第47話 『虚ろな理想の楽園』
冷えた石壁がしっとりと汗をかき、滴った水がぽたりと床石に落ちる。
薄暗い地下牢には鉄の錆と血の匂いがこびりついている。
その闇の只中で、イザナは鋭い眼差しを向ける。
「……お前が、アズマ・テルジか」
「……何のために、こんなことをしてやがる。ハーメルンは死んだんだ! もう王子を解放しろ!」
イザナの声は低く、怒りを押し殺していた。
その言葉に、薄闇の中でアズマはゆるりと首を振った。
「……終わり? いや、始まりさ」
「おじさんがね、王子を拘束してたのは利用価値があるからだ。王子という象徴を掲げれば、国家改造は容易い。国民は王家を信じ、民衆は新たな秩序に歓呼する」
「リブラリア王は全世界平等化計画を掲げていた……もっとも、あれはおじさんの思想を王に託しただけのものだがね。人の差別も階級も、すべての不均衡を焼き払い、強力なファシズムの下に平等を基軸とした楽園を築き変える」
嗤う口元が、不気味に歪む。
「――“贖罪の葬列”も、そのためのものにすぎん……。だがな……用が済んだら王子も不要だ。象徴としての役割を果たしたその時は――爆ぜる花火のように散らすまで……」
狂気を孕んだ響きが、牢の石壁に反響した。
その言葉を聞き、イザナは鼻で笑う。鋭い視線のまま、吐き捨てるように低く言った。
「……てめぇ、それを本当に平等と呼ぶのか」
だがアズマは眉ひとつ動かさず、落ち着いた調子で言葉を返す。
「――革命の火を絶やすわけにはいかん。そのために、犠牲は付きものだ」
軍刀を肩に担ぎ直し、ぎょろぎょろと右目を動かす。
その異様な視線がイザナの顔立ちに留まり、じろりと舐めるように観察する。
「…………ふむ」
口角をわずかに吊り上げ、目を細める。
「おじさんは思想を広めるために、この地へ来たんだがねぇ……だが――同郷か? お前、その顔……東の血が混じっているな。こんな辺境で、何をしている?」
「……俺は元奴隷だよ」
イザナの低い吐息のような声に、アズマの表情がわずかに揺れた。
「……そうか」
その声音には、嗤いではなく、奇妙な同情が滲んでいた。
「ならば――なぜだ? 奴隷も虐げられ、踏みにじられてきただろう。差別と不平等を、この身に刻まれてきただろう」
「だからこそ……君には分かるはずだ。おじさんは世界を焼き直す。平等を掲げ、虐げられた者すべてに新しい秩序を与える」
ぎょろりと右目が揺れ、じっとイザナを見据える。
「それを――否定するのか?」
その言葉を遮るように、牢の奥から澄んだ声が響いた。
「――否定します」
リュカがゆっくりと立ち上がり、鉄格子の向こうから鋭い眼差しを向ける。
「平等とは、奪い取るものではありません。犠牲を踏み台に築いた楽園に、真の調和など訪れはしません」
アズマの眼がぎょろりと揺れ、細く笑んだ。
「……お前には聞いてない――が、口だけは達者だな」
軍刀を持つ手にわずかな力を込めながらも、声音は低く静かだった。
「だが、それはお前の立場だから言える綺麗事だ。王族風情が……」
わずかに口角を上げ、冷たく言い放つ。
「まあいい……どうにせよ、お前らの命運はここで尽きた。最後に――言い残すことはあるか?」
鉄格子の奥で、リュカは背筋を伸ばし、ゆっくりと答える。
「……私は元より、この国のために命を捨てる覚悟はできています。最後まで責務を全うすることに迷いはありません」
「おいおい」
イザナが舌打ちし、鋭い視線を投げた。
「なんで勝手に降伏してんだよ。……死ぬ前提で話を進めるな」
そう言いながら、懐から刺身包丁を抜き放ち、構えを取る。
アズマはその姿をじっと見やり、わずかに笑んだ。
「……いい覚悟だ。おじさんは嫌いじゃないね」
アズマは低く、言葉を紡ぐ。
「暴虐の雲――光を覆え」
その瞬間、牢獄の薄闇に煙が立ちこめた。黒い霧が渦を巻き、やがてアズマを含め七つの影となって揺らぎ出す。
すべてがアズマと同じ顔、同じ姿――分身の群れが並び立つ。
「怯まず進め、我等の友よ……」
七人の影が同時に動き出し、軍刀の光が一斉にイザナへと迫る。
「……チッ、マジかよ」
イザナは刺身包丁を握り直し、冷や汗をにじませながら唸った。
「一対七かよ……上等じゃあねえか」
苦笑いを浮かべながらも、眼差しは鋭く揺るがない。
迫り来る影を前に、静かに覚悟を固めた――。




