逢瀬
この季節のうだるような暑さは日が落ちるまでしつこくつづく。
そしてそれは燃えるような暑苦しい夕日を置土産にして、僕の表面をさらに抜かりなく焼いた。じりじり、ひりひり。
やがてだるい熱を帯びた夜が訪れて雲生み出し、僕と女神やギリシアの英雄たちとの逢瀬を阻む。
その淀む空にはあのばかでかい金魚だけが、揺蕩いながら飛び出した双眸でこちらを阿呆のように見下ろしている。
別に僕はお前に会いたいわけじゃない。まったく腹立たしい。そもそも夜空が少しも見えないのは曇っているからではなくお前のせいだ。
なんと憎たらしい夜。なんと憎たらしい空。なんと憎たらしい季節。否、いちばん憎たらしいのはあのクソ金魚である。(失敬、少々口が悪くなった)
あの金魚たちは夏になると我が国の津々浦々に現れ好き勝手徘徊する。大都市ほどの土地をまるまるひとつ覆うほど大きいのだが、建造物スレスレを浮かんで彷徨うだけで何もしない。とぼけた顔にまばたきひとつしないギョロ目玉をつけたその姿は本当に気味が悪い。何もできないくせに、僕を無性にいらつかせる特技だけはお持ちのようだ。
2年前の8月、突如どこからともなく湧いてきたそいつらは当時我が国を混乱に陥れた。各界隈の有象無象どもは口々に無責任な噂を拡散した。やれ終末だ、やれ侵略だ、やれ陰謀だ、等々。その不安は国中を駆け巡った。政府もその不安に駆られるようにして調査をしてみると、さらに不可解なことが分かった。あいつらには物理的な体が無かったのだ。はっきり見えるというのに、幽霊のように全てをすり抜ける。すいすい、するする。
よって今の技術力ではあの金魚たちをどうすることもできない、と結論付けられた。ただただ見守るのみ。何もしてこないのだから放っておいても問題ないだろう、と。そんな物に予算を使う余地などない、と数多の謎を抱えたばかでかい金魚たちは建前として設置された監視委員会を残して国から見放された。我々国民と同じように。かわいそうに。
そして秋になるといつの間にか姿を消す。不思議なことに誰一人として、姿を現すところも、いなくなるところも見たことがないのだという。カメラや観察員を配置しても、その瞬間を捉えることは未だできていない。当然僕も見たことがない。気づいたら、いる。気づいたら、いない。そんな感じだ。
何が目的なのか、なぜ現れたのか、魚とはいえど知能や意思はあるのか、あるとしたら何を考えているのか。なにもわからないままだ。
まあ僕からすれば、今僕の頭上をボケボケと空に浮かぶあいつに知性などあったらたまったものではないが。
そんなことをごちゃごちゃと考えていると、待ち望んでいた声が聞こえてきた。
「ヨッ。今日も気難しい顔してるねきみは」
開口一番失礼極まりない挨拶を馴れ馴れしくかましながら、どこからともなくヒョッコリと洒落た浴衣の枯れ男が現れる。
「ええ、ええ、こんばんは師匠」
他の者なら蹴り飛ばし挨拶どころか別れの言葉を述べるところだが、この人ならしょうがない。何だか癇に障るところは適当に流し、僕は師匠に礼儀正しく挨拶した。