プロローグ~とある記者の取材~
とある大学教授は私のインタビューにこう答えた。
「今日の日本の治安悪化の原因は日本ライフル協会である」と。そして教授はこう続ける。
「そもそも日本ライフル協会は第二次世界大戦終結時における復員事業で難儀をしていたアメリカ合衆国政府が復員兵の再雇用先として設置するように当時のGHQに指導したのが始まりです。
当時の日本政府も経済復興を第一とし国軍のコンパクト化をめざして潜在的な予備兵力として市民軍を求めた。ということもあり武器取り扱いの教育機関として日本ライフル協会を欲したという事情もあります。まぁ1951年の銃刀法大規模改正もこの辺がからんでいますね。」
私が質問をする。
「なぜ復員兵の再雇用にライフル協会が?有名な言葉がありますが、ある米国将官が復員事業のことを、凱旋というより潰走である。と表現したことがあります。
それほどまでに戦時動員した将兵の動員解除は困難なものだったのです。米国も戦勝国とはいっても経済的は逼迫していましたからね。その点便宜上民間団体となっていても設立当初は日本政府からの援助金で運営されていたライフル協会は再雇用先、もとい天下り先ですが。は魅力的でした。最盛期では1万名もの元将兵が指導教官として全国各地の協会事務所に配属されていました。」
教授は興に乗ってきたのか私が質問する前に早口で続ける。
「まぁ設立された頃は一部の好事家か極右団体構成員しかライフル協会で訓練を受けるようなことはなかったのですが・・・あなた特例民間警備隊はご存じか?」
私が頷くと教授は満足そうに話を続ける。
「ご存じなら話は早い。この各県に民間レヴェルで組織されている市民防衛隊は銃刀法改正と同時に制定された郷土防衛に関する特別措置法に基づいて設置されているものです。これらの組織が当時全国規模で行われていた反政府テロや大規模争乱の鎮圧に大きく貢献したため、訓練教育機関であるライフル協会の評価は急上昇し、会員数も大幅に増加して今や日本最大の圧力団体の一つとなったのです。」
そこまで言い終えるとさすがに息が上がったのかすっかりさめてしまったコーヒーを一気に飲み干し、懐からピースを取り出し一服つける。教授は私にもタバコを勧めたが取材の途中であると言って断った。美味そうに紫煙を吐き出しながら教授はまた話し出す。
「まぁ国の思惑通り国民の武装化というものが達成されつつあった訳ですが大きな問題が出てきました。お分かりですね?」
また私が頷くと彼の興奮の度合いが増す。
「そう武器の氾濫です!ライフル協会会員数の増加により小火器の国内流通量が増大しました。
当時は審査が大雑把でしたから希望すれば誰でも、それこそ15歳の少年ですら銃を手に入れることができたのです。銃犯罪の増加ももちろんでしたが一番の問題は反政府勢力によるテロと武装学生による学生運動でした。
東大安田講堂籠城事件では機動隊に100人単位で死傷者を出し、かの有名な新宿争乱では内務省国内軍の治安出動が行われるなど、国内の治安は荒れに荒れました。
さらに戦後行われた財閥統合による経済のひずみ、単純に言えば貧富の差の拡大による貧困層の銃器暴動も頻発し工場の操業停止が相次ぎ日本の高度経済成長は中途半端な形で終わってしまったのです。治安の悪い国にわざわざ資本投資を行う国はありませんからね。当時はほとんど内戦状態でしたよ。」
教授が目を細めながら窓辺に目をやる。当時のことを知っている人間だけがする目。私にはそう思えた。幾本目かになるタバコに火を付けながらこれで最後ですが と彼は断りを入れつつ私に顔を向ける。
「今現在の我が国の経済規模はやっと先進途上国といえるほどのものになってきましたがやはり治安の改善はほとんどされず70年代から止まったままです。その原因も極論するならばひとえに日本ライフル協会の存在があったからでしょう。アメリカの口車に乗らなければ国内に武器は氾濫せず経済成長を続け今や世界一位二位を争う経済大国になれたかもしれない。成長停滞期に外資企業が国内に進出しほぼ8割の国内企業を傘下におさめるなんてことも起こらなかったかもしれない。
・・・いや失礼学者が歴史のもしなんて語るものではありませんね。ともかく私は今の日本の現状を招いたのは当時の政府の無策、そしてNRAJだと考えています。お分かりいただけましたか?」
私が頷き取材の礼を言うと教授は是非公平な視点で記事を書いてください。と言い私の手を優しく握った。私は手を握り返し再び礼を言うと研究室を後にした。今から編集部に戻り記事をおこさねばならない。今夜は徹夜だ。そう思うと憂鬱であったが気を取り直しつつ私、須藤亜希子はNRAJ(日本ライフル協会)機関誌「徹甲」編集部に戻るため駐車場に向かった。