第一話 2
すれ違った少女を尾行して行くと、予想通りというかなんというか。出来れば「ぜ~んぶ俺の気のせいでした、本日も晴天なりて日々万事異常なしでーす」……なんて展開を望んだけれどそれが叶う道理も義理もなく、郷愁の母校の制服を身に纏った少女は、俺と狼が命がけのじゃれあいをした広場にまで歩いて行くと、そこで足を止めた。俺も少女から離れたところで足を止め、彼女の動向を温かい目でもって監視する。ここを警察に見られたら一発アウトな気がしてならない。
そんな事を考えながら、俺は手近にあったベンチに腰かける。
「実はお花を摘みに来ただけなの……とかないかな」
もしくはお母さんに秘密で拾った子犬をここで世話してるとか、そういうハートフルな展開だとお茶の間に大ウケだと思うんですが、どうだろう。
しかし少女は俺のそんな意向を徹底無視、そこらに咲いている小さな花々には目もくれず、人気のない広場の一角を目指して歩いていく。そして端の端、人目もあまり通らないような場所まで辿り着くと、そこにしゃがみこんだ。……これは本当に子犬フラグ?
「……あー、ずいぶんでかい子犬だなぁ」
一抹の期待。一掬いした砂漠の砂みたいな量の期待。それは蜃気楼のように、風にさらわれて消えた。
しゃがみこんだ少女が茂みに向かって手招きをすると、音もなく、昨日の黒い影の狼が現れた。狼は少女に身を擦り寄せ、少女はくすぐったそうに笑顔を浮かべていた。見ようによっては微笑ましい光景だ。
(……これはどうしたものなのでしょうか)
確か死神からのメールには、監視するだけでいいと書かれていた。だけど本当に見ているだけでいいんだろうか。というかあの狼、人に見つかったら大変な騒ぎになるんでは?
と、そんな心配をしていると、少女に頭を垂れていた狼が不意に顔を上げた。そして俺の方を見て、何やら不穏そうな空気を醸し出し始める。
「あーうん。あの狼に人が見つかっても、大変な事になるよね普通」
狼は姿勢を低くし、臨戦態勢を取る。どうやらアイツに存在を気付かれてしまったようだ。傍らの少女はこちらに気付かないまま、不思議そうに首を傾げていた。
俺はベンチから立ち上がり、狼の方へ向き直る。そして昨日のナイフをイメージする。まるで中二病患者のように。
「出来れば襲ってきませんように出来れば襲ってきませんように」
それから念仏のように呟く。あんなのとは本当にもう戦いたくないので。あれと戦うくらいだったら台所の黒い悪魔100匹……いや20……違う、10匹と戦う方がマシだ。
ふと少女が振り返る。そして狼の視線の先にいる俺を見て、驚いた顔をする。それと同時に狼が俺へと駆け出してくる。俺は恐怖心に震える手にナイフを――
「だ、だめっ!」
――創り出そうとしたが、少女の大きな声にびっくりして失敗する。ついでに狼が不承不承といった感じに駆け出した足を止める。
「…………」
「…………」
なんとなく気まずい空気が流れる。少女は申し訳なさそうに顔を俯かせ、狼は行儀良くその傍らにお座りをしている。俺はと言えば、どうしたもんかと少し悩んでから、
「こんちわッス、お嬢さん」
自分から巻き込まれ型の本領を発揮すべく、明るい声で少女に挨拶をした。
「あ、は、はい。こんにちは」
少女は辿々しく挨拶を返してくれた。良かった、無視されたらどうしようかと思った。
「ワンちゃんとお散歩かい?」
「えっ――」
言いつつ、何故か驚いたような少女に近づく。そしたら狼が低く唸り声を上げだした。
「あっはっは、嫌われたもんだね、俺も」
まぁ殺し殺された仲だもんなぁ。俺自身、あいつ怖いし。だけど飼い主(だと思われる)少女の言うことを無視したりはしないだろう。
「あ、あの……」
「はいはい、なんでしょう」
「その、見えるん……ですか?」
「はい?」
少女からの質問に首を傾げる。はて、見える……見える? 何か見えちゃいけないものでもあるのだろうか。地面にペタッと座っている少女のスカートの中なんて見ようがないし、そもそもそれを見ようとしているとか言い訳の余地なく拘束されてしまう。
「いえ、その……」
少女は言いづらそうに言葉を濁している。
「どうしたんです? まさか、実はそのワンちゃんが人から見えないインビシブル機能を持って生まれた戦略兵器だとか? はは、なーんて……」
ある訳ないよねー、と続けようとしたが、少女の大真面目な表情を見て言葉が詰まる。あれ、まさか本当に人に見えない?
「…………」
少女は黙ったまま顔を伏せている。それは何か言いたげだけど、言いにくいというか……そんな表情。
(どーしたもんかね)
軽口でも叩いて場を明るくすべきか、それとも少女と同じように真面目な雰囲気で何かギャグでも言うべきか。どちらにせよ何かしらの事をして、このちょっと沈んだ空気をごまかさないと、あのワンちゃんが飛びかかってきそうで非常に落ち着かなかった。
「えーと、その子は君のワンちゃん?」
「えっ、……ええ、はい」
とりあえずの世間話。少女は曖昧な返事をくれた。
「へぇ、なかなか大きいね。毛並みは……うん、ちょっと黒すぎて分かんないけど」
「そ、そうですか」
「ああ。……昨日見たのは夜だったから、黒いのは暗さのせいだと思ってたよ」
少し迷ってから、少女にカマをかけてみる。何とは上手く言えないけど、このワンちゃんが俺を襲ったことを知っているのかとか、そういう事に関して。
「…………」
少女は沈痛な面持ちで息を詰まらせた。ちょっと泣き出しそうだ。そして傍らのワンちゃんが何故か『いつでもやってやんぞコラ』みたいな感じに姿勢を低くし唸り始めた。
「この子と昨日、会ったんですか……?」
「あ、ああまぁ、ちょうど十三時間くらい前に、この場所うひゃぁお!?」
ワンちゃんが俺に向かって駆け出そうとするが、少女が黙ったまま手で制止する。それでもびっくりした俺は奇声を上げてしまった。非常にかっこ悪い。
「もしかして、ですけど……この子に襲われませんでしたか?」
沈痛をやや通り越し、悲痛の域へと表情が移り変わるほど切羽詰ったような少女。何かを覚悟しているような、それでも何かを諦められないような。
「ああ、ちょっと命をかけたジャレ合いをしたかな」
出来れば否定の言葉を投げかけて安心させてあげたくなる。少女からはそんな庇護欲をかき立てる様な空気を感じた。だけど、流石に嘘をつく訳にもいかなかった。
「何か知っているのかい?」
「いえ……信じてもらえるかは分からないんですけど……夢を見たんです」
「夢?」
女子中学生の見る夢……何だろう、好きな人と結ばれるとか、スイーツ別腹満タンで食べたのに体重計に乗ればアラ不思議! 太るどころか痩せてるじゃない! みたいな夢かな。
「この子が人を襲う夢です」
しかしそんな可愛らしい幻想は即座に打ち砕かれ、現実は理想と酷く温度差のある事実を突きつけてくる。まぁ、予想はしていたんだけれどね。
「どんな人を襲ったのか、とかは分からないんですけど、とにかくこの子が人間を襲って……殺しちゃう夢、です」
「それは寝覚めが悪そうだねぇ……」
「ええ……まぁ……」
言うほど辛そうな表情をしていない気がした。
「それで、夢はまだ続いたのかい?」
「いえ、その後すぐに目が覚めたみたいで……」
「ふぅん」
ワンちゃんが人を殺す夢、ね。
少女は暗い表情をしたまま俯いてしまっている。はてさて、どうしたものか。
俺は少し悩んだ後、
「まぁでも、それは夢の話でしょ?」
「え? ええ、それは……そうですけど」
「俺も命をかけたジャレ合いを~、なんて言ったけど、それはいわゆる一つの大言壮語。かるーく犬怖い俺をその子が追いかけてきたって程度だし、夢の中で殺されたのが俺だって言うなら、今ここにいる俺は幽霊ですかって話だよ」
まぁ半分くらい幽霊みたいなもんなんだろうけど。
「そう、でしょうか」
「そうですとも。あんまり気負いしすぎると、朝起きるのが辛くなっちゃいますよ?」
とにかく、この場はお茶を濁しておいて、死神にその事を知らせるのが一番妥当だろう。
「ま、そんな訳で、憩いのひと時をいきなりお邪魔しちゃって悪かったね、お嬢さん」
「あ、いえ……」
「不審者に馴れ馴れしく話しかけられた!! とか学校で話を広めたりしないでくれると嬉しいな。イケメンのお兄さんと知り合った~とかなら大歓迎だけど」
「は、はぁ」
「それじゃ」
少女に背を向け、歩みを進める。サッと話しかけてサッと引く。男はCOOLに行動するものなのさ。不審者とイケメンの違いはそこにある……のかもしれない。
俺は携帯電話を手に取り、青空を見上げる。
「さて、どうしたもんか」
そして死神に送るメールの文面を考えつつ、家路を辿った。