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伯爵家の秘密  作者: BUTAPENN
第5章「静寂の冬」
19/91

第5章「静寂の冬」(1)

 豪雪が降る日のラヴァレの谷は、山おろしの風を受けて、まるで沸き立った湯気の底に沈むかのように見えるという。

 だが、エドゥアールたちが王都から戻ってきた日、谷は冬の透明な陽を浴びながら静まり返っていた。

 わずか三ヶ月足らずの留守のあいだに、豊かだった夏の色彩は完全に白と黒に塗り変えられていた。丘から見わたす限り、人の姿はなく、寒さに全員が死に絶えてしまったのではないかと思うほどだ。

 凍てついて、寒々と光を照り返す川のほとりでは、水車さえ動きを止めている。

 だが馬車が坂道を駆け下ると、そこここに生命の気配が感じられた。視界の端で木の枝が大きく揺れ、どさどさと雪を落としたかと思うと、大きな鳥が甲高いひと鳴きを残して空に飛び立った。

 道には、馬車のわだちとともに、キツネやウサギの足跡がいくつも白い雪を横切っている。

 谷は生きていた。

 車輪の音を聞きつけた村人たちが扉から飛び出してきて、伯爵家の馬車に向かって大きく両手を振る。

 通り過ぎた村の教会の鐘が、からんと鳴り出した。

 その音は隣の村々に伝わり、誰かが鐘楼に駆け上がる。

 やがて、谷はいくつもの鐘の音がこだまし、新しい伯爵の誕生と帰郷を祝った。

 三ヶ月ぶりの領館に着き、馬車から降り立ったとき、エドゥアールは、しばらく前に足が踏み出せなかった。

 春に初めて訪れたときは、まだ客人であり気楽なよそ者だった。今は違う。黒々とそびえ立つ古い館は、新伯爵を主として迎えようと、いかめしく見降ろしていた。この組石のひとつにさえ、彼は責任を持つ身となったのだ。

「おかえりなさいませ。若旦那さま」

 執事のロジェが、心を暖めるようないつもの微笑を浮かべてから、深く腰を折った。

「ただいま」

 いくぶん緊張した声で答えると、エドゥアールは開かれた大扉をくぐった。

 「おかえりなさいませ」と、使用人たちが両側に整列して、彼を迎えた。

 そして、真正面の椅子から立ち上がったのは、エルンスト・ド・ラヴァレ伯爵その人だった。

 エドゥアールは目をそらさず、まっすぐに歩み寄った。

「親父、今帰った」

「ああ」

 父は灰色の口ひげの下で笑むと、杖に寄りかかるようにして片膝を床についた。

「な、何をする気だ」

「新しいラヴァレ伯爵に、おめでとうを言わせていただきたい」

「何を気の早いことを言ってやがる」

 喉の詰まるような思いをやり過ごして、エドゥアールは無愛想に答えた。「正式な伯爵の称号は今もあんたのものだろう。俺は、法的にはまだ【伯爵継嗣】だ」

「わたしの生きているあいだは、だ」

 エルンストは穏やかに付け加えた。「今日より、この伯領のすべてをおまえの手に委ねる。よろしく頼む」

 エドゥアールは彼のわきの下に手を差し入れ、その驚くほど軽い体をゆっくりと抱き上げるようにして、元通りに椅子に座らせた。

「面倒くせえことを全部押しつけて行こうったって、そうはいかないからな」

 息子は、滴がたまった目で父をにらんだ。「そういう寂しいことを――言わないでくれよ」

 父の痩せた頬に、ひとすじ涙が伝う。それを見た背後の使用人たちの間から、堪えきれずにすすり泣きが漏れた。

 エドゥアールは手の甲で目をぬぐうと、彼らのほうに振り向いて、はつらつとした大声で叫んだ。

「ただいま! みんな、待たせたな」



 次の日から、伯爵領館はいつもの日々を取り戻した。

 王都に伴っていた使用人たちも、帰った翌日の早朝から疲れも見せずに、嬉々として働いた。

「対外的には、おふたりとも【伯爵さま】とお呼びすることになる」

 叙爵式後は同じ家にふたりの伯爵が並び立つ形になり、混乱が起きかねない。『おふたりをどうお呼びすればよいのでしょう』との疑問の声に、オリヴィエが主だった者たちを集めた。

「だが屋敷内では、先代伯爵さまは【大旦那さま】、若い伯爵さまは【若旦那さま】とお呼びするように」

 「それから」と家令は声をひそめる。「王都に赴いた使用人の中には、根も葉もない無責任な噂を聞き及んだ者もいると思う。館の内だろうが外だろうが、絶対に他言してはならぬと皆に申しつけよ。たとえ寝ている間の寝言であっても、厳重に処罰するから、そのつもりで」

 オリヴィエは頭の切れる男だが、この一点では誤りを犯した。

 人は、他言するなと戒められれば戒められるほど、他言したくなる生き物なのだ。

 数日のうちに、領館で働くコックやメイド、馬番から下働きの少女に至るまで、『エドゥアールさまが娼婦の子である』ということは知れ渡ってしまった。

 早すぎる冬の訪れの埋め合わせをするように、ラヴァレ地方が小春日和に恵まれる頃には、伯領全体に、おずおずと噂は広がり始めた。

 エドゥアール当人は、そのようなことは全く意に介さない。領地に戻ってしばらくは書斎に引きこもり、朝から晩まで膨大な書物の山に埋もれて、なにやら調べものをしていた。

 頻繁に使いの者が訪れ、そのたびに書類や本の山が増えていった。

 王都に最後まで残って居館の片付けを指揮していたメイド長のアデライドは、戻ってくるとすぐ、洗濯場の下働きであるソニアを呼んだ。

「今日から、あなたはお屋敷の中で働きなさい」

「ええっ」

 思いがけないことばに、真っ黒に日焼けした少女は呆然と立ちすくんだ。

「い、い、いったい、あたし、どんな粗相をしてしまったんでしょう」

「落ち着きなさい。逆ですよ。いいお話なの。これから六か月、あなたにはメイド見習いとして働いてもらいます。それが終われば、正式にリネン室に配属します」

「じゃあ、あたし――メイドにしてもらえるんですか?」

「そうです。若旦那さまにお会いしたら、よくお礼を申し上げるのですよ」

「若旦那さまが?」

 洗濯場に来て話し込んだ「エディ」という名の気さくな若者の顔を思い浮かべた。あの方がこの館の新しい当主さまだったなんて、今でも信じられない。

 自分に訪れた思いがけない幸運にも増して、あの方にもう一度会えることが、ソニアは嬉しくてたまらなかった。



「若旦那さま宛てにお届けものでございます」

 オリヴィエが、従僕のアランに大きな荷物を運ばせて、書斎に入ってきた。

「どこからだ」

「名札には【王立農業試験場】……とあります」

 エドゥアールはようやく羽根ペンを机に置き、顔を上げた。

「やっと届いたか」

「これは、何ですか」

「開けてくれれば、教えてやる」

 と立ち上がって、ペンナイフを差し出す。荷物は不必要なほど厳重に梱包されていて、従僕が何重もの包みを苦労してようやくほどくと、中からは小さなガラス製の蓋つき容器が出てきた。

「これは……小麦の種でございますか?」

「当たりだ。よくわかったな」

「恐れながら、わたくしの生家は農村の地主でした」

 オリヴィエは、からかわれているのがわかって不機嫌な顔をしてみせた。「いったい何故、この季節に小麦の種などお取り寄せに?」

「今の季節しか、意味がねえんだよ」

 エドゥアールは、今しがたまで取り組んでいた書類を一枚、家令に渡し、自分は机の端に腰をかけた。

「クライン王国の諸領地と、作付面積あたりの麦の収穫量を比較した表だ」

「そのようですな」

「うちは、大麦の収穫は悪くない。だが、小麦の収穫が他と比べて低すぎる。何故だと思う?」

(今度は、何を考えておられるのだ)

 オリヴィエは心の中で愚痴る。

 昨日は、来年の夏までに水車を三基増やす計画だと申し渡された。そのための木材の伐採を、農閑期の農民たちに、相応の手間賃を払ってやらせろと命じる。

 すでにそれだけで、いったい何万ソルドの金がかかると思っているのだろう。

(伯爵家の莫大な財産が正式に自分のものとなり、自由に動かせるようになったことに、酔っておられるのか)

 農作を知らぬ港町育ちの若者にとっては、この谷は遊び場に見えるのだろう。だが少なくとも、こちらは、ここに何十年も住んでいるのだ。

「この谷は冬が長く、夏が短うございます。小麦の生育に適する時期が南の地方に比べて短いのが、不作の理由です」

「ちがうな。寒さのせいじゃねえ。霧だ」

「霧――でございますか?」

「八月の、一番大切な収穫前の実入りの時期に、霧が出る。その湿気のせいでカビにやられたり、収穫前に発芽してしまうんだ」

「……確かに」

「だから、この種を取り寄せた。これは冬蒔き小麦の種だ」

「冬蒔き小麦?」

 オリヴィエは驚いて、顔を上げた。

「聞いたことはございます。確か、北方の冷涼な地方では、雪の降る直前の初冬に小麦の種を蒔くとか」

「ああ、そうだ。これだと一ヶ月生育が早まり、霧が出る前に収穫が可能だ」

 思わず「あ」と叫びそうになる。王都の郊外にある【王立農業試験場】。

 エドゥアールが、しばしば使用人たちの目を盗んで王都の居館を抜け出したのは、これを手に入れるためだったのか。街に繰り出して遊んでいたのではなかった。

「誰か、この植え付けに畑を貸してくれる農夫はいないか?」

 エドゥアールは、ランプを背にして、真剣な眼差しを彼に向けた。「初めての試みだから、失敗するかもしれねえ。その場合は、ダメになった作付分は全部伯爵家が買い上げる。もし収穫が成功したら相場の二倍の価格で買い取ろう」

 戦慄に下腹が震えるのを、オリヴィエは感じた。

 この方は、思いつきで行動しているのではない。ラヴァレ伯領の数年先、数十年先まで見据えているのだ。

 【未来】。

 それは先代のエルンストも、そしてオリヴィエ自身も、すっかり忘れていた言葉だった。



 穏やかな天候が続き、黒い土を見せていたラヴァレの谷は、二週間もすると太陽が翳り、再び雪が舞う日が続いた。

 今度こそ、春まで土を覆う根雪となるだろう。

 使用人たちも、総出で領館の冬支度を整えたところだ。庭の木や花壇は冬囲いで覆われ、部屋にはぴったりと鎧戸をおろして、寒さの侵入を防ぐ。春が来るまでは、館全体が薄暗く堅牢な穴倉と化すのだ。

 エドゥアールは、ふだんは立ち入らない西翼の一階を歩いていた。こちら側は、日常は使われない部屋が多い。

 分厚い壁は外の物音など何も通さないはずなのに、しんしんと雪の舞い降りる気配を感じる。

 このところ、エドゥアールはずっと書斎にこもって書物を読んでいる。麦以外の農作物のこと。ときおり流行る伝染病の予防策。村から徴収する、さまざまな名目の租税をいったいどのように使うべきか。

 この地を治める領主として、自分にはまだまだ知らないこと、学ばねばならないことが多すぎる。

 寝る間を惜しみ、起きている時間を無知な自分への焦りで満たす。そうすれば、余計なことは考えずにすむからだ。

 地下から凍えるような風が吹き上げて、思わず身震いした。百年以上前の戦乱時代に作られた城砦を土台とし、近世になって一階と二階部分を増築した館は、入り組んで巨大だ。

 あちこちに抜け穴や隠し部屋があると言われる。ここに来て間もない新参者にとっては、まだ隅から隅まで知り尽くしている自分の家とは言いがたい。

 ふいに、誰かが後ろから見ていると感じて、振り返った。

 暗い廊下には、誰の姿もない。エドゥアールの背筋をぞっと冷たいものが駆け抜けた。

 百五十年の伯爵家の歴史は、決して栄光に満ちたものではない。

 ラヴァレ家はかつて、この地方一帯を支配するくりかみの部族の族長だった。金髪の征服者が北方の尾根を越えて侵入してきたとき、この地の部族の多くがまだ必死の抵抗を試みる中で、ラヴァレ家の先祖は、真っ先に屈服した。相手との圧倒的な武力の差を読み、剣を捨てることによって、この地に平和な未来を切り拓こうとしたのだ。

 当然、彼らは自民族からは裏切り者とみなされた。心ならずも、かつての仲間たちに弓を引かねばならない戦場にも立たされた。

『やつらは命惜しさに寝返った者どもだ。いつまた裏切るかわからぬ。決して心を許すな』

 屈服した族長たちは、ファイエンタール王の恩賞を受ける一方で、征服民族からもそう罵られた。彼らが【下位貴族】と呼ばれるのは、その汚名のなごりだ。

 戦乱の歴史の中で、運命に翻弄された一族。それゆえに、忸怩たる思いを遺して死んだ者もいるだろう。戦いの傷にうめきながら。愛する者を亡くした悲しみに慟哭しながら。

 憎しみの中で。あきらめの中で。孤独の中で。

 その無念の想いが積もり積もって、亡霊となって現われたとしても不思議ではあるまい。あるいは、呪いとして代々の伯爵に引き継がれたとしても――父エルンストを蝕む死の病のように。

「こんなところにいらっしゃいましたか」

 突然かけられた声に、文字通り飛び上がった。

 蜀台を持った執事のロジェが、東翼へと渡る廊下を近づいてくる。

「心配しておりました。館の中で迷子になっていらっしゃるのではないかと」

「ああ――迷子になりそうだった」

 エドゥアールは生者の世界に引き戻されたことに心から安堵しながら、暗闇に背を向けた。

「実は、大旦那さまからの預かりものがあるのです」

「親父から?」

 ロジェに案内されたのは、中央階段を昇った奥の突きあたり、二階の北端の部屋だった。

「ここは?」

 扉の前で、執事は細長い一本の鍵を取り出した。

「代々の伯爵さまのお部屋でございます」

 鍵を使って扉を開けると、ロジェが先立って灯りを突き出す。

 中の空気は、ぴんと張り詰めていた。

 不思議な芳香が漂う。書物と古い革と歳月の入り混じった香り。そして、片側の壁から強い視線が放たれている。

 それもそのはず。ロジェが壁のランプに次々と火をともすと、そこに照らし出されたのは、歴代のすべてのラヴァレ伯爵の肖像画だった。

 全部で六枚。父エルンストは七代目の伯爵にあたる。

 反対側の壁は書棚で埋め尽くされている。奥に固く鎧戸を下ろした北向きの窓。その前にブナの一枚木で作られた書斎机。おそろしいほどの重圧感が、ひしひしとのしかかってくる部屋だった。

「この部屋の鍵をお持ちになる資格があるのは、この世でたったひとり。ラヴァレ伯爵の称号を持つ方だけでございます」

 ロジェはうやうやしく鍵をエドゥアールに差し出した。「他に予備の鍵はありません。掃除の都度に、わたくしかアデライドのどちらかが、鍵をお借り申し上げることになります」

「親父がこれを、俺に?」

「はい。今日からあなたさまのものです」

「ここには何がある」

「ご自分でお確かめくださいませ。わたくしどもは中のものに触ることを許されておりません」

 エドゥアールは鍵を受け取り、ぼんやりと見つめた。

「あの人は、死ぬ準備を始めたのか」

 執事は違うとも、わからないとも言いたげな曖昧な表情で首を振った。

「明日、王都からフロベール博士が診察においでになります」

 それは、父の命が冬至祭までという宣告をくだした高名な医師の名だった。

「ひどく、お悪いのか」

「素人目には、以前より良くなっておられるようにも思えたのですが――この数日の寒さがこたえておられるようです」

「わかった」

 エドゥアールはこわばった声で答えると、それきり唇を結んだ。



 翌日の朝から、領館は重々しい空気に包まれていた。医師を乗せた馬車が到着したのは、昼前だった。

 医師が主の病室に入っている間、使用人たちは何も仕事が手につかなくなった。あるいは思いに耽り、あるいは手を取り合って涙ぐむ。付属の礼拝堂で、ひざまずいて祈りをささげる者もいた。

 エドゥアールも最初は礼拝堂にいたが、とうとう耐え切れなくなって、新しく与えられた鍵を使って【伯爵の部屋】に閉じこもった。

 祈りの答えを聞くのが怖かった。必死に祈れば祈るほど、神はその願いを遠ざけておしまいになるような気がする。

 人々の慰めの言葉もほしくない。強い自分が止め処なく崩れ去り、朽ちた残骸だけになりそうだ。

 どっしりとした腕付き椅子に腰を下ろし、書き物机の引き出しを開けようとした。

 鍵がかかっている。父から譲り受けた鍵を穴に差し込もうとして、やめた。もし父の遺書が出てきたらと想像するだけで怖くてたまらない。

 エドゥアールは両手を組んで、その上に額を乗せた。

 全身が小刻みに震えている。誰かにそばにいてほしい。それは、オリヴィエでもロジェでもアデライドでもない。腹心のユベールですらない。

 彼の手を取って温めてくれる人。その優しい微笑で、彼の心を照らしてくれる人。

(ミルドレッド)

 怒りとも渇望ともつかぬ衝動に、エドゥアールは立ち上がった。六人の伯爵たちが、壁の絵の中から彼をじっと見つめている。ここにもうすぐ、父が七人目の冷たい肖像となって加わるのか。

「お願いです」

 一番欲しいものは、もうあきらめた。――だから。

 もし伯爵家に呪いがかかっているならば、俺が全部引き受ける。――だから。

「父を助けてください」

 そのとき、乾いたノックの音がした。

「若旦那さま」

 扉の向こうから、執事のうわずった声がした。「フロベール医師が、お話があるとおっしゃっておいでです」

 一階の書斎に通された白髪の医師は、若き伯爵に対して深々と一礼して座ると、おもむろに口を開いた。

「ご存知のとおり、お父君の病気は、腹部の悪性のしこりでございます」

 エドゥアールは黙ってうなずいた。

「今日、触診をさせていただきました。以前より、明らかにしこりが小さくなっています」

 意外なことばに、思わず身を乗り出す。「どういうことです?」

「病が食い尽くすべきものを失うときも、一時的にそういうことが起こり得ます。だが、それは同時に、体が極端に衰弱していきます。ラヴァレ伯爵さまは、脈はしっかりしておられる」

 頬が火照り、指先が冷たくなった。体を支えているはずの床がひどく心もとない。

「生きる意欲を取り戻されたことが幸いしたのでしょう。時に、気力は百の薬にまさります。食が進み、お体も前より頑健になっておられるように見受けられます。本当にまれな例ですが、しこりが自然に癒えて消えてしまうことがあります。決して油断はできませんが、伯爵さまのご病状の場合、その希望を持つことはできるかと存じます」

「ですが、この数日父は臥せっている」

「長い間に衰えた体力は、そう簡単には戻りません。お体がまだ寒さについていけないのでしょう。回復されたら、少しずつ無理をなさらぬ程度に、お屋敷内を歩くことからお勧めいたします」

 エドゥアールは大きく息を継いだ。やすやすと有頂天になってはいけない。神がその傲慢を見て、思い直されるといけないから。

「それでは――今年の冬至祭まで持たないというお診立ては、どうなりますか」

 フロベール医師は顔をくしゃっと崩して、ようやく人の良い笑顔を見せた。

「とりあえずは、来年の冬至祭まで、と訂正させていただきますかな」

 医師が辞したあと、エドゥアールは書斎を飛び出した。

「若旦那さま!」

 廊下ですれちがったメイドが、肝をつぶしている。

 自室に走りこむと、バルコニーへの折り戸を両手で一気に押し広げた。

 外は、純白の雪に何もかもが覆われていた。

 エドゥアールは白い息を吐き、よろめきながら外に出た。冷たい雪の上に膝をつき、両手を空に差し伸べた。後から後から降ってくる雪に向かって顔を上げ、口を大きく開け、嗚咽につまった喉からしぼり出すように叫んだ。

「神よ――神よ。感謝します」



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