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暗闇の宴  作者: 蒼目ハク
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紫陽花

 僕は紫陽花あじさいが好きだ。白から青、青紫、赤紫へと七変化する姿は、梅雨時の重く沈んだ心を晴らしてくれる。



 六月下旬。今日も空はどんよりとした鼠色の雲を背負っている。蒸し暑くて窒息してしまいそうな空気を纏いながら、僕は中学校へ向かう。勉強する気になどさらさらなれない憂鬱な気分だったが、義務教育だから仕方ないと、自転車を嫌々漕ぐ。

 しかし、車一台がやっと通れる狭い路地を走っている途中で自転車を止めた。


 目の醒めるような青が視界に飛び込む。


 閑静な住宅街に建つ、古びた洋風の屋敷。その門外の花壇に植えられた、青色に染まった幾つもの紫陽花。

 他ではあまり見ない鮮やかな色合いは、通る度に目が釘付けになるほど美しい。

 昨年までは何も植えられていなかった。今年地植えして見事に咲いたのだろう。咲き始めてからというもの、僕は学校の行き帰りに必ずと言っていいほどこの前で自転車を止め、見蕩れてしまう。

 この家の主人は一人暮らしの若い女性で、近所とは言え挨拶程度の面識しかなかったが、長い黒髪が印象的な物静かな人だった。


 右隣りの家から中年女性が外に出て来て、僕は我に返った。女性がこちらを訝しそうに見つめる。何か言われる前に、僕は自転車のペダルを踏み込んだ。

 口うるさい人で、飼い主に似たのか飼い犬も誰彼構わず吠えまくる。耳を塞ぎたくなるぐらいのけたたましさだったが、最近は鳴き声を聞かない。おかげでこの周辺は平穏な静けさを取り戻した。


 遅刻寸前で学校に着いた。授業が進むにつれて空模様は怪しさを増していき、暗雲が垂れ込め、帰る頃には雨が降り出した。

 傘を持って来てほっとする者。持って来なくて後悔する者に二分されたが、僕は生憎後者だった。

 さらさらと優しく降る雨の中、家路を急ぐ。でも、僕は朝と同じくあの屋敷の前で自転車を止めた。

 雨に濡れる紫陽花は、一段と鮮やかさを際立たせていた。花の青が目に眩しい。まるで晴天のように色めいている。淡い緑色の葉も光っていた。一層輝いて見えるのは、雨粒のおかげで埃が洗い流され、本来の真っさらな色が浮かび上がったからだろう。

 僕は自転車を降り、誘われるように紫陽花に近づく。そして、少し屈んで青い膨らみに顔を寄せた。湿り気を帯びた匂いと、わずかに鼻をつく香りが鼻腔をくすぐる。目を閉じて頬擦りをすると、雫を含んだ花が頬を撫でた。ひんやりとした感触が心地好い。


 不意に刺すような視線を感じて、僕は目を開けた。

 目を遣ると、藍色の傘を差した女性が蒼白な顔でこちらをじっと見入っていた。その瞳には嫌悪と言うより、怯えの色が滲んでいる。

 紫陽花の家の、女主人だ。


 心配しなくてもいいのに……。


 僕の小さな呟きは、ノイズのような雨音に混じって地に落ち、消えた。

 僕は一礼すると、立ち竦んだままの女主人を残し、自転車に乗って再び走り出した。

 来年もあの紫陽花を見たい。だから、僕は望んでいない。花壇が掘り返されることを。


 塞ぎ込んでカビが生えそうな気持ちを癒してくれる存在に、そんな残酷な真似ができるはずがない。


 あの女主人は勘違いしている。


 僕が心惹かれるのは紫陽花であって、あの下に埋まっている“モノ”ではないのだ。

この間、公園で綺麗な青色の紫陽花を見ました。紫陽花は雨がよく似合いますね。

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