第33話 『血の虹に溶けゆく抱擁』
気がつけば、街の中央広場に立っていた。
本来なら市場や祭りで賑わうはずの「祝祭のステージ」。だが今は――処刑の場に転用され、虚ろな目をした群衆が歓喜の声を上げている。
ステージでは、明るく軽快な音楽が奏でられていた。
笛と弦が弾むように鳴り、まるで舞踏会の開幕のような華やかさ。
そして舞台の端に立つ二人の歌い手――赤と青のドレスに身を包んだ若い姉妹が、澄み切った声を重ね合わせ、ステップを踏み、互いに絡み合うように舞い踊る姿は、まるで精霊のように美しい。
だが、その歌に込められた詞は――。
「――鎖に繋がれたしもべたちよ、主の愛に抱かれて果てる」
「――愛こそが死を導く 死こそが愛を証す〜 やがて全ては風にさらわれ、消えてゆく〜」
「――血に濡れた口づけは 楽園の誓い 花びらのように散り、闇の風になる〜」
……明るい旋律に、あまりにも不穏な言葉。
けれど群衆は笑顔で拍手し、涙を流し、熱狂している。
やがて――紫のマントを翻し、仮面をつけた男がステージに現れた。
その背丈は人よりも少し高く、細身の体を彩るのは、けばけばしいほどに鮮やかな魔導服。
赤と金の刺繍が走る帽子には白い羽根が差され、銀の髪は闇に溶けるように揺れている。
そして――顔を覆う仮面は、歪んだ「笑み」の形に固定されていた。
喜びとも、嘲りともつかないその笑顔は、目の奥の狂気とまるで噛み合わず、ぞっとする寒気を呼ぶ。
男の指先には銀の笛。
それをくるくると回しながら、彼は舞台を大きく一歩、二歩と踏み鳴らすたびに、背後の鎖がじゃらりと響いた。
囚人たちが列をなし、引きずられるようにして従ってくる。
男は仰々しく一礼し、銀の笛を抱きしめるように両手で掲げ、仮面の下から甲高い声が響き渡る。
「アァァ――ッ! あぁ、愛しい国民諸君ッ!! 見よォ、この鎖に繋がれた罪人どもを! 彼らはこの世という鎖から解き放たれるのですッ! 血をもって楽園へ至り、死をもって神の調和に帰るのですッ!!」
ハーメルンは両腕を広げ、嘲るような笑みを模した仮面が、観衆を見下ろしている。
「我が名は、ハーメルン=ファウスト。壊れた神の天秤が遣わした、楽園の調律者ッ! この笛の音に従い、罪を削ぎ落とすのです! その先にこそ、楽園は築かれるのだァァァ!!」
群衆が一斉に歓声を上げる。
ハーメルンは突然、ひそひそ声に切り替え、囁くように語りかけた。
「……ならば、差し出すがいい。その命を……その心を……その肉の一片に至るまでェェ……」
唐突に笛を振り上げ、絶叫する。
「ワタシにッ!! カミにィィッ!!! カミにィィィィィ!!!! カミカミカミカミカミカミカミィィィィィッ!!!!」
仮面の下の口元は泡を飛ばし、全身を痙攣させながら笑っている。
だがすぐにすっと背筋を伸ばし、紳士のような口調に戻った。
「……ご安心ください、皆々様。彼ら“罪人”どもは踊り、歌い、そして舞い散る。その屍こそが、我らの信仰を、証明するのです」
笛の先を囚人に向け、狂気に染まった声で叫ぶ。
「死こそが、救済ィィッ!!!」
鎖の音を引きずりながら、ひとりの少女がステージへと引き立てられた。
淡いピンク色の髪が乱れ、首枷と手錠に繋がれた姿は痛々しい。
けれどその澄んだ青の瞳は、最後の誇りを失わずに前を見据えていた。
「……っ……」
群衆がざわめく。王の血を引く者と誰もが気づいていた。
その前に、ひらりとマントを翻してハーメルンが現れる。
銀の笛を指にくるくると回し、仮面の下から笑い声を漏らす。
「アァァ……! 見よッ、国民諸君ッ!」
「これぞ“罪”の化身ッ! 裏切りの姫君ッ!!」
少女の顎を乱暴に掴み、仮面の下から鼻を近づけて深く吸い込む。
「アァ……いい……匂いだ……ッ。恐怖と絶望と、それでも消えぬ誇り……ッ! んっふふふふふふッ!」
観衆は歓声を上げる。
ハーメルンは陶酔したように少女の頬を撫で、首枷に繋がれた鎖を軽く弾いた。
「踊れッ……神に捧げる供物よォォッ!」
銀の笛が鳴り響く――。
その瞬間、少女の体ががくりと震え、ぎこちなく動き始めた。
腕が、足が、糸で操られる人形のようにカクカクと踊りだす。
明るい旋律。軽快なテンポ。
だがその舞は、まるで死を前にした人間の痙攣にしか見えなかった。
「アハハハハッ! もっとだ、もっと踊れェェェ!」
「楽園への階段をォォ! 神の調和を刻めェェェ!!」
群衆は熱狂し、囚人たちは虚ろに見つめる。
やがて――曲が終わる。
少女の足元の舞台が音を立てて開き、下から鋭い槍の群れが突き上がった。
その瞬間、彼女は悲鳴をあげることすら許されなかった。
肉を裂き、骨を砕き、柔らかな身体は容赦なく串刺しにされる。
鮮血が花弁のように宙を舞い、弧を描いて飛び散る。
その一滴が僕の頬に触れ、冷たく濡らした。
「……あ……」
声が出なかった。頭が真っ白になり、胸の奥が灼けるように熱くなっていく。
視線の先――小さな体は宙に固定され、まだ温もりを残した四肢が人形のように痙攣していた。
細い喉から漏れたのは、声とも呼べぬかすれた吐息――そのまま途絶える。
視界が震え、ただその残酷な光景を焼きつけることしかできなかった。
その横で、紫のマントを翻す道化師が銀の笛を掲げる。
仮面の「笑み」は変わらず、しかし声には狂気の熱があふれていた。
「――死こそが、楽園に至る道ッ! 死こそが、神のッ!! キュウサイッッ!! なのだァァァッ!!!」
群衆が爆ぜるように歓喜した。
歓声、笑い声、泣き声――それらが渦を巻き、まるで洗脳された合唱団のように「喝采」だけを響かせる。
「……ふざけんなよォォォッ!!!」
ダンが咆哮した。
その顔は怒りで歪み、握った拳は震えている。
「こんなの……処刑じゃねぇ! ただの見せ物だろうがぁぁぁッ!!」
その瞬間――僕の脳裏に、冷たい声が割り込んだ。
《警告――対象:ダン》
《ユニークスキル【粉砕愚者】の発動を感知》
《制御不能――暴走の危険性大》
「……っ!」
止めなきゃ。そう思ったはずなのに――頭が真っ白で、言葉が出なかった。
「うおおおおおおおおッ!!!」
咆哮と共に、ダンの筋肉が膨張する。
濃い褐色の肌が裂けんばかりに盛り上がり、そこに黒い影が血管のように浮かび上がる。
肉体は常識を嘲笑うように肥大化し、気づけばその巨躯は三メートルを優に超えていた。
「……ほう」
銀の笛を構えたまま、ハーメルンが仮面の奥で目を細める。
「これは驚いた……私の《幻奏支配》が効かぬと? 洗脳に抗ってしまいますかァァ……!」
仮面の口が歪み、愉悦に満ちた声がこぼれる。
「ならば――理性を乱す旋律を奏でましょうッ!!」
笛先を高く掲げ、仮面の奥で嗤いながら息を吹き込むと、甲高く澄んだ旋律が広場を満たした。
一瞬、それは天上の調べのように美しかった。
だが次第に旋律は鋭さを帯び、空気を裂く刃となって耳を突き刺す。
心地よい響きに包まれているはずなのに、骨の髄を掻きむしられるような悪寒が走る。
途端にダンの瞳から光が消え、血走った眼が狂気に染まった。
「ぐあああああああああああああッ!!!」
雄叫びと共に地面に拳が振り下ろされる。
地面が大きく裂け、大地の奥に眠る水脈が潰されるように崩壊した。
ひび割れの底から轟音が突き上がり、次の瞬間、街全体を覆うほどの水飛沫が吹き上がる。
それは粉々に砕かれた霧となって降り注ぎ、雨に変わった。
乾いた大地を濡らし、人々の頬を濡らす。
その水滴が陽光を受け、空には巨大な虹が架かった。
――美しい。だが、それは破壊が生んだ虚ろな奇跡。
巨躯となったダンは、その虹を背にして地を蹴った。
次の瞬間には、すさまじい速度で舞台に躍り出て――。
「があああああああああああああああッ!!!」
暴走したダンの拳が振り抜かれる。
空気を裂く衝撃波と共に、ハーメルンの頭部へ直撃――。
仮面が粉々に砕け、白銀の髪と血飛沫が宙を舞う。
素顔を覗かせたハーメルンの瞳は、なお狂気の光を宿していた。
「ヒィィ……あァァァ……ッ! 美しい……死……こそォォ……!」
その言葉を最後に、拳が振り下ろされる。
一撃、二撃、三撃――。
骨が砕け、肉が裂け、臓腑が飛び散る。
それでも止まらない。
狂奔する巨拳が、ハーメルンをただの肉片に変えていった。
群衆の瞳から虚ろさが消える。
洗脳が解け、彼らは自由を取り戻した。
だが次の瞬間、解放の安堵は恐怖へと変わる。
舞台に立つのは――虹を背にした、巨躯の怪物。
「……ひ……ッ」
誰かが声を漏らした瞬間、咆哮が轟く。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
拳が振り抜かれ、群衆が粉砕される。
血が飛沫となって降り注ぎ、歓声のあった広場は一瞬で惨劇に変わった。
老若男女、兵も囚人も関係なく、目の前にある命が全て叩き潰されていく。
やがて――。
ダンの体が異様に膨張を始めた。
筋肉が裂け、血管が浮き、皮膚の下で光が脈打つ。
その姿は、もはや人間の枠を踏み越えた“何か”だった。
次の瞬間。
全身が限界を迎えたかのように――炸裂した。
閃光が広場を呑み込み、視界が白に塗りつぶされる。
《――危険検知。防御アルゴリズムを起動》
次の瞬間、僕の周囲だけが薄い光の膜に覆われた。
世界の残骸が崩れ落ちていくのを、透明な隔たり越しに見ているようだった。
音も衝撃も膜の外に弾かれ、ただ雨のように滴る光だけが僕の頬を濡らした。
大地は裂け、石畳は粉砕され、街そのものが悲鳴を上げる。
そして虹は掻き消え、街の一角がまるで存在しなかったかのように消滅していた。
……気がつけば、残っていたのは僕だけだった。
ダンも、イザナも、マルタさんも、さっきまで溢れていた群衆も――肉片ひとつすら残さず消え去って……影も形もなくなっていた。
「あ……あぁ……やだ…………行かないで……ッ! みんな――ああああああああああああッ!!!!」
喉が裂けるほど叫んでも、返事はどこからも返ってこない。
ただ水脈の雨が血と涙を混ぜながら、僕の体を打ちつけていた。
《――観測終了》
《並行世界より断章を記録》
脳裏に響く無機質な声。
だがその瞬間、光が滲み広がり――。
淡い水色の髪が波のように揺れる少女が目の前に現れた。
青と白を基調としたマリンセーラーの衣装は光に透け、胸元の真紅のリボンが、まるで灯火のように浮かんでいる。
彼女は静かに歩み寄り、海のような輝きをまとって微笑むと――僕を優しく抱きしめた。
その腕の温もりに包まれた刹那、耳元で囁きが降りてくる。
「泣かないで……君は、まだ失ってなんかいない」
「……ひっ……ひぐっ……だ、だって……! みんな、いなくなっちゃって……っ……!」
「僕は……なんにもできなかった……! ただ見てるだけで……守れなかったんだ……ッ!」
涙で声がぐちゃぐちゃになりながらも、喉の奥から必死に言葉を絞り出す。
「……僕は……ひとりに、なりたくないよ……もう……仲間を失うのはいやなんだよぉ……」
その幼い泣き声を包み込むように、耳元であたたかな声が囁いた。
「大丈夫……泣きたいだけ泣いていいの。いまだけは私が受け止めてあげるから」
そっと頭を撫でられる。子どもをあやすような仕草に、胸の奥の痛みが少しずつ溶けていく。
――その優しい囁きとぬくもりに導かれるように、世界は光に溶け、暗闇がすっと消えていった。




