前編
朝の起き抜けに振ってきたお話です。最初はまともです、最初は…。
(11月25日・一部設定変更による直しを入れ忘れた部分があったのでその箇所だけ改文しております)
貴族が必ず通う学園のカフェテリア。
そこで信じられない光景を見てしまい、クリスタは頭を殴られたような衝撃を受けた。咄嗟に建物の影に身を潜め、壁に手を付いてよろけそうな身体を支える。
(でん、か……?)
席に座る一組のカップル。
美しいプラチナブロンド、凛々しく美しい横顔はわたくしの婚約者のリドリー殿下に他ならない。
でも、どうして殿下が他の女性とお茶をしているの?それもわたくしの次に王太子妃に相応しいとされた伯爵令嬢と…。
どうして。何故。
(……殿下と、オードリー伯爵令嬢が……一緒に……っ)
リドリー殿下は太陽のように輝く容姿をお持ちなだけではなく、聡明で、身体だって騎士団で鍛えていらっしゃる。そんな雄々しく麗しい殿下と、明るく可愛らしい、春の女神のような緑の瞳のオードリー伯爵令嬢。
…まるで物語に出て来る騎士と姫のよう。ああ、なんてお似合いなの。
わたくしにしか向けられた事のない、リドリー殿下の蕩けるような優しい微笑みがオードリー伯爵令嬢に向けられていて、ジワリと溢れてきた涙を必死になって堪えた。
鮮明に思い出されるのは、先日の大臣様とした会話……。
『クリスタ様。どうか殿下との婚約を解消していただけませんか?』
『な、何を…っ どうしてです!?大臣様にとって一番良い婚約者は協力関係にある侯爵家、わたくしだったではありませんか!』
『理由はクリスタ様、貴女が一番理解しておいでなのでは?』
『───!! で、ですが、殿下は気にしていないと…っ』
『既に王宮では婚約を解消すべきという意見でまとまりつつあります。それに殿下が婚約破棄、と仰られてからでは遅いのです。既に新しく婚約者候補に決まった令嬢が殿下に接触していると報告がありました。』
『そんな……。』
『クリスタ様。貴女は確かに王太子妃に相応しい侯爵令嬢の身分と、何より素晴らしい魔力をお持ちだ。他に追随を許さない魔力量、圧倒的な魔法構築速度、魔法に関する知識も豊富。更には儚く華奢な女神の如き美しさと心をも持っていらっしゃる。ですが……。』
『……。』
『……新しい婚約者候補の令嬢は貴女程ではないにしろ高い魔力を持ち、明るく可愛らしい容姿の、守ってあげたくなるタイプとの事です。貴女はそんな女性に勝てますか?』
『………。』
『…傷は浅い方が良いでしょう。破棄を告げられる前に、円満に婚約を解消するのが一番良いのです。』
『……、少し、考えさせてください。』
わかって、いたの。
わたくしは殿下の婚約者に相応しくない。大臣様の話を聞いてから、このような光景を見る事になるやもしれないと恐れてもいた。王宮の動きは殿下もお聞きになってるでしょうから。
だってわたくしはどうやったって、あんな可愛らしい令嬢には勝てない。わたくしは殿下の事をいつだって傷つけてしまうのだもの。傷つける度にお優しい殿下は許して下さったけど、きっとわたくしはこれから先も殿下を傷つけてしまう。
それにいつか嫌われるかも、愛想を尽かされてしまうかも、とずっと怯えてたわ。それが現実になっただけ。
でも想像していた時よりずっと、心が張り裂けそうで苦しい。まるで息の仕方を忘れてしまったかのよう。
きっとわたくしの心は今、ズタズタに引き裂かれ、赤い血が涙のように滴っているのだろう。
───あぁ、わたくしの心が殿下に見えなくて本当に良かった。
頬を濡らす涙を拭って表情を取り繕えば、未練たらしいわたくしの心を殿下に知られずにすむ。
……わたくしは覚悟を決め、身を潜めた建物の影から殿下達のいる場所まで静かに歩み出した。
「───殿下。」
「クリスタ!」
少し距離を保ったまま声をお掛けすると、ようやくわたくしに気づいた殿下が軽く驚いて立ち上がられる。そのままこちらに歩いてこようとなさるので一歩離れると、わたくしの態度に気づきその場で立ち止まる殿下。
手を伸ばしても届かない距離、それがきっとわたくし達に相応しいんだわ。
「クリスタ?」
「殿下。それにオードリー様、ごきげんよう。お二人でお茶会、ですか?」
礼をして微笑もうとして……悲しみを堪えきれずに少し顔が歪んでしまった。それを見た殿下の顔色がサッと変わる。
「クリスタ、誤解しないで!彼女には先日世話になったから、礼をしていただけだよ。最初はザリウスも居たんだが、急用が出来たとかで席を立ってしまった結果二人になってしまっただけで……。」
「……まぁ。そう、なんですの。」
「誤解させるような真似をしてしまってごめん。配慮が足りなかったね。」
項垂れ謝罪なさる殿下の姿に、しかしわたくしの心が晴れることはない。
幼い頃からずっと一緒でしたが、あんな蕩けるような笑顔をわたくし以外に向けた事はなかったではありませんか。殿下の心はきっともう、わたくしから離れてオードリー伯爵令嬢に向けられているのでしょう。
それにザリウス様。リドリー殿下の側近の彼ならば、わたくしが婚約者失格になった事も、誰が次の婚約者の最有力候補かという事もご存知のはず。
王太子殿下が婚約者以外の女性と二人きりでいれば噂になっても仕方ない。それでもザリウス様が席を外されたという事は、噂になっても構わないという事じゃないかしら。
───やはり、オードリー伯爵令嬢が次の婚約者として最有力なのね。
あぁそれとも。ザリウス様は本当にリドリー殿下想いだから、こんな婚約者よりもよっぽど可愛らしいオードリー伯爵令嬢と結ばれるべきだと、殿下を後押ししているのかしら。
「あの、クリスタ様。」
「…なんでしょう、オードリー様?」
オドオドと殿下の後ろから声をかけてくるオードリー伯爵令嬢。まるで小動物のように怯えている。その手が殿下の服の裾を握っているのが見え、ますます酷くなる胸の痛み。
「私からも申し訳ありません。お慕いする殿下とお話出来る事に舞い上がっておりました。」
「……そう。」
言葉では謝りつつ、むしろ頬を染めて微笑む彼女。わざわざ『お慕いする』などと、遠回しに威嚇されているのかしら。
彼女の言葉に驚き振り返る殿下が、服を掴む手に気づき離すようにと彼女に告げる。でも、と渋る彼女に優しく言い含めて。微笑むオードリー伯爵令嬢と苦笑なさるリドリー殿下は傍から見れば仲睦まじいカップルだ。私は一体どんな顔をして、それを見ていれば良いのだろう。いっそ泣きだしてしまえたら良いのに。
「オードリー嬢、すまない。婚約者殿と話をしたいから、今日はこれで失礼させてもらう。」
「そんな!でも…っ」
「すまない。礼はまた今度、改めてゆっくりしよう。」
「……絶対ですからね?お約束ですよ?」
もうこの場を去ってしまいたい…、と思ってたら、逆に殿下がオードリー伯爵令嬢に別れを告げて驚いてしまう。
良いのですか?…ああ、それとも今はまだ婚約者はわたくしだから、気になさったのかしら。
そうよね、殿下は真面目で誠実なお方だから。想いを寄せる令嬢よりも婚約者を大事になさってもおかしくないわ。
「……さて。ごめんね、クリスタ。」
「いえ…。あの、殿下?」
「なに?」
「少しお時間をいただけますか? ───お願いしたいことがあるのです。」