森に呼ばれた、はずの少年
森は、静かだった。
先ほどまでのざわめきが嘘のように、音が引いている。風もない。葉も揺れない。
まるで、何かが通り過ぎたあとのような静寂だった。
リオは、まだ立ったまま動けずにいた。
さっきの光景が、頭から離れない。あの異形。
そして──それを、ためらいもなく斬り伏せた目の前の男。
「……」
男は何も言わない。斧を手にしたまま、ただ森の奥を見ている。
呼吸も乱れていない。まるで今の出来事が、何でもないことだったかのように。
沈黙が続く。
重くはない。だが、軽くもない。
どこか、噛み合っていない空気。
「ねえ」
リオが口を開く。
少しだけ間を置いて。
「僕、選ばれるんですよね?」
唐突な言葉だった。
自分でも、なぜそんなことを言ったのか分からない。
ただ、口に出すべきだと思った。
──いや、違う。
思った、というより。
そう言わされたような、感覚だった。
男の動きが、止まる。
ほんのわずかに。だが、確かに。
「……何の話だ」
低い声。短い言葉。
だがその言葉には、作為がない。
それは問い返しというよりも──本当に、分かっていないような響きだった。
沈黙が落ちる。
森は何も答えない。その静けさが、逆に圧を持つ。
「あなた、森の人?」
リオは続ける。
今度は少しだけ、探るように。
男は、一瞬だけ視線を向ける。
その目は──どこか空白を含んでいた。
「違う」
即答だった。
迷いのない否定。けれど、その言葉には何も乗っていない。
少しだけ、間。
リオは彼を見たまま、
「……そう」
と、小さく呟いた。
納得したわけではない。けれど、それ以上は聞かない。
聞いても、答えは返ってこない気がした。
いや──返ってきたとしても、それは“欲しい答え”ではない。
そんな確信だけが、あった。
視線を外す。
それ以上、踏み込まない。踏み込めない。
「……」
再び、沈黙。
男は森を見ている。リオも、同じ方向を見る。
暗い。深い。
そして──どこか、引き寄せられる。
(……なんでだろう)
理由は分からない。
だが、ここに来たこと自体が偶然ではない気がする。
“選んだ”というより。
“選ばされた”ような感覚。
そんな、説明のつかない確信だけが残る。
「……ねえ」
もう一度だけ、声をかける。
だが、言葉は続かなかった。
何を聞けばいいのか。何を知りたいのか。
それすら、分からない。
ただ。
“何かが欠けている”。
その感覚だけが、はっきりしていた。
***
その夜。
男は、夢を見る。
光が、差していた。
白い光。柔らかく、あたたかい。
誰かがいる。
光が背後から差していて、逆光で姿が見えない。
それでも。
誰かだと分かる。
視界が、わずかに揺れる。
焦点が合わない。
時折、像が滲むように崩れて──すぐに戻る。
手が、伸びている。
届きそうで──届かない。
距離は、ほとんどないはずなのに。
ほんのわずかに、その間だけが埋まらない。
もう一つの手が、ゆっくりと離れていく。
伸ばせば、届くはずだった。
それでも──届かない。
まるで。
最初から“触れられないもの”だったかのように。
引き止めることもできない。触れることもできない。
ただ、見ているしかない。
声が、ある。
何かを言っている。
けれど、聞こえない。
音にならない。
意味を持たない。
それでも、ただ一つだけ、分かることがある。
これは──別れだ。
光が、遠ざかる。
手が、消える。
何かが、決定的に失われる。
***
目を開ける。
森。同じ場所。
夜は、まだ終わっていない。
「……」
彼は、何も言わない。
ただ、わずかに手を見る。
何かを確かめるように。
だがそこには、何もない。
感触も。記憶も。
残っていない。
それでも。
指先に、わずかな違和感が残っていた。
触れてはいけないものに触れたような。
あるいは。
本来、そこに“あったはずのもの”を、掴み損ねたような。
男は、視線を上げる。
森を見る。
深い。変わらない。
だが、わずかにずれている。
理由はわからない。
けれど、その違和感だけが消えない。
男は、ほんのわずかに眉を寄せた。
それは、感情と呼ぶにはあまりにも小さい。
だが。
確かに、引っかかっている。
そんな、小さな揺れだった。




