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崩壊寸前の男子剣道部を再興した桐生は、新監督・武藤の「五条の幹」という理論のもとで心技体を磨き、インターハイ出場を果たす。強豪の壁や武藤の葛藤、先輩の引退を経験し、次期主将として新たな一歩を踏み出す。


 湘東学園は、昔ながらの風情を残す路面電車の江ノ電の沿線沿いにある。

 江ノ島まで歩いても行ける距離にあることから、最寄り駅は、夏は関東の各地から海水浴客が集中し、賑やかというより喧噪状態となる。

 

 その夏の喧噪が去った秋・・・九月。

 まるで祭りの後の様に街は静けさを取り戻し、落ち着いた雰囲気に戻る。

 江ノ島の西海岸。

 心のやり場を失いかけた時、夕暮れに染まるこの浜へ、俺は一人で訪れることが自然な習慣となっていた。


 俺一人となってしまった、湘東学園高等部・男子剣道部。

 解決策が見いだせない挫折感。


 左に江ノ島。右には海面に漂うように浮かぶ烏帽子岩が見え、その烏帽子岩の遙か遠くに、オレンジ色の太陽が水平線に沈んで行く。

 オレンジから赤、そして、そこから伸びた金色の道が、海の上でまっすぐに俺にむかってのびている。


 父さんが、時々ここへ俺を連れてきてくれた。

 ただ、幼かった俺にはその記憶がない。


 何も考えることをしない時間。その心の静寂を得る為、俺はまた、ここに来てしまっている。

 そして、ただ、黙々と焼きそばパンを食べ、静寂の中に身を置く。



 ふと、気づくと、一匹の柴犬を散歩していた女の子がじっとこちらを見ている。


 数秒間の沈黙を破って、突如としてその柴犬が、どういうわけか、俺めがけて突進してくるのが見え、慌てた女の子も犬を追いかけ、俺に突進してきた。


 「タンタン!ダメっ!」


 その女の子が叫ぶと同時に、その犬は、俺・・ではなく、食いかけていた焼きそばパンを奪い取った。

 一瞬のことで、身動きできずにいる俺に、その女の子がゼイゼイいいながら駆け寄ってきた。


 「ごっ、ごめんなさい!・・・・・」


 どこかで見たことのあるその女の子は、必死にタンタンと名のついた柴犬を取り押さえている。


 「・・・・・?」


 その女の子は、タンタンを取り押さえながら、怪我がなかったですか、、、とか、慌てた声で、俺の様子を心配している。


 「あっ・・・・」

 「あっ・・・・」


 ちょっと落ち着きを取り戻して、改めてその女の子を見ると、なんと、デレなしツン子ではないか。


 向こうも俺を俺と気づいたらしく、一瞬、げっ・・という顔をして、すぐにすまし顔になった。


 このデレなしツン子。俺と同じクラスで、しかも剣道部員の同級生だ。

 本名は、法条みゆき。

 

 教室の中の彼女は、ある意味、異彩をはなっている存在だった。


 ショートカットで、美人タイプの彼女は、クラスの男子からは人気が高いが、一種、人を寄せ付けないバリアーを張っていて、その気の強い性格から、女子の友達グループ派閥のどこにも所属せず、昼休みも、いつも一人で過ごし、まるで、その孤独を楽しんでいる様なタイプの子だった。


 ツンデレというタイプの女の子はクラスに一人はいるものだ。と、林が以前語っていた。

 しかし、法条みゆきの場合、ツンはあるが、デレが全くないタイプで、特に男子からは、近づきたくても寄せ付けない、ツンだけの女子というレッテルが貼られ、それで付いたあだ名がデレなしツン子だった。


 「き、桐生!・・・なんでここにいんのよ!」

 「そっちこそ、なんでこんなとこいんだよ!」


 なんだか、わからない展開になってきた中、柴犬タンタンだけが、淡々と俺から奪い取った焼きそばパンをうまそうに食っている。


 しばしにらみ合っていた俺とツン子は、次第に落ち着きを取り戻し、タンタンの様子にあっけに取られて、なんだか知らないがお互い笑いがこみ上げてきた。


 「ツン子・・・いや、法条、それお前の犬・・だよな」

 「そうだけど・・・って、けがなかった?・・って、別に桐生のこと心配してるわけじゃないからね!タンタンは人に怪我させるようなことしないもん」


 「タンタン、焼きそばパンすきなのか」

 「あっ・・・・お金返すわよ」

 「べつに、いいよ。俺も犬好きだし。俺の隙をついて焼きそばパン奪った技はたいしたもんだ」

 「・・・・・・」


 「時間あるなら、座らない?」

 その言葉に、ツン子は一瞬たじろいだ様子だったが、タンタンのしでかした罪もあることから、俺の言葉にだまって従って、俺の隣にちょこんと座った。


 「ここ、タンタンの散歩コースなんだ?」

 「そ、そうよ」

 「俺んちさ、母さんと二人暮らしで、俺も家空けてばかりだから、犬飼いたくても飼えないんだ」

 「そ、そうなんだ。桐生も犬好きなんだ。普段はお母さんが散歩してるんだけど、部活が無い日は必ず私が散歩させるんだ。タンタン行儀悪いから私が教育する役目」


 「・・・・・」

 まじまじと、改めてツン子を見つめる俺。


 「な、なによ」

 「法条、お前、普通に会話してるじゃん」

 「えっ?」

 「だって、教室で、そんなに喋ってるお前見たことないぞ」

 「べっべつに・・・教室で話すことなんてないし、一人の方が好きだし・・・」

 「お前、剣道部では友達当然いるみたいだけど、クラスに友達いない見たいだな」

 「いるわよ」

 「そうかなぁ・・・俺には、回りがお前に近づこうとしても、お前が拒否して友達拒否しるようにしか見えないけど」

 「そっそんなことないよ。・・・・そんなこと・・・」


 自分で意識できているのかどうか分からないが、法条みゆきは、男子から見ればあこがれの存在で、学力も学年で常に上位をキープしている。

 剣道部でも、先輩にあたる音羽京子、キョウちゃんを尊敬し、キョウちゃんも後輩の中では一番に可愛がっている存在で、戦績も良い方だ。

 持つ者だけが持つ悩み。そんなものがあるかどうかは知らないが、端から見れば文武両道で、男子のあこがれの存在であるのに、どういうわけか、本人自身、そういう風に見られる自分を嫌っている様子で、友達という概念自体を拒否し、自分だけの環境をかたくなにキープする態度をとり続けている。


 ふと気づくと、タンタンがやたらとしっぽを振って、俺を見つめている。

 俺が、タンタンの頭をなでてやると、タンタンは物怖じもせず、俺の鼻のあたりをペロリ、ペロリと舐めた。


 「めずらしい・・・。タンタン、あんまり人になつかないのに」

 「ふむ・・・俺のこと好きらしいな、タンタン・・・」

 「・・・・・」

 「なぁ、法条、こんど何時散歩にくる?」

 「ななんでよ?」

 「だって、またタンタンと会いたいしな」


 「あたしと・・・・じゃないんだ・・・・」


 「えっ、何か言った?」


 「なぁ、、何も言ってないわよ。もう暗くなるから、私帰るからね」

 そう唐突に言った法条は、タンタンを強引に引っ張って、浜辺から去っていった。


 なんなんだ、あいつ・・・・・。


 翌日、そのツン子からメールが来た。


 メアド、林君から聞きました。

 別に、そういうわけじゃないからね!

 毎週月曜日に江ノ島西海岸あたりに出没します。タンタンが!。

 以上、連絡まで。


 なんだこれ、私ではなく、タンタンを強調するような倒置法。

 そんで、そういうわけって、どういうわけなんだよ。

 

 わかんね・・・・。




 我賀先輩による部活エスケープ命令によって、高等部男子剣道部は、俺だけが練習に出る状況が続いている。


 この状況の早急な打開。これが、おれに託された使命となっている。


 いや、何故それが俺の使命なのか、はっきりとした理由はない。

 これは、剣道を続けている理由と同じだ。


 剣道は不思議な武道だ。

 八十歳を超えた方が悠々と若者と剣を交え、互角以上に対峙できるスポーツや武道は他には見当たらない。

 道場での修練を経験している者ならわかるが、その稽古はきつく、必ず、一度は辞めようと考える。

 けれど、一度はまってしまうと、辞められなくなる。どんなに厳しい稽古であっても、それ自体への達成感が強く心に残る。また、厳しい稽古の中で会得できない技や心の弱さが露呈すると、己自身の弱さがわかる様になり、それを克服する為、更に修練を重ねるようになる。

 試合では、自己の普段の修練が素直な形となって現れる。

 気剣体の一致が一本となる打突である。という言葉は、非常に抽象性に富んだ言葉と受け止められがちであるが、気概と体全体のエネルギーが込められた剣から放たれた打突は、だれが見ても鮮やかな一本に見える。

 その一本を得る為に、技以前に、相手との心の詠み合い、一瞬を捉える眼力を養うのが稽古であり、修練である。

 その修練の目的がわかり、一つでも達成感を味わえた経験を持つ者は、剣道から離れられなくなる。

 初学の頃は、試合に勝つだけで単純に喜べた。けれど、鍛錬を重ねるうちに、たとえ試合に勝っても達成感が得られない時があり、試合に負けても、へんに納得してしまうことを経験する。

 それが何故なのか、それが知りたくて、また修練を積む。

 剣道は、どこまでいっても、俺自身の心に問いかけを続け、俺は答えを見つけ続ける。



 崩壊した部活の再興を図るのは、俺にとっては、その修練の一つなのかもしれない。

 俺は、剣道を続けたい。その為には続ける環境が必要であり、心の修練を重ねる為には、決して孤高であってはならない。

 何故なら、剣道は、お相手が居て初めて成り立つ武道だからである。



 キョウちゃんと二人で行った国会図書館以後、なんとなく、以前以上に連絡を取り合うことが躊躇され、以後、この問題に対して二人で話し合うということは無かった。

 キョウちゃんは、女子部員全員を見事に部活動に復帰させ、女子剣道部は既に復活を遂げていた。


 タンタンをきっかけにメールのやりとりをする様になった法条みゆきに、何故女子部員は全員復帰したのか訪ねたところ、


 「私達は、京子先輩を信じてるだけ。京子先輩から、私を信じて付いて来てって言われたら、みんな付いていく」


 という返事だった。

 キョウちゃんは、どんだけ信頼されてんのよって思う以上に、その人身掌握能力の高さに驚かされた。



 剣道の試合をする場合、できるだけ早く試合会場に着き、まず観客席から試合会場全体の様子を見る。そして、試合会場に降りて、自分の会場の周辺に立って、照明の明るさや会場線の識別の善し悪しを確認する。施設の大小や照明の明度によって、会場線が広く感じたり狭く感じたりすることがあり、その為、早めに目を慣らして、全体の中での立ち会いの感覚を掴むことが重要である。

 この、空間の全体の空気を把握して初めて、立ち会いそのものに集中できる。


 剣豪武蔵は、その場の空気を演出することに長けた人物と捉えられている。

 剣でのやりとりは、それ以外の全ての事象を自己のものにできるか否かで雌雄を決する。


 なるほど、俺が恥を捨てれば済む話だ。

 そう心に決めた俺は、作戦を実行に移した。



 エスケープが始まって、既に二週間が過ぎた、ある日曜日。

 俺は、我賀先輩と共に琢成館に向かって歩いている。


 歩きながら、我賀先輩はぶっちょう面のまま、タラタラと俺に向かって文句を言い続けている。


 俺が中学一年生の頃、我賀先輩は、俺が琢成館に通っていることを知り、よほど自信があったのか、道場やぶりだ!とか、なんとか言って、強引に俺を使って藤森先生を紹介させ、琢成館に入門した。

 藤森先生は、快く我賀先輩の入門を許してくれたが、三ヶ月もたたない内に熾烈を極める厳しい稽古に付いてこれなくなった我賀先輩は、藤森先生になんの挨拶もなく、琢成館に通わなくなった。

 だから、琢成館は、我賀先輩にとって鬼門であり、けっして触れられたくない名称だった。



 道場に付いた頃、既に稽古が終わっており、一般の門弟の方が次々に道場から出て来る時間だった。

 我賀先輩は、自分の顔を見られないように下を向いていたが、門弟の方達が次々に我賀先輩に声をかけてくる。


 「やぁ・・我賀君。元気にやってましたか」


 我賀先輩は、その問いにいちいち驚いて、しどろもどろで、ハイ・・・と返事をしている。

 たとえ、三ヶ月であっても、門弟として剣を交えたことのある先輩達は、今でも我賀先輩を同門の徒として忘れずにいる。琢成館とは、そういう道場である。

 


 門弟が誰もいなくなった道場。

 静寂だけが支配している。

 その静寂の中、上座に鎮座し、黙想をしている藤森先生の姿が見えた。


 道場入り口で、一礼した俺たちは、藤森先生の前に正座した。


 おもむろに眼を明けた藤森先生が、静かに口を開いた。

 

 「お二人とも、お忙しいところご足労いただき、ありがとうございます」

 「いえ、そんなことはありません」

 隣の我賀先輩を見ると、顔が上げられないのか、礼の姿勢を崩さず、ド緊張して硬直している。

 「我賀君。おひさしぶりですね」

 「ハッハイ・・・・その節は・・・・」

 我賀先輩は、よほど藤森先生が苦手らしく、なんだか判らないことをモグモグと語っている。



 「今日、我賀君をお呼びしたのは、ほかでもありません」

 「・・・・・・」

 「桐生君から、我賀君のご活躍をいろいろお聞きしている内に、ぜひ我賀君にお頼みしてみようと思ったのですが・・・・」

 「・・・・・・」

 突然のことで、しかも何のことか判らず、我賀先輩は、礼から顔を上げて俺に、なんか言ったのか・・・的な睨み顔を向ける。

 

 「湘東学園剣道部を、見事に一つにまとめあげ、後輩の育成にも余念のない心がけ。私も見習いたいものです」

 ぽかんと、それを聞いている我賀先輩。

 「そこで、お願いなのですが」

 予想外の藤森先生の言葉に自分を完全に失っている我賀先輩に、俺は、肩肘でつついて、目をさまさせた。

 「・・は・・はいっ・・・な、なんでしょう」

 「実は、当道場の中学生組のことなんですが、どうも外の世界を見ようとせず、道場内だけで己の力量を図る傾向があります。ですので、我賀君に、一つ中学組の稽古を一から見直し、その心根を正していただきたいと思っているのですが」

 「・・・いや、自分はそんな・・・」

 「お忙しいのは重々承知していますが、週に一度、ご足労ですが、また、琢成館へ通っていただき、中学生組のご指導をお願いできないでしょうか」


 それを聞いて、ぽかんとした顔で俺を見る我賀先輩。

 そんな我賀先輩に、目で返答を即す俺。


 我に返った我賀先輩は、藤森先生の言葉を反芻するように何かを考えていた様子だったが、憑き物がはれた様な、にこやかな顔に変貌し、また、何時ものような自信・・過剰めいた顔つきになった。


 「いかがでしょうか、我賀君」

 「は、ハイ。お誘いはごもっとも、、、いや、大変ありがたいことですが、自分は既に高校二年生で、受験生となる身ですし、湘東学園剣道部の統括だけで精一杯の身です。ですから、せっかくのお願い、、、いや、お誘いですが、ご要望にはお応えできかねます・・・」


 「そうですか・・・いや、無理をお願いしているのはこちらですから」

 「い、いえ・・」


 話しは、それで終わった。

 我賀先輩は、なんだかすっかり自信を取り戻し、何時ものような傲岸な顔つきに戻っている。


 そそくさと、道場を後にしようとした我賀先輩と俺の後姿に向かって、藤森先生がこう言った。


 「そう言えば我賀君。武藤君のご指導はどうですか」


 その名を聞いた瞬間。我賀先輩の顔が硬直した。


 「武藤君は、かなり昔ですが、当道場の師範代を努めていただいた方です。私自身も彼の剣には心服しております。湘東学園の監督にご就任されたと聞いて、私も嬉しく思っていました」


 茫然自失となった我賀先輩。

 けれど、我賀先輩といえどもバカではない。


 藤森先生の言葉で、武藤鉄心という人物がどういう人物であるのか理解できたに違いない。

 

 「は、ハイ! 武藤先生には日々鍛えていただいております・・・」

 真っ青になってそう言った我賀先輩の言葉に、満足げに微笑んだ藤森先生はこう言った。

 「それはけっこうなことです」


 顔を真っ青にしたまま、逃げるように道場から立ち去った我賀先輩。


 他に用事があるからと、藤森先生に呼び止められた俺は、再び先生の前に正座した。


 「これで良かったのでしょうか」

 「はい。申し訳ありませんでした」


 この藤森先生と我賀先輩の対談を藤森先生にお願いしたのは俺だった。


 俺は、事前に藤森先生にこれまでの経緯を全て話し、武藤先生と湘東学園が置かれている状況を包み隠さず話し、その打開策を藤森先生に問うた。


 「剣豪、武蔵は、決戦の前に神社で手をあわせようとした瞬間。他力本願の自分に気付き、手をあわせることをやめましたよ」

 「わかっています。武藤先生がご自身のことを語ろうとしないのも、同じ心境なのかもしれません」

 「・・・・・・・」

 「ですが、剣は剣のみにあらず。戦いの前に場を制することこそ肝要であると、藤森先生からお教えを受けてきました」


 それを聞いた藤森先生は、楽しそうにクスクスと微笑んでいる。


 しばしの沈黙が続いた。


 「わかりました。武藤君の意志には反することかもしれませんが、君の、その恥を捨てた心には感服しました。我賀君をお誘いして来てください」


 「ありがとうございます」


 「ところで、君は、一年生で、大将の座を与えられたのでしたね」

 「はい。武藤先生のご指名です。自分にはその器はとうていありませんが」


 「いやいや・・・・武藤君が君を大将に指名した理由が判る様な気がします」

 「はぁ・・・・」


 俺は、我賀先輩に、藤森先生がぜひ頼みたいことがあるから、琢成館に一緒に来てほしいと誘い、そして、この顛末となった。




 翌日だった。

 唐突に、我賀先輩から男子剣道部員に一斉メールが配信された。


 君たちは、明日から剣道部に復帰する。

 欠席は一切許されない。

 我々は、武藤鉄心先生のもと、新たな道へと突き進む。


 はぁ・・・・。


 俺は、なんか、やるせなさを感じたが、剣道部のブレイクスルーはこうして始まった。


 あっけない。という言葉は、まさにこの事だ。


 俺があれだけ気をもんでいた問題は、我賀先輩のたった一つのメールで終焉した。


 次の火曜日。

 剣道部高等部男子剣道部員は、誰一人欠席することなく部活に復帰した。


 武藤先生は、全く表情を変えず、何事もなかった様に、何時ものサーキットトレーニングの開始を告げた。

 その様子を見て、キョウちゃんは、まるで星一徹が飛雄馬に送る様な力強いVサインをおくってきた。



 高等学校剣道界は、十一月の末の県・高校新人剣道大会の個人戦で、実質的なシーズンに入り、その後、年をまたいだ一月の全国高等学校選抜大会団体戦、四月の関東高等学校剣道大会と続き、そして、全国高等学校総体インターハイの個人戦と団体戦が五月と六月に行われ、全国出場を果たした学校、選手は八月のインターハイ本戦に出場する。

 インターハイ県予選で敗退した学校や選手は、六月の試合をもって部活動を引退することになる。

 

 俺たち一年生は、二回のチャンスがある。

 だが、キョウちゃんを含めた二年生は、今シーズンの終了、つまり来年の六月のインターハイ予選で全国出場できなければ、その時点で部活を引退することになる。


 ジャージを着たサーキットトレーニングは、その後、二週間続いた。

 誰も文句を言わなくなったのは、我賀先輩が、藤森先生のあの一言で、武藤先生をいきなり崇拝しはじめ、先頭をきって武藤先生の指導通り、というよりも、手を抜いている部員には容赦のない鉄槌を下すようになったからだ。


 元通りの剣道部に戻って、二週間が経過した頃、武藤先生は、高等部剣道部員を全員集めミーティングを開いた。



 ミーティング会場は、以前とは全く異なる空気の中で行われた。

 我賀先輩が、後輩を叱咤して机を並び替え、書記役まで用意する周到ぶりだった。


 ミーティング会場に現れた武藤先生は、何時もの様にひょうひょうとした赴きで、部員達と対峙した。


 「さて、予備トレーニングは十分な成果をあげられませんでしたが、明日から胴衣、防具を付けた通常の稽古に入ります」

 おうう!みんなが歓声を上げる。


 「新人戦まで約一ヶ月半あるわけですが、あっという間に過ぎて行きます。そこで、もう一度、初心を確認します。我々の目標はなんだったでしょうか」

 ハイっ!

 我賀先輩がいきなり叫んで起立する。

 苦笑ぎみの武藤先生が、その我賀先輩を指名する。


 「インターハイ優勝が目標です。そして、正剣で勝つことです」


 誰もが信じていないインターハイ優勝。剣道部そのものが約一年にわたって閉塞状況であったことを考え併せると、それは夢でしかない夢と考えるのが普通である。


 「その通りです」

 って、言い切る武藤先生もすご過ぎる。


 「また、それに加えて、当初申した通り、団体戦では各人のポジションの役割、意味をこれから見つけて行ってください」

 「ハイ!」

 部員一同が大きく返事を返す。

 「具体的な稽古の内容は後から説明し、男女の主将に主導してもらいます」

 「ハイ!」

 「その前に、試合に勝つ為の幹となる部分をこれから頭に入れてもらい、常に意識してもらいます」

 「ハイ!」


 そう言って、武藤先生は、白版に文字を書き始めた。


第一条眼力。

第二条美しい構え。

第三条丹田での打突。

第四条空間を握る手の内。

第五条無限の間。


 書き終えた武藤先生は、部員達の顔をニコニコとしながら見渡す。

 命令された書記役の林が、その白版の文字をノートに書き写す。


 なんとなくは判るが、誰もがその具体的な意味が判らなかった。


 「この五条を剣道総体の幹の部分と捉え、稽古で迷った時、試合に向かう時に頭の中で反芻してください」

 「ハイ!」

 「この五条は、これから日々の稽古の中で理解してもらい、自分なりで良いですから、自分のものとすることに努力を重ねてください」

 「ハイ!」

 「剣道、特に試合での強さは、短期間で修得できます。但し、何かを掴むまで負け続けます。その試練に耐え、五条の意味を体現できた時、君たちは勝ち続けます」

 「ハイ!」


 前監督の黒田先生は、理を嫌い、パワーと技の優劣を第一義とした熾烈な稽古を科したが、どうやら武藤先生はその真逆で、理を第一義とし、技については剣道の幹を構成しないものと捉えているように感じた。


 ともあれ、明日から胴衣、防具を使用した本来の稽古ができることに皆喜びを隠せなかった。

 みな、剣道が好きなのだ。






 剣道部の稽古が、武藤先生のご指導によって、部員のベクトルが一致し一つの目標へ向かって邁進し始めた十月の終わり頃。


 部活が休みの月曜日。

 何時ものように、俺と林は行きつけのラーメン屋に居た。


 二人とも腹が減っていて、注文したラーメンができあがるのを今か、今かと待ち構えていた。


 外は、どしゃ降りの雨だった。


 待ち構えていたラーメンができあがり、俺と林は、一気にかぶりついた。


 ラーメンを口にかっこみながら、林は何気なく口にした。

 「まったく。あいつ、何考えてんだか」

 「あいつって?」

 「ツン子だよ、剣道部の」

 「はぁ・・ツン子か・・・あいつがなんなんだよ」

 俺は、全く興味なさげに返答をした。

 「廊下の隅でさ、上級生の女子からつるし上げくってたぜ。そういうの目撃したのもう三回目だぜ」

 「ふぅ・・・ん。ツン子がね・・・」

 「っって、お前と同じクラスだろ。教室でも何時もあんな感じなんか?」

 「あんな感じって、確かに女子連から孤立してるっていうか、いっつも一人だな。んでも、本人はそれで平気みたいだぜ」

 「ふむ・・・・もう一ヶ月も前だけどさ、ツン子がさ、なんだか、京子先輩から剣道部員のメルアド把握しておいてって言われたから、俺のメルアド教えてっていってきたんだよ。あっ、そんで、ついでにお前のメルアドも教えたけど」

 「んっ・・・・・?」

 俺は、ラーメンを食べる手を止めた。思い当たるふしが、おもいっきりある。

 いぶかしげに俺を見る林。

 「どしたの?」

 「ん。いやなんでもない」

 そんな俺を気にせず、林は話続ける。


 「そんでさ、俺、ラッキーって思って、ツン子に何回かメールしたんだけさ。返事、一回も帰ってこねーの」

 「そ、そか」

 「部活の時にさ、お前、メールの返事くらい返せよっていったらさ」

 「ふむ・・・・」

 「あら、そうだったかしら・・・・の一言で終わり」

 「そう・・・なのか・・・」

 「いや、それはそれでいいんだけんどよ。相手が女子同士だったら、遺恨残すぜ、ああいう態度」

 「・・そうかもしれんな・・」

 「クラスの様子がお前の言う通りで、上級生にも同じ様な態度とってるなら、そりゃぁ・・・つるし上げくうわな」

 「・・そうかもな・・」

 「そんでさ、それに和かけて、最近、へんな噂流れてんのよ」

 「へんな噂?」

 「それがさ、月曜日の夕方から日が暮れるまで、犬連れて西浜徘徊してるって」

 「それって、犬散歩させてるだけじゃねぇの?」

 「そりゃそうだけどさ、ここのところ、部活休みの月曜日に限って雨降ってるじゃんかよ。なんで雨降ってる中、ベトベトに汚れる浜で散歩させるわけ?それも、日沈んでもかなりの時間、だまって座ってボケっとしてるらしいぜ」


 あっ・・・・・


 月曜日に西浜に出没します・・・・。


 俺は、一ヶ月前のツン子からのメールを思い出した。

 

 しかも、あれって、俺の方から、こんど何時散歩に来るって聞いたことだった。


 今日は月曜日。

 しかも、どしゃ降りだった。


 俺は唐突に席を立った。

 ポカンと俺を見る林。


 「わるい!俺、用事思い出した!」

 と叫ぶやいなや、あっけにとられている林を残して、俺はラーメン屋を飛び出した。

 


 やっぱり・・・そうだった。


 どしゃ降りの中、西浜にむかった俺の目に飛び込んできたのは、犬用のレインコートを着せられたタンタンと、傘こそさしているが、びしょ濡れのまま浜辺に佇んでいるツン子の姿だった。


 「法条!なにやってんだよ、こんなどしゃ降りの日に!」

 その声に、驚いたように振り返るツン子。


 「・・・・・・」

 

 タンタンが俺の声に反応して、おもっきり俺に突進してくる。それに引かれるように、ツン子自身も俺に突進してくる。

 俺に飛びついたタンタンは、たっぷり雨をすった泥を俺の制服にぬりたくっている。


 「だめ、タンタン!」

 俺は、タンタンを落ち着かせながらツン子の顔を見た。

 「もしかして、月曜日、いつもここに来てたのか?」

 「そ、そうね。一応約束したから・・・」

 

・・約束・・


 俺にとっては、単に社交儀礼っていうか、話しのついでに言った一言が、ツン子の中では、約束になっていたのに、この時初めて気づいた。

 

 「そ、そか・・・悪かったな。でも、お前、ビッショ濡れじゃんか。風邪ひいたらどうすんだよ」

 「べっべつに、桐生のせいになんかにしないわよ」

 プイと横を向いてふくれ顔になるツン子。


 どしゃ降りは止みそうもなかった。

 俺は、ツン子を強引に家に帰し、俺も濡れ鼠になって、家へ帰った。


 法条みゆき。あだ名はツン子。


 それ以後、クラス内での様子は、一遍の曇りなくという表現は変だが、いつもと変わらず独行道を歩んでいたが、口数は少なかったものの、剣道部内では俺と通常の会話を交わすようになった。

 但し、部活が忙しくなるという理由で、またもや習慣となりかけていた、月曜日のタンタン詣でには行けなくなったと、はっきり告げた。


 


 濡れ鼠の姿で、しかも制服にはタンタンの肉球の痕が数カ所クッキリと付いたままの姿で家に着いた俺は、居間で、母さんと誰かが、なんか真剣な口調で話しをしている様子に気づいた。


 廊下から居間のドアを開けると、そこには、母さんとキョウちゃんが、向かい合って何か重い表情のまま座っていた。

 「・・・・・」

 ずぶ濡れの俺に気づいた母さんは、なんなのそれ!ていう感じで驚き、キョウちゃんは呆気にとられている。


 母さんは、んっもう!とか何とか文句を言いながら、俺を風呂場に引っ張っていく。

 脱衣場で、俺が脱いだ制服をみて、また、何やらかしてきたの!とかなんとか文句を言っている母さんに俺は訪ねた。

 「キョウちゃん、どしたの?」

 母さんは、俺の顔もみようともせず

 「キョウちゃん、何時も部活ない日、家に来て夕ご飯作ってくれてるのよ」

 「へっそうなんか?」

 「あんた、部活ない日、いっつも林君と夕ご飯食べてくるじゃない。しかも帰り遅いし」

 「・・・ふぅうん。しらんかった」

 「しらんかったじゃないわよ。あんた、ほんとに廻りが見えてないのね」

 なんだか、イライラした口調でそう言うと、さっさとお風呂入りなさいと言い捨てて、母さんは脱衣場を出ていった。


 風呂からあがって、居間に戻って見ると、さっきの重苦しい空気は全くなく、キョウちゃんと母さんの合作の夕食を三人で食べた。

 キョウちゃんも、母さんも笑ってる。

 昔に戻ったようで、俺もなんだか楽しくなってくる。

 ひさびさの三人の笑顔には、何らの蟠りも無かった。


 夕食が終わって、部屋に戻ろうとすると、キョウちゃんが、私も行くって言って、俺の承諾を聴くでもなく、かってに二階へ上がって行った。


 「わっ!きたない!」


 二階からキョウちゃんの叫び声が下まで響いてきた。

 ゲッ!て思いながら、二階の自分の部屋に行ってみると、キョウちゃんは、既に部屋の中を片付けはじめていた。


 脱いだままの服や下着がほっぽり投げてある部屋。

 そんでもって、解体した竹刀や竹刀の削りかすがそのまま放置されている部屋。

 キョウちゃんは、うんっっもー!と言いながら、それらを片付けている。

 「か、かってにいじるなよ」

 「何いってんのよ!人間の住処じゃないわよここ」

 結局、俺は強引にキョウちゃんと一緒に、部屋を掃除させられるはめとなった。


 「はぁぁ・・・・」

 ひとしきり、片付いた部屋は、なんか空気さへも変わったような気がした。


 一息ついたキョウちゃんは、俺の机の上を見て、

 「おぬし、勉強、まじめにやってるか?」

 との賜った。

 「それなりに・・・な」

 その言葉を無視して、キョウちゃんは、改めて部屋中を見回し、ひさしぶりねーとかなんとか、一人で悦に入っている。

 

 「キョウちゃん、毎月曜日、うちにきてたんか?」

 「まぁね」

 「何時から?」

 「ん・・・九月の試験明けからかな」

 って、それって国会図書館一緒にいった頃からじゃんか。


 そんなのどうでもいいっていう感じで、キョウちゃんは、俺のベットに横たわり、変わってないね!この固い感じ!とかキャッキャッと騒いでいる。

 そんで、あっそうだって言いながら、部屋を出て、再び戻ってきた手には、ホームランバーが握られていた。


 きれいになった床に二人で座って、俺たちは、黙ってそのホムランバーを食べた。

 キョウちゃんは、なんだか機嫌がよくて、ニコニコしている。


 「さっきさ、母さんと何話してたのさ」

 「ううん。高校生にもなって、雨の中、犬と格闘してくる男の子の行く末について・・・かな」

 「・・・・・」

 おぅぅぅ!当たり!

 キョウちゃんは、その話を遮るように、ホームランバーの当たり棒を俺に見せびらかしている。

 取りつく島もないキョウちゃんの様子を見て、俺も、その話しには見切りを付け、別の事を聞いてみた。


 「あのさ、北条のことなんだけどさ・・」

 「んっ、みゆきのこと?」

 「あ、うん。剣道部の」

 「そう言えば、あの子シンちゃんと同じクラスだったよね」

 「まぁね・・」

 「みゆきがどうしたの?」

 「いやぁ。林がさ、上級生の女子から睨まれてるって・・・・」


 しばしの沈黙。


 「んっ・・・あれぇーー。シンちゃん。あの子のこと、気になってんのかなぁーーーーー?」

 意地悪っぽい目で、俺の目を覗き込むキョウちゃん。

 「んなことねーよ!」

 俺は、言下にそれを否定したが、キョウちゃんは、ニヤニヤを止めない。


 「教室でも何時も一人だしさ、部活の時もなんかつっけんどんな話し方してんじゃん。キョウちゃん、やりずらいんじゃないかと思ってさ」

 「ふむ。そんなことないよ。あの子いい子だよ。すごく真っすぐで、なんというか、何事にも一途って感じで、部活の時なんか、私たち上級生に不快な思いさせることなんてないよ」

 「そか、だったらいいんだけどさ」

 キョウちゃんは、なんで俺が北条みゆきの話題をふってきたのか、知りたそうな顔をしていたが、それ以上、その話題には触れなかった。


 俺たちは、それから、極自然な形で、昔もそうだったように、面白いアニメの話しや、学校の先生のしでかした笑い話しなんかを話し、そして、昔と同じ様に、俺はキョウちゃんを家まで送った。



 湘東学園剣道部の道場は一つしかなく、試合場のコート二面分しか無かった。

 その道場で、中等部と高等部が一緒に稽古するのはかなりキツい。


 火曜日から金曜日までは、午後四時から六時半までが中等部との合同稽古で、六時半から八時までが高等部だけの稽古となる。


 武藤先生は、胴衣と防具を着けての稽古の初日から一週間、通常の稽古を行わず、例の五条の幹の部分に繋がる所作を部員達にたたき込んだ。


第一条、眼力。

 剣道では、一眼二足三胆四力という言葉がある。剣道の修行や試合で大事なもの、つまりプライオリティーを表した言葉だ。

 一番大事なことは、相手の思考を見破る眼力であり、冷静な洞察力である。

 極端に言えば、洞察力を磨けば、技や振りが鈍くても、正確な打突を相手よりも早く放つことができる。

 通常、どうしても技の早さや振りの早さを競いたがるものであるが、武藤先生は、その我をまず捨てよと教えた。

第二条、美しい構え。

剣道の構えは、他のスポーツなどと比べると非常に変則的で右足、右手が常

に左よりも前に出ている。しかし、この構えが瞬時の動きを支えている全てといって良い。

そして、その構えの要となっているは、上半身の背筋がピンと通っているこ

とで、しかも肩に力が入っていない、脱力しながらも一本の芯が通っている立ち姿である。

 また、足の幅も、試合になったとたんに前後の幅が広くなってしまいがちだが、それでは、普段の稽古で見に付けた自分自身の間合いを見失ってしまう。

 この為、美しい構えとは、背筋の通った上半身と、その上半身を支える腰、丹田と言っても良い部分を支える柔軟な足と常に変わらない歩幅を総称して言う。

第三条、丹田での打突。

技やパワーに頼った剣道は、どうしても腕の振りに力が入る。

しかし、打突は、強さではなく冴えである。打突に冴えを与える為には、足

のパワーを腰に乗せ、丹田に気力をこめて、その気力とパワーを竹刀に伝達させることが必要である。よく足で打てというが、このことを現している。

第四条、空間を握る手の内。

 実は、俺たちというか、小さい頃から剣道を習っていた者にとって、これが一番難しいことだった。

 竹刀を握り、多少の空間を作ることを手の内と表現する。

 常識というか、初学の頃から徹底的に仕込まれるのが、この竹刀の握り方で、小指と手の甲でしっかりと竹刀を支え、薬指、中指、人差し指の純でその握りをゆるめ、人差し指、中指で竹刀と手の間の多少の空間を作る。この空間を作ることによって、手首のスナップと共に、竹刀の振りにしなりが生まれる。

 しかし、武藤先生は、その常識を捨てよと教えた。

 竹刀の握りは、中指と親指で支え、薬指と小指はほんの軽く握って空間を作り、握りだけで竹刀の上下運動を自由にせよと言う。

 これを中筋握りと言うと説明してくれた。

 なるほど、この握り方だと、手首のスナップが最小限で済み、竹刀の握りの強弱だけで竹刀の上下振り運動ができる。

 また、この中筋握りを修得することによって、腕自体を振るという剣道の振りそのものの考え方を変えよと言う。

 剣道の修練の段階を示す言葉に、大強速軽という言葉がある。初学の時は、大きく、そして強く打突することを徹底的に仕込まれるが、修練が進むに連れて、大きな振りが小さくなり、次第に迅速となって、軽やかな振りとなって行くというものだ。

 高校剣道界に限らず、全日本剣道選手権での選手達の竹刀の振りをよく観察すると、振りは、相手の目の位置から上に上がることはなく、右手は突き刺すように真っすぐに相手の打突部に鋭く向かうと同時に、竹刀は直角近くまで立って、相手の打突部に鋭い一打を与えていることが判る。

 つまり、上級者になればなる程、腕による振りが過少となるに関わらず、竹刀のしなりが鋭くなって、初動から非常に早い打突が完成している。

 武藤先生は、その振りを実現する為に中筋握り、つまり、竹刀ではなく、空間を握るような手の内を修得し、足と腰、丹田に蓄えたエネルギーの全てを相手に突き刺すように出された竹刀に伝達させよと教えた。

 そして、近間で、いわゆる死地の間合いからの打突、鍔迫り合いからの引き技の時以外、腕の振りによる打突を禁じ、右手の振り上げ位置、即ち、右拳のエンドは、相手の目の上以上には絶対に上げてはならないことを説いた。

第五条、無限の間。

間とは、相手との距離を言う。基本となるのは、自分自身が一振りで相手を

打突できる一足一刀の間、距離である。

 武藤先生は、前四条を踏まえた上で、部員達に自分自身の一足一刀の間を

何時いかなる時でも瞬時に掴むことを再確認させた。

 相手との間は客観的なものではなく、相手によって様々に変化する。

 間を制するものは勝負を制する。

 故に、第一条の眼力が重要であり、相手の間を素早く把握することが勝負の鍵となる。

 高校剣道に限ったことではあるが、鍔迫り合いから双方別れる時、攻撃は禁止で一度縁を切らなければならない。つまり、剣先同士が一度ふれあわない位置に間を取り直さなければならない。

 これを逆に考えれば、お互い死地の間に入って、鍔迫り合いの間までの間は、いくら近間であろうと、打ち間であるこに変わりなく、この間の間合いでの攻撃はチャンスのなにものでもない。

 大抵の場合、死地の間より深く近づいた場合、お互いが鍔迫り合いに持っていこうとするが、打ち間であるに関わらず打突しないのは、間という概念を理解していないからである。

 近間での打突は、かなりの技量が必要ではあるが、返し技を修練すれば、絶好の好機を有効に使うことができる。

 また、鍔迫り合いとなった時も同じで、鍔迫り合いとなった瞬間、引き技を出す駆け引きの間の取り合いであることを忘れてはならない。

 鍔迫り合いは、相手の攻撃を避ける為、攻防に休息を与える道具にしてはならない。

 このように、間とは、主観的な要素である限りにおいて、無限に存在しており、攻撃の機会は無限に存在していると説いた。


 この五条の幹を稽古の中で実践させるべく、武藤先生は、部員達一人一人の構えと竹刀の握り、即ち、手の内を矯正させ、その姿勢をキープさせたまま、すり足前進と後退を繰り返させ、決して崩れない構えを持続させる鍛錬を積ませ、その上で、大きな打ちから次第に小さな打ち、最終的に腕の振りを極限まで抑えて、手の内だけで竹刀の振りとしなりを出す振りと打突の感覚を俺たちに叩き込んだ。





 一週間が過ぎた頃、これらからの具体的な稽古メニューが発表された。


 午後四時から六時半までは、中等部との合同練習である為、基本打ちに徹する。

基本打ち込み。

 面の打ち込み

 面からぶり面打ち込み

 小手面の打ち込み

 小手胴の打ち込み

 突き面の打ち込み

 引き面の打ち込み

 引き胴の打ち込み

 引き小手の打ち込み

 相面の打ち込み

 相小手からの面打ち込み

 胴、逆胴の打ち込み

 諸手突きの打ち込み


連続打ち込み

 面、体入れ替え、引き面

 面、体入れ替え、引き面、出小手

 面、体入れ替え、引き胴、出小手

 小手面、体入れ替え、引き面、出ばな面、体入れ替え出小手

 小手面、体入れ替え、引き胴、出ばな面、体入れ替え抜き胴

 面を攻めて小手、引き面、出小手

 相小手面、面、引き胴、出小手、体入れ替え引き面


 この段階で中等部の稽古が終わり、高等部だけの本格的な稽古となる。


 まずは、五条の幹に基づいて、構え、手の内、姿勢、一足一刀の間の感覚を自己のものとする為の確認ともいうべき互角稽古を行う。

 この時、構えに力が入っている者や、姿勢が崩れ、初動が見破られる者は、互いにそれを指摘し合って矯正していく。


 次に、眼力を養うため、一刀で決める打突を、お互いに出ばなのタイミングで繰り返す。この一心一打の稽古は、常に充分な時間をとった。


 これらの稽古を終え、眼力、構え、手の内、姿勢を常に頭に入れたまま、追い込み稽古を行う。

 連続面

 連続小手面

 面、空振り面

 胴からぶり面

 小手、面、小手、面、胴、逆胴

 通常の追い込み稽古の場合、元立ちは、相手のスピードに合わせて後退するが、眼力と素早い反応を養うため、元立ちは、後退スピードをランダムに変え、その変化する局面を捉えて素早く打突する鍛錬を積む。


 その次に、再び眼力を養うため、一刀で決める打突を、お互いに出ばなのタイミングで繰り返す。


 その後、返し技の稽古となるが、一足一刀の間から、次第に深く入った位置での返し技を行い、それを繰り返した後、鍔迫り合いからの引き技を繰り返す。


 そして最後に、再び五条の幹に基づいて、構え、手の内、姿勢、一足一刀の間の感覚を自己のものとする為の確認の為の互角稽古を行う。


 これが、新生湘東学園の日々の稽古メニューとなり、俺たちは、武藤先生の指導に従うことのみに全力を尽くし、気づけば、十一月末のシーズンインとなる神奈川県高等学校新人剣道大会個人戦の日を向かえていた。






 何かを掴むまで、しばらくは負続けます。

 

 その言葉通りだった。

 神奈川県高等学校新人剣道大会個人戦は、新人戦のイメージがあるが、三年生が引退している時期であるだけに、現役の一年生、二年生のほぼ全員が参加できる大会である。


 湘東学園剣道部は、男子、女子共に、俺とキョウちゃんがかろうじて三回戦まで進んだものの、他の部員は全員一回戦で負けるという屈辱を味わった。


 年を越して、一月末の全国高等学校選抜剣道大会の神奈川県予選。

 団体では男女共に三回戦負け。個人戦では、やはり俺とキョウちゃんが三回戦で敗退した。


 何かを掴むまで・・・の、その何かが判らない。

 以前よりも、弱くなってしまっていた俺たちは、無限地獄に陥ってしまったような感覚に襲われたが、


 それを掴めば、勝ち続ける。

 

 という武藤先生の言葉を信じて、ますます日々の稽古に邁進していった。

 勝ち負けというよりも、日々の稽古の充実感だけが、俺たちを支えていたのかもしれない。


 選抜大会が終わった後、武藤先生は、部員一人一人に、新人戦、選抜大会のDVDを渡した。

 そこには、試合一つ一つに、テロップが随所に書かれており、直すべき点が指摘され、また、文書で総体的な注力すべき点が書かれていた。

 自分の試合を客観的に見ること、徹底的に分析されることは、あるようであってなかなか無い。

 武藤先生が、俺に指摘してきた注力点は、ただ一つだった。


 理とは、考えるものではなく、心に浸透させること。

 理が込められた一刀は、邪念を捨てた心の一刀となる。



 春四月。

 

 俺は当然のことながら二年生となった。

 そして、キョウちゃんは三年生。

 当たり前のことだが、時はその鼓動を止めない。


 湘東学園剣道部には、中等部、高等部共に新入部員が入ってきた。

 強豪校として認められなかった為か、今年の新入部員は、中等部は男女合わせて六人。高等部に至っては、中途部からそのまま高等部剣道部に入部したのは男子が三名、女子が二名という惨憺たるものとなった。


 四月の後半から初旬にかけて、関東高等学校剣道大会神奈川県予選が行われた。

 この大会から、湘東学園剣道部は、何かが変わった。


 個人戦で、俺は優勝した。

 キョウちゃんは三位となり、また他の男女の出場部員達も四回戦まで勝ち進んだ。

 続く団体戦でも、男女ともに優勝を果たし、関東大会本戦に出場を果たした。


 選抜大会の屈辱から三ヶ月。俺たちの剣道は劇的に変化していた。


 五条の幹には、その五条の幹を体得する目的となる六条めがあることに気づいたからだ。


第六条、以上の五条をもって攻め、許さぬところを打つべし。


 この最後の一条があってこそ、五条の幹が活かされる。


 剣道での攻めとは、実(隙のない構え、気構え)をもって、相手の虚(隙や迷いによる挙動)を引き出すことである。

 五条の幹は眼力が第一義とされるが、それを頭で考えようとすると、待ちの剣道になり、攻めが弱くなる。

 攻めを目的としない剣道は、相手の四戒(驚く、懼れる、疑う、惑う)を生まず、打突の初動が一瞬遅れる。


 

 試合における優劣は、許さぬところを的確に捉える力量で決まる(、、、、、、、、、、、、、、、)。


 許さぬところとは、通常、起こりがしら ・受け止めたところ ・わざの尽きたところと表現されるが、要するに、相手の四戒(驚く、懼れる、疑う、惑う)を決して許さなかった者、相手の四戒に打突するタイミングを掴んだ者が勝者となる。

 厳しい鍛錬を積んだ者ほど、この基本を忘れがちになる。技の早さ、強い打ちで真っ向勝負を挑みたくなる。

 しかし、実戦、勝負は、技の妙技を競ったり、パワーの競い合いでは無い(、、、、、、、、、、、、)。

 相手の四戒(驚く、懼れる、疑う、惑う)を制し、打突のタイミングを制することこそが勝負そのものだ(、、、、、、、、、、、、、、、)。


 剣道において基本的な気構えである攻めという概念に改めて気づき、四戒(驚く、懼れる、疑う、惑う)を制することこそが勝者の条件であることに改めて気づいた俺たちは、部員の誰もが遠山の目付で、相手の総体を観察する力を養い、同じ様な美しい構えで相手を攻め、修得した空間握りによる早い打突で、

無駄の無い、相手の四戒を突く剣道を身につけていた。


 五月、高校剣道界を締めくくる大会、全国高等学校総体インターハイ神奈川県予選個人戦。続く六月に団体戦が行われた。


 個人戦は、俺もキョウちゃんも優勝を果たし、全国大会への出場を獲得した。

 団体戦でも、男子が優勝を果たして全国大会への切符を手に入れたものの、女子は準決勝で敗退した。

 キョウちゃんを含めて三年生にとっては最後の試合。

 三年生以上に、崩壊しそうになった剣道部を支え続けたキョウちゃんを慕う下級生達は、全国大会を逃した悔しさに豪泣きした。


 六月、高等部女子剣道部の三年生は、キョウちゃんを残して引退となった。


 キョウちゃんが八月のインターハイ全国大会に出場することになった為、通常であれば女子剣道部も八月をもって引退とするが、キョウちゃんの、三年生らを受験に向けて邁進させたいとの強い要望によって、六月に引退させることになった。

 これによって、女子剣道部は、新編成が組まれ、キョウちゃんの推薦により女子主将には、ツン子、北条みゆきが就任した。


 八月、インターハイ全国大会は、大阪総合体育館で行われた。

 

 大阪に向かう新幹線。

 男子剣道部員全員と、女子はキョウちゃんと二年生五人全員。引率は、武藤先生と、影の顧問の一人と言われていた家庭科の兵藤先生が引率した。


 夢にまで見たインターハイ全国大会出場。

 誰もが、これは現実か?・・と思いながら、出場できたことで全てが完結したように、新幹線の中ではユルーい、バカ騒ぎが繰り広げられていた。


 武藤先生は、半分あきれ顔で俺たちを傍観していたが、兵藤先生は、ここぞとばかり、家庭科教師としての面目躍如を保ために、自作の弁当を部員達にわたし、どうよ、どうなのよ的な自慢顔を披瀝している始末である。


 大会は四日間にわたって行われた。

 団体戦と個人戦をかけもつ選手は、試合数も多く非常に気ぜわしい状況となる。

 新大阪の宿屋の中でもバカ騒ぎをしていた部員達は、さすがに、試合会場の雰囲気にのまれてド緊張している。


 事前に渡されているトーナメント表には、崇徳学園の名があった。

 部員を裏切る形で、崇徳学園の監督となった黒田幻想が率いる高校。


 前日、宿屋でそれを見つけた我賀先輩は、怒りを爆発させ、打倒崇徳学園!と叫び、部員達もシュプレヒコールを上げる中、俺は、個人戦出場選手の中に、ある人物の名を見つけた。


 高梨龍。


 しかも、崇徳学園。

 東京にいたはずの高梨がなぜ崇徳学園に?

 俺たち剣道部員達の宿敵である黒田幻想、俺を一瞬で打ち破った高梨龍。

 二人がどう結びつく?


 

 

 あっという間だった。


 男子団体戦は、二回戦であえなく敗退してしまった。


 一回戦目は、苦戦の中、大将である俺の二本勝ちで、本数で相手を上回り、かろうじて二回戦へ駒を進めた。

 一回戦目が終わって、意気揚々と控え会場に向かって階段を降りていた時、誰かが転げ落ちて来た。


 何やってんの林! 誰かが叫ぶ。


 転げ落ちてきたのは、林だった。


 武藤先生が慌てて林に駆け寄る。林は、いっってー!と言いながら左足首をさすっている。

 林は次鋒として出場した一回戦目、相手の強い体当たりに転倒して、左足首を捻挫していた。それを隠して試合を続け、かろうじて引分けにもっていった。

 けれど、試合が終わって階段を降りようとした時、その痛めた左足を踏み外し、どう見ても、捻挫が骨折というはめに陥った。


 宿屋へ引き上げた俺たちは、なんとなく虚脱感に襲われ、だれもが無口となった。


 同部屋に引き上げた林は、ベットの上で体育座りのまま、ワンワンと泣き始めた。


 二回戦目、先鋒の我賀先輩は引分け、林の代わりに出場した次鋒の選手は、試合会場の雰囲気にのまれ、あえなく二本負けとなり、続く選手達にその負の連鎖が伝播し、終わってみれば、大将の俺の一本勝ちだけで、一勝三敗一分で負け試合となった。


 「足痛くないか?・・・林・・・」


 「・・痛くねぇーよ。んだけど、三年生の先輩にもうしわけないよ」


 ふむ・・・・林、お前にもそういう心があったのか?


 そう思いつつ、口には出さず、俺は夜食用にとっておいた焼きそばパンを林に与えた。

 林は、ワンワン泣きながら、その焼きそばパンにがぶついた。


 団体戦は、結局、黒田幻想率いる崇徳学園が優勝した。

 高梨は先鋒として、全ての試合を二本勝ちした。

 全国大会のレベルを知った俺たちは、崇徳学園、宿敵黒田幻想の存在が雲の上の存在であることに気づかされた。




 個人戦一日目。

 俺とキョウちゃんは、なんとかリーグ戦を勝ち残り、明日の決勝リーグに勝ち残った。

 その中、高梨龍は、個人戦でも圧倒的な強さで異彩を放っている存在となっていた。


 

 宿屋へ引き上げ、明日の準備に取りかかった俺の緊張をほぐす為か、同室の林が、昨日の泣きべそを忘れた様に、一発ギャグを連発させている。

 それにうんざりした俺は、飲み物を買う為にロビーに向かった。


 広いロビーには、ただ一人、武藤先生がソファーに座って、何か考え事をしている様子だった。


 俺は、その武藤先生に挨拶し、向いのソファーに腰を降ろした。


 「先生、ありがとうございます。俺たちをここへ連れてきてくれて」

 「いや、君たち自身がその手で勝ち取ったことです」

 「先輩達は、充実した気持ちで引退できると思います」

 「そうですか・・・それは何よりです。それより、君自身、明日の心構えはできていますか」

 「俺も、音羽先輩も、覚悟というか、心構えはできていると思います」

 「そうですか。お二人とも何時も通りであれば、勝ち上がることはできるでしょう」


 武藤先生と二人きりで話す機会はなかなか無い。


 俺は、思い切って今までの疑問をぶつけることにした。


 「先生は、東京武道大学ご出身で、琢成館の僕の大先輩に当たる方ですよね」

 「はは、知ってましたか。藤森先生にお聞きしたのですか」

 「ハイ。藤森先生からも伺いました」

 「・・・からも?」

 「実は、大変失礼かもしれませんが、剣道東日本の記事を読みました」


 一瞬、武藤先生の顔に影がさした。


 俺は、無礼を顧みず、質問を続けた。


 「先生は、何故剣道をお辞めになったのですか?」

 「・・・あの記事をお読みなら、お分かりになりませんか」

 「あれは、不運な事故だったと思います。少なくとも先生は、ご自分の全てを、あの突きの一刀に込めたのではないんですか?」

  

 静寂に支配されたロビー。

 俺の声だけが空間に取り残されている。


 「確かに、君の言う通りかもしれません。ですが、私は、私を許せなかったんです」

 「許すも、許さないも」

 「いえ、違うんです・・・・」。

 「・・・・?」


 「あの時、お相手の方は、前の試合で突きを外されて、かなりの怪我を負っていました」


 「・・・・・・・」


 「そして、私はそれを知っていた・・・・。たとえ無意識であっても、それを知りながら私は突きの一刀に頼ってしまった」


 「・・・・」


 「無意識に出る剣は、人間の本性を現すことがあります」


 「・・・・」


 「私は、剣道を通して何を学んできたのか。修練や鍛錬の全てがあの突きの一刀によって全て無意味なものとなった様に感じたんです」

 

 俺は、かける言葉を失った。


 「ただ、救われたのは、藤森先生のお言葉でした」

 「藤森先生の・・・・」

 「闇の中をさ迷い続けても、探し物はみつかりませんよ。という一言です」

 「先生は、それで、湘東学園剣道部の監督をお引き受けになったんですか」

 「そうですね・・・まぁ、いろいろありましたが、結果として君たちに出会えたのが、私の転機となったのは確かです」

 「僕たちと出会えて、探し物は見つかりましたか?」


 それを聞いて、ニコニコと笑顔になる武藤先生。


 「いえ・・・・・・ただ、見つけ出したいという気持ちは持続できるようになりました」




 個人戦決勝トーナメント。


 何時もの通りであれば、勝ち進むことができる。


 武藤先生の昨日の言葉通りだった。


 武藤先生の心の闇、葛藤を知ってしまった俺は、何時もの通りの自分ではいられず、心が虚の状態から立ち直れず、トーナメント二回戦で敗退した。


 剣に現れる人間の本性・・・・。


 真剣勝負の中で、自分の全てをかけた一刀に、武藤先生の邪念はなかったはずではないのか?

 答えの見いだせない反問と迷いは、俺の剣に如実に現れていた。



 優勝は、やはり高梨龍だった。


 小手の冴えは誰も寄せ付けない程の妙技で、二年生ながら、まるで鬼神のように繰り出す技に対抗できる選手はいなかった。



 最後の試合となるキョウちゃんの気合いは凄まじかった。


 一回戦、二回戦ともに二本勝ちを納め、三回戦へと進んだ。

 三回戦目の相手は、結果として優勝した茨城県の森園高校の選手だった。


 キョウちゃんは、自分の全てをかけるような一打を放ち、遠間からの面を決め、相手も、同じ様に遠間からの強烈な面で一本とった。

 一進一退のまま時間だけが経過し、延長戦となって四分経過した頃、深間に入ろうとしたキョウちゃんに対して、相手は左面を狙った振りを右面に変化させ、更に、それを察知したキョウちゃんの防いだ腕の隙間に、強烈な逆胴をはなった。


 胴あり!


 審判のコールが会場に響く。


 試合が終わって、面を脱いだキョウちゃんの顔は清々しかった。









 帰りの新幹線の中、次期主将に指名されていた俺は、女子主将の北条みゆき、ツン子と隣り合って座り、これ以降の稽古や練習試合のスケジュールについて話しをしていた。

 他の部員達は、行きの状況よりも更にバカ騒ぎしており、中でも、ワンワン泣いていた林が一番はしゃいでいた。


 最後まで影の薄かった主将の清水先輩。

 剣道部を崩壊寸前まで追いやった我賀先輩。

 一番肝心な時にへまをした林。

 そんなことは、どうでもいいことだった。

 みな、それぞれの想いを抱えている。

 けれど、試合では好成績は残せなかったが、俺たちだけが共有できる達成感は、俺たちにしか判らない。

 みんな、いい顔をしている。

 

 真剣に、これからのスケジュールや練習内容を話しているツン子をよそに、俺は、座席に一人ぽつんと座って、流れて行く景色を見るともなく見ているキョウちゃんを気にかけていた。

 話途中のツン子を遮り、俺は席を立って、キョウちゃんの隣に座った。

 後で、ツン子が、ちょっと、桐生!とかなんとか文句を言っている。


 キョウちゃんの頬には、一筋の涙が流れていた。


 俺は、何も言わず、ハンカチを渡した。

 それを黙って受け取ったキョウちゃんは、涙を拭い。笑顔を俺に向けた。


 「意識してなかったんだ」

 「ん?・・・・・」

 「引退。何かに区切りをつけることって、こんなに寂しいのね」

 「・・・うん」

 

 景色は、俺たちの時間を無視するように、加速を付けて流れて行く。


 「なにへたれてのよ。シンちゃん、これからの湘東学園剣道部を支えていかなくちゃなんないんだからね」

 「わ、わかってるよ。キョウちゃんに言われなくたって」


 心の飽和状態から抜けだした様に、キョウちゃんは、何時ものキョウちゃんに戻っていた。


 「あらそう。それでは、きばらないかんぞ、桐生!」


 そう言いながら、バックからタケノコの森を出して、おたべって言って、俺に渡してきた。


 これからキョウちゃんは、来年の卒業まで、受験体制となる為、極端に当校日が少なくなる。

 学校で一緒に居られる時間は殆どなくなると言っていい。


 それを認識させられた俺は、チョコレートの甘さが全く感じられなくなったが、それをがむしゃらに口に放り込んだ。


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