第46話 『暴虐の雲』
――白亜の城内は、驚くほど静かだった。
イザナは石造りの廊下をひた走る。磨かれた壁にかすかな灯火が揺れ、靴音が重苦しく響いた。
やがて辿り着いたのは、地下へと続く螺旋階段。
湿った空気が吹き上がり、鼻腔を刺す鉄と血の臭いが混じってくる。
――血と肉の匂いか、とイザナは奥歯を噛みしめ、一気に駆け降りた。
階段を抜けた先には、石壁に囲まれた暗い地下牢が広がっていた。
並ぶ鉄格子の奥には、いくつもの影が沈黙している。腐臭と湿気がまとわりつき、吐き気を催すほどの陰鬱さだ。
三つ目の檻の前で、イザナの足は止まった。
そこにいたのは――金色の髪に、深い青の瞳を宿す青年。
煤けた囚人服を纏いながらも、どこか高貴さを隠しきれない気配を放っていた。
「……お前が、王子か?」
低く問う声が、牢内に静かに響く。
青年はゆっくりと顔を上げ、静かに頷いた。
「あっ……はい。私がリブラリア聖王国第一王子、リュカ=フォン=リブラリアです」
その声音は、牢に囚われてなお気高さを失っていなかった。
「わかった、今助けてやる。……ちょっと檻から離れてろ」
イザナは短く告げ、懐から包丁を抜き放った。
その時だった。
牢獄の奥、湿った石壁に反響するように、低く響く声が流れ込んでくる。
「……暴虐の雲、光を覆い、敵の嵐は荒れ狂う」
それは歌とも呪文ともつかぬ、不気味な響き。ぞわりと背筋を撫で、牢獄の空気ごと凍らせるようだった。
「後ろ! 危ないっ!」
リュカの鋭い叫びが飛ぶ。
振り返るよりも早く、背中に焼けるような痛みが走った。斜めに切り裂かれる。
だが――ほんの一瞬の反応で、致命は外れていた。
「……ッ! 誰だ!」
イザナが低く唸るように声を放つ。
振り返ったその先――。
牢獄の薄闇の中、湿気に溶けるようにぬらりと姿を現した男がいた。
黒い長髪はところどころ乱れ、背に無造作に流れている。深く刻まれた皺の間から覗く右目はぎょろぎょろと落ち着きなく動き、獲物を探るように光っていた。
頬はこけ、顎には無精髭。眠れぬ夜を積み重ねてきたような顔つきは、戦場に立ち続けた者の疲労と諦観をにじませている。
軍服の残骸のような黒衣をまとい、右手に握られた軍刀は錆と血に汚れ、鈍く光を放っている。
男は、くたびれた顔に不釣り合いなほど愉快そうに嗤った。
「……おじさんの名は、アズマ・テルジ。千の目と呼ばれる、この世で最も革命を愛する男さ」




