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伯爵家の秘密  作者: BUTAPENN
第3章「王都へ」
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第3章「王都へ」(5)

 叙爵式の正式な日時が決まったことを告げに来た王宮の使者は、さらに、もう一枚の招待状を差し出した。


   『クライン国王妃テレーズは

   ラヴァレ伯爵子息

   エドゥアール・ラヴァレどのを

   慎んで宮廷舞踏会に

   ご招待申し上げる』


 という仰々しい文面だった。

 使者はさらに口頭で、「モンターニュ子爵令嬢もご出席の由、ご返事を承っております」と、意味深にも付け加えた。

「絶対にいやだ!」

 という悲鳴を上げて逃げ回るエドゥアールを、家令オリヴィエが「もし欠席して叙爵式が白紙撤回されたら何となさいます」と脅迫し、一方、部屋づきメイドのナタリアとジョゼは、ミルドレッドがどれほど美しいレディで、社交界で注目を浴びているかを、口をきわめて褒めちぎる。

 まさに、伯爵家使用人たちの総力を挙げて、宮廷舞踏会出席への説得は遂行された。若旦那さまの完敗だった。

「あんなことを使者がわざわざ知らせてきたのは、王宮側にモンターニュ家との縁談が伝わっているということだな」

 エドゥアールは不承不承、伯爵家の家紋入りの名刺に出席の署名をする。名刺は居館執事ナタンの手から、うやうやしく王宮の使者に渡された。

「はい。お父君のしたためられた嘆願書には、ミルドレッドさまとのご縁談のことも書かれていたはずです」

 ユベールは、無表情に答える。「おそらく、このことが王妃さまの耳にも伝わり、ぜひとも、おふたりを宮廷舞踏会の席で正式に会わせたいとの思し召しなのでしょう」

「フレデリク王も出席するのか?」

「いえ、王妃さま主催の会に、陛下がお出ましになられたことは一度もありません」

 エドゥアールは深い吐息をついた。

「ユベール。この縁談は断るつもりだ。俺には結婚はまだ早すぎる」

「それはそれで、結構でございます。とりあえず、王宮からのご招待はお受けくださいませ。叙爵式を控えた今はなおさらのことです」

 エドゥアールは、さらに深い吐息をついた。

「相手の女にどんな顔をすればいい」

「いっそのこと、とことん嫌われておしまいになればよいのでは?」

「どうやって」

「一番簡単な方法は、相手かまわず女性という女性にべたべたと色目を使うことでしょうか」

「……どこが簡単だ」

「では、大酒を飲んで、床にひっくりかえるというのは?」

 エドゥアールは、吐く息がなくなって、ソファにぐったりともたれこんだ。



 社交シーズン最初の宮廷舞踏会の日がやってきた。

 ミルドレッドのローズピンクのドレスは、予想どおり人々の賞賛の視線を浴びたが、彼女が注目の的になっているのは、そのためばかりではないようだった。

「聞きましたわ。ミルドレッド」

 仲の良い下位貴族の令嬢たちが、きゃあきゃあと集まってきた。「婚約ですって。それも、あのラヴァレ伯爵さまのご子息と」

「まあ、気が早い。まだ本決まりの話ではないのよ」

 金髪の公爵・侯爵令嬢たちも近づいてきて、冷たい笑いを浮かべる。

「ごきげんよう、ミルドレッド。いろいろと漏れ承っておりますわ。ラヴァレ伯爵さまのご庶子さまと婚約なさったのですって」

 その『ご庶子』というところを、ことさらに強調する。ミルドレッドは、優雅に微笑み返した。

「いいえ、婚約だなんてとんでもございませんわ。どこでそんなお噂を?」

「サロンは、その話で持ちきりですもの」

「わたくしごとき卑しい者が、そこらへんの侯爵家より歴史が古いと言われる由緒あるラヴァレ伯爵家に嫁ぎ、ラヴァレ伯爵夫人と呼ばれるなど、畏れ多くて望んだこともございませんわ」

 『そこらへん』の侯爵令嬢たちがきりきりと歯噛みしているのを横目に、涼しい顔でミルドレッドは通り抜けた。

「ミルドレッド嬢。あなたが婚約だなんて衝撃だったよ」

 取り巻きの貴公子たちも、彼女に群がってくる。「本当の話なのかい。ああ、もっと早く父に頼んで、正式に申し込んでおけばよかった」

「まあ、お世辞としても嬉しいですわ」

 つれなく見えないように、ミルドレッドは花のようににっこりと笑った。

 もともと、不特定の男性と広く浅く交際することを、彼女は信条としていた。観劇やピクニックに誘われても、大抵は一度きり。深入りしてきそうな気配を感じると、さりげなく身をかわしてきた。

 決して後腐れのないように。それが貴族令嬢の処世術なのだと心得ている。

「ミルドレッドや」

 シャンパンのグラスを手にした叔母のヴェロニクが、彼女を見つけて手招きした。母ダフニの年若い妹で、そこそこ立派な男爵家に嫁いでいるが、少々ふくよかすぎる身体とおしゃべり好きなところは、さすがに姉妹だ。舞踏会の席では、いつもミルドレッドの付添い役を務める。

「馬車を降りたとたん、三歩歩くごとに、あなたのことを訊かれてばかり。皆さま、あなたが玉の輿に乗れたことを羨ましくて、しかたがないみたいですよ」

「叔母さま。まさか、もう既成の事実のように触れ回っておられないでしょうね。まだ、お話が来てから日がないし、先々どう転ぶかわからないのですよ」

「うまく行くに決まっているわ。先方から是非にとお望みになった縁談ですもの。あなたがよほどの粗相をしない限り、決まりですよ」

(自分から粗相をすることなどないわ)

 ミルドレッドはきゅっと唇を結んだ。(だって、この縁談には、子爵家の存続と、父上母上の幸せな余生がかかっているんですもの。どんな相手にだって合わせてみせる)

 王宮の中庭に面した大広間の入口では、新しく到着した招待客の名が次々と呼ばれていたが、ひときわ高いざわめきが起こった。

「エドゥアールさまよ!」

「え?」

 叔母が名を口にしただけなのに、ミルドレッドの心臓がウサギのように跳ねた。

(ど、どうしよう。もうこんなにドキドキしている)

 当の相手が付き添いを伴って広間に入ってきたのを見たときは、もう少しで倒れそうだった。

「まあ、なんと素敵なお方」

 叔母の溜め息が、はるか遠くに聞こえる。

 確かにそうかもしれない。でも、これくらい見目の整った殿方は、社交界にはたくさんいるわ。

(落ち着かなくては。私は戯れの恋を捜しに来たんじゃない。政略結婚の相手に会おうとしているだけなのよ)

 彼のほうもミルドレッドを見つけたらしく、挨拶しようと群がる人々をかきわけて、少しずつ近づいてくる。

 彼女はわざと彼に気づかないふりをしながら、扇で口元を覆い、毅然と背筋を伸ばした。

「あんたが、ミルドレッド?」

 突然、浴びせられた無作法な問いかけに驚いて振り向くと、その人が立っていた。

「すまねえな。うちの連中が勝手に面倒な話を持ち込んじまって」

 艶のある豊かなくりかみに、非の打ちどころなく着こなした伯爵家の正装。気品ある相貌。疑いようもなく、ラヴァレ伯爵の血を継ぐ方だとわかる。

 けれど、その容姿を裏切るような下品で粗野な口ぶりに、ミルドレッドは目眩を覚えた。

「若さま」

 そばにいた金髪の騎士がたしなめるように彼のたっぷりした袖を引き、代わりに優雅な一礼をした。

「失礼いたしました。子爵令嬢。お初にお目にかかります。こちらが、ラヴァレ伯爵のご子息、エドゥアール・ラヴァレさまでございます」

 やはり思考が停止していたらしいヴェロニク叔母も、あわてて挨拶を返した。「お会いできて光栄ですわ。伯爵子息さま。こちらは、モンターニュ子爵令嬢、ミルドレッド・モンターニュさま。わたくしは、叔母のヴェロニクと申します」

「へえ、この人が叔母さんか。よかったな。あんまり似てなくて」

 エドゥアールは少女に向かって、にんまりと笑った。「ま、これも何かの縁だ。よろしくな」

 ミルドレッドは自分を保つのに必死だった。まるで、下働きの使用人や街の靴磨きの世間話を聞いているような錯覚すら覚える。

(田舎育ちだとは聞いていたけれど、まさかこれほどとは。――本当に、この方が伯爵家を継がれる方なの?)

「よ、よろしくお願いいたします」

 ドレスの裾を引いて丁寧にお辞儀をする間に、なんとか自制心を取り戻した。どんな相手にも合わせると固く決意したのだもの。しっかりしなきゃ。

「あら。音楽が始まりましたわ」

 ヴェロニクが、場を盛り立てようと明るく言った。「よろしければ、うちの子のお相手をしてはくださいませんか」

「ああ、そのことなんだけど」

 伯爵子息は決まり悪げに、頭を掻いた。「俺、踊れねえんだ」

「は?」

「一応、メイド相手に三日間ワルツの特訓はしてきたんだけど。足を踏んでばかりで、そのメイドは今、松葉杖をついてる。さすがにあんたにそれをしちゃ、まずいと思うんだ」

 しごく真面目くさった顔でそう打ち明けられて、ミルドレッドも叔母も、「ほ……ほほ」とひきつった笑いを浮かべるしかない。

「そ、それではお飲み物でも」

「あ、奥さま。わたくしが」

 気まずい空気から逃げ出すように、ユベールとヴェロニクが先を争って行ってしまうと、当のふたりだけが残された。

(これで完璧に嫌われたよな?)

 しらじらとした沈黙が訪れ、エドゥアールはちらりと彼女を見る。

 薄茶色の髪は巻き毛にしてふわりと垂らし、ドレスと同じ色のビーズを編みこんである。

 透き通るような光沢をもった真珠色の肌。濃い化粧でざらざらに荒れた肌をした娼婦たちとは、大違いだ。

 伏せた目を、煙るような睫毛が縁取る。ゆるやかな曲線を描く鼻梁。慎ましく結ばれた口元。

(まるで、生きている人形みたいだ)

 これまでの人生で女性に見惚れたという体験をしたことがないエドゥアールは、自分が今、彼女から目を離せないでいることを自覚していない。

 そのとき音楽が鳴り止み、トランペットのファンファーレが響いた。

 大広間を埋め尽くしていた華やかに着飾った貴族たちが、さっとその場にひざまずき、頭を垂れる。

 この宮廷舞踏会の主催者、テレーズ王妃がしずしずと入場し、薄いカーテンで仕切られた玉座に座る。

 テレーズ妃は、六年前に西隣のアルバキア王国から嫁いできた姫君だ。

 クラインとアルバキアが同盟関係を強めることによって、リオニアの共和主義勢力への防波堤となる――北の強国カルスタンの無言の圧力によって結ばざるを得なかった縁組だった。

 当然そこには屈辱的な意味合いが色濃くつきまとう。ゆえにフレデリク王は王妃を愛そうとせず、そばに寄せ付けようともしないのだと人々は噂する。

 事実、公式の行事以外の場所で、ふたりがともにいるところを見た者はいない。

「面を上げてください」

 カーテンが開かれ、輝石のティアラを頂き、薄紫の清楚なドレスを身にまとった王妃が柔らかく微笑んでいた。

「わたくしの宴に大勢の者が集ってくれ、うれしく思います。堅苦しいことは抜きにして、今夜は存分に楽しんでください」

 礼儀を十分にわきまえた、しかし熱っぽい歓声と拍手が会場を被った。美貌の王妃が若い令嬢令息たちから慕われていることがうかがえる。

 王妃はかたわらの侍従長と小声で話していたが、晴れやかな笑みをたたえて、正面に向き直った。

「今夜は、めでたい知らせがわたくしの元に届いております。ラヴァレ伯爵子息のエドゥアールと、モンターニュ子爵令嬢ミルドレッドが、婚約を整えたとのこと」

「ええっ」

 会場の視線が一斉に注がれ、たちまちふたりは紙よりも蒼白になった。

「な、なんで婚約が既成の事実になってるんだよ」

「ぞ、存じませんわ」

「ふたりは、これへ」

 満座の中で王妃の招きを受け、逃げ出すこともできず、彼らは恐る恐る前に進み出た。

「なんと、妖精のように愛らしい新郎新婦でしょう!」

 テレーズは玉座から手を伸ばし、祝福を与えた。

「おめでとう。国民の模範となる良き家庭を作るのですよ」

「あ――ありがとう存じます」

「今日はせっかくの舞踏会です。皆の前で思う存分、息の合ったところを披露してくださいな」

(これ以上の悪夢は、たぶん一生ないだろうな)

 エドゥアールは心の中でうめいた。

 縁談をぶち壊すという目論見がはずれたうえに、王妃の面前で婚約者と公に認められた少女と踊る羽目に陥るとは。

 周囲の貴族たちは、ささっと後ろに引き、好奇心と羨望に爛々と燃える目で見つめている。

 舞踏会は今や、ふたりだけの独壇場となってしまった。

「エドゥアールさま。踊りましょう」

 まだあれこれと窮余の策を練っている彼に、子爵令嬢はきっぱりと言った。

「王妃さまのお心を無にしてはいけませんわ。どうぞ、思い切り踊ってください。できる限りついてまいります。松葉杖をつくことになっても、かまいませんから」

 エドゥアールは、彼女の気迫に圧倒された。先ほどの人形のような、とりすました雰囲気は微塵もない。

「わかった」

 エドゥアールは覚悟を決めて、うなずいた。「ちょっと変わったのをやる。真中に立って、好きなように動いていてくれ」

 コートを脱ぎ捨てると、シャツの裾をたくしあげ、胸の下あたりでギュッと結んだ。綺麗に梳かれた髪には両手を差し入れて、バサバサに乱す。

(え、ええっ?)

 ミルドレッドが驚きに目を見張っていると、彼は片足を上げて、床をダンと踏み鳴らした。続いてもう片足。

 その足さばきは、次第に速く、正確なリズムを刻み始める。

 そして、鮮やかに一回転。彼の髪がミルドレッドに触れそうになるかと思うと、もうはるか後ろに移動している。その調子で、踊りとリズムは彼女を中心とした円を描いて、軽捷に繰り広げられた。

 主の意図を察したユベールが、宮廷楽団に走り寄って、弦楽器を借り受けて掻き鳴らした。そこから紡がれる単調な音階は悲哀に満ち、しかも情熱的だ。

「放浪民族の踊りだ」

「下賎の者が、街で物乞いをするときの音楽だ」

 ひそひそと、貴族たちが騒ぎだした。

 そのざわめきで、ミルドレッドは我に返った。

(ついていってみせる)

 ローズピンクのドレスの裾をぐいと片手でまくり、もう片方の腕はすっと上に伸ばした。裳裾を魅惑的に揺らしながら、エドゥアールの動きに合わせて、自分もゆっくりと、その場で踊り始める。

 彼がそばに近づいたとき、ミルドレッドは衝動的に彼の腕に両手をからめた。

 エドゥアールは驚いたような表情を見せたが、そのまま彼女の腰を抱えて、回転した。ふわりとローズピンクのドレスが風をはらんで、大輪の花のように広がる。

 それを見た王妃が立ち上がり、手を叩いた。

「すばらしい。すばらしいわ!」

「王妃さまが――」

「王妃さまが玉座から立ち上がって、拍手を?」

 今の今まで眉をひそめて目配せし合っていた貴族たちは、とたんに熱烈な賛美者へと変身する。

 舞踏会場は割れんばかりの拍手に包まれた。



 中庭へ降りる階段に腰かけ、汗ばんだ体を冷やしていたエドゥアールは、背後に人影が立つのを感じた。

「エドゥアールさま」

 ミルドレッドは、冷えた蜂蜜水のグラスを彼に差し出すと、自分も階段の少し離れたところに、そっと腰をおろした。

「今、叔母を問いつめたら白状いたしましたわ」

 深くうなだれる。「あたかも婚約が正式に決まったことのように、あちこちに触れ回ったそうです。侍女を通して、王妃さまのお耳にも入るようにと――申し訳ありません」

「そうか」

 ひとくち含んだ冷水が、乾ききった喉に染みわたる。

 エドゥアールはあらためて、子爵家がこの縁談に賭ける意気込みを知った。

 ミルドレッドは一族の期待を一身に背負い、なまなかではない覚悟で伯爵家との政略結婚に臨んでいるのだろう――ひたすら自分の心を押し殺して。

「こっちこそ、すまない。俺が踊れねえから、いろいろと肩身の狭い思いをさせちまって」

「とんでもございませんわ。楽しゅうございました」

「楽しかった?」

 意外な答えに、エドゥアールは振り向いた。

「ええ、舞踏会といったら、いつも決まりきったワルツか群舞ばかり。ああいう自由奔放で、心の沸き立つような踊りは初めてでした」

「放浪民族の踊りを、あんたは知ってたのか?」

 その問いに、ミルドレッドは首を振った。

「広場で大道芸人が踊っているのを、馬車の中から見たことがあるだけです。それに、今まであまり好きだとは思ったことはありませんでした」

「そうだろうな。このクラインでは、放浪民族の文化は極端に蔑視されている」

 エドゥアールは両膝をかかえて、中庭にいる蛍の思い思いの明滅を見つめた。「けど、アルバキアでは、伝統音楽のひとつの系統として確立され、王宮でも演奏されているんだ」

「そうだったのですね」

 子爵令嬢は内心で自分に驚いていた。彼の貴族らしからぬ訛りも、今ではほとんど気にならない。それどころか、話せば話すほど、そのぬくもりのある声を好もしく思えてきたのだ。

「それで王妃さまは、ことのほかお喜びくださったのですわ」

 ミルドレッドはしんみりと言った。「お優しい王妃さま! きっとお国を思い出されたのでしょう。目をうるませておられましたもの」

 星空を見上げる彼女の頬は紅潮し、瞳は地上の灯りを写してうっとりと輝いている。エドゥアールは、知らず知らずのうちに、また彼女から目を離せなくなっている自分に気づいた。

「もしやエドゥアールさまは、それゆえにあの踊りを選ばれたのですか? 王妃さまのために――」

 言葉が急にとぎれた。今度はミルドレッドの目が、エドゥアールに釘付けになる番だった。

(この方は――この方は、なんて)

 男性らしく美しい喉の線や、乱れて額に張りついた前髪。そしてその下に半分隠れた瞳の、夢のような青い色――。

 だが、その瞳はあわてて彼女からそむけられた。

「もう帰る」

 エドゥアールはぶっきらぼうに言い捨てて、立ち上がった。

「もう、ですか? でも舞踏会はまだこれから」

「悪いな。今日は疲れた」

 彼女を拒否するような背中にミルドレッドは心を刺され、思わず呼び止めた。

「あの……」

「え?」

「次は、普通のワルツでご一緒させていただきとうございます。きっと、もう松葉杖の心配はいりませんわ」

 エドゥアールは戸惑ったような笑顔を残すと、そのまま付き添いとともに回廊を去っていった。



「ミルドレッドさまは、何とおっしゃっておられました?」

 馬車の駕籠に乗り込むと、ユベールが訊ねた。

「楽しかった、また一緒に踊ってくれと言われた」

 「ほう」と、さすがの氷のような男も目を細める。「それは、ようございました。伯爵さまの見込んだ令嬢だけのことはあります」

 エドゥアールは、頭を抱えた。「おかしいな。どこで間違っちまったんだろう」

「そう言えば、縁談をぶち壊すとおっしゃっておられたような記憶がありますが」

「俺はずっと、そのつもりだったんだ!」

「それにしては、楽しそうに踊ってらしたとお見受けしましたがね」

 ユベールは、車窓から夜の市街を眺めるふりをした。「そもそも、王妃さまに披露なさった踊りが最大の間違いでしたよ」

「間違い?」

「王妃さまが、あれほど喜ばれたのはなぜだとお思いです?」

「それは、あれがアルバキア地方に伝わる踊りだから」

「つまり、故郷の懐かしさだけが理由だと? いいえ、違いますね」

 とうとう自分を抑えきれなくなった騎士は、驚いたことに、生まれて初めて主の面前で声を上げて笑い出したのだ。

「若さまともあろう方が、失念しておられるとは。アルマ婆さんからちゃんと教わったはずですよ。――あれは放浪民族の求婚の踊りだったんです」




           第三章 終


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