00話
例えば、こんな妄想をした事はないだろうか?
朝、何時もみたいに行ってきます、とドアを開けたら異世界に繋がっていたとか。
ブロック塀と電柱のあの細い隙間を潜り抜けたら裏の世界に行けないだろうかとか。
猫を追いかけて気がついたら猫の国へ、なんてのもいい。
『死んだら』とか『屋上から足を滑らせたら』とかは怖いので平和に行きたいものだ。
そんな下らない、あり得もしない、退屈な日常を紛らわせるための非現実的な妄想だ。
中二病。そう呼ばれる類いのものだと思ってもらって構わない。
別に中二になったから必ず発症するわけでもなく、ならないやつの方が多いのではないだろうか。
逆に幼稚園児の内の発祥してしまうというレアケースだってある筈だ。
そう、俺のように。
俺の中二病は不治の病と化し、現在まで俺を苦しめている。
「ふふふ…この外壁に使われた木材の隙間、右から17番目!ここに異世界へのゲートが隠されていると誰が想像できようか!」
そう高らかに宣言し、親指だけを曲げ指先をピンと伸ばした手を勢いよく隙間に突き刺す。
まあ、当然だがゴツンッと音を立てて跳ね返り、後に残るのは激痛のみだ。
「いっ………………つぅ…!」
ズキズキと痛む指先を反対の手で握るように覆い蹲る。
長年こんな下らないことを繰り返しているせいで突き指とは無縁だ。
数分もすれば痛みも引くことだろう。
下らない。頭ではそう解っていても何故かその下らないことを繰り返してしまう。
しかしそう思うようになったのも最近で、幼稚園児の頃のノートなど意味のわからん必殺技や魔法の呪文などで埋め尽くされている。
小学校の高学年になってくると、魔法陣などの製作を始め、中学になると「…今更だが魔法発動に呪文だ魔法陣だなんて効率悪くね?そんなまだるっこしい事やってるうちにやられて死にそう」などと屁理屈をこねだし、高校になるとそれ自体を下らないと思うようになっていた。
だが何故か止められない。
物心がつく頃には既に異世界への憧れが俺の中にはあって、事あるごとに異世界、異世界とアホのように繰り返していた。
強迫観念のようなもので異世界へ行けなければ死ぬ、みたいなざっくりとした不安が胸の半分を占めている。
半分はさっきも言った通り下らないと呆れる気持ちだ。
「はー…ほんと、くだらねー…」
今は大学からの帰り道。
地面に下ろしていた鞄を肩に掛け直して歩きだす。
日は少し前に沈み、夜へと向かう濃紺とオレンジのグラデーションが綺麗だ。
5分後、辿り着いたのは住んでいるアパート。
ドアを開け、ただいま、と声をかけるが返事はない。
そもそも俺以外に住人はいないのだから当然の話である。
俺に家族はいない。ついでに親戚もいない。
中学に上がった直後くらいに近所の家の火の不始末で起きた火事があった。
周辺の建物を巻き込んだかなり大きな火災で、たくさんの人が死んだのだ。
俺の家は小さな喫茶店をやっていたが店は全焼。
両親と3つ年の離れた兄は帰らぬ人となり、俺は離れて住む祖母の家に泊まっていたので無事だった。
大好きだった祖母は父方の祖母であり俺をとても可愛がってくれたし、死んだ家族の分まで愛情を込めて育ててくれた。
「ばあちゃんは木属性だからこんなに美味しい野菜を作れるんだな!」
「ふふふ、そうかもしれないねぇ。じゃあ、こーちゃんは水属性かい?」
「ん…?なんでそう思うんだ?」
「ほら、見てごらん。こーちゃんが水をあげてくれる野菜やお花たちはいつも元気一杯だろう?ちょうどいい量をこーちゃんが調節してくれるからだねぇ」
「へへ!そっか!俺水属性だったんだな!」
なんて。
俺の訳のわからない魔法理論や呪文についてもにこにこして聞いてくれた。
もう既に結構な歳で、一緒にどこかに出掛けたりは出来なかったがそれなりに楽しい日々。
本当に。本当に優しい人だった。
高校を卒業して大学へ。
立派な仕事について祖母に楽な暮らしをさせてあげたいと思っていた。
そこそこ良い大学に入ったので、大手企業か給料の高い仕事か。出来れば公務員。
別に小さな企業や下請けなどを馬鹿にしているわけではない。
まだ世の中を知らない俺にとって良い仕事なんて良く分からないから、イメージで良い職を選んでいた。
単に『立派になった』というステータスが欲しかっただけ。
実のところ祖母は父の喫茶店が好きだったようで、継いでくれたら良かったのに、と繰り返していたので、その道もいいなとは思っていた。
早く『立派な大人』になりたかったが、これといってなりたいものも無かったのだ。
ただ、祖母に恩返しがしたかった。
立派に育ったと安心させてあげたかった。
…そんなある日の朝、祖母が永い眠りについた。
学校とバイトで疲れて惰眠を貪った久しぶりの何もない休日。
いつも早寝早起きの祖母が、昼過ぎに起きた俺の隣でまだ眠っていた。
珍しい、と思ったが顔を見て一瞬で悟った。
幸せな夢でもみているのか少し微笑んだような顔のまま。
顔から精気が抜けきっていた。
どうして良いかわからず、取り敢えず救急車と警察に電話し、後は一人きりの寂しい葬式をした。
父方に親戚はいるそうだが縁を切っているとかなんとかで誰一人来なかったし、母には親戚がいないようだった。
いよいよ独りぼっちになった俺は、いよいよ何をしたら良いか分からなくなって今に至る。
もう義務教育は終わっていることだし自分の事は自分でなんとか出来ている。
顔も知らない叔父さんが弁護士さんを通して、遺産は好きにしろというので俺が貰った。
そういうわけで金銭面に関しては裕福でもないが不自由もない。
しかしやりたい仕事もない、何がしたいかもわからない。
そんな不安定な状態のせいか、大分大人しくなっていた不治の病が活動を開始したわけである。
誰も聞いてない過去の回想はやめて、適当に飯を作る。
THE男飯といって差し支えない肉野菜炒めと大盛りのご飯。
プランターで育てた韮で作った味噌汁。美味い。
祖母と暮らした古い家は老朽化と道路拡張の為に取り壊されてしまったので、今は壁が薄くて狭いアパートで自由に暮らしている。
風呂とトイレは別。これだけは譲れなかった。
食器は洗い桶に浸けて風呂へ。
風呂が好きなので長々と浸かり、序でに歯磨きも済ませる。
一時間じっくり浸かったあとは宿題のレポート。
大した内容でもないのでささっと終わらせるとノートパソコンにUSBを差し込む。128GBの大容量だ。
これには俺のトップシークレット、不治の病によって長年産み出されてきた呪文や魔法陣などのデータがつまっている。
スキルの一覧や魔法薬のレシピ、自分で考えた植物などの図鑑も纏めてあり、いつかこれを使って『あくまで趣味で』ゲームを作りたいと思っているのでその素材にするためにデータにしている。
当然だがUSBが壊れたときようにバックアップも取っている。
「うーん、やっぱり下級の魔法なら詠唱なしでも発動できるけど…高度になると媒介が必要になるから魔法陣か呪文は必須だよなぁ…」
ワンコインショップで買った分厚いスケッチブックのノートにゲーム案を書き出す。
ノートパソコンでの作業より手書き作業のが捗ることもある。
それが気分的なものだとしても、俺は字や絵を描くのが好きなのだ。
料理をするのも、お菓子を作るのも、絵を描くのも、文章を考えるのも、土をいじるのも、俺は好きだ。
漫画も小説もゲームもキャンプもスポーツも好きだ。
楽しいことは沢山ある。
だから独りぼっちでも楽しく生きている。でも、何かが違うのだ。
これといって仕事にしたいと思えるほどやりたいことがない。
俺にとって、この世界は違和感しかないのだ。
それが、異世界に行きたいと切望する俺の本音である。
「…馬鹿らしい」
取り外しを実行し、USBを抜き取る。
シャットダウンしたノートパソコンを閉じて鞄にしまう。
明日は1限からだ。早く寝よう。
そう思い、電気を消すために立ち上がった。
「うわっ!!?」
その瞬間、落ちていたタオルに足をとられて体制を崩してしまった。
誰だ!こんな所にタオルなんかぶん投げておいた奴!俺だよ!
前傾姿勢で、勢いよく頭が床に向かって急降下する。
手からすっぽ抜けたUSBが宙を舞い、そして…
「んぐっ」
額が床に叩きつけられると同時にごくん、と俺の喉が鳴った。
「………へ?」
まさかと思い応確認してみたが辺りにUSBは落ちていない。
額が痛いがそんなことはどうでも良い。
なんの冗談か、USBは俺の胃袋に消えてしまったのだ。
慌ててトイレに駆け込み、泣く泣く指を突っ込んで消化途中の夕飯を吐く。
しかし、吐瀉物からUSBを発見することはできなかった。
病院の夜間病棟に電話をし看て貰ったが、レントゲンにはUSBは映らなかった。
特に問題もなく、寝ぼけた俺の勘違いと判断したのか後日違和感や痛みがあった場合のみ来いと言われ、診察料と高額だったUSB代を溝に捨てたような気分になっただけである。
バックアップ取っておいて良かった…。
いやしかしあのUSBは大容量なだけあって高かったので勿体なかったな…。
同じものを買おうとして買った某通販サイトを開いたが、その商品ページは存在していなかった。
高額な中でも一番安いものだったから売り切れてしまったのだろう。
そんな事を考えながら真夜中の住宅街をとぼとぼと歩く。
「ん…?」
道の先にある、廃墟になったビルの屋上が何やら明るい。
黄色い光は(俺の考えた設定では)召喚魔法の色だ。
落ち込んでいた気分も一瞬で晴れ、序でに不法侵入という言葉も頭の隅に追いやり、駆け出した。
俺の心を満たすものは純粋な期待と好奇心。
割れた窓ガラスや枯れ葉等をバリバリと踏みながら階段を掛け上がる。
半開きの扉を勢いよく開けて目の前の光景に言葉を失った。
「…嘘、だろ」
そこには本当に(俺の考えた)召喚の魔法陣が描かれていたのだ。
黄色い光はどんどん強くなっていき、辺りを飲み込んでいく。
眩しくて目が開けていられない。
遠退く意識のなか、何故か俺は心が満たされていくのを感じた。