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【完結】全知の書庫アカシックレコードの継承者  作者: 刻彫
第二章 『贖罪の葬列編』
33/68

第32話 『夜の調教』

 その夜――。

 宿の灯りが落ち、街に静寂が広がった頃だった。


 ふいに、風に紛れて笛の音が忍び込んでくる。


 ぴぃぃ……ひゅるる……。


 ――おかしい。

 旋律は明るく軽快で、祭りの開幕を告げるように華やかだった。

 なのに耳に届くたび、背筋を氷で撫でられるような不気味さがまとわりつく。


 まるで誰かが耳元で囁きかけているような親密さ。

 それでいて、街全体へと染みわたり、人々を無意識のうちに立ち上がらせていた。


「あ゙ぁ……これ……やばいな……頭の奥で誰かに“従え”って囁かれてる……!」

 

 イザナがベッドから上体だけを起こし、低く唸る。額には滲む汗。歯を食いしばる音さえ、静かな部屋に響いていた。


「お、おいイザナ! 大丈夫か!? 落ち着け!」

 ダンが低い声で叫ぶ。だがその目はしっかりと澄んでいた。


 老婆はただ一点を見つめ、苦しげに呟いた。

「……操られてるんだよ……人の心を……」


 僕の喉がかすかに震えた。

「これ……操られてる……?」


 その言葉を口にした瞬間――胸の奥がざわめき、心臓を誰かに掴まれたような圧迫感が走る。

 視界がぐにゃりと揺れ、頭の中でざわざわと不気味な囁きが広がっていく。


 ……あぁ……眠い……でも……歩かなきゃ……笛の音のほうへ……。


 視界が揺れ、気づけば僕の目も虚ろに――。


《――検知。対象:ラマティ、イザナ》

《――精神干渉を確認》

《――特例処置。精神異常耐性を付与》


 脳裏に冷たい声が響き、意識を繋ぎ止める光が駆け抜ける。

 次の瞬間、霞んでいた視界がぱっと晴れた。


「……っ!」


 隣ではイザナも同じく荒い呼吸を整えていた。

「っぶねえええ……!」

 目を細め、音のする方角を鋭く睨みつける。


 そんな僕たちを見て、老婆がかすれた声で呟いた。

「……戻ってこれたのかい。……精神力が極端に強い人間や、もともと耐性を持つ者だけが……この笛の音に抗えるんだよ……」


「ん? お前ら、なんでそんなに息上げてんだ?」

 ダンはケロッとした顔で首を傾げていた。


 イザナが短く鼻を鳴らす。

「……そういうことか。あの笛の音こそが、“パレード”の正体ってわけだな」


 外がざわつき、宿の壁越しに群衆のざわめきが伝わってくる。

 僕は思わず二階の窓辺へ駆け寄り、板戸の隙間からそっと外を覗いた。


 ――その瞬間。

 夜の街に、異様な光景が広がっていた。

 松明の光に照らされ、虚ろな目をした人々がぞろぞろと歩いていく。まるで糸に操られる人形のように、同じ足並みで。


「……っ……!」

 息が喉に詰まった。


 その先頭に立つ影――けばけばしい魔導服に身を包み、銀の笛を握りしめた仮面の楽師だった。


「止めなきゃ……!」

 思わず声を張り上げ、踏み出そうとした僕の腕を、老婆がぐっと掴んだ。


「やめな! 夜は効果が強すぎるんだよ……」

 かすれた声に、しかし確かな切迫が宿る。


「笛の音は、夜にこそ人を飲み込む。だからこそ――今こうして“調教”して、翌日にパレードをやるんだ。夜はただ心を縛るだけ、囚人はいない。止めるなら……明日の行列しかない」


「……っ……」

 僕は言葉を失い、ただ銀の笛を睨みつけるしかなかった。


 やがて笛の音は、夜の彼方へと溶けていった。

 人々は何事もなかったかのように家へ戻り、崩れ落ちるように眠りに落ちていく。まるで操り人形の糸を切られたみたいに。

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