第7話 誘われたのは、高度一万メートルの空でした
不思議な浮遊感があって、次の瞬間に重力に全身を引っ張られた。
急降下、ムササビのように手足を広げて落ちていく。ものすごい風圧に皮が持っていかれ、表面が波打つ。目が乾いて張り付いて、涙が凍った。
「ぁ、あ、ぁあああああ」
自分の絶叫を追い越して、ただ落ちていく。地面が迫る、死ぬ、死んじゃう。ヤダ、やだやだ、なにこれこんなん聞いてない、死ぬ意味わかんない。
「死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ、死んでたまるかああ」
左手に意識を集中。手のひらに集え魔力。迷わない、わかる、発動できる。わたしの光、わたしの魔法。わたしだけの力。
空気の壁に左手を叩きつける。カッと手のひらで光が弾けて、太陽のようにまぶしい光球が現れた。目が潰れそうなほどの輝き、こんなのはじめて。
「え、なんでこんな――ってこれじゃ意味なあああ」
宙に浮かんだ光球とバイバイして、落下は続く。
落ち始めてから一分は経った。地面は近づいた。あと何メートル、半分くらい、そうなったらどうなるの、え、死、潰れて、本当にヤバい。ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、なんとか、する。
考えろ、考えろはるか、この状況、さっきの声、なにか手段があるはず。絶対に、なにか。
「こ、これかぁ!?」
右手の箒、間違いない、師匠もこれで空を飛んでた。
さっそく跨って――右手を動かそうとすると風に引っ張られ、箒が指から離れていった。
「あっ、ヤバ」
風に乗って箒が頭上に逃げていく。肝心な時に、なにしてるの。これで終わり。
頭の中に声が響く。
「無理だって思うのなら、助けてあげよっか? その代わり、魔法は返して――」
「あなたやっぱり――ぐぅ、返さないっ! もう、前のわたしには戻りたくない! 弱いだけなんて」
そうだ、今だ、この瞬間しかない。わたしが、わたしになれるのは。もう誰にも認めてもらえないまま生きるのは「絶対に嫌っ!」
意地張ってこのまま死ぬ? 違う、まだやれることはある。わたしは魔法使いだ、魔女はるかだ。だったら。
身体をねじって、仰向けになった。左手を伸ばして、叫んだ。
「光よ、戻ってきなさい!」
はるか上空の光球と見えない糸が繋がる。落ちてくる箒を目視し、それをめがけて糸を引っ張った。
加速する光球。衝突する箒。二つは一体となって、猛スピードで向かってくる。右手を伸ばし、それを掴み取った。
「取った!」
振り向いて様子を確認する。地面がもう近い、学校が視認できる距離にある。あと一分いや、三十秒――飛ぶ、飛んでみせる。
「師匠みたいにいい」
体内の魔力を、すべて箒に集束させた。空中に緩く固定されたような感覚があった。
腕に力を入れ、懸垂の要領で身体を持ち上げた。箒の柄を股下に滑り込ませる。
赤く染まった大空に、蒼の粒子が渦を巻いた。
「飛べっ、飛べ飛べっ、わたしは魔女だっ、わたしはこんなところで死なないっ!」
目をつぶ……らないっ、開けたまま、叫んだ。
粒子が拡散し、スカートを巻き込んでぶわりと広がった。キラキラと光の粒が、わたしを取り囲んでいた。それを見た瞬間、反対方向の重力を感じ、空に浮いていた。
山頂から百メートルもないところで、わたしは箒に跨って静止していた。
「やった……? やった、やったやったやった! わたし飛んでるぅ!」
両手を広げてばんざい。汗が飛び散って、真夏の熱気を肌で感じた。
空が高い。街は遠い。ほとんど沈んだ太陽が微笑んでいる。
理屈じゃない。なにが起きたかなんて知ったこっちゃない。
これだ、この感覚、ずっと待ち望んでた。
魔女はるかは、空を飛んでいる。
目一杯伸びをして、思いっきり息を吸っているとようやくあることに気づく。
「うーん、って、そういえば鈴」
触れてみるが、作動している様子はなかった。音も鳴っていないし、むしろいつもはある熱が消えている。平気だったってこと、なのかな?
「その通り、オーバーロードでその監視装置は壊れちゃったみたいだね」
「あ、さっきの。なんかもう意味わかんないけど、あなた誰、これなに」
「私はアリス。これはお節介、かな?」
「は? お節介……なに?」
「一生に一度だけの奇跡みたいなやつ」
ふふっと小さな笑い声が聞こえた。
「鈴が壊れても、安心なんてしちゃダメだよ。力がそこにある限り、きっと世間はあなたを許さない。猶予なんてほんのひととき。でも不満なんてないよね、自分で決めたんだから」
「だから……まいっか、そうだね、あなたの言う通り」
仰ぎ見て、すぅと鼻で息を吸った。夏の匂い、空気の味、わたしだけの世界。
「ここに来られたんだから、贅沢は言わないよ」
なんとなくいそうな場所に目星をつけて、にっと笑顔を見せた。
「なら結構、私はここで消えさせてもらうね。がんばって……あ、そうそう、ひとつだけ」
「なあに?」
「あなたの光の魔法は自分で思っているよりも応用が利く力だから、色々試してみてね。特に、光の屈折とか、ね。それじゃ、ばいばい」
一瞬空気の流れが変わって、アリスが去っていったのがわかった。
「さようなら……結局何者だったんだろう?」
腕を組んで考えてみても、よくわからなかった。魔法の精霊? わたし自身? あの絵本からの使者? お節介とかって言ってたけど。
まあ、よし。
真藤はるかは魔女になった。それ以上に大事なことなんて、なにもないんだから。
正義の魔女になろう。今度こそ。




