突如起こった修羅場
ある晴れた昼下がり、ではなく早朝。市場への道中で今日もアナグマさんと出会った。
「おはよう、アナグマさん」
『おっす』
アナグマさんは軽い感じの挨拶をしてさっさと私の前を横切って行った。
てくてくと歩いていくアナグマさんの後ろ姿を微笑ましく思いながら、私は食材の調達へと向かう。
極力急いで戻らなければ仕込みの時間が短くなってしまうし、ダイダイちゃんが拗ねてしまう。
拗ねたダイダイはいつも以上に私にくっついて回るし延々鳴き続けるし仕込みどころではなくなってしまうのだ。
猫がかわいくて仕込みが出来ませんでしたって張り紙を出して店を開けないわけにもいかないし。
今のところよく来てくれてるお客さんたちは「分かる」って許してくれそうな人ばかりではあるけれども。
そんなことを考えながらお安い食材をあれこれと買いそろえていく。
猫ちゃんのごはんとおやつにお金をかけるため、人間の食べ物は出来る限り安く済ませなければならないのだ。
人間の食べ物はちょっと工夫すれば安くても美味しく出来るし。
「おっと、急がなきゃ」
私はそんな独り言を零してから帰路を急いだ。
「んにゃーーー」
急いで帰ってきた私を出迎えたのはダイダイの大きな鳴き声だった。
不服そうな声だった。ちょっと遅かったからだろう。
裏口を開けると、子猫たちが脱走しないようにと取り付けた網状のゲート前にダイダイが張り付いているのが見える。
「ただいまダイダイちゃん」
「にゃーーーーーーーん」
鳴き声が長い。
ゲートを開けると、ダイダイは私の足を踏む。不服の現れだろうか。
「荷物置かせて」
「にゃーーー」
足を踏んだまま不服そうに鳴くので、諦めた私は荷物を持ったまましゃがみ込む。
「どうぞ」
「んにゃっ」
ダイダイはしゃがみ込んだ私の背後に急いで回り込み、背中に飛び乗っていつもの定位置である肩の上に着席した。
ダイダイは神の使いではないし言葉は聞こえないはずなのに会話が成立していた気がした。
「荷物は俺が片付けておくよ」
ステファンさんがそう言ってくれたので、私は荷物を彼に預け、私は仕込みの作業へと移る。
今日の日替わりメニューはひき肉が安かったのでハンバーグにしよう。
「ンー」
「んー?」
「ンー」
肉をこねる私の耳元でダイダイが囁く。
たまに耳に向かって頭突きをしてきたりもしている。かわいい。
「こらこらこら」
ソファのほうからステファンさんの声がする。
子猫たちが悪戯をしているのだろう。
本当に小さい頃はただころころしてるだけだったのに、今ではやんちゃな弾丸と化しているからな。
ちなみに私が一人で食材の買い出しに行く理由はそのやんちゃな弾丸たちが原因だったりする。
以前荷物が重いだろうから、とステファンさんが買い出しに付いてきてくれたことがあるのだが、帰ってきたときの店内がとんでもなく散らかっていた。
それを見た私たちは何をどうしてここまで散らかったのかは分からないが、子猫たちから目を離してはいけないと確信したのだ。
すみませんと謝る母猫たちも可哀想だったし。
その時ふと前世のことを思い出した。
猫を飼っていた知人が「テレビとスピーカーを猫に壊された。合わせて数十万くらいしたのに両方一気に」と悲し気に言っていたことを。
こういうことだったのか。
猫が居るスペースに高いものを置いてはいけない。私はそう深く胸に刻んだ。
「……新種の虫、かな?」
仕込みを終わらせてキッチンを出た私の視界に飛び込んできたのはカーテンによじ登る数匹の子猫たちだった。
「下ろしても下ろしても登っていく……」
ステファンさんが呟く。
よく見ていれば、子猫たちはある程度の高さまで登ったらステファンさんをチラ見している。
あれは、下ろしてもらうのを待っている。
そして下ろしてもらえばまた登って下ろしてもらって……楽しそうだな。
登っては下ろしてもらい、を繰り返す子猫たちも、せっせと下ろしているステファンさんもセットでかわいい。
子猫に弄ばれる怖い顔の大男、悪くないな。
「さて、じゃあ私は看板出して開店準備してくるね」
弄ばれ続けているステファンさんに声をかけ、私はダイダイをモニカに預けてから一旦外に出た。
「あなたね、私の夫を誘惑しているのは!」
店の外に出た途端、入り口前で出待ちしていたらしい女性に声をかけられた。
飛んできた言葉に心当たりが全くなかったので自分にかけられた声だと気が付くまでに少しの時間を要した。
けれど、その女性の背後に困った顔の男性が居たことに気が付く。
あの人は、以前来てくれた穏やかそうな男性客だった。
彼は最初に来てくれて以降何度か来てくれている。
「私じゃないですね」
「彼女じゃないんだ」
そう、彼を誘惑しているのは私じゃない。猫だ。
「じゃあ誰なのよ! ここに出入りしてるのは知っているんだから!」
猫だ。
「おそらく元凶は中に居るので、どうぞ?」
女性に声をかけると、彼女はぷりぷりと怒りながらも付いてきてくれた。
「あちらです」
「どの女……お、お……?」
「猫です」
おそらく彼女の視界に飛び込んできたのは、カーテンに登る猫とそれを下ろす大男。
とりあえず、混乱する女性をテーブルに着かせる。
詳しい説明は男性客がしてくれるだろう。
「このお店は猫を眺めたり猫と戯れたり出来るお店なんだ」
「猫……」
「仕事の途中で見かけてなんとなく入ってみたんだけど思いのほか猫が可愛くて通ってしまって」
「な、なんでちゃんと教えてくれなかったの?」
ほんとだよ、と思いつつも、私は我関せずといった態度を貫く。
私が口を出してなんか変にこじれても面倒だし。
「いや、その、猫にでれでれしてしまう自分が少し恥ずかしくて言い出せなくて」
「なにそれ……私はてっきり浮気されたのかと思って……」
「でも本当に可愛いんだ。あの、注文いいですか?」
「あ、はいどうぞ」
彼は唐突にいつものメニューを注文し始めた。もちろん彼女の分も。
バレてしまったから、と開き直ったのだろう。
「これを食べたら猫のおやつを注文するんだ」
「え?」
「おやつをあげるととっても可愛いんだよ」
「あ、はい」
終始混乱していた彼女だったが、サンドイッチと肉球コーヒーゼリーで少し機嫌を直し、猫におやつをあげている間に猫の魅力に陥落していったのだった。
彼女は帰り際、私に声をかけてくれた。
「美味しかったし可愛かったです。今日はありがとうございました。あと、怒鳴ってしまってごめんなさい」
と。少し照れ臭そうに。
「いいえ。よければまたどうぞ」
「また来ます! あ、今度彼が一人で来てたら叱ってください。なんで私を連れてこないの? って!」
そう言った彼女はどこか嬉しそうに微笑み、男性の手をしっかりと握りながら帰っていった。
最初こそ突然の修羅場が始まったと驚いたが、ただの仲良し夫婦だったようだ。
よかったよかった。
今日はそんな夫婦に始まり、お姉さま集団や魔法学校帰りと思われる女の子たちなんかが来てくれた。
皆猫たちにとても優しいので猫たちも嬉しそうだった。
うん、穏やかでなにより。
ただまぁ女性客ばかりなのでステファンさんの胃が心配ではあるけれども。
ストレスになっていなければいいんだけど、と思いながら閉店作業と夕飯の準備を進めていた。
「サリー……」
『アランさん』
ステファンさん以上にストレスをためているであろう男がやってきた。
いつもなら私に一言声をかけてからソファなりテーブルなりに向かってサリー親子をなで回すのだが、今日は私をスルーして直通でサリーのもとへ向かっている。
一刻も早く癒されなければならないくらいストレスが溜まっているようだ。
私の補佐をしているときに比べて若干痩せてしまった気がしないでもない。可哀想に。
温かくて美味しいものでも食べさせてあげよう。
「アランも夕飯食べるでしょ?」
「そのつもりで来ました」
そう返事をしたアランはソファの上で寝ころんでいたサリーの腹に顔を埋めようとしている。
吸うのかな。癒されるよねあれ。
「何か手伝おうか」
キッチンにステファンさんがやってきた。
「今日はハンバーグシチューだしあとは煮込むだけだから大丈夫。ステファンさんは座ってて。疲れたでしょ、カーテン昇降運動」
「いや、あのくらいでは疲れないが……あっちに居たらまたやらされそうで」
確かに。
「じゃあお皿の準備と、出来上がったものから運んでもらっていい?」
「わかった」
ステファンさんは嫌な顔一つせずなんでも手伝ってくれて、本当にいい人だな。
猫たちもいい人だって言うはずだわ。
「ほらアラン、準備出来たよ」
「はい」
サリーの腹から顔を上げたアランがのそりと立ち上がりテーブルへと歩いてくる。
その様子はさながらゾンビのようだった。
「新聞で見たけど、お姫様が来る日程が決まったそうね」
もそもそとハンバーグを食べているアランに声をかけると、彼はゆっくりと頷く。
「正式発表が出て、いろいろ大変で」
「大変って、例の女が?」
「例の女も、ですね」
例の女も、ということは他にも大変なことがあるのだろう。
「まずケヴィンさんが奪われると決めつけたあの女が仕事中にもかかわらず必死でケヴィンさんにまとわりついてて普通に邪魔で」
仕事中のケヴィンにまとわりついてるのか。そりゃ確かに邪魔だ。
「ただあまりにもべったりなのでケヴィンさんも鬱陶しそうだし、なんとなく二人の関係がガタついているみたいで見てる側としては少し面白いです」
ついにアランも面白がり始めた。
私は前々から面白がってたけど。
「面白がってるわりには疲れた顔してるけど」
私がそう言うと、アランが深い深いため息を零す。
「正式発表の中に、お姫様の護衛は月白の狼殿に決まったことも書いてあったでしょう?」
……そこまで見てねぇや。
「あ、あー、なんか書いてあった気がする」
「まぁ書いてあったんですけど、それを見た女性たちがわらわらと集まってきてるんですよ。一応客としてではあるんですけど」
騎士が来るからといってなぜ女性が集まってくるのだろう、と首を傾げていると、アランがもう少し噛み砕いて説明してくれた。
「要は見初められたいんでしょう。もしかしたら下見にやってくるかもしれない、とか常連客のふりをすれば当日店に近付けるかもしれない、とか」
なかなかに小賢しい女が集まってきてるわけだな!
「一応は客として来てるので売り上げは伸びているのですが、単純に忙しくて目が回りそうで」
「なるほどねぇ」
例の女はともかく、他の女たちは客なので文句は言えないもんな。
「……月白が来るのか」
ふと、ステファンさんが呟いた。
あまり明るい声色ではなかったし、良くは思っていないのだろうか。
「来るとはいえこの辺には立ち寄らないはずです」
「そうか」
アランの言葉を聞いて、ステファンさんがホッと胸をなでおろす。
「会いたくないの?」
そう尋ねてみると、ステファンさんは苦笑を浮かべる。
「会いたくない、というか、ここに居ることがバレると少し面倒だと思って」
「面倒?」
「俺がこんなに可愛い店で働いてると知れば、あいつはきっと大笑いする。それだけならば俺が我慢すればいいだけだが、この店ごと馬鹿にされたらと思うといい気はしない」
「月白のなんとかって人、そういう人なの?」
「あぁ、あいつは、正直あまり性格が良くない」
ナチュラルに悪口言ったみたいになってるけども。
「へぇ。じゃあいいのは顔だけなんですね」
という私の相槌を聞いたアランが、ぷっと小さく噴き出した。
「本当に興味ないんですね、イリスさん」
「え? ないよ。だってその人私の人生に一切関わってこないじゃん」
興味持つ意味なくない?
「浮足立ってる女たちにもその気持ちがあればいいのに……」
アランはまた深い深いため息を零したのだった。
「……アラン、シチューだけならおかわりあるけど食べる?」
「食べます」
……とりあえず温かくて美味しいもの食べて乗り切ってほしい。
評価、ブクマ等ありがとうございます。
そしていつも読んでくださってありがとうございます。
カーテンはおそらく近いうちにずたずたになることでしょう。




