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【完結】全知の書庫アカシックレコードの継承者  作者: 刻彫
第三章 『竜と奴隷の建国記』
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第57話 『因縁の対峙』

 森の中を、三人は林道に沿って歩いていた。

 鳥の声と、木漏れ日がざわめく緑の匂い。


「……なんだか、懐かしいね」


 ぽつりと呟くと、イザナが短く「あぁ」と応じ――すぐに口を開いた。


「……ラマティ、前に……あの路地裏で言ったこと、すまなかったな」


「……なにが?」


 振り返る僕に、イザナは苦い顔で答える。

「子供を助けるな、中途半端な善意は余計に傷つける――って言ったことだ。あんなふうに言ったのは、悪かった」


 ――ああ……そういえばそんなこと言われたっけ。……正直、気にしてなかったし、すっかり忘れてたけど。

 

「うん、いいよ。あのときの僕だって、ただ助けたいって気持ちだけで動いてた。無責任だったかもしれないし」


 その横で、レイヴェルがふっと笑った。赤い瞳が森の木漏れ日を反射して、やけに澄んで見えた。


「――優しさには、責任がついて回るんだよ。……希望もない絶望しかない世界で、ほんの一瞬だけ優しくされれば、人は希望を見る。だけど――そのあとで見捨てられたら、その希望は絶望よりも深い傷になる。――だからこそ、優しさは最後までやり切る覚悟と一緒じゃなきゃいけない」


 その声音は、いつもの無邪気さを潜め、大人びたものだった。


 ――その直後、林道の先がふっと開ける。

 木々の切れ間から差す光に、イザナが目を細めて低く呟いた。


「……もう、着いたか」


 僕は思わず息を呑み、視線を前に向ける。

「……まだ、あったんだね……」


 そこに広がっていたのは――一見するとただの小屋だった。

 だが、その質素さがかえって惨めさを際立たせていた。

 丸太を組んで無理やり建てられた木造の小屋は、家というよりも獣を閉じ込める檻に近い。

 壁は隙間だらけで、ところどころ板が歪んでいる。だが外周を囲むのは錆びた鉄杭と有刺鉄線で、逃げ場は徹底的に潰されていた。

  

 その入口には――監督役がいた。

 分厚い革鎧に身を包み、手には節くれだった棍棒。

 顎に無精髭を生やし、煙管を咥えている。

 煙を吐き出しながら、退屈そうに腰掛け、時折小屋へ視線を投げては鼻で笑っていた。


「……おい、監督役」

 イザナが低く声をかける。

「随分と偉そうに座ってやがるな。――あのときは世話になったじゃねぇか」


「あぁ?」

 男は眉をひそめ、こちらを睨む。


「お前、誰だ? 奴隷を買いに来たのか、それとも仕事を頼みに来たのか?」


 イザナは鼻で笑い、黒衣の裾を揺らしながら一歩踏み出した。

「……俺はイザナだよ。忘れたのか? あのとき、めちゃくちゃ棍棒でぶっ叩いてくれたじゃねぇか」


 その名を聞いた瞬間、監督役の目が大きく見開かれた。

「いざな……!? ば、馬鹿な……お前……なんで生きてる……!? それに、その姿……あのときとは……全然……!」


 イザナは鼻で笑い、肩をすくめる。

「まあ、そうだろうな。なんもわからんガキ奴隷を追い出したら――普通は野垂れ死ぬ。病気持ちだった俺なら、なおさらな」


 その声に合わせ、イザナは足を振り抜き、監督役が腰掛けていた椅子を派手に蹴り倒した。


「ひぃっ!」

 男が情けない悲鳴を上げ、棍棒を握り直す。


 その緊迫の中――僕はじっと監督役を見据えた。

「……それ、吸ってるの……大麻だよね? まだ……奴隷に麻薬と酒を与えて、感覚を麻痺させてるの?」


 空気が凍り付いた。

 監督役の指がわずかに震え、紫煙が揺らぎながら消えていく。


「……うるせぇガキが」

 血走った目で僕を睨み、唾を吐き捨てる。

「ああ、そうだ。お前みたいな肌が白くて金髪の幼女は……売れば高くなる。だがその前に――少し痛めつけてやるわ」


 ぎし、と椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。

 手にしていた棍棒を地面に放り投げ、懐へと手を突っ込む。


 引き抜かれたのは、刃こぼれした短いナイフ。

 鈍い光が木漏れ日に反射し、きらりと嫌な輝きを放った。


 イザナの表情が一変する。

 冷ややかな眼差しが監督役を射抜き、低く吐き捨てた。

「……おっさん、それは笑えねぇわ」


「黙れ! 病気持ちで捨てられたお前なんざ、話にもならねぇんだよ!」

 怒号と共にナイフを握り直し、肩を大きく振りかぶる。


 次の瞬間――荒々しい足音が土を蹴り、監督役は一直線に襲いかかってきた。


 ひゅ、と風を裂く音。

 イザナの身体はもう動いていた。


 懐から抜き放たれた刺身包丁が、月光のように鋭く閃く。

 

「……ナイフ向けてんだ、死んでも文句は言えねえぞ」


 振り下ろされたナイフの軌道に滑り込み、刃が閃光を描いた。


 次の瞬間――肉を裂く鋭い音とともに、監督役の右腕が肘から下ごと宙を舞った。


「ぎッ……ああああああああッ!!」

 短い悲鳴と共に、血飛沫が地面に散り、赤黒い塊が土の上に転がる。

 ナイフはその手から離れ、乾いた音を立てて落ちた。


 手首を――いや、腕の断面を必死に抑えて後ずさる監督役の目に、初めて恐怖が浮かぶ。


 イザナは一歩踏み出し、包丁を構え直した。

 その眼差しは氷のように冷たく、声には怒気が滲んでいた。


「……てめぇみたいなクズの刃なんざ、俺の仲間に触れさせるかよ」

 

 思わず声を呑み、背筋を震わせる。

 ――こんなイザナ、初めて見る。

 恐怖に近い感覚が胸をざわめかせるけど……分かる。

 僕も虚弱体質だったから扱いは酷かったけど、イザナは病気持ちって理由で、もっと酷い目にあってた。殴られ、蹴られ、笑われ……その鬱憤が、今の冷たい刃になってるんだろう。


 監督役は断面を押さえ、血を滴らせながら歯を剥き出した。

「……クソガキがァ! 奴隷の分際で、お前らは家畜だろうがッ! 生まれついてのゴミが、調子に乗るんじゃねぇぇぇッ!」


 唾を飛ばし、怒鳴り散らす。

 だがイザナは一瞥し、見下すように冷ややかに吐き捨てた。


「……ゴミ? お前が言うなよ」


 その声音には、嘲りと静かな怒気が入り混じっていた。

 嘲りの言葉がまだ空気に残るうちに――。


「あははっ……」


 軽やかな笑い声とともに、レイヴェルが一歩前へと進み出た。

 幼い顔に無邪気な笑みを浮かべながら、すっと片手をかざす。


 その掌から、漆黒に燐光を帯びた紫の靄がふわりと湧き出した。

 霧のように揺らめくそれは、意志を持つ蛇のように監督役の四肢へと絡みつく。


「な、なに……ぐっ……!? 身体が……動か……っ」


 声を上げる間もなく、靄は彼の体を絡め取ると、一瞬で吸い込むように消え去った。

 残ったのは、膝をつき、力なく項垂れる監督役の姿。


 僕は目を見開き、思わず声を上げた。

「え……いまの……なにをしたの……?」


 レイヴェルは軽く肩を竦め、赤い瞳を細める。

「……魔族の魔法だよ。まあ、あんまり使いたくないんだけど……」


 表情は子どものようにあどけないのに、その声音だけは妙に冷ややかだった。


「まあ、対象の行動を制限する――それだけの魔法さ」


 その言葉の直後、レイヴェルの表情がぱっと明るく変わった。掌をぱん、と一度だけ打ち鳴らす。

 にかっと弾けるような笑みを浮かべて、いたずらっぽく言った。

 

「というわけで――君はもう奴隷の取引も、奴隷を使うこともできなくなった! それに腕もね、優しいイザナくんが綺麗に切ってくれたから……今から医者にかかれば、たぶんまだくっつくと思うよ?」


「……誰が優しいだと」


 イザナは心底嫌そうな顔をして、ため息混じりに吐き捨てた。


「ひ、ひぃぃぃッ……!」


 監督役は血走った目を泳がせ、落ちていた自分の腕を慌てて抱え上げる。

 よろめきながら背を向け、泥に足を取られつつも、街の方角へと消えていった。


 残された静寂の中で、僕は小さく息を吐き、苦笑いを浮かべた。

「……イザナとレイヴェルが優しくてよかったよ。ダンも一緒だったら……あの人、もっと酷いことになってたかも」


 イザナは鼻で笑い、刃先についた血を払った。

「優しくてこのザマだ。――ざまぁねぇぜ。クズは最後までクズらしく、這いずって惨めに生き延びるんだな」

 

 その瞬間――頭の奥底で、声が響いた。


《あなたは、何もしなくてよかったのですか》


 一瞬固まり、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。


 ……そんなふうに言われても。


 やがて小さく肩を竦め、苦笑いを浮かべる。


「……いいんだよ。イザナがやってくれたし、僕が無理に出しゃばることじゃない。どっちにしたって……この先、あの人の運命は、きっと残酷だよ」

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