第16話 『王都に響かぬ声』
夜の帳が降り、馬車の荷台はがたがたと揺れながら街道を進んでいた。
隙間風が冷たく、木の床は硬い。けれど、外の月明かりだけはやけに明るく灰色の世界を白銀に照らし出していた。
その光に包まれながら、僕は手にした粗末な陶器を見下ろす。
中身は黒いパン……。パンの塊を無造作に陶器へ放り込まれたものだ。保存用に焼き締められているのか、石みたいに硬くて歯が立たない。
……けれど、その隣には小さな陶器に詰められた苺ジャムまで添えられていた。
舌に広がる、優しい甘さ。
普通の人間なら「石みたいに硬いパン」など口もつけずに突き返すだろう。
けれど僕にとっては、奴隷の頃に食べていた泥のような粥とは比べものにならないほどのご馳走で、思わず涙がこぼれそうになった。
けれど――それ以上に震えたのは、兵士たちの雑談だった。
「回復系の能力者は貴重だからな」
「死んでも骨の髄まで研究される。生きたままホルマリン漬けにされた奴もいるそうだ」
「技術の発展のためだ。名誉なことさ」
――名誉なんかじゃない。
背筋を冷たいものが駆け上がる。
僕があの力を誰かに見られたせいで、もし本当にそんな扱いを受けることになったら――。
しかも、兵士たちの視線は時折こちらへと向けられる。
長い金髪、白いワンピース――。
誰もが僕を「か弱い娘」と思っているのだ。
「へへ……治癒までできるとなりゃ、どんな遊びだってできるぜ」
「遊郭に流せば大金だ。男どもに抱かれて、果てりゃ能力で回復……そりゃ何度でも使えるって寸法よ」
「医者も娼婦も兼ねりゃ、貴族様方が放っとくわけねぇ」
「性病にかかっても自分で癒やせるなら問題なしだな……ははっ、最高の稼ぎ頭じゃねぇか」
下卑た笑いが狭い馬車の中に充満し、胸の奥が吐き気でねじれる。
鎖につながれた両手を膝の上でぎゅっと握りしめる。
「……僕はっ……」
声を張り上げそうになった。
――僕は女なんかじゃない、僕は男だ。
けれどその瞬間。
《――観測干渉制御》
《――発言禁止――》
《理由:対象に真実を告げた場合、あなたに必要な“縁”が成立しない未来が観測されました》
「っ……!」
喉がぎゅっと塞がり、息はできるのに声が出ない。
兵士たちの下卑た笑いが耳に刺さる。
ただ黙って、歯を食いしばるしかなかった。
一方で――。
ダンは黒パンを齧ったあと、いびきをかいて寝転んでいた。
イザナも新聞紙を顔にかぶせ、浅い呼吸で眠っている。
奴隷小屋の地獄に比べれば、この馬車はまだマシなのだ。
彼らはその事実に慣れすぎて、狂ったように平然と眠れる。
――眠れないのは僕だけ。
手首に繋がれた鎖が、現実を無言で示していた。
……そして三日目の朝。
視界の先に、灰色の巨壁がそびえていた。
石を積み上げた城壁は山のように高く、頂には鋭い尖塔が空を突き刺している。




