ヤバい話を持ってきた元補佐
アランにお茶を出し、ついでにステファンさんのカップにもおかわりを注ぐ。
そして私は急いで鳴き叫ぶダイダイのもとへと駆け寄った。
「落ち着くまでちょっと連れていくね」
モニカにそう告げて、ダイダイをひょいと持ち上げる。
『よろしくお願いします』
そう言って他の子の毛づくろいをするモニカの頭を撫でて、私はアランとステファンさんが居るテーブルに戻ってきた。
アランとステファンさんが向かい合うように座っていたので、私はアランの隣に座る。
「紺碧の獅子殿が、まさかクビになっていたとは……」
ほぼほぼ感情を表に出さない鉄仮面野郎だと思っていたはずのアランが、とても落ち込んだ顔をしている。
「俺がクビになったところで、他の二名が居る。何も問題はありませんよ」
落ち込むアランを慰めるように、ステファンさんが声をかけている。
「まぁ……そりゃあ月白の狼殿と紅緋の隼殿も強いのでしょうが……」
なんかまた新しい固有名詞が出てきた。一つも分かんないけど。
なんてことを考えながら、私は手のひらに乗せたダイダイをなでまわす。そしてたまにぷにっぷにの肉球をもみもみしたりする。
ダイダイはそれが気に入ったのか、喉をゴロゴロと鳴らしている。猛烈にかわいい。
「強いだけでなく、王宮のお姫様方も月白と紅緋を大層気に入られているからな」
王宮のお姫様方、というとステファンさんの顔が怖いと言って彼をクビにした元凶たちのことだろう。
「その月白さん? と紅緋さん? ってのは、顔がいいんですか?」
ステファンさんに問いかけると、ステファンさんが答えるよりも先にアランの「は?」という若干キレ気味の声が飛んできた。怖い。
「それはそれは整った顔をしていましたよ。そして月白は魔法剣士、紅緋は魔術師。まぁ王宮のお姫様方どころか王宮に居る女性すべてを虜にしていたほどです」
ステファンさんはそう言って苦笑を零す。
顔が怖いって理由でクビになったってだけでも酷い話なのに、他は顔がいいから今も残ってるって話が追加されてさらに酷い話になった気がする。
ステファンさんには優しくしてあげよう……
「なぜ今わざわざ顔の話を?」
完全に苛立っているアランの言葉が、私のほうへと向かってきた。
そりゃあもちろんステファンさんがクビになった理由が「顔が怖い」だったからと知っているからなのだけど、アランはそれを知らない。
そしてそのことを私の口から言うわけにもいかない。
どうしたもんかと思案していると、ステファンさんが軽く笑いながら言ってしまった。
「顔が怖い、そういう理由でクビになったからですよ。俺が」
そのステファンさんの言葉の衝撃はとても大きなものだったのだろう。
アランが動かなくなった。ピクリともしない。怖い。
無言のアランがとても怖かったので、私はとりあえず適当な話題を探す。
「でも、ステファンさんの顔もカッコイイと思うんですけどね、私は。確かに目つきが少し厳ついのと、その額の傷は……まぁ目立ちますけど」
「カッ……いえ、あの、ありがとうございます」
「背も高いし、鍛え上げられた肉体もとても素敵だと思いますし。あととても優しいし、いい人だし」
その月白だの紅緋だのが人気だったのかもしれないが、ステファンさんの隠れファンもきっといっぱい居たと思う。
他にも褒めるところならたくさんある、そう思っていたところで、アランがやっと動き出した。
「はぁー……」
それはそれは大きなため息だった。
「絶望しました。世の中には、人を見る目のない人間がこんなにも居るものなのかと」
アランの絶望には私も同意出来る。
「そうよねぇ」
「イリスさんももっと絶望すべきでは?」
「してるしてる。でもその人たちのおかげでステファンさんがここに来てくれたわけだし、こちらとしてはそれで助かっている面もあるからね」
そう考えると絶望よりも感謝のほうが強い。
「そうではなく。あなただってその見る目のない人間に捨てられた一人でしょうに」
「うん?」
唐突に自分の話になっていた。
「ケヴィンさんのことです。あの人だって女に唆されてイリスさんを捨てたでしょう」
ケヴィンというのは例のつむじ男のことだ。
だから、雑貨屋ルーチェの社長である。
「女に唆されて、って」
「結婚するからといって、そして相手が貴族だからといって言いなりになって副社長をクビにするなど正気の沙汰ではないでしょう。唆されたか騙されたかしてるはずです」
己の店の社長に対してそこまで言うかね、と私はただ苦笑を零した。
「でも、実際貴族が店に関与することになればそう簡単に潰れることはなくなるし、あいつはそれを選んだだけでしょう。それに私がクビになることに反対する人は誰も居なかったじゃない。だから皆そう思ってたんじゃないの?」
だから、私のクビはあの男が言いなりになったわけではなく、社員全員の総意なのである。
「っていうかアランだって別に引き留めたりしなかったじゃないの」
「俺は社長を見限ってあなたについていくつもりだったんですよ。他の奴らは知りませんけど」
「へぇ」
それは知らなかったな。そんなこと言われたことなかったし、そもそも感情を表に出さない奴だったからそんな顔すらしてなかったし。
「それなのにあなたが俺を給料の運び屋に指名するから」
「あら、辞めるに辞められなくなったわけね。ごめんね。でも他の人に頼みたくなかったし」
誰も引き留めてくれなかったから、正直誰を信頼したらいいのかも分からなかったのだ。
「まぁ、こんな役目他の奴には務まらないと思うので、俺も辞めずに引き受けたんですけどね」
「ありがと。まぁ過去のことなんてどうでもいいじゃない。ステファンさんに聞かせるような話じゃないわ」
ね、とステファンさんのほうを見ると、彼はなぜだか首を横に振った。
「ざっくりとした話はイリスさんに聞きましたが、前々から疑問だったんです。こんなに素直で可愛らしい人をなぜそう簡単にクビにしたのか」
「だから単にあの男の結婚相手の女が私に嫉妬して追い出したってだけですよ。ねぇダイダイ。こんな話ダイダイちゃんに聞かせる話でもないよねぇ。っていうか素直で可愛いとか関係なくない?」
「ンニィ……」
相変わらず私の手の中でゴロゴロ言っているダイダイをわしゃわしゃとなでる。
かわいい。上から見ても横から見てもどこから見てもかわいい。
「可愛らしい人だったからこそ辞めさせられたんですよ、紺碧の獅子殿」
「その名はもう使わないのでステファンでお願いしたい」
「……いいのですか?」
「もちろん」
「す……ステファン様」
「様?」
「いえ、俺はその、以前から紺碧の獅子殿に憧れていたもので、まさか名前を呼ばせていただける日がくるとは……」
「はは、ありがとう。しかし様を付けられるとむず痒いので」
「では、ステファンさん」
そんな会話を交わしているアランの表情が緊張と高揚の色を見せている。
鉄仮面はどこに行ってしまったのやら。
「それで、イリスさんが可愛らしかったから辞めさせられた、とは?」
「おそらく嫉妬でしょう。ケヴィンさんを取られたくない、という。しかしまぁ、あの女は異様にイリスさんを恐れていましたね。社長と副社長はそのうち結婚するのだという周囲の噂もあったから、最初はその噂を聞いて嫉妬していたのだと思っていたけれど、まさか店から追い出すとは」
心配しなくても私はケヴィンのことなんか一切好きじゃなかったんだけどな。
好きじゃないどころか「あいつの魔法めっちゃ便利じゃん利用しよ」くらいにしか考えてなかったのに。
「っていうかそんな噂あったんだ。私とあの男が結婚する?」
「イリスさんが誰の誘いにも乗らないからでしょう」
「えぇ? 誘われた記憶ないけど?」
なにを言ってるのアラン、と呟けば、アランは堰を切ったようにしゃべりだした。
店の従業員だとか取引先の人だとか、何人もの男が私をそういう目で見ていたのだ、と。
「全然気付かなかった。え、私まさか超鈍感なの? いやでもダイダイが私のこと猛烈に好きなのは普通に気付いてるからそこまで鈍感じゃなくない?」
「……いや、猫とその辺の男とを比べられると、なんとも言えないんですが、でもイリスさんに近付く男はその猫ほど直球ではありませんでした。それで、それをいち早く察知したケヴィンさんがその男たちをイリスさんから遠ざけていたので、まぁイリスさんが気付かなくても不思議ではなかったかもしれません。多少は鈍感ですけど」
長々としゃべったけど結局鈍感って言ったじゃん。失礼な。
「いやなんでケヴィンが遠ざけたの」
「イリスさんに退社されたくなかったからじゃないですか? 結婚を機に退社とか、妊娠を機に退社とか、ないこともないですしね」
なるほどな。おそらくケヴィンも私のこと「こいつのデザインめっちゃ売れるな、利用しよ」くらいにしか考えてなかっただろうから、私を退社させるわけにはいかなかったのかもしれない。それなら納得だ。
「イリスさんを辞めさせたくなかった奴が、自分の都合で結局辞めさせるとは、なかなか滑稽な話ですね」
と、ステファンさんが呟いた。
確かに、おかしな話である。
「はい。だから俺は、ケヴィンさんはあの女に洗脳でもされたんじゃないのかって思ってます」
「なに洗脳? 怖い話?」
あの女、ヤバい女なのでは?
「嫉妬は人を狂わせる、まぁ怖い話ではありますね」
辞めさせられる時、ふざけるなと思ったけれど、結局あんなところ辞めといてよかったのかもしれない。
ルーチェに愛着がないわけではないけれど、嫉妬に狂った女が側に居る状態で店に居続けたいと思うほどではないから。
「そのケヴィンという人のお相手は、この場所を知っているのですか?」
ステファンさんが、厳つい目に鋭い光を宿しながらアランにそう尋ねている。
「知らないはずです。しかし、いつ嗅ぎつけるかは分かりません。嫉妬に狂った女の執念を甘く見ないほうがいいかもしれない」
「えええ嗅ぎつかれないように気を付けてねアラン。私はともかく、この家には大事な大事なかわいい猫ちゃんたちが住んでるんだから」
猫ちゃんたちに何かあったらと思うと怖くてたまらない、そう思いながらダイダイ以外の皆が居るであろう箱のほうへと視線を向けると、サリー、ボニー、モニカの可愛い両耳がひょこりと覗いていた。
あの三匹、こちらの話を聞いているらしい。
「イリスさんと猫たちは、俺が守りましょう」
「ステファンさんが?」
「クビになったとはいえ前職は騎士です。護衛なら朝飯前だ」
紺碧の獅子殿に護衛をしていただけるなんて羨ましい、とアランが零していた。
「……ところでイリスさん、イリスさんって今おいくつなんですか?」
「18ですよ。言ってませんでしたっけ?」
「聞いてませんでしたね。てっきり俺と同じくらいかと思っていました」
「え、ステファンさんっておいくつなんですか?」
「24です」
「それって、私のこと老け顔だと」
「違います! あの雑貨屋のデザイナー兼副社長だというししっかりしているから!」
老け顔じゃないなら良かった。と安堵していると、アランが「二人ともお互いの年齢も知らなかったんですか?」と驚いていた。
そういえばここに来てから猫中心の生活だったから私もステファンさんもお互い軽すぎるほどの自己紹介しかしなかったもんな。
「ろくに何も知らないような人とよく一緒に居ましたねイリスさん。警戒心って知ってますか?」
「知ってる。一応。いやでも私たちだって色々あったから仕方ないのよ」
猫の出産とか!
「ふぅん。じゃあ、俺はこれで。また来ます」
「はいはい。じゃあまた来月ね」
アランにそう声をかけたところで、箱のほうから控え目に私を呼ぶ声がした。
おそらく母猫たちがお腹を空かせているのだろう。
私はアランの見送りもそこそこに、猫たちのごはんの用意を始めたのだった。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「ステファンさん、イリスさんは天然の人たらしなのであまり近付きすぎると後で苦労しますよ」
「そう、ですか。……いや、俺は」
「あの人はどんな口説き文句も軽く躱してしまうので、落とそうとするのもそれはそれで苦労します」
「いや、俺は」
「あの美しい金髪を褒めようと、珍しい黒曜石のような瞳を褒めようと、一切靡きません」
「いや、だから俺は」
「頑張ってくださいね」
「はい。いや、えぇ……」
ブクマ、評価、拍手等ありがとうございます。
そして読んでくださってありがとうございます!
拍手の一言コメントを使ってくださる方が多くて、こんなに読んでくれる人が居るんだなと励みになります。
来週はもっと猫ちゃんの出番を増やしますね。