第58話 『三つの選択肢』
扉を押し開けると、あの日とまったく変わらない光景が広がっていた。
暗闇に濡れた木壁は黒ずみ、床には古い藁と泥が混ざってぬるぬると光る。薄い光の中で、子どもたちの小さな影が寄り添うように固まっている。
「……入るぞ」
イザナの声は低く、冷たかった。足音が木の床を軋ませた瞬間、子どもたちは一斉に身を縮め、怯えのざわめきが走る。
イザナはそれを見て、わずかに口角を歪めた。
「……まあ、知らねぇ奴が急に入ってきたらそうなるか。安心しろ――監督役はもういねぇ」
子どもたちの視線が揺らぐ。信じられない、と言いたげに互いを見合った。
「今日からお前らは好きに生きていい」
イザナはざっと見回し、ぶっきらぼうにそう言い放った。
その言葉に、驚きと戸惑いが混ざる。いきなり自由を約束されても、すぐに信じられる者などいない。何年にもわたって使役されることが常識になってしまった心は、自ら選択することを怖れる。
「選択肢は三つだ」
イザナは静かに、しかし一本筋の通った口調で告げる。
「一つ。ここで死ぬか。二つ。俺らと一緒に、新しい国を作るか。三つ。自分の国に戻るか――だが、正直に言っておく。三つ目はおすすめは出来ねえ。奴隷のまま戻れば、また奴隷にされるかもしれん。あと俺にはお前らを国に返す金もねえ」
言い切ると、イザナは少しだけ、子どもたちの顔を見渡した。
「だから――もし生きたいのなら、うちの国で働け。仕事はある。薬を作る奴、畑を耕す奴、道路を作る奴。ちゃんと金も払う。その金で何をするかはお前ら次第だ。働いて金を得て、自由に生きろ。どのみち、お前らは今――俺に命を拾われたんだ。命を粗末にするんじゃねえ。よく考えて、大切にしろ」
静寂が落ちる。小さな囁き、すすり泣き、震え声――感情が一斉に溢れた。ある少女は口を押さえ、ある少年は目をそらす。長年の刷り込みが一度にほどけるようで、皆の顔が一様に、困惑で歪んでいた。
「……だって……」
ひとりが震える声で訊ねる。
「オレたち、どうやって……お前を信じればいいんだ?」
「帰るって言っても、家なんてないよ」
別の者が低く呟いた。
「そんな事は知らん。選ぶのはお前らだ。だが決めるなら早いほうがいい。少しは待ってやるが、ただここを出て行くだけならその先は地獄だぞ」
レイヴェルはその隣で、いつもの無邪気な笑みを浮かべながらも、赤い瞳は真剣そのものだった。
「僕たちが、守るよ。怖がらなくていい。――でも、君たち自身が、自分の生き方を選ぶんだよ」
子どもたちは互いの表情を覗い、短い沈黙の後、ぽつりぽつりと口を開き始めた。ある者は「働く」と言い、ある者は「帰りたい」と呟いた。ほとんどはまだ決められないでいたが、その口から出る言葉には、以前のような諦めは混じっていなかった。
その光景を見て、イザナは深く息をつき、肩に血の跡が残る腕をさすった。
「……まあいきなりそう言われても困るわな……。よし、まずは飯だ。腹が減ってちゃ考えも鈍る。食ってから、どれを選ぶか――じっくり考えろ」
そう言い残すと、イザナは僕とレイヴェルをちらりと振り返る。
「俺は街で適当に食いもん買ってくる。料理なんざしたことねえけど……一汁三菜ありゃ十分だろ?」
レイヴェルは肩をすくめ、呆れたようにため息をついた。
「……カレーでいいじゃない。簡単だし、みんな腹いっぱいになるよ」
「カレー……?」
イザナは一瞬首をかしげ、それから鼻を鳴らした。
「和食ってのもいいと思ったんだが……まあいい。わかった、カレーだ」
ぶっきらぼうにそう言い切ると、イザナは長衣の裾を翻し、小屋を後にした。
その背中が闇に消えたあと、沈黙の中で小さな声が上がった。
「……あの……」
怯えた瞳のひとりの奴隷が、震える指で奥を指し示す。
「……あの子も……助けてあげて……」
「……あれは……」
僕は息を呑み、目を細めてその先を見た。
煤けた檻の影に、もうひとつの小さな人影が閉じ込められていた――。




