新しい身分
「ふぅ、これで準備はできたかな。」
全ての教材をケースに詰め終わった。
準備が終われば、こんな場違いな場所からはさっさと退散するに限る。
忘れ物がないかもう一度見渡す。
この学園には二度と帰ってこない。帰ってきたいとも思わない。
だが、私はここで未来への切符を手に入れた。
最後に鞄の中を確認する。一枚の紙が入っていた。この紙ぺら一枚で私の人生は変わるのだ。
「私はここから成り上がる。」
声に出して言う。これは私の決意表明だ。誰に聞かせるでもない、私への決意表明だ。
そっと、腕にあるブレスレットを見る。とても繊細で美しい作りをしているそれは、その本当の働きを悟らせない。これは鎖だ。自分を雁字搦めにする鎖だ。私はそれを、喜んで自らつけた。その瞬間から、私に逃げ場はない。
自分の姿を見下ろした。シルクで作られた小奇麗な黒いズボンに、何やら上品な刺繍をしてある白いシャツ、ボタンの一つ一つにまで家紋が彫られている。ジャケットは詰襟の様な変わった形をしていて、肩にはバッチが付いていた。そして、足には茶色い光沢のある革靴を履かされている。その全てにおいて魔法による防水、防火、防刃、防魔処理が施されており、体に合わせて適切かされるようにもなっていた。
この服装を一式買おうと思ったら、5人家族が全員身売りしても、到底たりないだろう。
それらは、本来奴隷の私が着ていていい物ではない。
事の発端は2年前まで遡る。
私を買った主人である少年が何者かに襲われた。
貴族の庶子である彼は、母が病死した後、父親からの関心を無くし放置されて育ったらしい。しかし、13歳を機にシュトワール魔法学園に入学させられる事となったそうだ。魔法とは、体内にある魔力を使い魔力回路を通して魔力を何かの現象として発現させる事だ。貴族とそれ以外の決定的な違いは、魔力回路があるかないかにある。それゆえ、魔法の使い方を学ぶために貴族は強制的に学園に入学する事となる。
学園に行ける事が余程嬉しかったのか、それとも自分より下の者だからなのか、家族からも見放され、立場も弱い少年はそれはもうはしゃいぎながら、ペラペラ身の上を話して下さった。
私は彼の奴隷の中では一番の新入りだ。私の他は全て男だった。おそらく護衛もかねていたのだろう。やたらとごつい岩人族のような男が一人。どこにでもいそうな人間の中年が一人。最後に、やたらと反抗的な綺麗な顔をしている烏人族の男が一人いた。私を買った時は、すでに学園に行く途中だったらしく貴族御用達の宿にとまっていた。日々、少年は肩身を狭くして過ごしていた反動なのか、奴隷に気まぐれに罰を与えながらも悶絶する姿を見て笑い転げていた。特に、集中的にいびられていたのが鳥人だった。反抗的な態度が気に入らないらしく、リングを使って奴隷の体にある付いている首輪に魔力を流しては激痛を走らせていた。その男が綺麗な顔をゆがませながら、激痛に呻く姿を私達は毎日のように見せられていた。
しかし、そんな毎日が唐突に終わった。
突然の襲撃だった。
私達を乗せた馬車は王都に向けて北上していた。近道のために人通りの少ない道を通ったその時、脇から矢が飛んできた。そこからは一瞬だ。あっという間に外に出ていた岩人族が死に、馬車の中へと突入してきた男から、少年を庇った中年の男が死んだ。恐慌状態に陥った少年はなんとか逃げようと、外に出るが、後ろから背中に剣で切り付けられる。それでも、息のあった少年に止めを刺そうとした男を鳥人族の男が殴りつけ、隙を見せた男から剣を奪うとすぐに切り付けた。周りを見ても他に襲撃者はいないようだった。
襲撃者が一人しかいないのは腑に落ちないがさっさとこの場から離れた方がいいだろう。私が少年の様子を見るために振り向くと既に少年は傷が浅かったのか、背中を押さえながらも立ち上がろうとしていた。
「さっさと、わ、私を助けろ!!医者の元へ運べ、この能無しが!!」
少年は苦痛に顔を歪めながら叫んだ。相変わらずの横暴さだ。
「ちっ、よく吠えるガキだ。少しは黙っていられないのか?」
鳥人族の男は冷めた視線で少年を見る。もう少しこの男も殊勝な態度を取ればいいものを。
「な、なんだと!?、この私に向かって、ふ、ふざけるな。お前なんか・・・”ギュメル””ギュメル””ギュメル”ハッハッハッハッ、苦しめ!苦しめ!苦しめ!この劣等種族め!!!」
少年は、顔を怒りで真っ赤にしながら魔言を連呼した。全く、言わんこっちゃない。
この魔言は身体に激痛を走らせるためのものだ。
だが、魔言が唱えられても鳥人の男に変化は見られない、それどころか、少年への視線を一層冷たいものとしていく。すると、少年も魔言が発動してないのに気付いたのか、舌打ちをして唾を吐き捨てた。
「くそっ、リングがない。おい、お前らリングを探せ。馬車の中だ。さっさとしろ。」
リングは奴隷の首輪に干渉するための魔道具だ。それを落として、よりにもよって奴隷に探させるとは大胆な主人だ。だが、リングがなくとも奴隷が主人に対し害意を持った時、自動的に首輪が閉まる様になっている。そのためリングを奴隷が拾っても捨てる事も破壊する事も出来ないのだ。
そう、普通の奴隷ならば。
私は馬車の中を探してみると、少年が座っていた場所にリングは落ちているのを見つけた。リングを拾う。リングに収まっている魔石の奥に虹色の光がみえた。
ようやく目的が果たせそうだ。馬鹿とハサミは使いようとは、よく言ったものだ。
「”我、神々の威光を受けし者。いざ、契約の書を開かん”」
私が魔言を唱えると、魔石の奥にある光があふれ出てくる。視界を埋め尽くすかの様な光に一瞬目をつむると空中に巨大な魔法陣が浮かびあがってきた。それは、文字が円になるように書かれておりそれが何重にも連なったものだった。
「これが、契約の陣・・・。さすがに驚いたわ。魔法陣ってこんなに綺麗なものなのね。」
魔法陣は文字の一つ一つが光っており真ん中の文字を中心に回っていた。
「っっっ、何をしている、なぜお前が魔法を使っているのだ!!!ふざけるな!!ありえない。ありえるはずがない。さっさと、それを私の元へ持って来い。この奴隷ふぜいが!!」
主人が何か喚いているが、放っておく。リングを手に入れた時点で既に彼は用済みだ。
それより契約の陣が重要だ。これを成功させるかどうかで今後の予定が変わってくる。
「”Asdgiyuvk/,o@pkaugy-whuo”」
個別認証魔言を唱える。すると、魔法陣は回転をやめ、中のある文字列だけ光り始めた。
「これが、ご主人様の契約魔言ってわけね。」
その文字列を指でなぞり、”ガルメ”と唱える。すると、光っていた文字列は消えていた。
「ふぅ、成功。後は魔言の書き換えか。」
私が、さっきまで文字列のあった場所に手を翳しながら魔言を唱えると新たな文字列が浮かび上がってきた。そこで、リングの魔石に魔力を送り込む。すると、魔法陣全体がまた光りながら回り始めた。
「”我、神々の威光を受けし者。いざ、契約の書を閉じん”」
魔法陣は一際眩しく輝いた後、リングに収束していった。
ククク・・。思わず笑いがこみ上げてくる。こんなにも上手くいくとは思ってなかったのだ。
「ご主人様の間抜け具合に乾杯!!」
そう叫ぶとこちらを唖然と見ていた二人に向き直る。
「さて、お二人共。お待たせしました。何から話せばいいですかねぇ?とりあえず、私達二人はご主人様の奴隷ではなくなりました。まぁ、私は元々ご主人様の奴隷ではなかったんですけど。鳥人君よかったね。乱暴なご主人様から解放だよ。でも、そんな鳥人君に悪い知らせです。君は今日から私の奴隷になってしまいました。残念だったね。それから、ご主人様。短い間でしたがお世話になりました。いやぁ、ご主人様の間抜けさには本当に救われました。なんてったって、奴隷の前とはいえ、個別認証魔言ばらしちゃうんだもん。これ聞いたとき、思わず吹き出しそうになりましたよ。普通の魔術師は絶対ばらしませんからね。生命線ですから。ってな事で、ご主人様はもうお役御免です。ここでスパッとお別れです。馬車と鳥人君と服は貰って行くので、自力で町に行って医者を探してください。運が良ければ助かります。でも、自分の名前は出さない方がいいですよ?次の暗殺者が狙ってきていると思うので。それでは、ごきげんよう。」
こちらを、何やら無言で睨み付けてくる鳥人の男に元ご主人様の服をぬがせてくるように頼む。すると、身体が強制的に動き出したのか、嫌そうな顔をしながら少年の元へ歩いて行った。その様子を見ながら、奴隷契約が完全に書き換えられてる事が分かったのだろう、少年はまたも暴れ喚いているが完全無視する。
私は馬車の中を少し掃除すると、死んだ2人の護衛を道の脇に寄せた。本当は埋めた方がいいのだろうが、追ってがくる事を考えると悠長にはしてられない。そうこうしている内に鳥人の男が服を持って帰ってきた。
「よし、鳥人君。色々と聞きたい事もあると思うけど、それは後で。そんじゃ、元ご主人失礼します。」
「ふ、ふざけるな!!貴様こんな事をしてただで済むと思ってるのか!!」
言うや否や馬車を走らせる。馬車には紋章が入っている。恐らく、追ってはこちらを狙ってくる。馬車を捨てればいいと思うかもしれないが、私の目的のためにはそれは悪手だ。
「おい、俺をどうする気だ。さっきの魔法は一体なんだ。なんで奴隷のお前が主人に反抗出来る?」
横目で隣を見ると、こちらを射殺しそうな目で睨んでいた。
「ねぇ、これから長い付き合いになるんだし、ずっと鳥人君って呼ぶのもなんかねぇ。名前なんていうの?」
「ふざっっ、、くっ、クロノ・フィン・リュシガー、、だ。」
クロノは首輪の拘束力のせいかさっきより殺気だっている。黒い鳥人族独特の羽根がバサっと広がる。こういうと本人は怒るかもしれないが、彼が怒っている時の姿は驚くほど艶やかだ。切れ長の目を光らせながら青白い程の顔を上気させ、綺麗な艶のある長めの黒髪が顔にかかり、真っ赤な唇を舌でなぞる。怒ると羽根を広げるのは癖なのか、体を包む様に広げた姿はまるで堕天使のようにも見える。その彼が首輪をしている姿は実に背徳的だ。なんだかいけない事をしている気分になる。
「それでは、クロノ。私の名前はこれからシュティンガー・ド・シュトレンスキーだ。よろしくな。」
「ふざけんな、俺を馬鹿にしてんのか!!その名前はさっきのガキんだろう!!」
クロノは眉間に深い皺を寄せながら目つきをさらに凶悪にしていく。
「いや、してないよ。これからって言ったでしょ?当初の予定通り、私はこれからあの少年になりきる。あの少年として生きていくって事。幸い、彼は13歳。年も近いし。背格好も似てる。髪の色も目の色も一緒。まぁ、そんな主人に買われようとしたから当たり前なんだけど。手始めに、学園に潜入だね。」
クロノは羽根を動かしながら、こちらを不可解そうに見る。
「お前は、主人と入れ替わるために買われたって言いたいのか?女のお前が男になりきる?無理があんだろう。それに、あのガキの関係者にあったらどうする気だ?ただ魔法が使えるだけで、貴族になり切れるって思ってんのか?」
「その通り。私は貴族の身分を手に入れて学園に行きたかった。だから、彼に買われるまでは計画的。できれば女の主人が良かったけど仕方がない。ここまで上手くいったのも奇跡的だし。だから、この身分は後2・3年で手放さなきゃね。だけど、彼は今まで別邸で半ば監禁状態ですごしていたから、彼の顔をしっているのは使用人と父親だけ。だから、彼の関係者に学園で会う事はない。彼の正妻腹の兄は学園を既に卒業してるらしいし。それに学園は特殊な所でね、自分の身分を明かしてはいけない所なんだ。完全実力主義で、出来が良ければ飛び級も可能。噂では、国王の権力も及ばない完全な治外法権らしい。まさに、私に御あつらえ向きってわけ。なんかワクワクしてこない?」
「するはずないだろう。つまりは、王位継承者でさえも、その学園にいる間ならば、暗殺可能ってわけだ。学園内では政争が一層活発に繰り広げられてるだろうよ。そんな中を危機感薄そうなお前が行くだと?死にに行くなら、一人で行ってくれ。俺を巻き込むな。」
クロノは羽根をザワザワさせながら、吐き捨てるように言った。まぁ、確かに奴隷契約をしているいじょう、私が死ねば彼も道ずれで死ぬこととなる。堪ったものではないないだろう。
「でもさぁ、よく考えてみなよ。あの少年が学園に行くのと私が行くのどっちが生存率高そうよ?」
「どっちも変わんねーだろ。生存日数が1日増えるかどうかってところか。それより、なんで奴隷のお前が魔法を使えんだ?なんで主人に反抗出来るんだ?質問に答えろ。」
「魔法はね、後で教えてあげる。クロノにも使えるようになってもらうから。私が主人に反抗出来る理由はまだ秘密。これは私の切り札だから。私にはね、野望があるの。その野望を叶えるために学園に行くんだ。そのためには仲間が必要でね。絶対に私を裏切らない仲間が。私はクロノにその仲間になってほしいと思ってる。だからね、私はクロノに宣言する。学園を卒業したら、私はクロノを奴隷から解放する。もし、その時私の仲間になってくれるんだったら、私はクロノの野望も叶えるために全力を尽くすと約束する。学園にいる間に、私の仲間になるかどうかを決めて欲しい。私もクロノが私の秘密を誰かに漏らさない限りはクロノを全力で守る。だから魔法はね、クロノへの投資だよ。」
クロノは足を組みながら、こちらを胡散臭そうに見ていた。前からだが、彼は奴隷の割にかなり態度がでかい。
「お前の話は全部夢物語にしか聞こえねーな。何一つ信憑性がない。魔法を教える?魔術回路もないのにどうする。奴隷を守る?一体何のための奴隷だ。奴隷から解放する?なら、今さっさと解放しろ。仲間になってくれ?自分を奴隷にした奴の仲間になると本当に思ってるのか。裏切らない仲間が欲しいという口で奴隷を解放するなんて矛盾を吐いてる口をどうやって信用すればいい?」
「言うと思った。とりあえず、王都に着いてから魔法を教えるよ。そうしたら、少しは信憑性は増すでしょ?」
クロノは無言でこちらを見るとすぐに腕を組んで目を閉じた。このでかい態度を許している時点で、かなり奴隷の主人としては寛大な措置をとっているのが分からないのか、とも思うが仕方がない。このマイナスの状況から信頼を得るのはかなり難しいだろう。奴隷じゃなくても小突きたくなる生意気さだが人間我慢が大切だ。
あれから、1時間くらい経っただろうか。大分夜も更けてしまった。追ってにも捕まらずに王都には無事に着き、馬車の中で少年の持っていた服に着替えた私は見事な男っぷりを見せ、誰にも怪しまれずに王都に入った。ばれないのはいいけど、華の乙女を男に間違えるとはどういう事だ。
少年が予約していたのと違う宿に到着すると、やっと気が抜けた。学園では毎日気を張らなくてはいけない日々が待っているのだ。このくらいでへばってはいけないだろう。
「あぁ、荷物の整理しなくちゃ。確か、学園が始まるのは1週間後だから、それまでに寮に入って日用品買い込まなきゃ。私の場合使用人いないんだし、いるのクロノだけだし・・・。あいつが家事やる姿想像つかないわ。ほんと、あいつの扱い、どうしよう?将来的な事考えたら乱暴に扱えないし、かといって私がへりくだるのも何か変だし。」
ちらっとクロノの方を見てみると、でかいソファーに寝転んで窓の外を優雅に眺めていた。
こ、こいつ・・・。私よりくつろぎやがって。
「クロノ!!日用品でこれから買い込まなきゃいけないもんリストアップして。それから、こっちにあんた用の服入ってるから着れるか試してみて。サイズ合わなかったら買いなおさなきゃ。後、寮での仕事の分担の事でも話があるから。」
クロノはこっちを見て舌打ちした後歩いてきた。髪を乱暴にかきあげ、羽根をバサリとはためかせた。本当、顔のいい奴は得だ。どんな事をしても実に絵になる。それからちょこまか動いていると外から声がした。
「お客様、お食事の準備が出来ましたが、お部屋にはこんでも宜しいでしょうか?」
「あぁ、私の従者に運ばせる。そこに置いておけ。」
「かしこまりました。」
外の気配が去っていくのが分かる。完全にいなくなった後、ふぅ、と息を吐き出す。急に来られると心臓に悪い。
「従者って誰の事だ?」
クロノが阿保な質問をしてくる。
「クロノに決まってるじゃない。これから、貴方は私の従者。そういう扱いにするから覚えておくように」
そういうと、クロノは一瞬目を丸くして、腹を抱えて笑い出した。
「俺を従者?くっっっ、はっっ。ハッハッハ。バッ、馬鹿じゃないのか?人外を従者にする貴族なんて聞いた事もないな。全く、お前の世間知らずさには反吐がでる。そんなんで学園やってけると思ってんのか?」
クロノは心底馬鹿にした様な顔でこっちを見ると外に向かって踵を返した。
「そ、そんなに馬鹿にしなくてもいいじゃない!って、何処に行くのよ!?」
「ふんっ、従者として、飯を取りに行くだけだ。」
鼻で笑うと手をひらひらさせながら外に出ていく。
なんて生意気な奴なんだ。必殺キックをお見舞いしてやりたい位だ。
クロノとこれから一緒にやっていくのは正に、前途多難だ。
改めて部屋を見回してみる。今まで少年が泊まっていた宿程ではないが平民の富豪が泊まってもおかしくはない部屋だ。部屋はとても広く普通の民家の倍以上あり、部屋からの眺めを楽しめるように、窓は大きくとってある。外にはテラスもあるようだ。さっきクロノが寛いでいたソファーは窓際にあり、寝転ぶと体に合わせてクッションが沈み、とても気持ちいい。
「んん・・。なんか眠くなってきた。クロノまだかなぁ。お腹もすいたし、疲れたし。ここから一歩も動きたくない。あぁ、やっぱいいね、従者がいると自分動かなくて済むんだもん。でも、従者にいつまでも使用人の真似事させるのもなぁ。やっぱ、奴隷買うべき?でも家事くらいなら自分で出来ちゃうから買うのもったいないんだよなぁ。いや、でも外聞あるからなぁ。従者一人しか連れて行かない貴族ってどうよ。あぁ、ムズカシ。私自身も秘密いっぱいあるからなぁ。後々解放する事考えたらリスク高いし。あぁ、もうどーしよ。んがぁぁぁぁぁ」
思わず、頭をかき回す。なんだかムシャクシャしてきた。
それにしても遅い。クロノが帰ってこない。サボりか?サボりなのか!?あいつならありえる。
「んあぁ、お使い一つできない従者ってなんなの!?」
「おい、何騒いでんだ。馬鹿に見えんぞ。」
扉の方からクロノの声が聞こえた。慌ててソファーから首を出すと料理の入ったワゴンを押してるクロノがいた。
「遅い!料理持ってくんだけで、どんだけ時間かかってんの?」
「うるせぇ、叫ぶな。耳に響く。」
クロノはワゴンを私の近くまで持ってくるとソファーの前のテーブルに料理を並べ始めた。やけに素直な態度だ。クロノの顔を覗き込むと口元に小さな傷が出来ていた。
「ねぇ、口んとこ、そんな傷あったっけ?」
思わず手を伸ばすと、バシッと手を払いのけられた。
「俺に触んじゃねぇ。」
クロノは、料理を置く手を止めてこちらを睨み付けてきた。羽根が僅かに広がる。
「分かったよ。大した怪我じゃないみたいだし。これから気をつけなよ。」
クロノはこちらを無視して、料理を置きおわるとさっさとテラスに出ていった。
はぁ、ほんと気難しい奴。従者用の食事は主人が食べ終わると食堂にいけば出されるようになっている。
私が早く食べ終わらないとクロノは食事にありつけないのだ。
「んん。おいひい。ご主人様ってこんな良いもん食べてんのね。」
テーブルの上に並べられている料理は全て贅をこらした作りになっている。奴隷の身では到底食べられない物ばかりだ。量もかなりたくさんある。私一人では食べきれないだろう。それでも、私は料理をあまり楽しめないでいた。さっきの傷といい、料理を取ってくるのがやけに遅かった事といい、嫌な予感がする。今まで、元ご主人様の泊まっていた所は貴族御用達という事もあって、マナーが良かった。私達奴隷にも侮蔑の視線を向けても直接的な暴力にまで繋がる事はなかった。(貴族の所有物に手を出すのが怖かったというのもあるだろうが)
でも、この宿では、私は身分を明かしてない。もう夜も更けていた事もあって、馬車にあった紋章も見えてはいないだろう。しかも、クロノは鳥人族だ。異種族に対する目はどこに行っても厳しい。ここに泊まるのは間違いだったかもしれない。
私はテラスを覗いてみた。そうしたら、案の定クロノはお腹を抱えて蹲っていた。
「やっぱり。ねぇ、クロノお腹やられたんでしょう?あんたのやせ我慢も大概よね。」
すると、クロノは開き直ったのか、地べたに座り込んでお腹に手をあて、脂汗をながしながら、こっちを睨み付ける。
「うるせぇ。さっさとあっちに行け。飯でも食ってろ。」
「治してあげるよ。ほら、手どかして。」
私がクロノの手に触れると、弱弱しく払いのける。クロノは片膝を着くと、羽根を大きく広げ、自分の前で交差させた。髪が首に張り付き、目は痛みを堪えているせいか血走っている。ただでさえ真っ白な顔を青ざめさせながら、口を半開きにして、荒く息をついていた。真っ赤な唇がやけに際立つ。
「お前の事なんか信用できるか。俺に触んな。今更善人面してんじゃねぇ。」
私は、クロノに目線をあわせるためにしゃがみこんだ。
「あんたってさぁ。奴隷になったの最近でしょ。もしかして、あの少年が初めての主人だったりする?普通の奴隷ならね、ご主人様の言ってる事には、はいはいって従うもんよ?でも、奴隷になったばかりだとプライドが邪魔して反抗ばっかすんだよね。奴隷の処世術ってやつが分からないから。私はね、生まれながらにして奴隷だったんだ。親が奴隷だったからね。周りには私みたいなやつが一杯いた。奴隷には生涯奴隷と契約奴隷の二つがあるんだけど知ってる?契約奴隷はね、何かしら能力を持ってる奴隷がなれるのよ。例えば、んん、そーだなぁ、読み書きが出来るとか計算が出来るとか行儀作法を習得してるとか鍛冶ができるとか手が器用だとかすんごい美人だとか。他の人にはない物を持ってたらなれるんだ。契約奴隷のいいところはね、期間を過ぎたら、主人は奴隷商人に生きたまま帰さないといけないって決まってること。もし、五体満足でなかったら、欠損分を違約金として払わないといけないしね。だから、私達奴隷は生まれた時から技能を習得するために死にもの狂いで勉強する。もちろん先生なんて上等なもんはいないから、先輩の奴隷になんとか教えて貰って、仲間内で得た情報を共有しあうわけ。私が、なんで魔法に関する知識を得たかっていうと、契約奴隷として、とある魔具師の元にいたから。元ご主人様はね、研究し始めると周りが見えなくなる人だから、結構好き放題させてもらったよ。私が今、魔法を使えるのも彼の作った魔道具をかっぱらってきたおかげだし。つまりね、気を抜く時と気を張る時を上手いこと使い分けなさいって事。主人なんて上手いこと利用しちゃえばいいのよ。これ、先輩奴隷からのアドバイスね。だいたい、あんたは私の奴隷だよ?痛めつけるならもっといい方法知ってるし。それこそあの少年みたいにね。」
「つまり、俺にお前を利用しろと?」
「そーいうこと」
「ふん、お前に利用する程の価値があるのかも疑問だがな。」
生意気な事をいいながらも、クロノは羽根を閉まっていった。顔色がさっきよりも悪くなっている。口元にからは血が一筋垂れていた。
私は、すぐにクロノのシャツをめくった。クロノはされるままになっていた。腹はすでに青を通り越して紫に変色している。
「かなり、ひどいね。内臓までやられてるんじゃない?よくもまぁここまでやってくれたもんだ。」
私は目を瞑ってクロノの腹に手を当てて魔力を流し込む。すると、クロノの体内にある魔力と反発するのが分かった。そこから、私の魔力を使ってクロノの魔力を動かしていく。魔力の活性化だ。これは体の治癒力を高める効果を持つ。知識で知っていても実際にするのは初めてだった。クロノも未知の感覚に体が戸惑っているのかそれとも傷が痛むのか、さっきから呻き声をあげている。
どの位時間が過ぎただろうか。体感時間では1時間程過ぎたように感じる。クロノの呻き声も収まり、魔力の通り具合から内臓も十分に治ったようだ。私は目を開けて息を吐いた。全身に汗が流れているのを感じる。お腹もすいたが、先に風呂に入りたい気分だ。奴隷の身分では入った事がないため、実は密に楽しみにしていた。クロノの様子を見ると、魔力を無理やり動かされ疲れたのか汗をびっしょりかきながら寝ていた。
「全く、無防備なのはどっちなんだか。」
クロノの頭を撫でてみる。思った通りサラサラだ。指の通りがいい。クロノの無防備な顔を見ていると実年齢は外見よりも若いのかもしれない。10代後半だろうか。
それにしても今日は色々疲れた。テラスに風が吹いて肌を撫でていく。気持ちいい。明日は明日でやる事がたくさんあるが、今はこのままでもいいか。
しばらくはそっとしておこう。