ファーストキスは鉄の味
いつもはきちんと?
つまりそれは、彼女が干からびた鼠の死骸をいつも作っているという事だ。
そう言えば何か、突き刺したような後が死骸に残っていた気がする。
肉を残して何かを吸って、鼠が干からびて死んで、後片付けを怠った。
「食事、ってことか?」
このままでは、確実に良くない方向に進んでしまうのではないか。
そんな疑念から再び身体に警告が走る。
「……そこまで緊張しなくてもいいだろうに。傷ついてしまうぞ?」
見た目は可愛い女の子なのだし、中身もそうなのだからな、と彼女は言うが、声に落ち込んだ様子は感じ取れない。
むしろ楽しそうですらある。
「人じゃないのは事実だろう。そして俺の経験上、あまり嬉しい事態にはならない」
「ふふ、そのような態度では、物好きにでもなければ好かれないぞ?」
好かれなくて結構。無視してくれれば尚更よろしい。
そんな風に思っていると、彼女は思案するかのように腕を組み、人差し指を顎に当てた。
……そんなベタな。
「さぁて、改めてどうしようか。記憶を操作して帰しても良いけど、『魅了』は効きにくいようだし、何かのきっかけで枷が外れて言いふらされても困るし、な」
彼女は微笑んだが、それは表情だけ。緩く弧を描いた瞳は真剣な光を宿している。
「言いふらさない、と口で言っても信用はないか……?」
「当然だな、心配で心配で気が気でなくなる。我はそれくらい用心深い」
一瞬だけ、脳裏に『死』という単語が浮かんだ。
どうしてかは解らないが、なんとなく感じてしまったのだ。
「失礼な……。我は無駄に命は奪わない主義だ。それに人間の変死体を出してしまっては、ここに隠れて住めなくなる」
「じゃぁ、一体どうするつもりなんだ」
「そうだな、お前と我は運命共同体になろう」
聞きなれない単語を耳にした。
運命共同体?
「まぁ言うなれば監視だな。ついでに血液を少々頂く」
開いた口が塞がらなかった。常に監視される上、おそらく彼女の主食である血液を提供する。
あまりにも一方的、何処までも一方通行。こちらへのメリットは何も無いというのか。
それに、血液を少々頂く、って。
「吸血、鬼……?まさか、本当に」
「世界は必ずしも、目に見えることだけで構成されている訳ではないということだよ」
それに、慣れているのだろう?と彼女が続けた。
確かに、慣れてはいる。慣れてはいるが毛色が違う。
まさか空想だけの存在だと思っていた存在が、実在していたなんて。
「大丈夫、毎日少しづつ頂戴するだけ」
どうやら彼女の提案はすでに決定事項のようだ。
こうなればもう、その条件を飲む以外に道があるはずもなく。
「……一つだけ頼む」
「できる範囲内でなら」
「血を吸うときは、目立たない場所からにしてくれ」
一応学生としての生活がある以上、目立つ場所に傷を作るのは極力避けなくてはいけない。
俺は髪が短いので首筋から血を吸われた場合はすぐわかる。
かと言って伸ばしたとしても、伸びるまでの間は傷跡を何かで隠さなくてはならない。
それが原因であらぬ勘繰りをされた結果、吸血鬼の存在がバレたら目も当てられないからだ。
事実無根のあらぬ噂なんて誰にだって立つ。
「わかった」
そういって彼女は再び思案するような仕草を見せ、直後に微笑む。
だけどどうしてかな、嫌な予感しかしない。
「ついでだ、少しサービスしてやる」
瞬間的と言って良かった。
触れたのは唇。触れられたのもまた、唇。
「!?」
衝撃で思考はおろか、呼吸も動作も停止する。
一瞬、けれどそれで充分。
口内に何か適度に弾力があって湿り気のある柔らかくて温かいものが進入していく。
脳がこの行為を理解するのが先だったのか、それとも彼女の行動が先だったのかはよく覚えていない。
気がつけばいつの間にか俺の舌は彼女の口内にあり、柔らかな唇でホールドされていて。
先端にちくり、と刺すような痛みの後、舌を何かに吸われる感覚がやってきた。
何がなんだかわからないけれど、初めてのキスを奪われたのだろうという事だけが理解できる。
年頃の男にとっちゃ夢と憧れと希望と下心の詰まったファーストキス。
思春期にとっては結構重要とも言えるそれを、まさか奪われるとは。
しかも女の子に。結構な深みのある方法で。
というか、舌絡められましたか俺。初舌×舌ですか。
男なのに、受けですか。総受けですか。
兎も角、正気に返った時には既に相手の行動が終わっていた。
ゆっくりと離れていく顔。その唇には俺の唇に繋がる銀糸。
「ごちそうさま」
囁くように呟かれた、聞き取れるか聞き取れないかという位の声。
その声色とまだ少し濡れている唇が妙に艶っぽい。
「刺激が強すぎたか?」
彼女はにんまりと意地の悪い笑みを浮かべて、どこか楽しそうに言う。
「今のは」
「望みどおりに、目立たぬ所からの吸血だが?」
違う、そうじゃない。俺が望んでいる返答は、俺が尋ねたい事は。
「あまりにもお前にうまみが無かったからな、まぁ我からの気遣いと思っておけば良いさ」
気遣いでキスされたというのか。
何故だかどうしようもなく悲しく、切なく、苛立たしい。
どうして俺はこんな感情を抱いているのだろう。
いや、そもそもどうしてこんな所に来てしまったのだろう。
肝試しやろうぜ、とあまり親しくもない面子に誘われるがままに、ホイホイとついてきた代償なのだろうか。
しかし、俺が地味に滅入っている事など関係なく時と話は進んでいく。
「自己紹介がまだだったな。我はキイヤヴェルン・ウィスハーニアメルク・サリシアだ。
正直フルネームだと長いし面倒くさい事この上ないのでキヤと呼んで欲しい」
有るのか無いのか解らない胸を張りながら、彼女――――綺夜はそう名乗る。
その時に俺は悟った。
ああ、自分に意見や私情を挟む余地はないのだな、と。
最も、これは酷く私的な見解だったのだが、まぁ当たらずとも遠からず。
これが遭遇の経緯。
その後、彼女は古い知り合いのツテで石葉綺夜と名前を変え、この南中央清廉学園に転入してきたという訳だ。