第59話 『小さな角の少女』
煤けた檻の影に、小さな影が膝を抱えてうずくまっていた。
薄布のような布切れを身体に巻いただけのその姿は、痛々しいほどに痩せている。だが――顔を上げた瞬間、息が止まった。
右目は深い青。左目は銀。
光を受けて宝石のようにきらめくその瞳は、警戒で瞳孔が縦にすっと細くなる。
髪は淡いピンク。煤に汚れてなお輝きを失わず、肩口でさらりと揺れる。
耳のすぐ上からは、小さな角がのぞいていた。それは透き通るクリスタルのように澄みきり、角度によって七色の光を反射するそれを、少女は慌てて髪で隠そうとした。
「……竜族……」
隣でレイヴェルが低く呟いた。その赤い瞳が珍しく真剣に細められている。
「……っ……」
僕は息を呑み、言葉を失った。
檻の奥で、少女はぐっと背を反らせる。
縦に裂けた瞳孔がさらに細まり、喉の奥から低い唸りが漏れる。
怯えと敵意が混ざった声が、震えながらも鋭く響いた。
「……来ないでッ……!」
檻の奥から響く叫びに、レイヴェルの表情が曇った。
「……怖がらなくていいんだよ。僕たちは敵じゃないから……」
そう言いながら、一歩前へ踏み出し、伸ばした手で鉄格子の錠前に触れようとする。
「待って」
僕はその手を押さえ、首を振った。
《――スキル:【解放者】を使用します》
脳裏に無機質な声が響いた瞬間、僕の指先に魔力が集まる。
錠前が淡く光を帯び、カチリ、と小さな音を立てて外れた。
だが、解放の瞬間。少女の肩がびくりと震えた。
檻の奥で、背を反らせたまま身体がブルブルと震えだす。
「……っ」
その姿に、胸の奥が強く締めつけられる。
冷たい床。鉄の匂い。鎖の重み。
――過去の自分が、重なった。
誰にも助けてもらえず、ただ怯えて震えていた日々。
「……大丈夫」
震える彼女に向かって、一歩、檻の前へと踏み出す。
「僕も、そこにいたからわかるよ。……怖いんだよね」
そう言いながら、腰に下げた小さな瓶を二つ取り出す。
中には、温かなシチューと、透き通った水。
……本当は、僕がお腹を空かせたときのために用意していたものだったけど……。でも、いま目の前で震えている君を見ていたら、そんなことどうでもいいよね。
「僕の能力で、このシチューはいつでも温かいし、水もいくらでも出るからね」
柔らかく微笑みながら、鉄格子の前にそっと瓶を置く。
「だから、無理にとは言わないよ。……お腹が空いたとき、少しでも安心できたときに、君の好きなときに食べてほしい」
押しつけることなく、ただそっと差し出す。
檻の中の少女が、かすかに震えを止めた。
ちらり、と視線が瓶に吸い寄せられる。
細い指が鉄格子越しにわずかに伸び――けれど、すぐに引っ込められた。
「……そっか」
それを見ていたレイヴェルが、小さく頷く。
「たぶん僕たちがここにいたら、食べられないんだと思う。……ラマティ、少し外で待たない?」
「……うん」
僕は静かに返事をし、レイヴェルと一緒に小屋の外へ出る。
静けさが戻った檻の中。
少女はしばらく震えながら瓶を見つめ――やがて決意するように手を伸ばした。
小さな手で瓶を掴み、恐る恐る口に運ぶ。
一口、シチューを飲み込んだ瞬間、左右両方の瞳がぱっと大きく開かれた。
細く縦に尖っていた瞳孔が、驚きと共にふっと丸みを取り戻し、ただの少女らしい瞳に変わっていった。
「……あったかい……」
か細い声が、驚きと安堵を混ぜて零れる。
その頬に、ぽろりと涙が伝った。
――そして、ひとたび零れた涙は堰を切ったように続き、長く押し込められていた感情を一気に解き放つ。
嗚咽に震えながらも、彼女は必死にシチューを掻き込み、水をがぶがぶと飲んだ。
「……おいしい……っ……あったかい……っ……」
泣きじゃくりながら、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で必死に飲み続ける。
小瓶を握る小さな手は震え、こぼれた涙がぽたりぽたりと床を濡らす。けれど、それでも止まらない。止めてしまったら、もう二度と温もりに触れられなくなるとでも言うように、必死に口へ運び続けていた。
「……っひぐっ……っひぅっ……うぁぁぁぁぁっ……!」
途切れ途切れの嗚咽が小屋いっぱいに響き渡り、まるで押し殺してきた悲しみがいま声となって噴き出したかのようだった。
その泣き声は、幼い悲鳴のようで――聞いているだけで胸がきしむほど切なく、痛ましかった。




