表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

欠けた記録

 塔の中は、相変わらず静かだった。


 風の音も、人の気配も、すべてが遠い。届いていないわけではないのに、どこか薄く引き伸ばされたように感じられる。


 けれど今日は、その静けさが妙に気に障る。


 理由は分かっている。


 あの地図だ。


 机の上には、昨夜と同じ地図が広げられている。


 王都と、その周辺。


 そして──あの空白。


 リオはしばらくそれを見つめたあと、ゆっくりと視線を外す。


 その一点に意識を向け続けること自体が、どこか危うい気がした。


「……他にもあるはずだ」


 一つだけのはずがない。そう思い、本棚へ向かう。


 整然と並べられた記録書。年代ごとに分けられた報告書。王都の歴史をまとめた資料。そのどれもが正確に整理され、抜けや乱れなど一切ないように見える。


 だからこそ。一つでも欠けていれば、すぐに分かるはずだった。


 手に取って頁をめくる。

 紙の擦れる音だけが、やけに大きく響いた。


 違和感は、すぐに見つかった。


「……ここもか」


 ある時期の記録だけが、不自然に薄い。

 出来事が“なかった”ように書かれている。だが、それはあり得ない。何も起きていない期間が、こんなに長く続くはずがない。それは、知識ではなく感覚として分かる。


 別の本を取る。


 同じだ。


 また別の記録も、やはり同じだった。


 まるでそこだけ、丁寧に削り取られている。


 偶然ではない。


 そこには、はっきりとした意図がある。


「……隠してる?」


 無意識に呟いていたその言葉は、静かな部屋の中で妙に浮いて聞こえた。


 そのとき。


「殿下、お茶をお持ちしました」


 扉の向こうから声がする。昨日と同じ侍女だ。


「……入って」


 扉が開く。


 静かな動き。無駄のない所作。足音すら、どこか控えめに抑えられている。すべてが()()()()()


 だがリオは、その()()()()()がどこか不自然に思えた。


「何をお調べで?」


 侍女が机の上の資料に目を向ける。何気ない問い。

 けれど、その視線は一瞬だけ止まった。


「この辺りの記録なんだけど」


 一冊の本を指で押さえる。空白の多い頁。


「……問題はございませんが」


 返答は早く、淀みもない。


「本当に?」


 問い返す。


 ほんの一瞬。

 また、止まった。


「はい。記録にある通りでございます」


 “記録にある通り”。昨日と同じ言葉。

 その瞬間、確信に近いものが胸の奥でゆっくりと形を持つ。


「……じゃあさ」


 リオは何気ない調子で続ける。


「この辺りって、昔から何もなかったの?」


 侍女は微笑んだまま答える。


「はい。何もございません」


 迷いはない。考えている様子もない。

 最初から、そう決まっているかのような、あまりにも自然すぎる返答だった。


 その答えを聞いた瞬間。


「……そう」


 リオはそれ以上、何も言わなかった。


 けれど。


(おかしい)


 はっきりと、そう思った。


 記録がない。人も同じことを言う。しかも、考えずに。


 “知らない”のではない。“そう認識している”。


 その違いに気づいた瞬間、背筋にわずかな寒気が走った。理解したくない何かに、触れてしまったような感覚。


「……下がっていいよ」


「かしこまりました」


 侍女は静かに一礼し、部屋を出ていく。


 扉が閉まると、再び静寂が戻る。

 だがもう、その静けさは()()ではなかった。


 机に戻って地図を見る。


 あの空白。


 何もない場所を、指でなぞる。


「……あるだろ、ここ」


 小さく呟いた、そのときだった。


 ふ、と。


 音が消えた。


 完全な無音。

 ほんの一瞬だけ。呼吸の音すら、消える。


 リオは顔を上げる。


 何も変わらない部屋。

 カーテンは揺れている。だが、その動きに音が伴っていない。現実だけが、ほんの僅かにずれている。


「……今の」


 次の瞬間、音が戻る。


 風の音。

 布の擦れる音。

 すべてが一斉に帰ってくる。


 まるで、最初から何もなかったかのように。


「……気のせい、か?」


 そう呟きながらも、すぐに直感が否定する。


(違う)


 あれは、ただの錯覚じゃない。

 あの空白に触れた瞬間、何かが、確かに()()()


 視線を落とす。


 地図。その一点だけが、やけに()()感じる。


「……ここだ」


 理由は分からない。証拠もない。


 それでも。


「ここに、何かある」


 確信だけが、はっきりとあった。


 そして同時に。


「……確かめないと」


 その言葉が、ほとんど反射のように口をついて出た。


 好奇心ではない。

 もっと重い。見過ごしてはいけない、何か。そんな感覚だった。


 窓の方を見る。


 遠くに、森が見えた。


 昼間だというのに、そこだけ少し暗い。

 色がわずかに沈み、風に揺れているはずなのに、なぜか()()()()()()ように見える。


「……あそこか」


 目を細める。


 距離はある。本来なら、ただの森にしか見えないはずだ。


 それなのに。


 あそこだけが、はっきりと“異質”だった。


「……行くしかないか」


 小さく、呟く。


 その言葉に、迷いはなかった。


 まだ理由は分からない。まだ何も知らない。


 けれど。


 あの空白と、あの森は繋がっている。


 それだけは、確信していた。


 そして。


 その確信が、すべての始まりになることを。


 リオは、まだ知らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ