第45話 『リブラリア城へ』
夜――九時を回った頃。
雨は止み、街を覆った水脈の名残が、石畳に淡い光を映していた。
僕たちはついに、リブラリア城の目前へと歩みを進めていた。
イザナ、僕、そしてその少し後ろを、ふらつく足取りでマルタがついてくる。
「……婆さん、顔色が悪いぞ」
イザナが振り返り、険しい目を向けた。
「大丈夫さ。ただ……昼間に“歪んだ現証”を使った副作用が、まだ抜け切れてないだけでね」
額に滲む汗が、その強がりを裏切っていた。
歩を進めるたびに息は荒く、肩が小さく上下している。
「……やっぱりな」
イザナは短く息を吐き、きっぱりと言い放った。
「婆さんは城付近で隠れてろ。無理してついてきても足手まといになるだけだ」
マルタは一瞬だけ眉を寄せたが、反論しかけた口は、すぐに閉じられる。
――そして僕たちは、城壁の目の前、岩陰に身を潜めた。
月明かりに浮かぶ白亜の城は、不気味なほど静まり返っている。
見張りの兵士は一人もいない。巡回の影すらなく、ただ夜風だけが石壁を撫でていた。
「……監視がないのは、ハーメルンの支配が解けたから……かな」
僕は声を震わせながらも、唇をきゅっと結んだ。
「……王子がいるのは、王座の間か地下牢のどちらか……だよね?」
イザナが横目で僕を見て、低く言った。
「……分かれるしかねえな」
「う、うん……ぼ、僕は王座の間に行くよ。イザナは……地下の牢獄に」
「ああ、わかった」
「あとね……お願いがあるんだ」
喉がからからで、声はかすれていた。けど、それでも絞り出す。
「……なるべく敵に会わないようにして。もし会っちゃったら……戦わないで、逃げてほしいの。二つの場所を探しても王子がいなかったら……その時はすぐ帰ろう。それが……約束」
イザナはしばし黙り、目を細めた。
「……牢獄魔女を相手にすることになったら、命がいくつあっても足りねえだろうな」
その時、不意にイザナの視線が僕に移った。
夜風に揺れる黒衣の魔装服――小さなケープと胸元の白いリボン、裾や袖のフリルが月明かりにきらめき、可憐さの中にほどこか凛とした気配を帯びている。
イザナが小さく鼻を鳴らし、片口端を上げた。
「前の白いドレスより……そっちの方が大人になったみたいでいいな」
「なっ……ななな……! や、やめてよ……そういう言い方……っ」
思わず頬が熱くなる。胸元ごと両腕でぎゅうっと抱きしめるように押さえ込み、視線を逸らしてうつむいた。
膝のあたりで揺れる黒衣の裾を、夜風がさらりと撫でていく。
「……なに赤くなってんだよ。時間もねぇ、行くぞ!」
イザナの短い声に、僕は思わず顔を上げる。
「……うんっ」
そうして僕たちは、月光に照らされた城へと歩みを進めた。




