第一話 4
「さ、そんな事を言ってる間に着きましたよ、公園。いつまで落ち込んでるんです」
「ああうん……」
俯かせていた顔を上げる。死神の言葉通り、視界には公園の入口となる木々の開けた林道があった。
そこに足を踏み入れる。濃度高めの暗闇に包み込まれる。
(そういえば、始めは肝試しの下見の為にここに来たんだよなぁ)
それであのワンちゃんにじゃれつかれて……と、つい昨日の出来事を思い出す。微妙に昔の事に感じた。あ、ていうか今日学校で下見の話すんの忘れてた。
「さてさて、そろそろ真面目の真面目、君の命に関わるような話をしましょう」内容の割りに朗らかな口調だ。「君には今日もあの影と戦って頂きます。その理由は先ほどの通りです」
「……まぁ、そうなるんだろーなぁとは思ってたけど。でもさ、俺、あのワンちゃん一応倒したよね?」
「ええ、倒しましたね」
「それならまた倒しても意味ないのでは?」
「普通に倒すのなら意味はないでしょうね。また明日にでもなれば、あの影が再び現れるでしょう。しかしこちらにも考えがあります。大丈夫、安心して下さい。例え10円の命の君にだって無駄な事はさせませんよ」
「そゆ事言われると傷付くのだけれど?」
「さ、もう広場に着きますよ」
流れに乗せたツッコミは無視された。ヒドイ。社員によるアルバイトイジメだ。これはどこに訴えかければ取りなしてくれるのかな。民事だか刑事だかの裁判所? いやでも死神の世界にそんな機関があるのだろうか。
「ていうか何かもうすっかり死神のアルバイトしてると自覚してる俺って……」
「何をぶつくさと言ってるんです。ほら、今日もちゃんといますよ、あの影」
死神が木々の開けた広場を指差す。その先には、まるで獲物を探すかのように辺りを徘徊するあのワンちゃんの姿。それに加えて――
「あー、あの子はあのワンちゃんの飼い主……」
――明るい色のチェック柄をしたパジャマを着てキャラクターものの可愛らしいサンダルを履き、ぼんやりとした眼でフラフラしている昼間の女の子の姿が目に入る。こんな時間にお出かけだなんて、見かけによらずお転婆さんなんだな……
「な、訳ないよね」
どこをどう見たって彼女の様子は異様だった。
「彼女は今、夢遊病のような状態なんでしょう」
「夢遊病? 夢遊病ってあの、寝ながら歩き回ったりするアレ?」
「そうです。あくまで『そのような状態』という感じですが」
「なんか偉く曖昧な物言いっすね」
「ええ、まぁ……っと、気付かれたみたいですね」
何かの説明をしようとした死神が前方を指差す。その方向では、こちらに気付いたらしいワンちゃんが俺らに対して威嚇の体勢をとっていた。
「じゃあ、とりあえず頑張ってあの影を倒してください」
「それだと結局昨日と同じになるんじゃないですか&あなたは戦わないんですか?」
『質問は一回につき一個にしてくださいね』さっさと姿を消しやがった死神が、昨日のようにどこからともなく声を響かせる。『とりあえず後者に答えますが、僕は非戦闘員なんですよ。RPGでいうパーティーに入るけど戦闘には入らない、そのくせ明らかに危ない場面で自分の危険を顧みずに行動を起こして仲間に迷惑をかけるというプレイヤーの忍耐力を鍛えてくれるような存在なんです』
「なにそれ怖い」
『大丈夫です。僕はそこまで空気が読めない死神じゃないですよ。ですが、戦闘能力がほとんどないのも確かです』
死神の言葉の途中、ワンちゃんが低くした姿勢から、俺めがけて駆け出してきた。俺は傍らのフラフラ~っとしている少女が昼間の時みたくまた制止してくれないかなーと淡い期待を抱く。
「…………」
しかし少女は虚ろな瞳のまま広場の芝生の上に座ると、のん気にお花摘みを始める。出来ればその行動は昼間にして欲しかった。ちくしょう。
『微笑ましいですね』
「状況的に全然微笑ましくない」
真夜中、パジャマ姿、虚ろな瞳、フラフラした少女がお花摘み……まるでヤバめなお薬を服用・栽培しているみたいだった。
「うわーぅ!」
そうこうしてる間に詰め寄ってきたワンちゃんに全力でジャレつかれる。詳しく言うと牙や爪をむき出しにして飛び掛られる。それを身を捻ってかわす。
(うあー、やっぱり怖えぇぇ)
出来れば逃げ出して家に帰って布団に包まって綺麗な夢でも見ていたい気分。だけれど死神の仕事を放りだしてそんな事をしたら問答無用で殺されちゃったりしそうだ。それに中学生の女の子がこんな夜中に一人歩きだなんて、それも放っておく訳にはいかない。放っておくと心配になって夜も眠れなくなる。
(我ながら小心者の気にしぃだなぁおい)
いやでも、言い訳するわけじゃないけど、自分をそういう性格だって認められるのはある意味で強みのような気もする。
そんな益のない事を考えながら、震える足を強く踏みしめワンちゃんへと対峙する。ワンちゃんは俺から少し離れた場所で唸り声を上げていた。
『では、頼みましたよ』
「……分かったよ」
明日こそ肝試しの下見の話しないとなとか対日比谷用最終驚かし兵器の考案とか、そういう現状に無関係な事を頭から放り投げる。今はワンちゃんを倒すことだけを考えられるように。あ、でもやっぱり残しといた方が『俺の帰りを待ってくれてる奴がいるんだ――!!』とか言って頑張れるような気もする。
(……どっちでもいっか)
変な事を悩んでいたら、強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。
「今日こそ引導を渡すんだぜ」
こういう時は軽くノリノリな方がいいと思うから、ちょっと決めながら言う。そして俺は昨日使ったナイフをイメージし、掌に握った。
「いざ」
切っ先をワンちゃんへ。『いつでもやってやんぞコラ』の心構えで。
ワンちゃんは変わらず、低い姿勢で唸っている。俺も腰を深めに落とし、右手に握ったナイフの柄尻に左手を添え、腰の辺りに構えるというそれっぽい臨戦態勢をとる。
一定の距離を保ったまま睨み合う。空気が張り詰める。耐えきれず動き出したかったけど、こちらからは仕掛けない。それはきっと得策じゃない。
「…………」
手汗が半端なく滲む。心拍数は上昇の一途を辿る。そういえば珍しく死神が静かだな、なんて思う。
「ッ……」
そこでワンちゃんが均衡を破り、大地を蹴って駆け出す。俺は動きそうになった足を強く踏ん張り、恐怖心に震える体が逃げないように気張る。そうやってワンちゃんをギリギリまで引き付ける。
芝生を踏む軽やかな足音。夜の闇に溶け込みそうな黒い体。それが突進してくる。
「ぅ、くっ」
目前まで迫ったワンちゃんが牙と爪を剥き出して飛びかかってくる。俺はそれを寸でのところで、左斜め前に足を踏み込んでかわす。ギリギリ過ぎて3500円したシャツが爪に裂かれた。ちくしょう、お気に入りの一枚だったのに。
その憤りをナイフに込め、右に……ワンちゃんの脇腹に振るう。また嫌な感触が手に伝わった。俺はそのままナイフから手を離し、ワンちゃんとすれ違う。勢い余って前転しながら。カッコわるく言って転びながら。
でんぐり返し状態から起き上がると、すぐに俺はワンちゃんに向き直る。そしてもう一本、手にナイフを創り出した。出来るかどうか不安だったけど、ちゃんと創れて一安心。
新しいナイフを手にしながら、少し悩む。昼間に見た少女とのやり取りが頭に浮かぶ。どうやら変に情が移ってしまったようだ。
だけど、その悩みも今更だ。もうナイフ突き立てちゃったし。だからここで怯んだワンちゃんに追撃を加えて、ちゃんと倒さないと――
「あ、もう戦わなくて大丈夫ですよ」
――迷いのある足が、死神の言葉で止まった。