたからだ。
遠くの方でゴーン、ゴーーンと鐘の音が鳴り響く。それは、後夜祭の始まり――――オースティン達の企みが失敗に終わったことを意味していた。
「行くぞ、ザラ」
警備の人間にオースティン達を引き渡しつつ、殿下は満面の笑みを浮かべる。
「はい」
ようやくわたしは新しい――――ザラ・ポートマンとしての自分の人生を歩み始めようとしていた。