第41話 『狂騒のパレード』
轟音。
巨腕が振り下ろされ、石畳が粉砕されるたびに、破片が飛び散って頬を掠めた。
振り下ろされた両の拳は、透明な壁に叩きつけられ――亀裂が走る。
耳をつんざくような音と共に、壁越しに伝わる衝撃は、臓腑を揺さぶるほどだった。
「ガアアアアアアアアッ!!!!」
血走った瞳、泡を飛ばす口、濃い褐色の肌に浮かぶ黒い血管。
もうそこにいるのは、僕の知っているダンじゃない。
それでも――。
「……ダン」
僕は透明な壁越しに、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「覚えてる……? 僕がまだ奴隷だった頃のこと。荷物ひとつ持ち上げられなくて、石につまずいて転んで……殴られて……そんな時、君が助けてくれたよね」
拳が再び叩きつけられる。壁が軋み、火花のように光が散る。
なのに言葉は止まらなかった。
「ご飯を横取りされて泣いてた僕に……『大丈夫だ、明日も生きてりゃ何か食える』って言って……ご飯分けてくれたよね」
「監督役に殴られた僕を庇って、自分が血だらけになったことだってあったよね……」
声が震える。涙がにじむ。
けれど――。
「僕は知ってるんだ。誰より優しい、君のことを……だから……暴れるためにここにいるんじゃない。守るために、いるんだ……!」
透明な壁に額を押しつけ、震える拳を握りしめる。
ステージの上では、狂気に酔う道化師の声が木霊していた。
「アァァ――ッハハハハハハァァァ!!! やはりッ! やはりですともォォ!!」
仮面の奥から、粘りつくような声が這い出てくる。
「私の笛……私の魔道具とォォ……あなたのその能力ッ! 相性は最ッ高だァァ!! ……もっとも――あなたからすれば、最悪ッ! 理性を剥ぎ取り、心を食い潰される感覚はァァ……ッ! んっふ、たまらないでしょうねぇェェ!!!」
甲高い旋律が再び吹き鳴らされ、骨を震わすような不協和が広場を覆う。
そのたびに、ダンの瞳は赤黒く濁り、暴力の渦へと沈んでいく。
僕は涙で滲む視界のまま、必死に声を張り上げた。
「思い出してよ……! あの小屋の中で、君は僕を生かしてくれた! 殴られて、倒れて、もう立ち上がれないって思った夜……『俺がいるから……安心しろ』って、笑ってくれたじゃないか!」
「君は……誰より優しいんだ……! 僕は全部知ってる……! だから――一緒に生きるんだ! 今ここで、僕と君がッ!!!」
その瞬間、脳裏に冷たい声が割り込む。
《――共鳴率、急上昇》
《ハンドラー――対象との精神同調を確認》
胸の奥で、熱と痛みが混じり合う。
けれどそれは苦しみではなかった。
「ダン……お願いがある」
僕は涙を拭いもせず、壁越しに必死に叫んだ。
「その力を……全部、僕に預けて! 出来る限りの力で――この地面を叩き割って! 僕と一緒に……未来への道を! 切り開くんだ!!」
赤黒く濁った瞳がこちらを射抜く。
獣のように荒ぶっていた巨躯が、ほんの刹那、揺らいだ。
握りしめた拳が震え、全身に溜め込んだ暴力が一点に収束していく。
「……がァァァァアアアアアアアアッッッ!!!」
大地を叩き割る一撃が放たれた。
轟音が広場を揺らし、地面が陥没していく。
ひび割れの底から噴き上がったのは――水脈の雨。
細かい水飛沫が空に舞い、光を受けて虹を描く。
それは夢で見た「悪夢の虹」とは違う。
――恐怖ではなく、希望を示す虹。
広場の中央に大穴が穿たれ、まるでクレーターのように抉られた地面が脱出口を作り出していた。
だが、次の瞬間――。
ダンの体を覆っていた膨張が、ゆっくりとしぼんでいく。
血管の浮き出た筋肉が痙攣し、濃い褐色の肌に戻りながら、彼は膝から崩れ落ちた。
「ダンっ!」
駆け寄った僕の腕の中で、彼はもう気を失っていた。
巨躯は元の青年の姿に戻り、ただ荒い呼吸だけがその胸を上下させている。
《診断――対象:ダン》
《生命活動に問題なし》
《精神と体力の極度の消耗により、強制的に休眠状態へ移行》
脳裏をよぎる冷たい声に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
――よかった。ただ眠ってるだけ……。
その瞬間――。
「アァァァァ……ッ!!」
舞台の上で、銀の仮面が天を仰いだ。
虹の雨に濡れながら、ハーメルンは身を震わせ、恍惚の笑みを浮かべる。
「なンという友情ッ……! 嗚呼ァァッ……! 仲間のために涙を流しッ! 力を託し合う……! アァァッ! 最高だァァ!!! 虹の雨に濡れる友情ッ……! なんと清らかで、なんと汚らしい供物かァァ!!」
ハーメルンは仮面を濡らしながら両手を打ち鳴らす。
甲高い拍手が雨音と混ざり合い、狂気じみた響きとなって広場を支配する。
「その絆を……ッ! もっと見せてくださいィィィ!! もっとォォッ! もっと汚して壊して、ワタシに差し出すのですゥゥゥッ!!!」
口元から飛び散る唾が雨に混ざって滴った。
銀の笛を握る指先は小刻みに痙攣し、欲望を堪えきれぬかのように震えていた。
「……おやァ?」
ハーメルンが首を傾げる。仮面の「笑み」は崩れぬまま、その声だけが異様に冷えた。
「狂人は気絶して、残るのは――聖女だけですかァァ……? ふむ……あなたの能力、おそらくは無敵化の類でしょうねェ? これほどの猛攻を耐えた人間……世界中探しても、なかなか見つからないでしょうッ! ただし!」
仮面がぐいと前に突き出される。
「所詮あなたは小さき聖女ッ! その能力は魔力を激しく消耗するはず……! いずれ尽きる! 私に勝てる保障など、どこにもない! だから供物となれェェッ!!」
僕はゆっくりと立ち上がり、瓶を握る手に力を込める。
喉が震えていたけれど、声ははっきりと響いた。
「……それはどうかな?」
額から流れる雨粒を拭いもしないまま、真っすぐに言い返す。
「追い詰められてるのは……お前かもしれないよ」
そう言って、僕は瓶の口を――地面を突き破り吹き上がる水の柱へと、そっと食い込ませた。




