転がり込んできた三匹のねこちゃん
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
執務室に、私の怒声が響く。
私を怒らせた張本人は私に対してつむじを見せるばかりでうんともすんとも言わなくなっていた。
「この店をここまで大きくしたのは誰と誰だと思ってるの?」
「……もちろん、君と俺……いや、君だ」
と、つむじが言う。
「それが分かっているのに、この仕打ちなの?」
私が激怒した理由は、さかのぼること数分前、目の前のつむじ男が言ったまさかの一言だった。
彼が放ったのは「この店を辞めてほしい」という短い短い一言。この一言が出た時点で軽くイラっとしたのだが、私は堪えた。なにかしっかりとした理由があるかもしれないと、まだ思っていたから。
だけど、ダメだった。彼は言ったのだ。「結婚するから」と。私が結婚するのではない。目の前のつむじ男が結婚するのだ。
それなのになぜ私が辞めさせられなければならないのか。私が納得のいくように説明してくれと頼めば、彼はバツの悪そうな表情を浮かべながら「俺の婚約者が、君と一緒に仕事をしてほしくないって言ってるから」という一切納得のいかない理由を述べた。
意味が分からんふざけんな。
なんでお前側の都合で私が職を失わなければならないのか。っていうかお前が辞めればよくない?
……いや、よくないのか。つむじが居なければこの店は成り立たないのだから。
「……本当に、申し訳ないと思ってる」
いや、本当に申し訳ないと思ってるなら結婚しようとしてる女説得しろよ。と、思うわけだけれども。
ここで私がごねたところでどうしようもないことも、なんとなくわかっている。どう足掻こうと、私はこの店から追い出されるのだ。
納得はいかんが。
こうなったら納得するよりも、まずこの先の自分のことを考えなければ。
このまま素直に「はいそうですか」だなんて頷いてこの店を出れば、私はまた貧乏人に逆戻りしてしまうのだから。
「……ごめん」
「いや許さない」
この世界は完全な階級社会だ。王族貴族が存在し、彼らこそが一番偉く庶民には生きづらい。
庶民の生まれである私もつむじも先祖代々貧乏で苦しい幼少期を過ごしてきた。
それでもめげずに小さな魔法学校に通い、各々の得意な魔法を磨き上げていった。
つむじは土属性の、物を作り出す魔法に秀でていた。その辺の土さえあれば、わりとなんでも作り出せるというなんとも便利な魔法。その魔法で食器などの日用品を作り出したりしていたのでみんなの人気者だった。ちなみに顔も良かったので女子からの人気は絶大だった。
私はというと、特になんの魔法にも秀でていなかった。どの魔法も大体人並みで、突出したものは一つもない。
「俺が悪いんだ」
「……そうだね」
しかしある日、私は魔法学校の裏庭にあった巨木の根に足を引っかけ、その幹に頭をぶつけた瞬間、前世の記憶を思い出した。日本で生きていた時の記憶を。
そういえば、私は百円ショップで働く大学生だったなぁ、と。
思えば、それがすべての始まりだった。
私の心には暗雲が立ち込め、足元はぬかるみにはまっていくようだった。
前世の平凡な記憶を思い出したからこそ、特に偉くもない貴族が偉ぶっているのが憎らしくなったのだ。
そして悪いことをしたわけでもないのに奴隷のように扱われている自分たち庶民の現状に気が付いてしまった。
そうして私は理不尽な世界に対する憎しみを、心の中に積み上げていった。
それからは貧乏を脱するため、つむじの魔法を利用させてもらうことにした。
なんやかんやと言いくるめて、記憶にある限りの便利グッズを作り出させて店を開いたのだ。
「君と俺とはただの友達だって説明はしたんだ。だけど」
「……うん」
今回想の途中なんだからちょっと黙ってろよさっきから。
で、つむじの魔法は年を追うごとに精度が増していった。その辺の土からプラスチックのような強度のものから鉄のような重厚なものも作れるわガラスのような透明度のものまでも作れるわ、こいつの手にかかれば作れないものなどなくなった。
そんな、私がデザインやアイデアを提案し、つむじが作る便利グッズは売れに売れ、店は瞬く間に大きくなる。
そうしてやっと貧乏から脱せたのではないかと思った矢先に、店を追い出されようとしているというわけだ。
私は何も悪いことなんてしていない。ただつむじの相手の女が意味の分からない嫉妬で私を追い出そうとしているだけ。
ただそれだけなら私がごね散らかしてこの場に留まるという選択肢もあるが、そう強引にできない理由もあった。
こいつが結婚しようとしている相手は貴族なのだ。それほど身分が高いわけではないらしいけれど。
その子が一人娘だから、こいつが婿入りするという話だった。
要するにこいつは我々庶民がどれだけ望もうと手に入れられない地位を、手に入れようとしている。
それを邪魔するのは少し気が引ける。
そもそもこの店を始められたのはつむじの魔法があったからなのだ。私にはこいつを引きずり込んだという負い目がないこともない。
まぁでもこいつだってそのおかげで貧乏を脱したんだけど。
「君が当面不自由なく暮らしていけるように、それなりの額は支払うから」
「当たり前では?」
それもなく追い出そうとするのなら鬼以外の何物でもないわ。私に非は一切ないわけだし。
問答無用で追い出されるだけだったとしたら、私はこの店を燃やしているところだ。
私だって特に秀でた魔法がないというだけで普通の魔法は使えるんだから放火くらいどうということはない。
私がごねず燃やさず去ってやろうと思っているのだからそれなりのものはいただかなければ。
「ここに居たら邪魔みたいだし、とりあえずまずは引っ越し先と引っ越し代は用意しなさいよ」
「あ、はい」
「あ、そういやこの店の二号店を作ろうとしてた店舗があったな。そこは私が貰うから」
「え、はい」
文句を言いたそうだったが、目で圧力をかけて黙らせる。
まぁ二号店のために用意した店舗は貴族街に近い場所にあるのでここよりも立地がいいものね。だからこそ貰うんだけど。
「じゃあこの先、そうね、三年はあんたの給料から半分私に寄越しなさい。それから雑費と迷惑料でしょ、それとあとは……」
青ざめる目の前の男を一切気に掛けず私は金の計算をしていく。
こうして私は最終的にこの店の総資産の半分近くをいただいてこの店を去ることになったわけだ。
要は私が言いくるめただけでごっそり金を吸い取られてるってことなんだけど、こいつは大丈夫なのかな。
いや、まぁこの店がこの先どうなろうと私の知ったこっちゃない。経営者が貴族になるんだからそれなりにやっていけるんじゃないかな。知らないけど。貴族の世界なんて見たことないし。
数名居た従業員のことは気にならないこともなかったけれど、私が去るのを引き留めようとした人なんて一人もいなかったみたいなので気にしないことにした。
もう皆で好きにするがいい。
……でもちょっとくらい引き留めてくれてもいいじゃん。形だけでもさ。
私嫌われてたのかな。
まぁ、私一人が消えるだけでこの店の経営者が貴族になるんだから恩恵を受けられると思っているのだろうけれど。
皆長いものには巻かれたいもんね。
「じゃあ手切れ金はいただいていくわ。で、給料は私が取りに来るわけにもいかないし、今まで私についててくれた補佐に届けさせて」
「分かった」
「元気でね」
「君も」
つむじのその言葉を背に受けながら、私は歩き出した。私の新天地に向かうために。
まぁなんだかんだとイラついていたけれど、結果としては立地のいい店舗とそこそこの軍資金をもぎ取ったのでここは開き直って新しいことを始めよう。とにかく前を向かなければ。
……いややっぱりめちゃくちゃ腹立たしいけど。
いつもいつも私の邪魔をするのは貴族のやつらなんだもの。
っていうかあいつと私が一緒に働いてるからなに? なにか問題でも?
あぁ件の婚約者さんとやらに面と向かってそう言ってやりたい。
でも下手に噛みつくと私の首と胴体が離れ離れになりかねないからな。黙って耐えるしかない。というか黙って耐えるどころか顔も合わせないように細心の注意を払わなければならないのだろう。
腹立たしいことに。
もう、マジで絶対に許さない。
持てる力のすべてで復讐してやる。絶対に。
つむじと似たような魔法を使える人物を探して類似品を作り出すライバル店というポジションを狙うのもいいな。
アイデアはまだまだ出せるわけだから、どんどん新しいものを作り出して元の店を閉店まで追い込むのよ。
絶対に楽しいわ。
ただあまりやりすぎると私の仕業だってことが件の女にバレて消されかねないからうまくやらなくちゃ。
でもまぁ店がつぶれたところで貴族なわけだし、それほどの痛みはないかもしれない。
それだと路頭に迷うのは従業員だけということになる。引き留めてくれなかった従業員たちも恨みの対象ではあるけれど、上の揉め事のとばっちりを受けた従業員だけが路頭に迷うとなるとなんとなく後味が悪い。
……うーん。復讐って難しいな。
まずは類似店であの店の業績を削りつつ……そうだ、あの女は私に嫉妬しているわけだから、あのつむじに美女を近づけるのはどうだろう? ハニートラップというやつだ。
それなら業績の悪化で店は傾きつむじたちの家庭環境もぼろぼろに出来るじゃないか!
今に見てろよ! などと考えていたところで、二号店として使うはずだった店舗に辿り着いた。徒歩で来るには多少遠かったけれど、まぁこれだけ離れていればつむじやその婚約者と遭遇することもないし平和だろう。
とにかくまずはさっさと今後のことを考えなければ。どうせ軍資金はあるわけだから、好きなように好きなことをして生きたって問題ないもの。
「立地は申し分ないし、建物もおしゃれで綺麗だし……」
酷い仕打ちには心底腹が立ったけれど、案外ラッキーだったりして。
私はそう思いながら、店舗の裏口の鍵を開けていた。
『あのぅ、すみません』
『たすけてください』
『たすけてください』
「ん? え、誰!?」
小さな声がした。
物悲し気でか細い声だった。
ただ、その声の主が見当たらない。
『あなたの足元です』
「足元ぉ?」
声に従い足元に目をやると、そこには白い猫と黒い猫、それからキジトラの猫が居た。
『たすけてください』
「え、だ……え、猫?」
三匹の物悲し気な猫が、じっと私のことを見上げている。
そして私の聞き間違いじゃなければ、猫が私に助けを求めている。
『あなたしか、頼れる人がいないのです』
「え、ちょ、待っ、とりあえず中に入って!」
なぜ猫たちが私に話しかけてきているのかとか、なぜ助けを求めているのかとか、いろいろと気になることはあるのだが、ただただ悲し気な顔が可哀想だったのでまずは部屋に入れることにした。
話はあとで聞けばいいだろう。なんだか三匹とも寒そうだし、薄汚れているし。
「まだ来たばかりで何もないけど、好きなところでくつろいでてね!」
私がそう声をかけると、三匹はじゅうたんの上で身を寄せ合うように猫団子を作った。かわいい。
そんな猫団子を見ながら、私は桶にお湯を張った。汚れているからといって風呂にぶち込むわけにもいかないし、とりあえずお湯で濡らした布で薄汚れた部分を拭いてあげたかったのだ。
「随分汚れてるみたいだから、ちょっと拭かせてね」
『いいのですか? ありがとうございます』
かわいい。
拭いている間、猫たちはごろごろと喉を鳴らしていた。かわいい。
「まぁまぁ綺麗になってきたわぁ。それにしても、なぜここに? 私しか頼る人が居ないって言ってたけど」
そう問いかけると、白い猫が私の目を見据えながら言う。
『神官殿が、あなたを頼りなさいと仰ったのです』
神官殿……神官殿? 私にそんな知り合いはいないはずだが?
『あなたなら、私たちの言葉が分かるからと』
えええええ。
「もしかしてだけど、皆が皆君たちの言葉が分かるわけじゃないの?」
『はい。私たちの声が聞こえるのはごく限られた人々のみです』
え……じゃあその神官殿とやらは、私が覚えていないだけで私の知り合いだったのか?
いやいやいや私が覚えていないだけならありえないこともないけど私が猫の声を聞けるだなんて知っている人がこの世に居るわけないじゃない。
なんせ私だって今日初めて猫の声を聞いたんだもの。私が知らないことを赤の他人が知るわけないじゃん。
おかしい。この話、おかしいぞ。
どうしたもんかと思い悩んでいると、いままでぐだっとしていた黒い猫がひょこりと起き上がった。
『神官殿からお預かりした手紙がありました』
今思い出したみたいな言い方したな。今まで忘れてたのかな、と思いつつ黒い猫の首輪に巻き付けられていた手紙を受け取った。
「えーっと? 親愛なるヘラ。わたしの愛する神の使い達を君に託す。わたしに代わってこの子たちを可愛がってあげてくれ。わたしの最後のお願いだ」
随分と掠れた文字だった。
「つかぬ事を聞きますが、この神官殿とやらは……?」
『先日、神のもとへと旅立たれました』
平たく言うと亡くなったんだな。
なるほど、だから最後のお願いなわけだな。
ただ一つ、とても気になることがある。
「んー。君たちに一つ、残念なお知らせがあるんだけど……人違いだわ」
『え?』
三匹のきょとんとした目がとてもかわいい。……じゃなくて。
「いやその、私の名前、ヘラじゃなくてイリスなのよねぇ」
『え』
『え』
『えぇ……』
……えぇ。
前回悪役令嬢失敗ものを書いたので、今回はざまぁ展開失敗ものです。失敗シリーズということで。
と言いつつ基本的にはねこちゃんかわいい癒し小説を目指して頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。