アイナに懐いた猫たち
「結婚しなきゃならない、ってどういうこと?」
「どういうこともなにも、そういうことよ。決められているの。強い力を未来に継承していくために私と勇者は……」
政略結婚、みたいなものなのだろう。
「そういう事情があるわけね……」
「うん。だから、新しく来る勇者のお供が女だったら嫌。もしも勇者がその女を好きになったとしても、結婚するのは私だし……その女が勇者を好きになったりしたら……」
面倒臭いことが起きそうでしかない。
とはいえ、逆に男が来たとして、アイナがその男を好きになったらどうするんだろう?
そこまで考えていないということは、アイナは勇者のことが好きだったり?
「……アイナは、勇者のこと好きなの?」
私がそう問いかけるも、アイナは口を噤んだまま自分のつま先あたりを眺めている。
「もしかして別に好きじゃないの?」
「……イリスは、紺碧の獅子のこと好きなの?」
「紺碧の獅子とはお知り合いじゃないので、ちょっと、なんとも」
「あの男、あなたが一緒に働いているあの男のこと、好き?」
「あぁ、ステファンさんのことなら……まぁ、好」
「好きってなに?」
っていうかまだ好きとは言ってないじゃん。食い気味で質問してくるから全部言わせてもらえてないじゃん。
まぁ好きなんだけれども。
「……なんだろう」
難しいな。
『僕はイリスのこと好き!』
私も好き! 簡単だな!
いや、違うんだよ。
「あの男は、イリスのこと好きなの?」
「え? いや、それは知らない」
「好きじゃないの?」
「知らない」
「えぇ? 好きなんじゃないの?」
「いや、知、知らないよ……」
そんな迫られたってステファンさんの気持ちなんか私は知らないよ。
嫌われてる感じはないけど。一応。
「イリスの言う好きって、恋?」
「え、うーん……多分。改めて聞かれるとちょっと自信が……」
「恋って、難しいのね?」
「うん、そうだね」
私が頷くと、アイナは腕組みをしてうーんと何かを考え込み始めた。
「アイナ、恋したことないの?」
「当り前じゃない! だって私、今まで皆に気味悪がられてたのよ?」
そうだったわ。酷いことを聞いてしまったかもしれない。
「なんかごめん。でも、その、実は私もこれが初めてで」
「え!?」
「よく考えたら、昔はお金を稼ぐことと勉強のことしか考えてなくて……いや、勉強だって金になりそうなことの勉強しかしてないから、とりあえず金の事しか考えてなくて」
私がそう言うと、アイナは唖然とした顔で私を見詰めていた。
これは、おそらく引かれたのだろう。自分でもちょっと引くもの。
「お、お金……」
「私、すごい貧乏だったのよ」
だから、これが推定初恋なのである。
私たちはお互いの恋愛偏差値の低さにしばし頭を抱えたのだった。
そんな時、ある男の声がした。
「イリスさん? なにしてるんですか?」
「アラン!」
もしかしたら、救世主なのではないか! そう思った私は勢いよく顔を上げる。
するとアランはビビってちょっとだけ後ずさった。
「ねぇアラン、あなた恋したことある!?」
私は後ずさったアランに構うことなく距離を詰め、逃げられないようにがっしりと腕を掴みながら出来るだけ声を潜めて、そう尋ねた。
「こ、え、なんですか突然」
「いや、今ちょっとそんな感じの話をしてて」
「恋……?」
私もアイナも猛烈に恋愛偏差値が低いので、アランだけでもなんらかの経験者であってほしい!
まぁルーチェで働いていた時、アランに恋人がいるなんて話聞いたこともなかったけれど、私が知らないだけでもしかしたら――
「イリスさん、ダイダイ様がご乱心……で」
店内にいたはずのステファンさんの声がした。
ダイダイちゃんが限界を迎えたらしい。
「あ、えっと、はい。すぐ戻るー」
そう答えると、ステファンさんは返事もそこそこに店内へと戻っていく。
「えーっと?」
と、アランが首を傾げる。
「ダイダイちゃんのためにも戻らないと」
「恋の話ってやつは?」
そんなアランの問いかけに、私もアイナも一度顔を見合わせてからふるりと首を横に振る。
「今日のところは、もういいわ」
「え、もういい?」
不思議そうな顔をするアランを見て、アイナが私にぐいぐいと近付いてくる。
「この話、あの人には聞かせられないものね。恋に疎い私でも分かるわ」
と、耳打ちされた。
「聞かれたくはないね、一応」
聞かれたら、私がステファンさんのことを好きだって本人に知られてしまうことになるから。
告白する前からバレて避けられたりしたら目も当てられない。フラれるより辛い。
「とりあえず鉱馬くんは、ここに繋いでおいて大丈夫かな?」
『大丈夫だよ。僕待てる』
お利口さんだな。
「落ち着いているみたいだし大丈夫じゃないかしら?」
アイナの言葉を聞いた鉱馬は、ぶるると鼻を鳴らした。
「じゃあちょっと待っててね。まぁ現時点で結構待たされてるし話もすぐ終わるでしょ」
私はそう言いながら、一歩踏み出した。
「さっきの話、なんの話だったかくらいは教えてくれないんですか?」
「いやぁ、女同士の秘密だから」
「俺のこと巻き込もうとしたのはそっちでは」
「ははは」
なんて軽口を叩き合っていると、アイナがくいくいと私の袖を引っ張った。
「今度機会があったら、話だけは聞いてみたい」
「うん、わかった」
私たちよりも恋愛偏差値が高かったら相談しなきゃならないもんね。
「ところでイリスさん、彼女は」
「あぁ、この子は魔女のアイナ。私の友達」
私がそう言うと、アイナはちょっぴり照れ臭そうに笑う。
「新聞でお見かけした気がするんですが?」
「有名人だもんねアイナ」
「まぁね」
「その有名人がなぜここに……?」
「鉱馬が暴走して連れてきたから」
端的に答えると、アランの眉間に深い皺が寄った。意味が分からなかったのだろう。
鉱馬の暴走って言われてもって話だよな。
「そもそもイリスさんに友人なんていましたっけ」
「失礼な」
その疑問のせいで眉間に皺を寄せていたのかお前は。
店内に戻ると、ダイダイちゃんの悲し気な鳴き声が聞こえてきた。
「ごめんねダイダイちゃん」
「にゃーん」
猫脱出防止ゲートを開けた瞬間、ダイダイちゃんが駆け寄ってきた。かわいい。
そして後ろ足で立ち上がったダイダイちゃんは私の膝あたりを目掛けて、前足を伸ばしてくる。
抱き上げてほしい時の仕草である。
よいしょ、と抱き上げれば、ダイダイちゃんはそのまま私の肩に登っていく。
肩に登ればちょっとやそっとじゃ降ろされないと学習しているから。
「随分懐いているのね、その猫」
「うん。ダイダイちゃんは私のこと大好きなのよ。ね?」
「ンー」
お返事も出来る。天才。
そんなやりとりをしていると、母猫たちがアイナの周囲を囲み始める。
『イリスさんのお友達ということは私たちのお友達でもあります』
と、サリーが言っている。
『猫のこと、嫌いじゃないといいのですが』
「アイナ、猫は大丈夫?」
ボニーが不安そうだったので、私が代理で尋ねると、軽く硬直していたアイナがこくりと頷いている。
「大丈夫、だけど、猫のほうは大丈夫なのかしら? 私、小さな動物と接するのはほぼ初めてなの」
鉱馬相手にはそうビビったりしていなかったのに猫にはビビるのかと思っていたが、小さな動物の中にはアイナの魔力に驚いて逃げ惑う子もいるらしい。
「猫たちは皆大丈夫だと思う。アイナに興味津々みたいだし。嫌な人が来たら勝手に逃げるよ」
「そ、そう」
「ソファに座ってみたらどう? あんな感じになるけど」
ソファのほうへと視線を移せば、そこには白い子猫二匹に膝を乗っ取られたアランの姿があった。
アランは疲れていたようで、さっさと座っていたのだ。
「す、座ってみるわ」
アイナはそう言って恐る恐るアランの隣に腰を下ろした。
そんなアイナに続くように母猫たち三匹がソファに飛び乗る。
まずは匂いを嗅いであれこれと確認をするつもりらしい。
『いい人ですね』
『いい人です』
ボニーとモニカがいい人認定をしている。サリーはアイナにすりすりしてひとしきり自分の匂いを付けてからアランのほうへと向かって行っていた。アランの誘惑には勝てなかったらしい。
『アランさんアランさん』
「おぉ、よしよし」
サリーの頭突きにアランがほんのりと笑う。
「そ、そんなに強くなでて大丈夫なの……?」
「わりと大丈夫ですよ。さっきイリスさんが言ってましたが嫌なら猫のほうから逃げますし」
アイナとアランが会話を交わしている。
猫の扱い方はアランが説明してくれそうだし、私は夕飯の準備でもしようかな。
とりあえず、今いる人数分。
「あの、えーっと、勇者さん?」
「あ、はい」
「もうこんな時間ですし夕飯食べていきます?」
「いいんですか?」
「こちらは別に大丈夫ですよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
というわけで、急遽五人分の夕飯を準備することになった。
「……イリスさん、手伝うよ」
「ありがとう、ステファンさん」
私は声をかけてくれたステファンさんを伴ってキッチンへと入る。
「丁度煮込み料理用意してたし人数分用意できそうだし良かったー」
あはは、なんて笑ってみるも、ステファンさんは無言のままだった。
……なんだろう、いつもなら愛想笑いくらいしてくれるのに。
もしかしてさっきの会話聞かれてたり?
私がステファンさんのこと好きだと思ってること聞いちゃって迷惑だなとか思われてたり?
でもその話してたのってステファンさんがひょっこり現れる結構前だったし、聞かれてはいないと思うけど……。
「んにゃーーん」
「ひょあぁ!」
猫の鳴き声とアイナの驚きの声が同じタイミングで聞こえてきた。
とても微笑ましい。
「……あの二人、仲良さそうだね」
ステファンさんが唐突に口を開いた。
彼の視線がアランとアイナのほうを向いていたのであの二人というのはアランとアイナのことだろう。
「そうだね」
「……イリスさん、大丈夫?」
「え、何が?」
「あ……、いや」
「あぁ、アイナのこと? 外で待たされてる間に意気投合しちゃったからもう友達よ。全然大丈夫」
「そ、そう」
ステファンさんはそう呟きながら、小さく苦笑を零していた。
良かった、笑ってくれて。
「ステファンさんは大丈夫だった?」
「え、何が?」
「勇者との話、長かったみたいだけど」
「あぁ、話自体はそう長くなかったよ。進まなかっただけで。な、ダイダイ様」
ダイダイちゃんが邪魔をしたらしい。
「ダイダイちゃん邪魔しちゃったの?」
「……」
ダイダイちゃんは何も言わず、私の耳の匂いを嗅いでいる。くすぐったい。
「ダイダイちゃんかわいいの?」
「ンー」
そうねーかわいいねー。
「なに、なに!? 変な音がするわ!」
突然アイナの軽くビビった声がする。
「それは喉を鳴らしている音です。おそらくあなたの膝の上がとても気に入ったんでしょう」
「ほ、ほんとう?」
「はい」
アランがドヤ顔でアイナに説明している。こないだまで接し方も知らなかったくせにな、あいつ。
「かわいいでしょう、猫」
「とってもかわいいわ!」
まぁ、アイナが猫たちを気に入ってくれたみたいだし、猫たちもアイナを気に入ってくれたみたいだし、良かった良かった。
「夕飯出来たよー。猫ちゃんたちもごはんー!」
私がそう言うと、猫たちがずだだだだと音を立てて走ってきた。
「え、私も一緒に夕飯食べてもいいの!?」
「いいよ、っていうか用意しちゃったし」
「やったぁ!」
アイナが心底嬉しそうに駆け寄ってくる。
なんだろう、初めて見た時よりも随分子どもっぽく見えるようになってしまった。
こっちがアイナの素なのだろうか?
そんなことを考えながら勇者のほうを見てみると、彼はアイナのことを見てふにゃりと笑っていた。
……これは、もしかしてもしかすると、面白い恋模様が見られそうな感じ?
その恋模様に自分も入っていることに気が付かないイリスさん。
ブクマ、評価、感想等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。




