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【完結】全知の書庫アカシックレコードの継承者  作者: 刻彫
第二章 『贖罪の葬列編』
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第50話 『血に濡れた理想』

 再び金属音が迸る。

 軍刀の群れが四方から襲いかかる。

 イザナは斬撃を瞬視で捉え、紙一重で受け流す――だが、切り払った分身はすぐに霧へと還り、また形を成して迫ってきた。


「立て同胞(はらから)よ、行け戦いに」


 アズマが吐く歌声は、挑発のように牢獄へ反響した。

 次の瞬間、腹に熱が走る。斜めに深く切り裂かれ、鮮血が滲む。


「……ッ!」

 歯を食いしばり、体勢を立て直す。


「砦の上に我らが世界――築き固めよ、勇ましく」

 アズマの分身が波のように押し寄せる。


「……はぁ、はぁ……」

 視界が赤に染まる中、ただ瞬視だけが冷徹に周囲を切り取っていた。


 斬撃は正確、動きも速度もすべて本体と同じ。

 違いは――ほとんど、存在しない。


「暴虐の雲……」

 アズマの低い声が、分身たちを操る呪文のように響く。

 軍刀が弧を描き、イザナを押し潰すように迫った。


 ――その中に、ひとつ。

 やはり、刹那の遅れ。

 目で追えるはずのない、コンマ0.001秒ほどの狂い。

 常人なら誤差にすら気づかない、微細な歪み。


 ――やっぱりな。能力で作った分身だろうと、操ってるのは本体だ。指先か脳か知らねぇが……命令が伝わる時に、必ず本体にラグが生まれる。

 

 ――それがお前自身が意識してねぇ遅れだ……それを見逃すかよ。


「……そこだッ」


 イザナの目がぎらりと光る。

 全身の痛みを無視し、ただその影へと踏み込んだ。


 軍刀が肩を裂く。熱い血が飛び散る――だが、刃は迷いなく本体へ。


「――ッらァァッ!!」


 肩から斜めに切り裂くと同時に分身たちが同時に霧散し、牢獄に残ったのはただ一人の男。――アズマ・テルジ。

 すると、口元を歪め、ぎょろぎょろと右目を動かしながら嗤った。


「……また見破ったか」


 だが肩の傷は浅かった。血を流しつつも、その声は愉悦に満ちている。


 だが――その一瞬。

 嗤いの端に、微かに走った怯み。

 ほんの刹那の隙を、イザナは逃さなかった。


「……そういうことか」


 息を呑む間もなく踏み込み、駆け抜ける。


 アズマの顔がわずかに歪む。だが右目だけは、ぎょろぎょろと瞬きもせず、なおイザナを捉える。


 息を荒げながら、イザナは低く呟いた。

「ずっと気になってた。お前の右目……瞬きひとつしねぇ。生きた目じゃない。――義眼だな」


 血で濡れた刃を振り払い、鋭く構え直す。


「見えもしねぇ義眼で、俺を裁こうなんざ片腹痛ぇんだわ」


 刺身包丁が月影のように光る。

 

「――三途ノ裁」


 アズマの右目では捉えられない死角から、振り抜かれる刃が、三重の軌跡を刻む。

 一瞬のうちに横へと三度断ち切る斬線。黒衣を裂き、軍刀を弾き――腹を横一文字に、三重の裁きが走った。


「……ぐはァッ……!」

 

 アズマの口から、苦鳴と共に鮮血が噴き出す。

 肉が裂け、血が床石に奔流のように広がった。


 よろめいた身体が、牢獄の鉄格子に激突する。

 右目は、なお瞬きひとつせず――だが、力を失った肉体は膝から崩れ落ちていった。


「……三度の斬線、か……」


 嗄れた声が、血に濡れた口元から零れる。

「……まるで……慣性の亡霊だな……」


 最後まで愉悦を帯びた嗤いを残し――アズマの身体は、石床に崩れ伏した。


 イザナは荒い息を吐き、血の滴る刃を下ろす。

 

「……終わりだ、革命おじさん」


 その言葉に、アズマの口元がわずかに動いた。

 血泡を吹きながら、かすれた声で語る。


「……ああ、分かっているさ。おじさんたちの理想など……実現しない。人道を外れた暴力革命……その果てにあるのは、瓦礫と屍だけだ……」


 嗄れた声に、奇妙な静けさがあった。

「それでも……三十年も、そのために生きてきた。仲間も、血も、信念も……全部、その旗に捧げて……もう、引き返すことなんて……できやしなかったんだ……」


 声は途切れ途切れに途絶えつつも――ぎょろりと動く義眼だけは、なおイザナを見据えていた。


「……名を……教えてくれ……」


 イザナは一瞬だけ眉をひそめ、そして短く答えた。


「……イザナ、だ」


 血に濡れた口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

「……イザナ、か。……いい名だ……祖国に伝わる“イザナギ”の名に似ている……世界を形づくり……荒ぶる海を鎮めた、創世の神……」


「……俺は故郷から追放された身だ。そんな神話なんざ、知ったこっちゃねえがな」


 吐き捨てるように言い、イザナは刺身包丁を振るった。三重の斬線が檻を裂き、鉄格子が轟音を立てて砕け散る。


「……ありがとうございます!」


 自由を得たリュカが深く頭を下げる。だがすぐに、その瞳が鋭く見開かれた。


「イザナさん――後ろっ!」


 振り返った瞬間、そこにアズマの姿はなかった。代わりに、床一面を黒煙がもくもくと満たしていく。


「……ちっ」


 イザナは刃を構えたまま目を凝らす。


 その時――牢獄の入口に続く闇の向こうから、声だけが響いてきた。


「イザナ……名を覚えたぞ。おじさんは一度、祖国へ戻る……」


 煙の中から嗤いがこだまし、声が遠ざかっていく。


「また逢おう……次は――革命の旗の下で、だ」


 黒煙だけを残し、アズマ・テルジの気配は消え失せた。

 

 イザナは腹を押さえつつ、歯を食いしばる。

「……腹をばっこり三重に斬られてんのに、逃げ足だけはえぇな、あのおっさん……」


 リュカは静かに首を振り、真剣な眼差しで言った。


「……思想の強さは、心の強さでもあります。彼を突き動かしているのは――信じる理想そのものなのでしょう」


「ったく……理想で腹の傷が塞がるなら、世の中ケガ人なんていねぇだろ」


 牢に残された静寂の中、リュカが鉄格子の破片を踏み越えて駆け寄る。

 

「ケガ……あぁぁ! イザナさん……その傷、大丈夫なのですか」


「……大丈夫なわけ、ねえだろ」


 軍刀に裂かれた腹から血が滴り落ちる。だが、それでも彼は背を伸ばし、荒い息を吐きながら懐から鞘を取り出す。

 血に濡れた刃を静かに収め、音を立てて納刀した。

 

「とりあえず――お前はここから出ろ。外に出りゃマルタって婆さんがいる。俺は……ラマティって仲間を探さなきゃならねえ」


 リュカは駆け寄ると、ためらいなくイザナの腹の傷口へ手を伸ばした。


「……おい、何してんだ」

 思わず身をよじるイザナに、王子は落ち着いた声で答える。


「私は……魔力の扱いが得意です。少しでも助けになれば」


 掌から薄い光が滲み、魔力の膜が傷口を覆った。じわりと熱が走り、止まらなかった血がわずかに収まっていく。


「……王族はちげえな」

 イザナは息を荒げながら、苦笑を漏らす。


「応急処置ですが、これで少しは出血を抑えられます」


 リュカは真剣な目で告げる。

「城には……まだ牢獄魔女が控えています。どうか――お気をつけください」


「……あぁ。無理はしねえ。やばいと思ったら……流石に一回、出直すさ」


 イザナは肩で息をしながら、短くそう答えた。

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