第5話 魔法使いアリス
「なにをするつもりだ、待て、早まるな」
立ち上がる。先輩に向き直る。胸の真ん中に手を当てる。
「やるんだ、わたしはやるんだ、今、ここで」
ぞわっと前髪が浮き上がるような感覚があった。力を込めた手から熱が広がって、胸を満たす。頭の中に小さな白い点が浮かぶ。触れる、それを外側に押し出す。
わたしの光、わたしの力。
「やめろと――はっ」
ピーッという高音がした。遅れて、火災報知器みたいなベルの騒音が鳴り響いた。
廊下で赤い光が回っている。ぷつっとスピーカーに電源が入って、男の声が聞こえてきた。
『旧校舎Bブロックで特異能力の発動を検知、ただちに対応に移れ。繰り返す――』
すっ、と光が身体の中に戻っていった。
「あ、どうしよ……て、ていうか、逃げないとっ」
立ち上がった先輩が、目を見開いていた。
やばい、やばいやばい、本当にやっちゃった。騒いでる、銃、来る、撃たれる。待って、待って、どうしよ、え、え、とりあえず、とりあえず。
「待てっ、取り乱すな、こうなったら事情を説明して――」
「やばあっ、あ、あ、ややや、やばあ。先輩も逃げてっ、あ、あとで合流しましょ」
部室の出入り口へと走った。ドアを開くとがぁっとローラーが滑って、木を叩きつける音が響いた。
廊下に出ると、もう沢山の足音が聞こえてきていた。階段を昇ってきているのがわかった。
そっちとは反対側を見た。校舎の端っこに、図書室と書かれたプレートが見えた。
「ぇ、光って」
くるっとペンを回して書いたような、青い粒子が浮かんでいた。キラキラ輝いて、蝶が羽ばたいてるようにも見えた。
「あれなんだろ、って、わ、わ」
とりあえず向かった。そっちに走って、飛び込んだ。
図書室に入って、そっとドアを閉めた。
ついさっきまで耳元でギャースカ鳴いていた鈴は静まり返っていた。
木造校舎の図書室はかび臭くて埃っぽい。人はいなくてがらんとしてるのに、むんむんして脇の下に汗が染み出してくる。
たたっと、廊下側から複数人の足音がした。おそらく駆け足でこちらに近づいてきていた。
「ヤバっ、バレたかも」
つま先立ちで足音を殺して、けれども早歩きで本棚の方に向かう。どうしよう、陰に隠れる? 上に乗る? それともひっくり返してバリケードに――
『はるかちゃん』
声が聞こえた、緊張感のない、遊びの誘いに来たような女の子の声。
「え、誰?」
左右に首を振ってみても、その出処はわからなかった。図書室内に人の気配は感じなかった。
『こっちこっち、本棚』
「本だ……なにこれ」
本棚から五センチほど飛び出した絵本が、光っていた。西日に当たってるとかじゃない。それそのものがキラキラと粒子のようなものを撒き散らして、RPGのアイテムのように輝きを放っている。
背表紙に書かれていたタイトルを、読み上げた。
「魔法使いアリス……?」
絵本に手を伸ばす。触れたその瞬間に廊下から「ここだ!」という叫び声が聞こえてくる。
「来ちゃった来ちゃった、こんなことしてる場合じゃない」
指を離そうとして、その拍子につるりと滑って絵本を押し込んでしまう。摩擦を感じず、軽く触れただけなのに棚に叩きつける形になった。
ストン、いい音がした。
そしてその瞬間、わたしは本棚の中にいた。「へ」だって目の前に小口とかいう本の開く部分がズラーッと並んでるし、間の抜けたツラでこっちに手を伸ばしてるわたしが見えるし……え? 幽体離脱、思った瞬間に「あ、消えた」ふっと蒸発するみたいにわたしの身体は消え去った。
ずしんとした肉の重みを感じたかと思うと、次は浮遊感がやってきた。ふわふわして不思議、楽しいかも、なんて思ったのも束の間、足の裏から感触が無くなっていることに気づく。
わ、床がないじゃん。
フリーフォール? あはは、夢でも――
「おぎゃああああああ」
身体の中のものが全部上側に張り付いて、下向きの強烈な重力に引っ張られる。一瞬のうちに目の前が真っ暗になって、死んだかも、と思った。




