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伯爵家の秘密  作者: BUTAPENN
第9章「第二の秘密」
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第9章「第二の秘密」(1)

 オリヴィエは、王都の中をかけめぐっていた。

 結婚式がおこなわれる大聖堂との打ち合わせはもちろん、披露の宴に出す酒や食材、出席者への引き出物に至るまで、準備には気が抜けない。

 伯爵家には伯爵家の格というものがある。式や宴がそれより劣ったものでも、逆に上のものでも、ひんしゅくを買う。神経をすり減らす務めだが、家令としての一世一代の腕の見せどころでもあった。

 へとへとの毎日の中で、ただひとつの慰めは、居館執事のナタンがこのところ目立って大人しいことだ。不正な蓄財に走っていたことがばれ、大旦那さまに特大の釘をさされたらしい。いつも威張り散らされておもしろくなかったオリヴィエとしては、しごく愉快な眺めだった。

 徴税特権が廃止されることになり、王都の商店や市場には以前より活気がみなぎっているようだ。利益を貴族に横取りされないとわかった商人たちは、豊富に商品を仕入れ始めた。

(やがて、貴族よりも大きな富を所有する大商人たちが、次々と生まれるだろう)

 それが果たして、クライン王国の繁栄を約束するものか否か、旧来の貴族社会に生きてきたオリヴィエにはわからないことだった。

(わかるのは、プレンヌ公も大部分の上位貴族たちも、その変化を望んではいないだろうということだ)

 そんなことを考えて憂うつな気分になったオリヴィエは、ふと道に大きな薬店を見つけた。

「いらっしゃいませ。何がご入り用でしょう」

 家令の上質の装いを見て、初老の店主が、カウンターの向こうから揉み手をして出てきた。

「ひとつ、ものを尋ねる。木の根のような形をした貧血の薬は置いているか」

「貧血の薬でございますか?」

「煮出すと目にしみるような刺激臭がする真っ赤な液体ができて、それを飲むのだそうだ」

「あいにく、当店にはそのようなものは置いてございません」

 首をひねったあと、店主は答えた。「ですが、木の根を煎じるというのであれば、もしや放浪民族の伝承薬ではございませんか」

「放浪民族?」

「しばらくお待ちください」

 店主は奥に引っ込んだきり、しびれを切らすくらい長い間、戻ってこなかった。

「ようやく、見つけました」

 埃だらけの箱の中に、確かに、あのときメイドが大鍋で煮出していたものと似た木の根の先が入っていた。

「十年以上も前に、先代が勉強のために集めていたのを覚えておりました」

「うん、確かにこれだ」

 手に取って匂いを嗅いでみたオリヴィエは、同じものだと確信する。

「これは、毛染め薬でございます」

「毛……毛染め?」

「飲むものではなく、髪に塗って用いるものです」

「赤毛になるのか」

「いえ、くり色に染まります」

「涅色?」

 店を出たオリヴィエは、秋の日射しがうららかな通りを、ぼんやりと歩いた。

(若旦那さまが、髪を染めておられる?)

(放浪民族の薬?)

 頭の中に次々と、とりとめのない考えがうずまいている。

 ラヴァレ家の居館を通り過ぎそうになり、あわてて戻ってくる。

「何を馬鹿なことを」

 口中でつぶやきながら、館に入った。

「どうした」

 自室に入ったとたん、すぐ背後から声がして、飛び上がった。

「優秀な家令どのが、そんな情けない顔をして通りを歩いていると、伯爵家に何か凶事があったかと疑われるぞ」

 プレンヌ公の密偵ルネは、いつもにまして狡賢そうな笑みを白い顔に浮かべていた。

「なんでもない。考えごとをしていただけだ」

「公爵さまがお呼びだ。すぐに来い」

「何の御用だ?」

「来ればわかる」

 このところ、プレンヌ公爵の機嫌がすこぶる悪いと聞き、オリヴィエは戦々恐々としている。

 嫡子セルジュが、徴税特権に関する法案を強行突破してからというもの、父子の仲は険悪になっていた。

(若旦那さまのお考えがさっぱりわからぬ。なぜセルジュさまと結託して、ことさらに父公の怒りを煽りたてるような真似をなさるのだ)

 プレンヌ公という人間の性格を知っているオリヴィエには、ひどく危うい企てに思えるのだ。かの貴人は一度怒らせたが最後、相手が滅びるまで容赦ということをしない。

 果たして、公爵の屋敷に入ったとたんオリヴィエは縮みあがった。

 仕える主の心を読めるように、絶えず気を配っているのが家令や執事の習性だ。その鍛えられた鋭敏な神経が数秒でまいってしまうほど、プレンヌ公は荒れていた。

「毒を盛る? いいや、そんな生易しい方法ではすませぬ」

 ぶつぶつとひとりごとを言いながら、部屋を歩き回る老公爵は、明らかに常軌を逸していた。

「何かないのか、オリヴィエ! ラヴァレ伯爵父子をできるだけ長く苦しめて殺す方法は!」

「わ、わたくしには何のことだか、さっぱり……」

 全身、怖気立ちながらオリヴィエは床に平伏した。

「陛下が、カルスタン同盟への署名を拒否したのだ。王妃までが陰でこそこそと、アルバキアと書簡を交わしておる。どうせ、あの父子の入れ知恵に決まっておる。リオニアの共和主義者に肩入れなどしたら、この国は終わりだ。王も貴族も、愚民どもによって皆殺しになる。それがわからぬのか!」

「恐れながら、セルジュさまがついておられる限り、そのようなことになるはずはありません」

「たぶらかされておるのだ。セルジュも国王もだ。エドゥアールめ、次々と巧妙に王宮の人心を掌握していく。悪魔の妖術でも用いているに違いない」

(狂っておられるのか)

 と内心つぶやいているオリヴィエの前に、ぬっと公爵が立った。金髪が額に触れるほどに、顔を近づける。

「それとも、やはり、あやつはエレーヌ姫の血を引いておるのか」

「えっ」

 (また、その話か)と、いつものオリヴィエなら考えるだろう。だが、今日は違った。心臓が早鐘のように打つ。

「どうした。顔色が悪いぞ」

「い……いえ、なんでもありません。その話なら」

 大きく一呼吸つく。「終わったはずです。若旦那さまは娼婦との間に生まれた庶子であると結論が出たのではなかったのですか」

「それが、また雲行きが変わって来た」

 ルネが背後から、愉快そうな声を出した。

「わが父が何者かに殺された森を覚えておろう」

「それがどうした」

「あそこには、放浪民族の老婆が住んでいたはずだなあ?」

 気味の悪いほど、ゆっくりともったいぶって口を切る。「その老婆とエドゥアールがいっしょにいるところを、サンレミ村で目撃した者がいる」

「サンレミ村だと?」

「伯爵家と因縁浅からぬ村だ。念のためにと、はなっておいた草の者が報告を寄こした」

 息がうまく継げず、返事ができない。

「やはりエドゥアールは、あの森でひそかに暮らしていたのだ。それを感づいたわが父が、ラヴァレ家に代々仕えるカスティエ家の騎士と斬り結んで殺された。どういうことかわかるな」

 騎士アンリ・ド・カスティエは病死だと聞いていた。まさか――。

「なんでもよい。あやつがファイエンタールの血を引くという証拠を持ち帰れ」

 プレンヌ公は、酒臭い息をおかまいなくオリヴィエに浴びせた。「奴が王族ならば、かならず金色の髪を隠しているはずだ。たった一本でよい。床を這いずり回ってでも探し出せ」

「し――承知いたしました」

 オリヴィエは、ふらふらと退出した。

(森の小屋。放浪民族の老婆。毛染めの薬)

 すでに疑念は確信に変わっている。

 娼館で生まれ育ったにしては、あの博学と見識。深い洞察力。うすうすは変だと感じていた。

 娼婦の息子だと聞かされたときは、悲しかった。だが一方では、このまま伯爵家に背かずにすむことを安堵してもいたのだ。

(十八年間、わたしは騙されていたというのか。ラヴァレ伯爵ご夫妻に。執事ロジェに。メイド長アデライドに。姫のお産みになった御子は、どこかの死産の子とすり替えられていたのか)

 自分の人生は、いったい何だったのかと思う。あれほど誠意を尽くして伯爵家に仕えた二十年、結局は信じられていなかった。密偵として潜入した以上、怒る権利などないのはわかっている。それでも怒りが湧いてくるのを止められない。

 秋空を睨み上げ、オリヴィエは居館への歩みを速めた。一刻も早く谷に帰らねばならぬ。

(今さら、仕える相手を違えるつもりはない。プレンヌ公の命令があれば、自分はいつでもラヴァレ伯を裏切る。それが己に与えられた抗えぬ運命なのだ)



「スュド村から祝いの品が届きました」

 伯領に戻ってからというもの、エドゥアールは日々増えていく贈り物の山に呆然とすることになった。

 領内の各村々から贈られてきた結婚祝いだ。

 小麦。お茶。上等のジャムやピクルス。毛織物のタペストリ。一生使っても使いきれないほどのタオルや、手作りの揺りかご、三百枚を超えるおむつ。

 そして、ラヴァレ領で初めて織られた絹の反物。

「使った生糸そのものは北から取り寄せたものですが、女たちは日々に織機の使い方が上達しております」

 ジョルジュは戻ってきたその日から、さっそく従者とともに谷をめぐっては、嬉々として村の様子を報告した。

 彼の表情が目に見えて朗らかになったことを、誰もが気づいている。ポルタンスでの数々の経験、特に母と和解したことが、臆病な騎士に自信と勇気を取り戻させたのだ。

 オリヴィエが南から呼び寄せた養蚕の専門家が村人たちに、蚕の飼育方法や、繭を煮て糸繰りする方法などを指導している。ラヴァレ領で絹の生産が成功すれば、その技術を無償で各地に伝える。北方の貧しい下位貴族たちの領地経営は、どれほど楽になるだろう。

 冬播き小麦の収穫も良く、この冬は領内の半分近い畑で、降雪前に冬播き小麦の種が播かれることになった。

 農作物の収穫と出荷が終わり、谷全体が冬への備えに入るこの時期は、幾晩徹夜してもすまないほど領主の仕事にはきりがなかったが、父エルンストと分担したため、思ったよりは早く目処がついた。

 気がかりなのは、朝晩が冷え込んでくるにつれ、父伯の床についている時間が少しずつ長くなっていることだ。内臓に巣食うしこりは、ちょっとした無理でいつ爆発するかわからない。

「親父、体の調子はだいじょうぶなのか」

「何、大事を取っているだけだよ。具合が悪いわけではない」

 隣り合って執務する書斎で、エルンストは安心させるような、おおらかな微笑みを見せた。「おまえたちの結婚式に出席するために、王都まで往復する体力を温存しておかねばな。大丈夫。孫の顔を見るまで死ぬつもりはない」

「そのことなんだけど、計画を立てたんだ」

 エドゥアールは、王立会計院に提出するための書類の余白に、とんでもない落書きをしていた。

「まず一年半後に女の子。二年後に男の子、それから三年空けてまた男、最後に二年空けて女で、計四人だ」

「なんだ、これは」

「あんたの孫の話。四人全員の顔を見るには、少なくともあと九年生きなきゃならねえ」

「なるほど、壮大な計画だ」

 父は腹を抱えて笑い出した。「そんな楽しい未来を見ずに死ぬわけにはいかないな」



「お呼びですか」

 ソニアはメイド長の前に立つと、両手を前にそろえ、礼儀正しく頭を下げた。はじめの頃は、これだけのことができなかったのが嘘のようだ。

「いよいよ、ミルドレッドさまのお輿入れの日が近づきました。リネンの準備はだいじょうぶ?」

「はい。すべてお支度は整っています」

「よろしい。今日はあなたに別の話があります」

 アデライドは、書きつけていた帳簿から顔を上げ、老眼鏡をはずした。

「あなたに、奥方さまの部屋付きメイドをまかせます」

「ええっ」

「奥方さまはジルという侍女を連れてきますが、領館のことをよく知るメイドも、もうひとりは必要です。その役をあなたにお願いしたいの」

「で、でも……ゆ、夢のようで」

「確かに、リネン係から部屋付きへのいきなりの大抜擢というのは、あまり例がないわね」

 当惑しているソニアに、メイド長はほほえんだ。「でも、奥方さまと同じ年のあなたなら、きっとお気持ちがわかると思うのよ」

「お話はありがたいのですが、そんな大役わたしに務まるでしょうか」

 ソニアはうなだれたまま、きゅっと唇を噛んだ。

「若旦那さまが、奥方さまと睦まじくされるのを見るのは、つらい?」

「……え」

 アデライドは椅子から立ち上がると、驚いている若いメイドのキャップをまっすぐに直した。

「それでも、見なければなりませんよ。若旦那さまの使用人への優しさと、ミルドレッドさまへの優しさが全然違うことを。 見て納得しなければ、気持ちが先に進めません」

「アデライドさま……あの、どうして」

「あなたの若旦那さまへの気持ちは、見ていればわかります。なぜなら、わたしも」

 自分のグレーの髪からピンを一本はずして、キャップをしっかりと留めてやる。

「わたしも、かつては大旦那さまに、そのような想いを抱いた覚えがありますもの」

 ソニアの瞳に、メイド長のやさしい笑顔が映った。少し寂しげで、なつかしげで、でも晴れ晴れと美しい笑顔。

「だから、あなたに奥方さまのお世話をまかせるのですよ。わたしと同じように、乗り越えていってほしいから」



「若さま」

 ユベールは重大なことを告げるときの常で、主の斜め後ろに立ち、耳元にささやいた。「オリヴィエの様子が変です」

「変とは?」

「先ほども、メイドに掃除の不手際を注意するふりをして、若さまのお部屋に入りました。昨日は屋敷の裏でゴミを調べておりました」

 エドゥアールの喉の線が、ごくりと動いた。

「考えたくはありませんが、サンレミ村での我々の行動が、向こうに筒抜けになっていたかもしれません」

 騎士は昏い目つきをして、続けた。「そうだとしたら――わたしの落ち度です」

「どうするつもりだ」

 ユベールの声に混じったかすかな闇に気づき、エドゥアールは振り向いた。

「あなたは、知る必要はありません」

 騎士は体をひるがえした。故意か偶然か、腰の剣がかちりと鳴る。「オリヴィエは急に暇を取り、明日には館から姿を消しております」

「ユベール、待て」

 主従はもつれこむようにして、書斎の扉に殺到した。

 扉がおのずと開かれたとたん、驚愕した若者の顔がそこにあった。

「アラン!」

 怒声とともにユベールは、家令付きの従僕の体を引きずり込み、床に倒した。「立ち聞きしていたな」

「お……お赦しください。わたしはただ」

「オリヴィエに、若さまの様子を探れと言いつけられたのか」

「さ、探るだなんて、そんな……」

 十六歳の少年は、可哀そうなほど全身をガタガタ震わせていた。邪心あってのことでないのは、明らかだった。

「アラン」

 エドゥアールは、うずくまっている従僕に手を差し出した。「恐がらなくていい、おまえのことを怒ってるわけじゃないんだ」

「は、はい」

「オリヴィエに、ここに来るように言ってくれないか。そのあと、ふもとの村まで使いに行ってもらいたい」

「はい、ただいま!」

 数分して、重々しいノックの音がした。

 ラヴァレ伯爵家の家令が入ってきて、折り目正しく一礼した。「お呼びでございましょうか」

 エドゥアールは書斎の机に両肘をつき、組んだ手に額を乗せて座っていた。その姿は、オリヴィエが今まで見たこともないほど、打ちひしがれて見えた。

「何か、俺に訊きたいことがあるんだろう?」

「は?」

「まどろっこしい探り合いは、ごめんだ。ちゃんと腹を割って話そうぜ」

 傍らには騎士のユベールが立っているが、相変わらず、何の感情もうかがい知ることができない。

 家令は、ぴんと背を伸ばした。

「恐れながら、お伺いいたします。若旦那さまは、ファイエンタールの姫君さまの御子であられましょうか」

「違う」

「その御髪は、放浪民族の薬を用いて、涅色に染めておられましょうか」

「違う」

「アルマという名の放浪民族の老婆とともに、暮らしておられましたか」

「そんな者は知らない」

 数瞬の沈黙があった。

「やはり、お話しはくださいませぬか」

 オリヴィエの口から笑い混じりのため息が漏れた。「当然です。十八年間大切に守ってこられた秘密を、プレンヌ公爵の密偵などに明かしては、元も子もありませんからな」

 エドゥアールは顔を上げ、まっすぐにオリヴィエを見つめた。

「プレンヌ公に何と報告するつもりだ?」

「ただ、事実を報告します。伯爵継嗣さまは、金色の御髪を放浪民族の薬で染めておられる。ご幼少のころアルマという老婆とともに、森にひっそりと住んでおられた。それもこれも、王の血筋を引いておられることを隠すためだったと」

 オリヴィエは、ふたたび深々と一礼した。「これで、もう御用はおすみでしょうか」

 そのとき、ユベールは腰の剣を鞘から放った。鋭く研ぎ澄まされた矢のように、棒立ちになっている家令に、ためらうことなく襲いかかる。

「やめろ、ユベール!」

 立ちどまった騎士の前に、エドゥアールが両腕を広げて飛び出した。

「わたしのために、もう誰ひとりとして死なせない。あのときわたしは、そう誓ったのだ!」

 大海の轟きのごとき叫びだった。決して大きな声ではないのに、誰もその場から動けなくなるほどの峻厳さに満ちていた。

 騎士は焦燥を押し殺して、剣先を下げた。「こやつは、敵なのです」

「それでも、ラヴァレ家にとって大切な人だ」

 エドゥアールはオリヴィエの前に両膝をついた。座り込んでいる家令の制服の襟をつかみ、声を殺して泣いた。「……わたしにとって、かけがえのない友だ」

 オリヴィエは放心して、ただされるがままになっていた。

 やがて、エドゥアールは立ちあがった。

「好きなところに行くがいい」

 涙に濡れた水色の瞳。覚悟を決めた眼差しだった。「そして、どこででも思うままを話せ。誰にも、おまえの命は取らせない」



 二日後、王都のプレンヌ公爵の私邸に、オリヴィエが姿を現した。

「どうであった」

「はい」

 彼は公爵の前に額ずき、ふところから白い布を取り出した。

「若旦那さまの御髪を持参しました」

 包みを広げると、中から涅色の髪の毛が数本、現われた。

「して?」

 短い沈黙ののちに、彼は口を開いた。

「確かにこれは涅髪です。金色を染めたものではありません」

「なに」

 わきに片膝をついていたルネが、にわかに色をなした。「そんなはずはない!」

「ご不審なら、いくらでもお調べください。どのような手段で洗おうとも、色は落ちません」

「貴様、裏切るつもりか!」

「そんなつもりはございませぬ。わが忠節は、今までも、これからもプレンヌ公爵さまのもの」

 鷹のごとき風貌の公爵は、恐ろしい形相で席を立った。

「もしその言葉、違えたときは、どうなるかわかっておるな。オリヴィエ」

「はい。マリオンさまとオルガさまのお命は、あなたさまの手の中に」

 愛娘と孫の名を、オリヴィエは顔色も変えずに言い切った。

「わかった。下がれ」

 屋敷を辞し、石畳の通りを歩いているとき、急にがくんと膝の力が抜けた。

 彼はしばらく立ちあがることもできずに、馬車や通行人の行き交う坂道に座り込んでいた。

 ようやく歩けるようになったとき、足は知らず知らずのうちに慣れ親しんだ道を選んだ。

(わたしの帰る場所は、あそこしかないではないか)

 しばらくためらった後、ラヴァレ伯爵家の居館の扉をノックした。帽子を取り、頭を垂れて立ちつくす。

「あ、オリヴィエさん」

 扉を開けたのは、従僕のアランだった。

「お帰りなさい。若旦那さまも、ちょうど今しがた谷から到着されたところです」

 呑気な声を上げながら、家令の帽子やステッキを受け取る。「なんか、めちゃくちゃ怒っておられますよ。オリヴィエを引きずってこいって。式の準備が途中でほったらかしじゃないかって」

「は……はは」

 オリヴィエは涙を追いやるために、従僕の少年の頭をぱちぱちと叩いた。

「あいた。いたた。何をするんです。オリヴィエさん、このごろ変ですよ。いきなり叩くし、俺の髪の毛は引っこ抜くし」

 主の部屋をノックし扉を開けると、家令はガバとひざまずき、両手を床についた。

「恐れながら、若旦那さまにお願いがございます」

 額をすりつけ、かすれた声をしぼりだすようにして、懇願する。

「わが娘マリオンと孫娘オルガの命を、なにとぞお救いください」




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