不安と緊張と心細さを感じた私
「しかしイリスさん、本当に俺でいいのでしょうか? そもそも俺とあなたは知り合ったばかりで……」
「い、いや、確かに私もそう思いますよ。出会ったばかりの人と唐突にカフェを開くなんてやっぱ無理があるかなって」
「ですよね」
「ただ、まぁその話は追々詰めていくとして、たった今どうしても手伝っていただきたいことが出来まして」
「え、たった今、え、ど、あの、俺に手伝えることなら手伝いますが……?」
「お願いします。頼れる人はあなたしかいないんですステファンさん!」
「は、はい! ええと、何を手伝えばいいのでしょう?」
「出産準備です!」
「え?」
ステファンさんは一度私の腹部を見て、もう一度「え?」と呟いて私の顔を見て、さらにもう一度私の腹部に視線を移して「え?」と呟く。
見事な二度見だった。
「いや私じゃないです。この三匹の出産準備です」
「で、ですよね、そんな平たい腹の中に子どもがいるはずがなかっ……三匹の!?」
驚きが遅れてやってきたようだ。
「なにやら三匹とも妊娠中だったようで。とりあえず私は猫の出産について何も分からないので本屋に行ってみます」
「え、あ、じゃあ俺も」
というわけで、三匹には好きに寛いでいてもらうことにして、私たちは本屋へと急いだ。
「もうそれっぽい本を手当たり次第買おうかな……」
「手当たり次第って。とりあえず一番分かりやすそうな本にしましょう」
この男、冷静である。
っていうか単に私が軽くパニックなだけなんだけども。
「分かりやすそうな本……うーん」
そう呟きながら、そこにある猫に関する書物を手に取りながら中身をぱらぱらと確認する。
日本にあった本と違って写真だのカラーイラストだのは載っていないので私が見るとどれも分かりにくいものに見えてしまう。
「……庶民向けの本は色も絵も少ないんだな」
ステファンさんがぽつりと零した。
どうやら王家周辺にはカラー印刷が出来る技術があるらしい。
そもそも魔法がある世界なわけだから動く写真とかあってもおかしくなさそうだよな。
「とりあえずこの猫の出産についての準備と注意って本を買おうと思います。あと子猫の育て方」
「はい。荷物は俺が持ちます」
「いえ、本は私が持ちます。とりあえず箱を用意したほうがいいみたいなのでそっちをお願いできますか?」
「分かりました」
ふと見上げると、ステファンさんがとても真剣な眼差しで頷いていた。
ちょっと前まで見ず知らずだったような奴が飼ってる猫の出産準備にこんなにも真剣に付き合ってくれるとは、本当に優しい人なんだな。
これが神の使いに「いい人」認定をされた人間か。
顔は厳ついけど。……顔面で損するタイプなんだなぁ。
「イリスさん、どうかしました?」
「……いえ、ステファンさんのこと顔が怖いって言って辞めさせた人は見る目がないなって思ってただけです」
「え?」
「だってちょっと前まで見ず知らずだった私と三匹の猫ちゃんのためにこんなに手伝ってくれるなんて、心底優しい人でしょ」
くすくすと笑えば、ステファンさんは頭をがしがしとかきながら唇を尖らせる。どうやら私の言葉がお気に召さなかったらしい。
「別に、俺は優しい人じゃないと思います。ただ、こうして手伝っているのは……あなただったからです」
「うん?」
私だったから、ってことは他の人だったら手伝ってなかったってことか。
私で良かったな? ……うん?
「……や、違、あの、なんというか、イリスさんの話術、っていうかうまいこと乗せられたというか」
なるほど、要するに私の口車に乗せられたわけだな。
この人元々幼い頃からいろんなことに巻き込まれてたっぽいし、今回も見事に巻き込まれたってことだな。
この人巻き込まれ体質なんじゃないの?
「なんかすみません」
「いえ、でも手伝うと決めたのは俺なので俺は出来る限り手伝いたいと思います」
「ありがとうございます。カフェの件はともかくとして、三匹の出産までは手伝ってもらえると助かります。初めてだし不安だし心細いので」
「はい!」
ステファンさんは頑張ります、と握り拳を作っていた。なんとも強そうな握り拳である。
そんな会話をしつつ、いわゆる動物病院の前を通りかかったので一度猫ちゃんたちを連れてくるべきかと尋ねてみた。
すると猫の様子に異常がないようなら連れてくる必要はないらしい。
生まれてきた子猫が息をしていないとか、とにかく明らかに正常ではないと思った場合は連れてきてください、とのことだった。
日本とは違って検診という概念ごとなさそうだな。
「不安になってきた……」
私がそう呟くと、ステファンさんが私の手から出産準備の本を取ってぱらぱらとめくり始めた。
「猫はわりと安産だそうですし、きっと大丈夫ですよ。それに、病院に連れていかなくていいほうが安心かもしれません」
「安心?」
「あの三匹が神の使いだと気付かれるきっかけは少ないほうがいい」
「……なるほど」
獣医ともなると色んな動物と接しているだろうし、神の使いだと勘付かれる可能性もあるかもしれない。
そしてステファンさん的には猫の出産よりも竜の谷送りのほうが恐ろしいことなのだろうな。
「猫は暗くて静かなところで出産させてあげるといいんですね。箱に布を敷いて、そこで産んでもらうのか」
「はい。なので箱を調達するわけです」
「なるほど。あとは清潔な布と糸とハサミだそうです」
「それはうちにあるので大丈夫です」
母猫が育児放棄だったり疲労だったりで世話をしないような状況に陥った場合は飼い主が清潔な布で包んで羊膜を破り糸で止血をしてへその緒を切るらしい。
まぁあの三匹の猫ちゃんの場合言葉が通じるから育児放棄をすることはないだろうけど万が一難産で疲労困憊なんてことになったら私がやらなければならないのだ。
緊張する。ただただ緊張する。
「……もう今から緊張してきました」
「え、大丈夫ですか? あの、俺も初心者ですが精一杯手伝いますので」
「ありがとうございます。ステファンさんが居てくれて本当に良かった。考えてみれば店をクビになって、あの店の二号店にするはずだったってだけの縁もゆかりもない土地に一人きりなんですよね、私。私が辞めるって言ったときに引き留めてくれる従業員も居なかったから、本当に、誰一人頼れる人が居ない……」
言ってて虚しくなると同時に驚いた。いやびっくりするほど頼る人が居ない。
お隣さんたちもまだ挨拶をした程度で仲良くはないし。
「失礼ですがイリスさん、ご両親やご兄弟は?」
「両親なら遠く離れた田舎で畑仕事してますよ。私は田舎での貧乏生活が嫌でそこを飛び出して雑貨屋を始めたので。兄弟は弟が二人」
「遠く離れた田舎」
「片道、まぁ三日はかかりますね。天候次第じゃもっとかかるくらい」
私としては両親をこっちに呼ぶつもりだったのだが二人とも田舎で畑仕事をするのが性に合っているとかで来てくれなかったのだ。
弟たちもおそらく田舎に居るのだろう。今なにしてるのかよくわかんないけど。
「じゃあ家族も頼れないのですね」
「そうですね。考えてみれば従業員には囲まれてましたが、友達もあんまりいないんですよね私」
「そう、なんですか」
ちょっと引かれた気がしてならない。
そもそも貧乏を憎んでいた私は昔から金を稼ぐことしか考えていなかったのだ。
何が金になるか分からないからといって調理や製菓、服飾関係や美容関係の勉強を必死でやっていた。
だから友達を作っている暇がなかった、というか勉強に追われて付き合いが悪くなって友達を失っていったと言ったほうが正しいのか。
「そう。だからこそ私を頼ってきてくれたあの猫ちゃんたちは大切にしたいんですよね。完全に一人ぼっちになるはずだった私のところに来てくれたあのこたちだけは守りたいなって」
「そうですか」
「ステファンさんと知り合えたのもあの猫ちゃんたちのおかげですし」
「そうですか?」
「ステファンさんのことを初めて見たのはステファンさんがあの窓から猫団子を覗いてるとこでしたし」
私がそう言うと、ステファンさんは小さな声で「あ」と呟いて、照れたのかほんの少しだけ頬を赤くした。
「ステファンさんのあの姿を見たからこそ猫好きなんだろうなって思ったし、荷物持ちますって言われた時にじゃあ頼もうかなって思ったんですよね」
「……なるほど」
「あの姿を見てなかったらきっと自分で持てるので大丈夫ですって言って逃げてたと思います」
見ず知らずの大男で、しかも怖い顔してるわけだから、普通に逃げてたに違いない。
「ですよね」
というステファンさんの言葉に、私たちはくすくすと笑い合ったのだった。
手頃な箱を探し求めてしばらくさまよったが、無事入手することが出来たので、私たちは急いで家に戻る。
すると三匹がお出迎えをしてくれた。かわいい。
『おかえりなさい!』
「ただいま! とりあえず箱を用意するから皆が落ち着けそうな場所を教えてもらってもいい?」
私がそう声をかけると、三匹はどこにしようかな、と歩き回り始める。
『イリスさん、ここにします!』
サリーが座ったのは、キャットタワーの側の壁際だった。
「わかった、じゃあそこに箱を設置しまーす。ステファンさん、よろしくお願いします」
「はい」
ステファンさんが持っていた箱を床に置いていると、三匹が彼の背後から声をかけている。
『ごくろうさまです』
『ありがとうございます』
『とてもいい箱ですね』
と、ステファンさんに聞こえていないのが残念なくらい律儀に。かわいい。本当にかわいい。
「三つ並べましたが大丈夫ですか?」
箱を並べたステファンさんがくるりと振り返って私を見ながらそう言った。
「大丈夫だと思います。三匹ともお気に召したみたいです」
「それは良かった」
なんて会話をしていたところ、三匹が同時に同じ箱に入っていった。
「いや三匹同じ箱に入ったらみっちりなっちゃうじゃん」
生まれた子猫が圧死するやつじゃん。
っていうかまず生むことも出来んわ。
『いつもの癖で』
と、ボニーが照れ笑いを零した。とんでもなくかわいい。
三匹は大体いつも一緒に猫団子を作っているのでその癖で同じ箱に入っていったらしい。
今は誰がどの箱に入るか話し合っている。
その話し合いが終わる頃には、外は暗くなり始めていた。
「じゃあ、俺は一度帰ります。俺が今泊っている宿の住所を書いておくので何かあったらそこに来てください」
「はい。付き合わせてしまってすみませんでした」
「いえいえ」
ステファンさんは住所メモを置いて帰っていった。
『いい人です』
というモニカの言葉に、私は微笑みながら頷いて見せた。
それから数日後、三匹揃って出産の兆候が表れた。
もう夕方だし生まれるのは夜になるかもしれないが、ステファンさんを呼んでもいいだろうかと悩む。
しかし一匹ずつならともかく三匹とも同じタイミングで生まれそうになっている。
どう考えても私一人では厳しい。
「ちょっとステファンさんを呼びに行ってくる」
私がそう言ったのとほぼ同じタイミングで、外から私を呼ぶ声がした。
ステファンさんだ。
「近くを通りかかったので様子を見に来たんですが」
「丁度良かった! 呼びに行こうと思ってたんです! 生まれます!」
「え!?」
ステファンさんを連れて箱の前に戻ると、三匹とも苦しそうに息をしている。
陣痛が始まっているのだろう。
あまり手は出さないほうがいいみたいだし近すぎない場所で見守ろう。
「皆、私はずっとそばにいるから、頑張ってね。手を貸してほしいことがあったら遠慮なく言ってね」
そう言うと、箱の中から『はい』という三つの小さな声が聞こえてくる。
『イリスさんイリスさん、手を貸してください』
モニカの声だ。何かあったのだろうかと緊張しながら近寄る。
「どうしたの? 何をすればいい?」
『なでなでしてください』
まさかの手を貸す(物理)だった。
「え、いいの?」
『お願いします、なでなで』
分かった分かったと、モニカを撫でていると、隣の箱からボニーの声がする。
『モニカだけずるいです』
なでられたいらしい。
「順番になでるから皆はとりあえず出産に集中して……!」
三匹を順番になでている様子を見ていたステファンさんがくすりと笑っている。
「イリスさんも頑張れ」
「頑張るぅ……」
私たちの戦いは、それから数時間続いたのだった。
ブクマ、評価、拍手等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださってありがとうございます!
次回は子猫が増えてもふもふパラダイス状態がより一層進みます。




