第54話 『向かう先はグラディア』
レイヴェルの言葉が冗談とも本気ともつかぬ響きを残したまま、部屋に沈黙が落ちた。
僕は布団を握りしめ、俯いたまま唇を噛む。
「……グラディア……」
その名を口にした途端、胸の奥がざわつく。
鎖の音、罵声、冷たい床の感触――。
指先が小さく震えた。
けれど、それでも――。
瞼をきつく閉じ、やがて真っ直ぐに顔を上げた。
「……行こう。怖いけど……奴隷を……救いたい……」
イザナは短く目を細め、静かに息を吐く。
「……まあ、人も欲しいからな、避けて通れる道じゃねぇな」
「そうこなくちゃね」
すかさずレイヴェルが身を乗り出し、僕の肩をがしっと掴む。赤い瞳は、期待と興奮で子どものように輝いていた。
イザナはそんな二人を横目で見ながら、ふと思い出したようにぼそりと呟く。
「あぁ……そういえば。薬屋の婆さんに、まだ何も言ってなかったな。……お前らが王都まで攫ってったせいで、お別れすらできなかったんだ」
レイヴェルの肩がぴくりと揺れ、視線を逸らす。
「……それは、ごめん」
けれどすぐに彼は小さくため息をつき、赤い瞳を伏せて言葉を継ぐ。
「……まだ、そういう風潮が残ってるんだよ。回復系の能力者は少ないし……道具みたいに扱われることも多い。だから、王都に保護するって名目で連れて行ったんだ」
僕は小さく眉を寄せ、真っ直ぐにレイヴェルを見つめ、淡々と告げた。
「……保護って言いながら……酷いことされそうだったんだけどね……」
その視線に射抜かれたレイヴェルの顔が、一瞬で青ざめる。
「ぶ、ぶええええええええんっ!!」
突如わんわん泣き出し、僕の肩にすり寄って鼻をすんすんと鳴らした。
「ごめんってええ! やだやだやだ! 嫌わないでぇぇ! ラマティに嫌われたら僕、生きていけないよぉぉっ!!」
「泣かないでよ……」
慌てて抱きとめるが、ぐずぐず泣きながら顔をすりすりしてくるのでどうにもできない。
――その光景を見ていたイザナは、呆れ顔で鼻を鳴らした。
「……前に会った時より、だいぶキャラ崩壊してんじゃねぇか」
そう言ってまたレイヴェルの首根っこを掴み、強引に引き剥がす。
じたばた暴れる少年を片腕で軽々と押さえつけながら、イザナは視線だけを僕へ向けた。
「……何回引き剥がせばいいんだよ……。とりあえずラマティ、お前、まだパジャマなんだから……着替えろ」
「えっ……そ、そんなにみんな見ないでしょ? べ、別にいいじゃん……」
「よくねぇよ」
イザナは低く一蹴し、親指でテーブルのほうを指差した。
「魔装服なら、畳んで置いてある」
「……あ、本当だ」
テーブルの上には、きちんと畳まれた黒衣の魔装服が置かれていた。
僕は立ち上がり、そっとテーブルから黒衣の魔装服を手に取った。
「……き、着替えてくる……」
頬を赤く染めながら、控えめに別の部屋へ向かおうとする。
「じゃあ僕も行く!」
レイヴェルが嬉々として手を挙げ、足を踏み出した。
「……え、えぇ……」
僕は振り返り、小さな声で抗議する。視線を逸らしながら、ぎゅっと服を胸に抱きしめた。
イザナは呆れ顔で鼻を鳴らし、片手でレイヴェルの襟首をつかむ。
「……落ち着け。お前は犬か」
「だ、だって! ラマティが着替えるなんて……この目で――」
「やめとけ」
低い声が遮った。イザナは冷ややかな目を細める。
「いろんな意味で後悔するぞ。幻想は……幻想のままのほうがいい」
「……え?」
レイヴェルがぽかんと目を丸くする。
イザナはため息をつき、
「とりあえず、早く行ってこい」
「……うん」
小さく頷き、僕は服を胸に抱えたまま足早に部屋を後にした。
去り際、ふと振り返って、照れ隠しのように笑みをこぼす。
その一瞬を見て、赤い瞳を瞬かせたレイヴェルは、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
銀髪が肩にかかり、ほんのりと頬が染まっているのも気づかないほどに。




