買い出し
不注意というか不幸な事故というか。
綺夜の下着を見てしまった罰として夕食を作る、そういうことになった。
今は言い出した本人と一緒に近くの商店街へ向かっている。
「お前、ニンニクとか平気か?」
ふと思い出して尋ねてみる。
吸血鬼の特徴は二つ。
知覚できる世界が広く、そこに合わせて自己を最適化出来る事。
影を使った移動も綺夜にしてみれば影の世界へお邪魔して移動しているだけとのこと。
もう一つは寿命が長いため、一定の時期を過ぎると老化が遅くなる事。
「私は晩成タイプだから外見的な成長が遅いだけで、決して発育不良な訳ではない」
と力説された時の事は記憶に新しい。
個人の間で強弱や早い遅いの違いこそあるが、身体能力も含めて人間と大差はないそうだ。
「だからそれは迷信であってだな……」
「いや、普通の人間と同じって事はアレルギーとか、好き嫌いがあってもおかしくはないかな、って思ってさ」
もしアレルギーがある食物を食わせてしまったら大惨事だ。主に俺が。
「アレルギーは無いな。けど、臭みの強い物はあまり好きじゃない」
調理方法で臭みが取れるなら問題ないけれど、と付け加える。
「臭みの強い、ねえ」
「生臭いのとか強烈に臭いのは遠慮したい」
「納豆はダメってことだな」
「アレは生理的に受け付けない」
俺もあまり好きではないので安心して欲しい。
「じゃ、それ以外でってことで。ついでに、というと失礼だけども、好きな物は何かあるか?」
「鉄の味がするものが――ってなんだその表情は」
予想通りというか、なんというか。
アバウト過ぎて困るといえば困る。生肉でも平然と平らげるのだろうか。
しかし、生肉を美味しそうに食べている綺夜がイメージできない。
「何か失礼な想像をしていなかったか?んん?」
半目で睨まれ、さりげなく腕を組まれた。
いや、組まれるのは良いが、その、押し付けるようにしないでほしい。
無いと思っていたら微妙な弾力というか感触があったので、かえって意識してしまうというかなんというか。
「やらしいなぁお前」
「どっちがだ」
そう思うなら腕を自由にしてくれるとありがたいのだけど、その気はないのでしょうか。
「罰としてこの状態で耐えながら買い物を行うこと」
「勘弁してくれ。こんな所を同級生に見られたら……」
ただでさえ色々な注目を浴びているのに、こんな場面を見られたらそれがどう加速するのだろうか。
予想通りか、あるいは予想以上か。
ただひとつ分かるのは、どちらに転んでもよろしくないということ。
そして嫌な予感というのは的中するものなのだ。
「あ」
先手は相手。口を開いて硬直。
「お」
後手は俺。若干引きつった顔で硬直。目線が合う、最悪だ。
クラスメイトにばっちり遭遇してしまった。
ちくしよう。別に悔しいから口をついて出た訳ではない。彼の名前だ。
漢字表記は竹市要。名は体を表すというか、口癖はちくしょう。
昔から知っているが仲はあまり良くはない、はっきり言って面倒くさい部類の相手だ。
そんな彼は俺の姿を見るなり、つかつかと歩み寄って吠えるように一言。
「壱月、手前やっぱり綺夜さんとそういう関係にあったのかよ!ちくしょう!」
はいちくしょう頂きました。
そういえばコイツも綺夜を狙っているうちの一人だったか。
正体を知っているから忘れがちだけど、綺夜は男女問わず人気が高い。
外見も影響しているのだろうが、人の目がある所では二人でいる時とまるっきり態度が違うのだ。
素を知っている俺からすれば騙されているぞ、と忠告して差し上げたい。
「手前、羨ましいぞ!憎たらしすぎるぞ!」
当然ながら目前の相手はそんなことを知る由もないので、俺と綺夜が二人で出かける仲というのが非常に不満なご様子。
「綺夜さんも綺夜さんですよ。どうしてこんな奴を?コイツあれですよ、昔『そこに怪物がいる』だとかほざいて周囲の気を引いてたような奴なんですよ!?」
俺の評価を落としたいのか、昔の事を持ちだして騙されてます、あなたは騙されています!としきりに連呼する竹市。
とりあえずそれ以外に言うことがないのだろうか、という感じだ。
確かに、そういう時期もあった。
見えるハズのないモノが見えてしまう、という事を疑問に思くことなく、感じたままを口に出してしまっていた時が。
今ではきちんと見えない人間もいる、と理解しているので口にすることは滅多にないのだが。
それを聞いた綺夜は、問うような視線をこちらへ向けてきた。
だけど、それだけ。
何かを聞くような素振りは見せない。
代わりに、と言うべきなのだろうか。綺夜の言葉は竹市へと向けられる。
「知らない、見えない、聞いたことが無い。だから嘘、偽り。そう決めてしまうのは簡単だけれどもね」
――どうして自分に理解できないもの、自分で見たことのないものが真実ではないと言えるのかしら。
その言葉が沈黙を運んできた。
横目で見た彼女は微笑っている。だがその目に笑みは無い。
「まあ、本当に見える人がいたとしても――見えない人に理解してもらうのは難しいから、そういう意味では壱月にも責任があるのだろうけども、ね」
俺の方を見る綺夜の視線は幾分か柔らかかったが、それは当時の年齢を考慮してくれたからだろう。
「それでも、ごめんね。私は貴方のような人が好きじゃないの」
綺夜は再び竹市に視線を向けると、死刑宣告にも等しい台詞を言い切った。
これ以上ないくらいの笑顔で、だ。
「それじゃあ、ね」
別れの言葉を告げると、綺夜は俺の腕を取って歩き出す。
そうして、後には石のように固まった男の姿だけが残ったのだった。