幸せの必要条件
(あんのクッソ王子め!)
宣言通り、エルヴィス殿下はわたしのことを容赦なく扱き使った。
書類の作成はもとより、ある時は教師たちとの調整に。またある時は生徒達への意向調査に。文字通り殿下の手足となって奔走した。
二ヶ月後には学園祭なんかも控えているし、正直言って忙しすぎる。
(生徒会長なんてクソ面倒くさいって言ってたくせに!)
殿下の無駄に良い外面のせいで、本来ならばやらなくても良いような仕事まで生徒会に回ってきている。そのせいでわたしや他のメンバーが忙しくなるんだから、堪ったもんじゃなかった。
「すみません、ザラ。殿下は頼まれると断れない性格で」
側近の一人、タレ目で中性的な顔立ちをしたレオンがペコリと頭を下げる。殺伐とした生徒会の中で、唯一の癒し系男子。だけど、空気が読めないというか……タイミング悪くわたしの地雷を踏むことが多い人だ。
「……断れない性格?」
嫌味っぽく言い返しつつ、口の端がヒクヒク動く。
殿下は表向きは温和で優しい、完璧な王子様かもしれない。だけど、生徒会室にいる時は清々しいほど『俺様プリンス』に変貌する。後者の方が本性なんだから、レオンの言う『断れない性格』って言うのは明らかに語弊がある。
(わたし、何回あいつに『却下』って言われたか覚えてないんだけど)
休暇の申請を出しても、仕事を減らすよう頼んでも、邪悪な笑みで却下された。深く根に持って当たり前だろう。
レオンはもう一度「すみません」って口にしながら苦笑を浮かべた。
(ホント、あいつのせいで予定が狂いまくりなんだけど)
魔術科から生徒会役員が立つのは学園の伝統だ。
一番の理由は在籍する生徒の比率の問題なんだけど、魔法が使えるってことは結構重宝されるらしい。おかげで、レオンや他のメンバーからもあれこれ頼まれて、手を抜く暇もありゃしなかった。
(何よ。魔法を使えるのはわたしだけじゃないのに)
この部屋の主であるエルヴィス殿下は、普通科(っていっても在籍するのは貴族だけだけど)に在籍しているくせに、実は強い魔力を持っている。
けれど、側近たちにもその事実を隠しているのか、将又単に面倒くさいだけなのか、魔法を使う案件は、全てわたしに回って来ていた。
その癖、殿下本人は涼し気な顔をして生徒会室の中央に鎮座しているものだから、見ていて中々腹立たしい。
まぁ、側近が王子相手に仕事を割り振るなんて、難しい話なのかもしれないけど。だったら生徒会長なんて役職を引き受けるなって話だし。
(っていうか、王子というよりキングよね、あの人)
自分=法律というか、俺様というか……。どうやったらあんなに人使いが荒くなれるのか。あんなにも自分に自信を持てるのか。教えてほしいぐらいだ。
最初のうちはある程度の敬意を持って接していたわたしも、段々と真面目に応対するのが面倒くさくなり、今では口調とか対応とか、結構適当になっている。
「ザラ、こっちの書類も整理しといて。あと、レオンたちにこっちの書類も確認してくるように伝令飛ばして」
「……へーーい」
魔法で書類をポイポイ飛ばしつつ、わたしは気の抜けた返事をする。
こんな言葉遣い、この部屋以外で聞かれてしまったら、きっと不敬だなんだって騒がれることだろう。だけど、殿下は意に介していないみたいだし、今更変えろって言われても難しい。この裏表が激しい男の前で自分を取り繕うのは、何だか馬鹿らしく思えた。
「なぁ。おまえって、どうして自分を抑えてんの?」
「へ?」
気づいたら、さっきまで椅子に座っていたはずの殿下が真後ろに立っている。おまけに彼は、書棚に両腕を付いて、わたしのことを取り囲んでいた。無駄に図体がでかいので、圧迫感が半端ない。努めて気にしないようにしながら、わたしは書類のファイリングを続けた。
「……別に、何にも抑えてませんよーー。抑えてたらこんな喋り方しませんって」
実際、わたしがこんな話し方をする人間、殿下以外にはいない。友達と接する時だって、もっと控えめな話し方をするというのに、一体何を抑えているというのだろう。そう思うと、ついついため息が漏れる。
「嘘吐け。性格も学力も魔力も、もっと言えば見た目すら抑えてるだろ。わざわざ自分に魔法まで掛けて隠してるくせに」
「…………っ!」
殿下がボソリとわたしの耳に囁きかける。ぞわっと背筋が震えて振り返れば、彼はじっとわたしのことを見つめていた。
「……どうして分かったんですか?」
おさげ髪に眼鏡――――それだけでも、ある程度自分を隠すことはできる。けれど、それだけじゃ何だか心許ない。
だからわたしは、周りの認識を阻害するための魔法を自分自身に掛けていた。平凡に、普通に見える様に。
(これまで誰にもバレ無かったのに、よりによって殿下に見破られるなんて)
そう思うと、悔しくて堪らない。わたしは唇をキュッと引き結んだ。
「俺の方がお前よりも魔力が強いからだろ。見えるんだよ、そういうの。逆に言うと、今までお前よりも魔力が強い奴が周りにいなかったってだけだと思うけど」
殿下はそう言って、気難しい表情でわたしを見下ろしている。
(なるほどねぇ)
殿下がわたしより強い魔力を持っていることは分かっていたけど、それがこんな形で影響するとは思わなかった。思わずため息が漏れる。
「で? どうして自分を抑えてんの?」
殿下はもう一度、同じ質問をしてきた。どうやら答えない、という選択肢はないらしい。
正直、あまり深堀してほしくない話題だけれど、この男のしつこさは折り紙付きだ。この辺りで答えておくのが無難だろう。
「そんなの、平凡な人生を送りたいからですよ」
殿下の腕の間をすり抜けながら、わたしは答える。
「それじゃ答えになってないんだけど」
殿下はなおも不機嫌な表情を浮かべ、わたしの後に付き纏った。さっきからやたら距離が近いし、嫌ーーな感じだ。このままフェードアウトしたかったけど、どうやら許してもらえそうにない。観念して、わたしは椅子に腰掛けた。
「前世のわたし――――傾国の悪女だったんです」
「ふはっ!」
わたしの予想通り、殿下は盛大に笑ってくれた。真面目に聞かれるよりは、そっちの方が気楽だもの。若干イラッとしつつも、わたしは話を続けることにした。
「その類まれな美貌のせいで、自分でもよく分からないうちに皇帝とその弟に見初められまして。おまけにわたしを巡るって大義の元に、皇帝派と皇弟派の間で戦争が起こったんです。
当然、そんな訳の分かんない理由で戦争が起こったもんだから、民はカンカンで。
なんやかんやあった後、戦争の原因を作ったわたしが戦犯として処刑された――――っていうのが前世のわたしの人生でした」
言葉にしつつ、なんて滑稽な話だろうって自分でも笑えて来る。
「――――なぁ、それのどこが『悪女』なわけ?」
けれど殿下は、何とも言えない表情を浮かべつつ、そっと首を傾げた。
「そんなこと、当事者のわたしに聞かないでください。周りがそう呼んでたってだけで、寧ろわたしの方が理由を知りたいぐらいなんですから――――っと!」
答える最中、殿下がわたしの眼鏡をヒョイッと取り上げる。視界を遮るものがなくなって、何だかとても落ち着かない。心臓の辺りがジリジリと焼ける感覚がした。
(……殿下の目には、わたしはどんな風に見えてるんだろう)
魔法で作り上げた『平凡な』わたし? それとも、国を傾けた悪女としてのわたしだろうか。
だけど、どうしてそんなことが気になるんだろう。何だか気まずくなって、わたしはそっと殿下から目を背けた。
「ふぅん、それで? 現世ではそんな波乱万丈は嫌だから、目立たないようにしてたってわけ?」
「……そういうことです。平凡な人間として生きて、そんな自分に見合った人と付き合って、穏やかに人生を終える。そのために、わたしは平凡な自分を演出しています。人並の幸せが欲しいから」
殿下に取り上げられた伊達眼鏡を奪い返しつつ、わたしは大きなため息を吐く。
だからこそ、わたしはこの男に関わりたくはなかった。
殿下や貴族がわたしに興味を持つとか、そのせいでまた国が傾くなんて考えるのは、ただの思い上がりなのかもしれない。
けれど、背負うリスクは最小限に留めたい。危うきに近寄らないことが一番大事だって、わたしは身を以て知っていた。
「……逆に聞きますけど、殿下こそ、どうして猫を被っているんですか?」
気づけば殿下は眼鏡だけじゃ飽き足らず、わたしの髪の毛を弄くりだしていた。せっかくキッチリ三つ編みにしていたのに、解けてしまって台無しだ。思わず唇を尖らせれば、殿下は不敵な笑みを浮かべる。
「そんなの、簡単だろう? 『完璧な王子様』って奴を周りが求めるからだよ」
殿下はそう言って、わたしの髪の先にチュッと口付けた。
それは『完璧な王子様』としての仕草なのか、はたまた『俺様王子』としての行為なのか。わたしには判断が付かない。心臓が小さく揺れた。
「……自分で『完璧』とか言っちゃいます?」
動揺を誤魔化すように笑いながら、わたしは殿下を見上げた。
確かに、普段の殿下は『完璧』ってワードがピッタリな、理想の王子様を演じている。
見た目や能力的なこともそうだけど、柔和な受け答えとか、誰にでも平等に優しく接するところとか、細部に渡って自分を押し殺しているっていうのが、わたしの抱く印象だった。
「実際そうだろう? 群がってくる女どもの中で、俺の内面を見てる奴なんて一人もいねぇよ。見せてないからっていう理由もあるけど、誰一人として見ようとしない。疑いもしない。……まぁ、実際誰も見たくねぇだろうけどな、こんな俺の姿は」
殿下は面倒くさそうにため息を吐きつつ、大きく伸びをした。その不満げな横顔が、何だか自分に重なって見える。気持ちが消化不良を起こしていて、モヤモヤしている――――そんな感じの表情だ。
(本当にそうなのかなぁ?)
確かに、初めてこの部屋で殿下と会った時は、普段とのあまりのギャップに面食らった。優雅さの欠片も無ければ、いつも大安売りしている笑顔すらもなく、別人じゃないかと疑う程だった。
だけど、最初に『完璧な王子様』っていう先入観を抱いてなければ、さほど驚かなかった気がするし、ある程度は普通に受け入れられていた気がする。王子だって人間だもの。完璧であり続ける必要は無いんじゃないかなぁってわたしは思う。
「疲れませんか? そんな風に自分を偽って生きるの」
「……その言葉、そっくりそのままお返しするけど」
殿下はわたしのおでこを指先で弾きながら、小さく笑った。その表情は、意地悪なのにどこか優しくて、何でか胸がキューーっと苦しくなる。普段浮かべてる愛想笑いよりも、ずっとずっと綺麗だなぁと思った。
「……実際、わたしも疲れているから聞いたんですよ」
答えながら、わたしも笑う。
自分を守るために作り上げた、偽りの自分。もう十何年もの間、本当は「出来ること」を「出来ない」って言ったり。「分かること」を「分からない」って言ったり。己の意見を言わず、その場をやり過ごしてきた。
だけどそれって、めちゃくちゃ苦痛だ。
「だったら、止めれば良いじゃん」
殿下は、「当たり前だろ?」とでも言いたげな口調でそう口にする。ついついわたしの眉間に皺が寄った。
「無理ですよ。現世では幸せになるって決めてるんですから。そのためには平凡に生きないと」
前世と同じ轍は踏まない。そのためにわたしは、記憶を持って生まれてきたんだと思う。
反省を活かさず、波乱に満ちた最後を迎えるなんて、前世のわたしへの冒涜だ。そんなの絶対に許せない。
「幸せになる、ねぇ。――――なぁ、自分を偽って生きて、お前本当に幸せなの?」
殿下はそう言って、真っ直ぐにわたしを見つめた。
(ホント、痛いとこ突いてくるなぁ)
心臓がズキズキと音を立てて痛む。
幸せか、幸せじゃないかって聞かれたら、正直今はどちらでもない。前世みたいに不安や恐怖、困惑はないけれど、何をしていても『楽しい』って思ったことは無い。
だけど、ここで自分を偽ることを止めたら、幸せが――――わたしを幸せにし得る『平凡』が崩れ落ちてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「……殿下の方こそ、自分を偽るのはお止めになったらどうですか?」
悔しいから、わたしは話の矛先を殿下に向けた。殿下はわたしのことを真っ直ぐに見つめながら、ゆっくりと目を伏せる。何気ない仕草。何となく胸がドキドキした。
「皆をガッカリさせちまうからなぁ……無理だろうなぁ」
殿下はそう言って、困ったように笑う。それが今にも泣き出しそうな表情に見えて、わたしは思わず手を伸ばした。だけど、殿下の頬は別に濡れてなんかなくって。なのに、なんとなく離れがたくて。わたしはそっと目を瞑った。
「わたしは、本当の殿下も魅力的だと思いますけど」
口を衝いて出た言葉に、自分でも驚く。多分これは、わたしの紛れもない本心だ。殿下のことをそんな風に思っているなんて、知らなかった。
(何言ってるんだろ、わたし)
唐突にものすごく恥ずかしくなって、身体がすんごく熱くなって、思わず殿下から顔を逸らす。
『やっぱ今の無し!』って言いたい所だけど、さっきのセリフには嘘偽りは一つもない。はぐらかすことも、否定することもできないまま、わたしは一人、ドキドキと心臓を高鳴らせる。
殿下はわたしの手をそっと握った。温かくて大きくて、ゴツゴツした手のひらに、心臓が小さく高鳴る。外側から見たら造り物みたいに綺麗で完璧なのに、実は内側に握りだこがあるところとか、殿下自身にそっくりだ。
彼の内側に触れてしまった―――――そんな風に思えてきて、何だか心がゾワゾワする。
「――――ありがとな」
殿下はそう言って、わたしの手のひらに口づけた。
心臓が馬鹿になったみたいに早く鳴り響く。だけど、自分を偽るのは得意だもの。何てことない振りをしながら、わたしは静かにため息を吐いた。