戻れない日
調べ物をして書く真面目な歴史物を書いていると、たまには調べ物の必要ない軽いものが書きたくなるものです。
というわけでショートショートSFでもお目汚しにどうぞ。
小学校の終わりから中学校にかけていじめられ続けていた俺は、近くの高校ではなく、自宅からたっぷり200kmは離れた土地にある高校へ進学するつもりだった。
「T 県 S 市の私立 Y 高校を受けるつもりです」
三者面談で、担任にそう告げると、担任は興味なさげにそうですかと言っただけだった。成績がどうとか一切なく、単に義務だからという以上のことはないらしい。
いじめられつつも、出席番号1番という関係上、試験だけは一番前で受けられたため、テストの点だけは確保してきたし、塾の模試などでも合格圏内の常連であった。正直言って内申以外で落ちる要素はほとんどなかった。問題は、この1年ほど、いじめを黙認するどころか率先してきたのがこの担任だということだ。
とはいえ、Y 高校は、入試に大きな特徴があった。それは、手続きをすれば試験の答案や内申書を含めた自分の入試資料を見ることができる点だ。内申書でおかしなことを書かれても、それに対しての対応は最低限取れるわけだ。そんな思惑を知ってか知らずか、他は受けないという意思を確認して三者面談は終わった。
流石に親がいる前では、普段の嫌味な口も控えられていたようだ。
入試が近づいてきて、試験の時間に間に合わせるために、試験前日は S 市に泊ることになった。ビジネスホテルに一泊、流石に母が一緒に泊ることになっていた。しかし、試験の前々日になって、ホテルには一人で泊まることになった。祖母が体調を崩したためだ。
「大丈夫、夕方ホテルに入って、一泊して、遅刻せずに行って、試験を受けて帰ってくる。大丈夫。問題無い」
母にそう言った俺は、一応母からホテル側に連絡を取ってもらい、受験の準備を整えた。一人でホテルで一泊なんて初めての経験だ。一泊する荷物も用意しなければならないし、夜に見直すための参考書の類もカバンに詰めなければならない。なんだかんだで普段のカバンと大きめのバッグの二つになった。試験前日、昼過ぎ。宿泊料金を含めて3万円を親から受け取り(後で清算だといわれたが)、自分の小遣いと合わせて今までで最高額の4万円という大金を財布に入れて、家を出発した。大金をもっていると道行く人々が盗賊に見える、などというが、そんなことは全くなかった。
ホテルのチェックインは、事前に母から連絡が行っていたため、簡単に済んだ。翌日のために制服をハンガーにかけ、私服に着替えて参考書を見たが、ほとんど手につかなかった。
しばらくして空腹になった。夕食を一人で外食するというのは初めてだったが、中三で一人で外食に入れる店は少なく、結局牛丼を食べた。ホテルの部屋に戻り、机に向かって教科書と参考書を眺めながら、今更社会の復習もないと思いテレビを見、ペイビューで AV を堪能して、気が付くと日付がもうすぐ変わる時分になっていた。俺は眠ることにして、カバンが足元にあるのも気にせず、着替えもせずにベッドにもぐりこんだ。
召・喚・成・功
「xhorubeonu rhoba」「graoud」
喜ぶ白衣の禿げた爺さん。同様に喜ぶ若者。何をいっているのか言葉は全く通じない。ああそうか、夢か、変な夢だ、とか思ったが、ベッドは確かに寝ていたベッドだ。荷物は……ベッドの足もとに投げたのがそのままある。それ以外はコンクリの打ちっ放しの部屋だ。良く分からない、という顔をした俺に、妙に濃い顔の男が近付いてきた。
「コトバハ、コレデ、ツウジルカナ」
片言の外国人のようだが、確かに日本語で通じている。
「通じているよ。なんだよこれ」
「ワタスィハ、ブアオ」言葉は胸のスピーカーから出ているようだ。何らかのノイズを拾ったらしい。「……これでもう少し流暢かな?」
「流暢過ぎて涙が出るよ。で、説明してくれないかな?」
白衣の爺さんが寄ってきて、何か喋りながらぺたぺた触っている。「博士、スイッチ」「これで良いかの?」
よかった。とりあえず話は通じるらしい。濃い顔の男が言った。
「私は青い焔の氷……済まない。名前などの固有名詞は化けやすいんだ。とりあえず、考古学博士をしている」
考古学者ね。インディ―ジョーンズかよ、全く。大体、焔の氷ってなんだよ。
「儂は、召喚術を研究している、ドクターマグレだ。お主を召喚したのは儂じゃ」
禿げた爺さん、まぐれ、ってそのままの意味じゃないよな。翻訳時のバグだよな。
「私はドクターマグレの助手のエドです」
うんうん。
「自己紹介は終わったな? で、体の状態は? 何か違和感は?」
「俺は特には何もない。違和感も何も、寝起きだし」助手が何か手でメモしている。
「エド、彼、及び彼の持ち物に異常は?」「所有物を含め、異常のある確率は10万分の1以下です」「素晴らしい」
うんうん。素晴らしいのは分かった。
「では、エド君、これを早速論文にしてくれたまえ。私は召喚式の続きを書く」「ハイ教授」
「ちょっと待った。で、俺は何をすれば良い?」
俺には俺を無視して話を進める彼らに対して質問をする権利があるはずだ。なにしろ当事者なんだから。多分、世界を救うとか、何かあるだろう?
「あぁ、君には私が聞くことがあるよ」考古学者の青が言う。
「青で良いかな、呼び方。で、聞きたいことって?」俺が返すと、妙なことをいってきた。
「君の持ち物だ。多分教科書が、混ざっているはずなんだ」
「ああ」確かに参考書はもっている。全教科、入試のためにもたされた。
「それが、社会科の教科書が必要なんだ」「何故?」
「それがあれば」彼は大げさに手を広げた。「それさえあれば君、全科目制覇なんだ。全科目の教科書が揃うんだ。歴史的偉業なのだよ」
……なんだそれ?
「訳が分からないよ。教科書と参考書はカバンの中だ。ちょっと待って」がさごそとカバンを漁る。ない。そういえば復習するつもりで社会科の教科書と参考書を取り出して机の上において、そのまま寝た……
「あのさ、召喚されたの、俺とベッドだけ?」「そう」
「言いにくいんだけどさ、社会科だけ、机の上だわ」「それで? つまり?」
「つまり、ね、ないんだ。社会科だけ」「おお」彼は膝から崩れ落ちた。床を叩きながら激しく嘆いている。翻訳機は「神よ」とか「何故こんな目に」とか言っている。勘弁してほしい。しばらくして落ち着いたらしい彼に説明を求めた。
まとめると、
・ 今は西暦で言うと145,294年。要するに物凄い未来。
・ 彼は古い教科書を考古学で研究している。俺のいた西暦21世紀前半の日本の中学校社会科だけは未発見らしい。
・ それが揃うと歴史的偉業なんだそうだ。つまりいわゆる自虐史観をどう克服したのかが分かる資料として重要らしい。
・ 数学や理科は陳腐過ぎるが、歴史的価値はあるらしい。
・ 英語の教科書は日本語解読のカギとして非常に重要だったらしく、英語の教科書を「発見」した学者はノーベル賞に相当する賞を貰ったという。
・ だが、すでに日本語研究はやりつくされた感がある。国語の教科書の古文の項が少し議論が分かれているが、それ以外は既に研究されつくした。
・ 残りのフロンティアは社会科だ。社会科の教科書は、1940年代の皇国史観全開のもの、1970年代の自虐史観全開のもの、2130年代と推定される愛国教育史観のものとまったく方向性の異なるものがいくつか、それも不完全なものが 1 冊ずつしか発見されていない。
「召喚によって完全な教科書が手に入れば」青は両手を広げた。「私は間違いなく世界最高の考古学者の一人になれたのだ。おお、それなのに、おお、神よ」
オーケイ、分かった。残念だけれども力にはなれない。俺の記憶を、といっても社会科は苦手なんだ。それに試験用に年と出来ごとの羅列しか覚えていないよ。
「悪いけれども、力になれないよ」と俺は言ってベッドに上った。
青は不思議そうな顔をした。
「何している? 私にはそういう趣味はないよ。2000年代は性が乱れていたという記録は知っているけれども」
「じゃなくてさ」俺は言った。「明日は、もう今日か、試験なんだよ」「何の?」「高校入試に決まっているじゃないか」
「君が受けるべき試験はさ、西暦で言うところの2015年2月5日の試験、だろ?」良く知っているな。まぁ、知らなきゃ召喚できないか。
「そんなの、143,000年以上前に終わっているじゃないか」
いやいや。そうじゃなくてさ。「帰れないのか?」
「当たり前じゃよ」さっきの博士が戻ってきた。「いや、ちょっと忘れ物をな。メモ帳は、と。……あああった」普通の、ペンで書くリング式A6サイズのメモ帳。意外とアナログだな。いやそうじゃなくて。
「召喚しておいて、帰れないなんてあんまりです」俺は言った。
「何をいっておる。召喚されるのは143,000年以上前から決まっていたことだ」
どういうこと? 召喚しておいて、されるのは前々から決まっていたって、んでもって帰れないって、どういうこと?
質問攻めにされて困ったのか、インターホンで助手のエドが呼び出されて説明してくれることとなった。
「まず、君のいた時代はまだ信じられていたと思いますが、光速を越えたら時間がまき戻る、なんてのは迷信です。ありません。過去を書き換えることはできないのです。なのでタイムパラドクスなんて起こりません。光速を越えて振り返ると自分の姿を見ることはできますが、それに干渉することなんて出来っこないからです」
「でも」俺は質問を返した。「俺は呼び出された」
「その通り。貴方が召喚される、ということだけは過去に起こっています。なので、我々が召喚しなくても、誰かが召喚しただけでしょう。いや、こう言いかえれば良いかな? 我々が召喚する直前までは誰が召喚するかは確定していなかったが、召喚されることだけは確定していた。我々が召喚した瞬間に我々が召喚することが確定した。君たちの時代の科学だと、何だったかな、何とかの猫、という名前ですね」
「で、帰る方法は?」
「貴方が帰ったという過去はないんです。だから、貴方は過去に戻れない。これで理解できましたか? それでは私は論文の続きを」そういって去っていった。
なんてことだ。
「がっかりだよ。折角、苦心して召喚された可能性のある人間や物を割り出して、更にその中から君の時代の社会科の教科書を、となると君だけだったんだから」
そういって、肩を落として彼は去っていった。手には俺のカバン……。多分、これから考古学的に調べるんだろうさ。
因みに考古学者氏は稀覯書を売って一財産作り、博士と助手は世界初の過去からの召喚という論文で世界的な賞を貰ったそうだ。
で俺は? 俺はどうすれば良い?
途方に暮れていると、部屋の前を助手のエドが通りかかった。「まだいたのか。邪魔だからそろそろ出ていってくれないかな。酸素も高いんだ……警備ロボット、つまみだせ」
俺はベッドごと外に放り出された。建物は気がつかなかったが研究所は地下にあり地上部分はドーム型だ。周囲は赤土というか荒野、何もない。
ぽいと捨てられて、雨が降ってきた。酷い酸性雨らしく、見る間に俺はとけて水たまりになった。
後に残ったのはプラスティックのゴミの山と、少しの骨と水たまり。風が吹いて日が照って、すぐに何の痕跡もなくなった。
救いようがないのは、主人公が作者の投影だからかもしれません。